「メシだぞ、兄ちゃん」
 部屋で寝転がるアルベルに、ロジャーが呼びにきた。
「いらねえ」
「なに言ってんだよ。戦って、歩いて腹減ってんだろ?」
「……………それも、そうだな」
 いちいち空気を悪くする事もあるまいと思ったのだが、この空腹感をそのままにしてお
くと、明日の戦いに差し障るだろう。
 空気が悪くなろうと、知った事ではない。そう思い直して、アルベルは身を起こした。

「その皿の、あの人の食事に毒を入れたら、どうなりますかねぇ」
 料理ができるばっかりに、この屋敷での家事を取り仕切る事になってしまった兵士が配
膳していると、すぐそばにいたファリンが突然、そんな事を言い出した。
「えっ!? ファ、ファリン様…?」
「冗談ですよー」
 そう、ファリンはほやほやと笑っていたが。やはり、アルベルに足蹴にされた事を根に
もっているようだった。
「け、けど、どうして、あの歪のアルベルが、一緒にいるんですか?」
 毒を入れるのはやりすぎにしても、下っ端の兵士もそこらあたりは解せなかった。
「女王陛下の命令だ。…従わないわけにもいかないだろう…」
 不機嫌なのを隠せないまま、ネルは配膳を手伝う。みんなでやった方が早いということ
で、クリムゾンブレイドであるネルやクレアまで配膳を手伝ってくれる。ここらあたりも、
彼女たちに人気がある理由だろう。
「アーリグリフ側からの条件…みたいね」
「その通りだよ」
 クレアは、さすがに冷静な顔で言う。彼女はあまり感情を表に出したりはしない。たと
え、腹の中で怒りや悲しみや、ドス黒い感情がうずまいていようとも、それほど顔に出し
たりする人間ではないのだ。
 施術の能力だけでなく、その冷静なところも、彼女の優秀さを物語る。
「さっさと侯爵級ドラゴンと締約しなきゃなんないのに…」
 余計な私用を増やしてしまったフェイトを恨みたくもなる。
「まあ、急ぐに越した事はないけど、焦っても仕方がないわ。ああ、夕食の支度はできて
ますよ」
 クレアがネルを軽くたしなめた時、食堂のドアが開いてフェイト達が姿を表したので、
彼女はその顔に笑顔をつくった。


 食事の時間は、はた目にも和やかともなかなか言い難い状況だった。
 黙々と食事をたいらげるアルベルと、なかなか気を許す事ができないネルやタイネーブ
のシーハーツ側。その険悪な空気に戸惑うフェイト。
 一応、みんなで会話をしているが、どこか空回りというか、空々しい雰囲気の会話ばか
りで。フェイトにとって、胃が痛くなりそうな空気であった。
 クリフやマリアはあまりこの空気を気にしていないようで。というか、気にしてもはじ
まらない事をわかっているから。平然とした顔で食事を続ける。
 クレアやファリンの方も平然とした顔をしているが、その胸中はクリフ達ほど割り切っ
てはいないようだが。
 異色なのはロジャーで、この痛い空気の雰囲気を半分くらいしか察せずに、一人、のん
きに食事をたいらげている。彼の食い気の強さも関係しているとはいえ、やはりこの食堂
ではけっこう異色の存在であった。
「兄ちゃん。そこのソースとってくれ」
 あのアルベルに、ソースをとってくれなどと言うのは彼だけかもしれない。アルベルは
無言でソースを手渡すと、ロジャーは軽く礼を言って、料理にどばどばソースを振りかけ
た。そして、ぐちゃぐちゃとスプーンでかきまぜはじめる。
 その食べ方になんだか悲しくなってきた料理係だが、この空気の中、口を開く気になれ
ず。
 非常に空気の悪い食事をすませて。
「ああー…」
 フェイトはあてがわれた部屋に戻った途端、頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
「どうした?」
 クリフは扉をぬけて入って来ながら、倒れ込むフェイトを見る。
「どうしたって、なんか、食べた気にならなかったよ」
 おなかのあたりをさすり、フェイトはげんなりとした顔を作る。
「しょうがねえだろ。いきなり馴れ合えったって、無理な話だしよ。建前上、アルベルの
野郎だけを外して食事ってわけにもいかねえだろ」
「うん…。わかってるんだけど…わかってるんだけどさ…」
 あんな重苦しい空気の中での食事など、美味しく感じるわけもなく。料理を作ってくれ
たあの人には悪いが、正直、味などよくわからなかった。


「…ペターニか…」
 無口なアルベルが、ペターニに着き、門をくぐってこの町並みを見渡すと、一言そう言
った。
「でけえ街だよなー。オイラも初めて来た時はビックリしたぜー」
 ロジャーの言う通り大きな街で、そして、非常に豊かな街だった。バンデーンとサーフ
ェリオとの交易都市として発展し、シーハーツでも商業的に重要な拠点である。
 行き交う人々は華やかだし、店の種類は豊富だ。なにより、活気にあふれていた。
 ここまで来ると戦争の悲惨さの影はひそまってしまう。彼らの心に影を落としていよう
とも、目の前の生活を精一杯謳歌する人々でいっぱいだ。
 少し惚けたように見えるアルベルを見上げるロジャー。だが、みんなが歩きだすとアル
ベルはすぐに元の無表情に戻ってすたすたと歩きだした。
 アルベルが仲間になって、それなりに時間が経っているが、相変わらず無口なままで必
要以上に話したりはしない。
 せいぜい、ロジャーが適当に話しかけてくるくらいで、マリアも別に必要でない事を話
したりしないし、雑談を持ちかけたりもしない。ネルに至っては必要な事を話す時でさえ
も、口調が苦々しげだ。
 ペターニにまで来ると、アルベルの噂はあまり広まっていないらしく、道行く人も奇異
の目で見ても、敵意の目でアルベルを見ているわけではないようだ。それに、交易都市だ
けあって、色んな人間が集まる事から、おかしな格好の人間を見てもそれほど驚いたりし
ない。
 宿はネルの口利きでペターニでも高級宿をとることができる。部屋割りは、ネルが決め
る事になっているが。
「ふう」
 ロビーの円卓の椅子に座り、マリアは疲れたように髪をかきあげた。
「疲れたかい?」
 フェイトがちょっと笑って、彼女のむかいの椅子に腰掛けた。とりあえず、今日はここ
で休んで明日出発する事になる。今は自由行動中だ。
「ちょっとね。やっぱり戦いづくめっていうのは、疲れるわ。本意ではないけれど。あっ
ちから襲いかかってくるんだから、仕方ないわね」
「僕はこの星にだいぶ慣れてきちゃったけど」
「そうみたいね」
 マリアは苦笑して、フェイトをながめた。人当たりの良い彼は、見てると和む笑顔を浮
かべる。
「けど、あの二人、どうにかならないかしらね」
 ため息混じりに机の上に肘を置き、ほお杖をつく。
「ネルさんと、アルベルの事?」
 その事については、フェイトもなかなかに頭が痛い事であった。
「そう。私はあの人たちの確執を知らないから、言えるっていうのもわかるんだけど。そ
れにしたって、ぎすぎすしすぎだわ」
「まあ…ね…」
 アルベルの方はあまり取り合おうともしていない感じだが、ネルがいちいち殺気を放つ
ので近くにいると疲れるのだ。おまけに、アルベルの方も、滅多に開かない口を開いたか
と思ったら皮肉や嫌みや、悪態くらいしか出てこない。
 おかげでアルベルとネルの仲は最悪で、今はまだ口げんかで済んでいるが、命を取り合
うケンカまでされたらたまらない。
「ねえ、マリアはどう思う?」
「あの二人について?」
 マリアは閉じていた目を開いて、フェイトを見る。
「うん」
「うーん…。ネルについては、アルベルがいなければ、別に頼れる感じなんだけどね…。
ちょっと意識しすぎね、あれは。アルベルの方は…、戦闘力だけを見るなら、一緒にいて
頼れると言えば頼れるわ」
「なるほど…」
 確かに戦闘力だけで言うならば、アルベルはかなり頼りになる。なにせ、仲間に入った
途端、急に戦闘が楽になったくらいである。
「ただ、それ以外はちょっと…」
「まあ、ね…」
 マリアは言葉を濁しがちにそう言うと、フェイトも思わず頷いた。協調性はないわ、い
つ衝突を起こすかわからないわでは、気が休まらない。
「けど、からかうと面白そうな人ではあるわ」
「え?」
 意外なマリアの言葉に、フェイトは驚いて顔をあげた。あのアルベルをつかまえて、か
らかうと面白そうだとまで言うとは。
「なんか、イキがってるっていうか、ツッパってるっていうか。そういう意味ではちょっ
と見かけ倒しね」
「マ、マリア…?」
 思わずフェイトは近くにアルベルがいないかどうか、きょろきょろと見回してしまった。
「ああいうタイプってね、強引に言いくるめれば、動いてくれそうよ。彼、見かけほど凶
悪でもないみたいね」
「……え…?」
 面白そうに言うマリアに驚いて、思わず彼女を凝視する。彼女は相変わらず、小悪魔っ
ぽい笑みを浮かべている。
「むしろ、ウォルター伯爵の方が全然食えないわ。押しても引いても動かないわね。押し
ても引いても動いてくれそうなアルベルとは役者が違いすぎるわ」
「そ…そうかい?」
「君もうすうす気づいてるんじゃないの?」
 見透かすようなマリアの瞳。その瞳を見つめて、フェイトは改めて考え直していた。確
かに敵だった時の印象が強すぎて、マリアみたいにまっさらな状態でアルベルを見たわけ
ではない。からかうと面白いとかいう意見は置いといて。
「とはいえ、あの二人の関係は、ちょっと困るわよね」
 マリアの声に、フェイトは考えの淵から、呼び戻される。
「いちいちケンカするか、殺気ふりまくか、ぎすぎすした空気しか出さないんですもの」
「そうだね…」
 まったく同意して、フェイトはため息をつく。経緯を知っているから、なんとも言えな
いが、近くにいるだけで、こちらの方が疲れてしまうのだ。
「私だったら、同室に放りこんじゃって、強引に馴れ合わせるとかやるとこだわ」
「マリア…」
 フェイトは呆れてしまったが。後日、まさか彼女が本当にそれをやるとは、この時は思
わずにいた。

 フェイトとマリアが宿のロビーでくつろいでいる時。ロジャーはペターニの裏通りを一
人でひょこひょこと歩いていた。
 ちょうど、そのへんをフラフラ歩いていたアルベルをそんな彼を見かけて、横目で見て
そのまま無視していたのだが。
 ロジャーの後ろを、なんだか目付きの悪い男たちが数人、跡をつけている事に気づいた。
「…ん?」
 立ち止まり、その様子を見送る。目付きの悪い男たちは明らかにロジャーを付け狙って
いるようだった。だが、関係ないと思い、それを無視して歩きだした。
 しかし、歩きながらぼんやりと考えてみる。この後、起こりうる事を考えると、むしろ
無視した方が逆に面倒な事になりそうだと思い至った。


「よう、チビスケ」
 後ろから呼び止められる声に、ロジャーは振り返った。
 そこには、目付きの悪い男たちが5、6人、ロジャーを取り囲むように立ち塞がってい
た。彼らの顔付きに微妙に見覚えがあるものの、それが何だったか思い出せない。
「なんだよ」
「おまえ、あのときのメノディクス族のガキだな」
「あのときの?」
 ロジャーはわけがわからないので、眉間にシワを寄せて、目付きの悪い男その1を見上
げた。
「おいおい、忘れたのかぁ? てめえが勝手に入り込んでめちゃくちゃにしていきやがっ
たのをよ!」
 今度は目付きの悪い男その2が、ガラも悪そうに顎を前に突き出してすごむ。
 彼の雰囲気はともかくとして。数人に取り囲まれると、さすがのロジャーも少したじろ
ぐ。だが、威勢だけは良いので、というか、それしか張るものはないので。
「へん! 覚えてねえな!」
「んだと、このガキ! てめえがお頭の黄金の像を盗みやがったんだろうが!」
「あ」
 言われて、ロジャーはやっと思い出した。盗賊団月影のアジトにもぐりこんでつかまり、
そこでフェイト達に助けられ、なし崩しにその盗賊団を壊滅させたのだ。

「ちくしょー!」
 盗賊団の残党はロジャーを取り囲む5人だけではなく、あちこちに隠れていたらしく、
逃げ回るロジャーを10人近くで追い回していた。
「待て! この野郎が!」
「誰がっ!」
 ロジャーもあのときよりも腕をあげ、チンピラのような彼らにそれほどひけをとるつも
りはなかったが。さすがに人数が多いと、そうもいかなくなり。
 路地を逃げ回ったのがまずかったが、人どおりのない壁際に追い詰められてしまった。
「このクソガキ! よくも月影をぶっつぶしてくれたな!」
「んぎゃー!」
 人数が多いのを良い事に、盗賊団の残党は取り囲んでロジャーを集団で殴る蹴るしてい
た。頑丈なロジャーもさすがにこの袋だたきはこたえた。
「ぐわあっ!」
 突然、盗賊団の背後の方から悲鳴が聞こえた。
「あん?」
 ロジャーを殴る手を止めて。男はいぶかしげにふりかえった途端。
「ぶへっ!」
 強烈な衝撃を頬に感じて、わけのわからないまま、勢いよく吹っ飛ばされた。
「ガキ相手に何人だ…?」
 目付きの悪さなら、アルベルも負けていない。というか、まとう殺気が本物であるだけ
に、なにやら格の違いさえも漂わせる。しかも、やたら強烈な格好をしているのだ。盗賊
団達は思わず動きを止める。
「な、なんだおまえ…?」
「何だって良いだろう。とりあえず、そこのチビダヌキを解放しろ」
 左の凶悪デザインのガントレットを突き出して、アルベルは盗賊団達にむかってすごん
だ。
 その殺気にたじろぐ盗賊団。が、しかし、そこは単純な彼らの事。いくら強そうな男相
手でも、人数でかかればと、手に手にダガーを持ち、アルベルに襲いかかった。

 数分後。
 盗賊団月影の残党は、全員打ちのめされて動けずにいた。ノされるだけで済んだのは、
殺す程の価値もないと判断されたからだ。
「おい」
 ズタボロになったロジャーに近寄り、かがみこんで声をかける。
「あ…う…」
「動けるか?」
「……ん……あ………」
 頭にたんこぶはいくつもあるし、切り傷打ち傷も全身に数え切れない。顔も腫れ上がり、
青アザ痛々しい。
 こんなにボロボロでもまだ動くのは、人種的なタフさによるものであろう。
 しかし、口も聞けない程のダメージとは。
 アルベルは嘆息して、懐から青い木の実を取り出した。ブルーベリー。口にすれば、疲
れや傷が多少癒える。大陸全土で栽培されており、旅人の間ではわりと一般的な回復薬だ。
 そのブルーベリーの実をロジャーの口にほうり込む。
「ん…んが…」
 噛む程の力も残されていないようだったが、それでも、ロジャーの苦しげな顔が少しや
わらいだ。
「フム…」
 これは、回復施術をほどこしてもらうしかなさそうだ。しかし、残念ながらアルベルは
それを使う事はできない。
 もう一度嘆息すると、アルベルはロジャーをかつぎ上げた。




                                                             to be continued..