今日の勤務態度はまるでなっていなかった。
 減給されても仕方がない程に使い物にならなかったし、働いてなかった。騎士長として
失格かもしれない。
 それでも、シウスの見合いの事が気になって気になって仕方がなかった。
 こんな駄目な自分と、シウスへの気掛かりで気持ちはもういっぱいいっぱいになってて、
フィアはため息を繰り返しながら、それでも速足で家路についた。
「た、ただ今、戻りました」
 あの見合いはどうなったのか。家に戻るともうそれだけが気掛かりで、フィアは少し慌
てた様子でライアスがいるであろう居間の扉を開けた。
「ああ、フィア。お帰り」
 居間ではライアスが一人、お茶を飲んでいた。もう一人分のお茶が用意されている所や、
ソファに置かれた彼女のハンドバッグを見ると、伯母が来ているが席を外しているのが伺
える。
「あ、あの、あのっ、あの、えっと、ら、ライアス様、そのっ…」
「見合いの話、シウスは断ったそうだよ」
「!」
 一瞬目を見開いて、そしてフィアはそのままへなへなとその場に座り込んだ。そんなフ
ィアを見て、ライアスはやれやれと言った感じで苦笑する。
「す、すみません。えと、その、着替えてきます」
「ああ」
 安堵の笑みを見せて立ち上がると、フィアは一礼して引き下がった。
「あれだけ露骨な態度してるのに、気づかないシウスもシウスだし、フィアも何でか認め
たがらないよなあ…」
 苦笑がやめられず、ライアスはフィアが閉めた扉の辺りを眺めていた。


 料亭で昼食を食べたが、なんだか食べた気がしない。とにかくどっと疲れたので、酒で
も飲んで気を紛らわしたい気分だった。
 酒場で飲むのと、家で飲むのではやはり気分が違う。今日は家で飲む気になれなくて、
シウスはアストラルの馴染みの酒場へとのんびり向かっていた。
「あ、よお、シウス!」
 名前を呼び止められて振り向くと、見知った顔がこちらに手を振っている。
「おお! 久しぶりじゃないか。どうした?」
 昔よく一緒に遊んだ悪友である。今、どうしているか知らないが、歳は一緒のはずなの
に、少し老けたように見えたのは気のせいだろうか。
「仕事の帰りさ。おまえ、戻って来たっていうのは本当だったんだな」
「まあな。そうだ。暇だったらこれから飲まねえか? 俺、酒場に行く途中なんだよ」
「お、いいな。……でも、あんまり長くいられねえんだ」
 そんな事を言いながらも、彼はシウスについて来る気が満々である。
「どうしたんだよ?」
「あんまり飲むとヨメが怒るんだよ」
「へえ! おまえ、いつのまに結婚したんだよ?」
「ああ。おまえ、アストラルにいなかったもんなあ。もう、3年、4年? になるかな」
「おまえがねえ…」
 子供の頃からよく知っている彼が所帯持ちになっているとは想像できなくて、シウスは
驚いた。
「息子もいるぜ。可愛いんだけどな、これがまた」
「へ、へえ…」
 子供の事となると急に顔付きが変わる悪友に、シウスはどこか気後れした態度を見せる。
「ま、ともかく、飲もうぜ」
「あ、おう」
 酒場はもうすぐそこにまで近づいている。二人は並んで酒場の扉を開けて入った。


「へー。お前、今日見合いだったんだ? で? どうだった?」
 あんまり飲まないと言っておきながら、悪友のペースはなかなか早く、シウスと同じく
らいの量を既に飲んでいる。二人は酒場のカウンターで、肩を並べて食事と酒を頼んでい
た。
「それがなー。美人は美人だったんだよ。こう、淑やかで綺麗でよ」
「お、良いじゃねえか」
「でもなー。箱入り娘って聞いていたが、箱入りとかいうレベルじゃねえんだよ」
「というと?」
 グラスの酒を口に含んで続きをうながすと、シウスも酒を口につけてため息つく。そし
て話を続けた。
「一緒に町を歩いたんだけどよ。このアストラル城下町だぜ? 彼女が言うには、数える
程しか町を出歩いた事がない、と」
「え?」
「でよお、一緒に歩いている時、乱闘騒ぎがあったんだよ。すぐにおさまったんだけどな。
そしたらよ、その乱闘見ただけで気絶するんだぜ!」
「え? 本当か?」
「そのうえよ、どっかの坊主が転んで腕に切り傷を作ったんだよ。こう、ツーッてこれく
らいの傷を腕によ。そして、その傷をみてまた気絶したんだ」
「うそ!」
「本当だって。そのうえ、そこを歩いていた子供が鼻血を出して、それでも気絶したんだ
よ!」
「う、うそだろお!?」
「本当なんだって! もー、それからも何度か卒倒しかけてよ。見合いどころか、俺は彼
女の介抱で終わっちまったよ…」
 そこまで話して、シウスはぐびっと酒を飲んだ。悪友は信じられなさそうな顔でシウス
を見つめていたが、やがてため息をつく。シウスの場合、多少話を誇張する事はあるかも
しれないが、偽り言を言ったりしないのを知っているから、実話だと悟ったのだろう。
「それは……おまえの嫁さんにはなれないな」
「ああ。無理だ」
 きっぱり言い切られて、シウスもきっぱり言い切った。
「……けど、おまえが見合いとはねえ…。どういう心境の変化だ?」
「……どうって……。俺も、そういうトシになっちまったかなあ…ってよ……」
「まあ、そうだよな。この俺も嫁さんもらって一児の父親だぜ? ちょっと前までは考え
られなかったんだけどな」
「まったくだな」
 シウスに言い切られて、彼は苦笑する。
「しかし、そんなんでおまえ、相手はいるのか?」
「さあな」
 ほとんど他人事のように言って、シウスは今度は料理の方に手をつけた。悪友の方も思
いだしたように夕食を口にする。しばらく、食事のために二人は無言になる。
 料理を食べ終わり、また酒に口をつけるシウスを見て悪友は口を開いた。
「なあ……」
「うん?」
「おまえさあ、フィアとかはどうだ?」
「ぶっ!」
 突然フィアの名前を出されて、シウスは飲んでいた酒を吹き出しかけた。
「な、なんだよ、突然」
「フィアのやつ、まだ独身なんだろ? だったらちょうど良いんじゃねえ?」
「ちょうど良いって、おまえ……」
「結婚てよ、恋だー愛だーとかいうのを過ぎると生活になっちまうからな。結婚前は可愛
く見えたクセとかも、鬱陶しく思う時もあってよお。イライラもするわけさ」
「あ、ああ…」
 やたら実感のこもった愚痴っぽい悪友の意見に、とりあえず頷くシウス。
「その点、フィアなら子供の頃から一緒だから、お互いのクセなんかそんなものだって、
思ってる所があるだろ? 慣れっつーかなんつーか、お互いにイライラする所は少ないん
じゃないか?」
「そりゃまあ……そうかもしれねえが…」
 否定する箇所も見当たらないので、またもとりあえず頷いているシウス。
「面倒くさくねえ嫁って、悪くねえと思うぞ」
「…んー……、そうか?」
「なにより、そんないちいち気絶してる女よりよっぽど合ってんだろ」
「いや、そんな極端なのと比べられても……」
「おまえ知らないだろ。フィアは俺たちの憧れだったんだぞ」
「ええ!?」
 驚いて、シウスは隣にいる悪友を凝視した。
「だから、おまえがフィアを連れて来るのを俺たち歓迎してたんだぜ。おまえはそんな事
なんかおかまいなしに走り回ってたけどよー」
 そして、フィアがそんなシウスを必死になって追いかけていた事も彼はちゃんと知って
いた。一度、フィアがあんまりにもシウスばかりなので、他の悪友とシウスとでケンカに
なった事さえもあったのだ。その原因がフィアにあるとは、シウスは全然気が付かなかっ
たようだが。
「……えぇ? ……そうだったのか…?」
「そうだったんだよ。最近、フィアのヤツと会わないけど、だいぶ良い女になってんだろ?」
「その…、しらねえよ…」
 なんだか分が悪くなった気がして、シウスは視線をそらして酒を飲む。
「あああああ!」
 しばらくお互い無言で酒を飲んでいたら、悪友が突然、急に叫び出してカウンターの上
に突っ伏した。
「どうしたんだよ?」
「こんなに飲んだのがバレたら嫁にどつかれる……」
「………………」
 所帯持ちって大変だな、と思いながら横目でシウスは突っ伏してしまった悪友を見る。
 しかし……。
 俺と、フィアが?
 シウスは少し考えて、グラスから口を離した。
「じゃあ、そろそろやめにするか?」
「いや、もうちょっとだけ飲んでからにする」
 酒場を出ようかと持ちかけたが、彼はがばっと起き上がって酒の入ったグラスを握り締
める。
「どつかれるんじゃなかったのかよ」
「バレなければ良い」
「いや、バレるだろ、それ…」
 そんなに赤い顔をして、酒臭い息をふりまいては一発でばれるというものだ。
「大丈夫、大丈夫だって。おい、マスター。もう一杯!」
「知らねえぞ」
「大丈夫だって。ちょっと往復ビンタをくらって、来月の小遣い減らされるだけだから」
「…いやそれ、結構ツライんじゃないのか…?」
 軽く言ってのけるわりには、結構ひどい仕打ちが待っているようなのだが…。
「けど、大変そうだな、結婚すると」
「まあな。でもまあ、子供の顔を見ると、なーんか元気がわいてくるんだよなあ」
「へえ…」
 シウスも子供は嫌いではないし、良いなと思ったりはする。
「孫の顔を親に見せた時もさ、すっげえ喜んでくれてなあ。ああ、親孝行って孫の顔を見
せる事なんだなあと、思ったわけよ」
「……そっ……か……」
 悪友の言葉を聞いて、シウスは考え込んでしまった。実体験が許となっている彼の言葉
にはいちいち納得させられてしまう。
「………………」
 シウスは急に無言になってしまい、隣で悪友がなにかわめいても、適当に相槌をうつく
らいの反応しかしなかった。


 結局、酒場の閉店前になって、二人はようやくそこを出た。
 べろんべろんになってしまった悪友をとりあえず自宅近くまで送ってから、シウスは家
路を辿る。
 見上げると、夜空には満天の星が瞬いていた。
 今日は月も綺麗だし、いちだんと星が輝いて見えるようだ。
 少し涼しくなった気温も、酒の入った身体に心地良い。
 星空を見上げながら、シウスはぼんやりと考えるように、ゆっくりと歩いている。
 そういえば、三百年後にいるであろう、遠すぎる友はどうしているんだろうかと、想い
を馳せてみる。三百年後も、こんな星空なのだろうか。
 あの妙な場所で見た、灰色の空を思い出すと、この星空を見れるだけでも自分は幸せな
のかもしれない、なんて事も思ってみる。
 やがて、自分が住む屋敷が見えてきた。


 みんな寝静まっているかと思ったが、ばあやが一人、後片付けで起きていた。
「ばあや? まだ起きているのか?」
 ばあやが一人仕事を片付けている台所に顔を出して、シウスは彼女に声をかける。
「あ、ああ、坊ちゃま。お帰りなさいませ。おや、もうこんな時間なんですね」
「ばあやもあんまり無理すんじゃねーぞ」
「わかってますよ。大概にして寝ますから」
 ばあやの笑顔に、シウスも少し笑って台所の出入り口から姿を消す。だが、すぐにまた
戻ってきた。
「ばあや。フィアのヤツはもう寝たのか?」
「お嬢様ですか? お嬢様なら、風にあたるって、お出掛けになりましたよ」
「え? そうなのか?」
「ええ。ああ、ちょうど良いです。もう遅いですから、探してきてくださいよ」
「……そうだな」
 軽く頷くと、シウスは出入り口から遠ざかり、ばあやも後片付けを再開させる。

 シウスはまた玄関を通って外に出た。ひんやりした空気がさっきよりも増しているよう
な気がする。気温が下がったか、それとも酔いがだいぶ冷めてきたのか。
 さて、フィアを探してきてくれと言われたものの、どこにいるのだろうか。とりあえず、
シウスはフィアが行きそうな場所を目指して歩きはじめた。




                                                             to be continued..