「なに、こちら側から一人、参加させてもらえばこちらとしては、何も言う事はない」
 アーリグリフ王は、会談の席でそう言った。
 切れ者として評判なだけあって、腹の底で何を考えているのかわからない男だ。その隣
にいるウォルター伯も、おそらくさらにその上をいくくらいに、腹の底の知れぬ男で。
 そんな二人に並ばれると、ネルの機嫌はぶっちぎりに不快で。自分が最も敬愛する女王
陛下の手前、ぐっとおさえているが、いなかったら、何を言いだすか、してしまうか、自
分でもわからない。
「良いでしょう。では、どなたが同行するのですか?」
 ロメリア女王は相変わらず静かな口調で尋ねた。
「俺が行くわけにはいかないし、このウォルターもいい歳だ。老体にバール山脈はつらい。
俺はアルベルを同行させようと思っている」
 ずっと我慢していたネルだが、この時ばかりは限界がきてしまった。
「アルベルだって!?」
 思わず、口が出てしまった。
「不満か? 戦力としては申し分ないと思うし、俺はけっこう気に入っているんだがな」
 憎々しいが、アーリグリフ王はさらりとそんな事を言う。あの傲慢で凶悪な面構えの男
のどこをどうしたら気に入るというのか、激しく不可解だ。
「僕としてはかまいませんけれど…」
 隣のフェイトが余計な事を言う。
「けど、あいつが俺たちの事をどう思ってるかだよなー」
 クリフが良い事を言った。最後に会ったベクレル鉱山前で、この前のいやみのお返しと
ばかりに手負いで動けないアルベル相手に痛烈な嫌みを言ったのはフェイトやクリフだ。
 1対1なら、勝機はこちらにはなかっただろう。確かに、あの男は強かった。だが、こ
ちらを甘くみていたうえに、3対1ならばどうか。
 3人相手に善戦していたようだが、こちらとて弱いわけではない。フェイトとクリフの
相手で手一杯のところを、ネルが遠隔攻撃で打ちのめした。
 スキができればこっちのもので。
 最後は袋だたき状態だった。
 とどめをささなかったのは、フェイトやクリフがその気が無かった事や、傷ついたタイ
ネーブやファリンの事が先決だったからで。この先、生かしておいて良いことがあるかど
うかも疑問だったが、ネルとて人殺しが好きなわけではない。だが、同行を強いられると
は思ってもみなかった。
「なに、あいつに文句は言わせん。お前達に同行させる」
 そこはさすがに国王で。あのアルベルも顎で使って黙らせられる。
「それでは、決まりですね。アーリグリフでその者を向かえた後、そなた達にはウルザ溶
岩洞に向かってもらいます」
 女王の言葉に、ネルはかしこまって見せた。本当はアーリグリフなんかに寄り道しない
で、すぐにでもそのウルザ溶岩洞に向かいたいくらだったが。
「アルベルなら、そこまでの道も知ってるだろう。道案内にもなるだろうよ」
 アーリグリフ王の言葉が重なり、マリアは静かに頷いた。

 ペターニで女王の護衛をクレアにバトンタッチすると、一行はアーリグリフへと向かっ
た。
「そのアルベルってやろーはどんなのだぁ?」
 アルベルに会った事も見た事もないロジャーは、尻尾を振りながら、のんきな声で聞い
てくる。サンマイトにいるくらいだから、噂も聞いた事ないだろう。
 ネルは不機嫌そうに眉をしかめて、マフラーで口元を隠す。代わりにフェイトが口を開
いた。
「アーリグリフの将軍だよ。その、ちょっと変わった男だけど…」
「相当変わってるだろう。あれは。おまけに高飛車で嫌みで皮肉屋だな。傲岸不遜ってぇ
のはヤツのためにあるような言葉かもな」
「わりと、怖い顔してるかな…」
「そうだな。かなり凶悪な面構えしてるな。腹出して、足出して、左腕ガントレットで刀
を振り回している」
「………どんな男の人なのか、全然想像つかないんだけど…」
 同じく出会った事のないマリアは、クリフ達の説明に困惑顔を浮かべる。
「まあ、会えばわかるだろうさ」
 クリフの方は、アルベルが同行する事は仕方がないと思っているらしく。ネルほど我慢
ならない、というわけではないようだ。それは、フェイトも同じようで、ネルとしては、
そのへんも面白くないわけだが。
「きれーなおねえさまだったら、オイラも嬉しいんだけどなー」
「あいつが女だったら、まあ、俺も我慢してやっても良いんだけどなー」
「…ますますどんな人なのかわからなくなってきたわ…」
 のんきな事を、と苛立ちながら、ネルは地面を睨みつける。彼らはアーリグリフや、あ
のアルベルが自分たちシーハーツにどんなに非道な事をしてきたか、よく知らないから、
そんな気楽な気持ちになれるのだろう。
「………おねいさま…。もんのすっごい機嫌よくないな…」
「しょうがねーよ。あいつんとこの部下を、あのアルベルが踏ん付けたりしたから、めち
ゃめちゃ怒ってたんだぜ」
 あまりに機嫌の悪いネルに、さすがのロジャーも脅えて、小さな声でそう言うと、クリ
フも小声で返してくる。
「この場合、彼が同行するのはやむを得ないし、戦力としてもなるんなら、妥協するしか
ないんじゃない?」
 ため息をつきながら、マリアがそんな事を言う。
 ネルとて、そんな事は百も承知なのだが、改めて言われると腹が立つ。とはいえ、マリ
アがそんな事を言い出したのは、さっきから不機嫌である自分が原因なわけで。
 ネルはため息をつきながら、眉間の刻まれる自分の深いシワに指をあてた。

 アーリグリフは相変わらず寒かった。雪がちらつく中、城へと目指して歩く。ネルの足
取りは重くて、この憎たらしい雪景色でさえも、気持ちにのしかかってくるようだった。
 雪国の真ん中にそびえ立つ頑健な城。それがアーリグリフ城だ。ごつごつとした岩煉瓦
で組み立てられ、装飾の類いも少なく、軍事基地としての色も強い。
 門の前にいる兵士に話しかけると、すでに話が伝わっているらしく。すんなりと中に通
してもらえた。
「へー、アーリグリフ城ってこんな風になってんだなー」
 相変わらずロジャーはマイペースでのんきだ。そう言われてみれば、シーハーツの隠密
であるネルが、正門から堂々と入って来れる日が来るなんて、彼女自身も想像しえなかっ
た事で。そう思うと苦笑いが込み上げてくる。
 少し、気持ちが軽くなったところで、ウォルター伯爵が奥の方から姿を表した。会談の
時はほとんど言葉を発しなかった男だが、タヌキと評されるだけあって、かなりの知将だ
し、剣技も相当なものなのは、ネルも知っている。
 おそらく、自分の父親を殺したのはこの男なのだろう。
 悔しいし、憎たらしいし、嫌いなものは嫌いだ。だが、武人としての腕は確かで、礼を
尽くせば礼に応えるだけの技量の持ち主であることは聞き及んでいる。そこは、認めなけ
ればならないのだろう。
「よう来たの。こっちじゃ」
 ウォルターは集まったフェイト達を一瞥して、歩きだす。フェイトとクリフは顔を見合
わせて、それから彼に続いた。
 歩きながら、ネルは眉をはねあげた。ウォルターは一体どこへ連れて行こうとしている
のか。彼が向かう、この通路の先は地下道に通じるもので、その地下道というのは…。
「ちょっと、待ちな!」
 厳しいネルの声に、全員が立ち止まる。
「何のつもりだい? この先は地下牢しかないはずじゃ?」
 ひどく警戒するネルに、しかしウォルターはあっさりと。
「そうじゃが?」
「私達をこのまま牢獄に閉じ込めるって言うなら、黙っちゃいないよ」
 ざわりと殺気をにじませる。だがしかし、ウォルターは相変わらずあっさりしている。
「そうではない。お主らはアルベルを同行させに来たんじゃろう? なら、目的地はこっ
ちじゃ」
 また、フェイトとクリフが顔を見合わせる。よくわからないマリアでさえも眉をしかめ
た。
「どういう事? その人が牢獄につかまってるとでも言うの?」
 マリアは自分で言ってても、信じられない事であったが、やっぱりウォルターはあっさ
りしていた。
「そうじゃ」

 フェイトはもちろん、ネルもさっぱりわからなかった。ここでごちゃごちゃ言い合って
ても仕方がないので、一行はウォルターに続いてぞろぞろと地下牢に入った。
 1階はまだ暖かかったのだが、地下に入ると寒さもずんと増してくる。無機質な岩肌の
壁が、その寒さを上長させているようで。
 地下牢を警備している兵士が、ウォルターを見つけると、立ち上がって敬礼をした。
「3号の地下牢のカギを頼む」
「はい」
 兵士は壁にかけてあるカギたばの中から、3と書かれたカギを取り出して、ウォルター
に差し出した。
「こっちじゃ」
 ウォルターはフェイト達をうながして、地下牢の奥深くへ進んで行く。
 地下牢は、暗くて、じめついていて、寒くてあまり何度も来たいと思うところではない。
マイペースなロジャーでさえも、その小さな眉をしかめて、地下牢の通路をきょろきょろ
見上げながら歩いていた。
 一度、牢に入れられた事のある、フェイトとクリフも、正直、気持ち良い場所ではない
ので、憂鬱そうな顔をしていた。
「ここじゃな」
 ウォルターはカギを差し込み、回してから、重そうな鉄の扉を、大きな音をきしませて
開く。
 ギイィキキイィ…。
 中は、薄暗かった。湿った、よどんだ空気が漂い、その中にわずかに血の匂いも混じっ
ているようだった。
「どれ」
 ウォルターはすごく初歩的な施術を使い、白い光の玉を作り出すと、天井に打ち上げた。
「うっ!」
 中の様子に、思わずフェイトが声をあげた。
 壁には男が鎖でつながれていた。二の腕まである長手袋をしているものの、上半身は裸
で、体中に傷つけられた跡があり、髪もヒゲも伸び放題だ。この寒くて汚い牢獄の中に繋
がれている、あまりに痛々しい様子に、目の当たりにした人間のほとんどがたじろいだ。
 これが、あのアルベルだと言うのか。
 フェイトも、クリフも、ネルでさえもあっけにとられ、その男を凝視した。
「ん…?」
 突然の光に、つながれていた男が顔をあげた。長い髪の毛のすきまから、ちらりとだけ
瞳がのぞく。
「小僧。仕事じゃ」
「あ?」
 ようやっとウォルターに気づいて、呼びかけられた男は彼に怪訝そうな顔を向ける。
「おい、もしかして、あれが、あのアルベルなのか?」
「そ、そう…らしいね…」
 クリフが驚いて、隣にいるフェイトに耳打ちすると、彼も驚いているようで、つながれ
ている男に目が離せないまま、こくこくうなずいた。
 前に会った時とのあまりのギャップに、戸惑いを隠せずに仲間うちでこそこそ話し合っ
ている最中も、ウォルターは経緯をアルベルに話している。
「……というわけでな。おまえにはウルザ溶岩洞まで、彼らを案内し、一緒に侯爵級ドラ
ゴンと締約し、力を貸してもらうようしてくるんじゃ」
「おい、話が見えねえぞ、ジジイ。シーハーツのヤツらと協力して、しかもあのバケモノ
を従えろだと?」
 つながれている鎖をがちゃりとゆらし、アルベルはウォルターにかみついた。
 しかし、ウォルターはアルベルがいくらすごもうが、どこ吹く風だ。
「そうでもしなければ、わしらは滅ぶだけじゃ」
「だから、話が見えねえっつってんだ。星の船だと!? そんな世迷言信じろって言うの
か?」
「…ま、すぐに信じられんのが普通じゃろうな。…しかし、おまえをかつぐためだけに、
こんな下らん冗談をやってる状況ではないんじゃ」
「…なに………」
 ウォルターの言いたい事を理解したのか。アルベルは少し、言いよどむ。
「…マジなのか…? それは?」
「後で自分でも調べてみると良い。どうにもならん事になっとる」
 ウォルターの言葉に変化や調子の崩れはないが。彼が本当の事を言っていると感じ取っ
たらしく。アルベルはおとなしくなった。だが、まだしぶっているようで、唇をかみしめ
ている。それを横目で確かめて。ウォルターは再度口を開く。
「…それに、おぬしの父親なら、喜んで行ったのではないか? のう? 歪のアルベル」
「んなっ! んだと! 親父は関係ねえだろうが!」
「ふむ。そうかの?」
 ウォルターが鼻で笑う。小ばかにしたような、そんな笑い。
「クソッ! わかったよ。行きゃ良いんだろうがよ!」
「そうじゃ。行けば良い。そういう事じゃ」
「んぐっ…」
 飄々としたウォルターの言葉に、アルベルはノセられた事を覚り、押し黙る。アルベル
の性格を見抜いた上での売り言葉に、歯を食いしばった。
 やりとりを聞いていたクリフは肩をすくめた。これは、アルベルが一生かかっても、ウ
ォルターに勝てそうにないようだ。
「ま、まずは身なりを整えてから行くと良い」
 ウォルターはそう言いながら、アルベルをつないでいる鎖を外す。自由になった手首を
さすり、アルベルはウォルターに続いて、出口にまで歩いてくる。
「体を動かしておらんことじゃから、なまっとる事じゃろう。こんな男だが、存分にこき
使っていいぞ」
「けっ」
 フェイトにそう言うウォルターに、悪態をついて、アルベルはフェイト達を通り越して
歩いて行ってしまう。
「あ…、あ、ちょっと?」
 そのままの姿で立ち去ってしまうアルベルに戸惑って、フェイトはおろおろと彼とウォ
ルターを見比べる。
「今夜はここで休むと良い。メイドに客間に案内させよう」
「あ、は、はい…」
 確かに、時間も時間だったし、アーリグリフ国内をぶっ通しで歩きづくめていたので、
体も冷えていたし、疲れていた。
「…でも、どうして?」
 アルベルが見えなくなってから、ウォルターはみんなを引き連れて、地下牢の出口へと
向かっていた。その最中、フェイトは口を開いた。
「アルベルが投獄されとった事か?」
「ええ」
 フェイトがうなずくと、ウォルターはふむ、と息を吐き出した。
「カルサア修練所で、おぬしらをわざわざ見逃した事。ベクレル鉱山前でおぬしらに返り
討ちにあい、しかも銅を奪われた事。その二度の失態の責任をヴォックスにとがめられて
な。鞭打ちに投獄の刑じゃ」
「む…鞭打ち…」
 それを想像して、ロジャーが苦い顔をした。
「まあ、ヴォックスのヤツももうおらんしな。先の星の船の襲撃で人手不足甚だしい。王
とて、あやつのような若いのを牢にくすぶらせておくわけにはいかんでな。今回の事で刑
を帳消しにして、また仕事に就かせる。王の考えはこんなとこじゃな」
「はあ…」
 星の船、もといバンデーン船の襲撃はむしろフェイトのせいであり、彼は複雑な気持ち
になる。シーハーツ側についたフェイト達にとって、アーリグリフには少なからず良い印
象はないけれど。しかし、両国にとんでもない数の犠牲者を出したのは、事実である。
 星の船の話題は、フェイトにとって胸の痛いものであった。


「っへー! ベッドふかふかじゃねえか!」
 ロジャーは無邪気にはしゃいで、ベッドの上にぴょんぴょんと跳びはねた。
「…まさか、この私がアーリグリフ城の客間に通される日が来るなんてね」
 予想だにしなかった事態に、ネルは困惑しているようだった。
「ともかく、その侯爵級のドラゴンがどれくらいの大きさなのか、わからないのよね」
「私も見た事はないけど、噂の通りなら、サンダーアローをかつぐくらいは平気そうだけ
ど…」
 マリアは暖炉の前で、愛用の銃の手入れをしながら、ネルと談話していた。
「ところで、フェイトはどこへ行ったのかしらね?」
 クリフはベッドに寝っ転がってすでにいびきすらかいている状態だ。さっきまで部屋に
いたはずのフェイトは、なかなか帰ってこなかった。
 そして、よもや、彼がアーリグリフ王の手紙をもってシランドへ行こうと言い出そうと
までは思わなかった。



                                                             to be continued..