満天の夜空だった。
 地面の上に座り込んで、フィアはただただ、星空を見上げていた。
 フィアの心の内には、まだばあやのあの時の言葉が巡っている。
『言葉にしないと、伝わらない』
 その通りだと思う。
 今日の見合いは不発に終わったようだし、安堵はしたものの、あの伯母さんの事だ。ま
た見合い話を持ってきそうな雰囲気だった。
 あのシウスに見合う女なんてそういないと思いながらも、ああ見えて気さくで面倒見が
良い。ウマが合う女なんかと見合いをしてしまったらとんとん拍子で話が進んでしまうか
もしれない。
 そうなってしまう前に、フィアも覚悟を決めなければならないとわかっているのに、な
かなか決断ができない。
 自分から行動を起こさなければ、後悔するに決まっているのに。
「はあ…」
 ため息ばかりが出る。
 ざくざくざく。
 こちらにやって来る足音に気づいて振り返ると、見慣れた巨躯の男がこちらに歩いてく
るではないか。
「シウス……」
「フィア? ここにいたのか。ばあやが、もう遅いから戻ってこいってよ」
「ああ……。そうか……もう、遅いものな……」
 ふっと息をついて、フィアは緩慢な動作で立ち上がった。
「ふう…」
「なんだよ。いきなり人の顔を見てため息をついて」
「何でもない…」
 ほんのり苦笑して、フィアはシウスを見上げる。昔はあんなに一緒にいたのに、今では
一緒にいる時間が随分と短い。家出や旅に出ていた時などは当然だが、まったく会ってい
なかった。
 会えない時はあんなに待ち焦がれていたのに、いざ目の前にすると何にも言えなくなっ
てしまう。変わる所は変わって、変わらない所は変わらないまま。
「シウス…」
「うん?」
 名前を呼ぶと反応して、こちらを見下ろしている。星明かりではそんなに明るくないか
ら、詳しい表情まではわからないけど、きちんとこちらの事を見ていてくれるのはわかる。
「………………」
 何か言おうとして、しかしまたフィアはまた口をつぐませてしまう。
「……ごめん……何でもない」
「? そうか?」
「ああ……」
「……そういや、フィアよう」
「え?」
「おまえは、結婚とかって考えてるのか?」
「ふえっ!?」
 今まで静かだったフィアは突然大きな声をあげてしまい、彼女は慌てて自分の口を塞い
だ。
「な、な、なんだ、突然!」
「いや。今日見合いをしてな。断ったけど、色々と考えちまってなー」
「そ、…そ、そう、か……」
 まあ、確かに見合いでもすればそういう事を考えるだろうというのは、わかる。
「で? どうなんだよ、おまえは?」
 結婚について聞かれて、フィアは一所懸命に考えた。きっと、きっとこれはチャンスな
んだと。何か、良い受け答えをすれば道が開けるかもしれないと、必死で考えた。
「え、えっと……。う、うん…。そ、その、ど、独身のままで…いる……つもりは……な
い……」
 自然に言いたいのに、ちっともそんな語調になっていなくて、フィアは自分自身の不甲
斐なさに苛立った。
「そっか……」
「う……?」
 何か受け答えを間違えたのだろうか。フィアは内心汗をかきながら、シウスの表情を見
ようと意識を集中させたが、こうも薄暗くてはよく見えない。
「で、具体的に何か考えてんのか?」
「え? え、あ、いやー……、その、なんとなく……には……」
「……あんまり具体的じゃなさそうだな、その様子だと」
「うう……」
 思わず出てしまった言葉を突っ込まれて、フィアは言葉を失う。
「……なあ……フィアよー……」
「な、なんだ…」
 こんなに冷や汗をかいている自分に気づいているのか、いないのか。シウスに呼ばれて
フィアは懸命に目をこらした。
「……俺、考えたんだけどよ…」
「……ん? ……うん……」
 そして、シウスの様子がいつもと違うようだと気づいて、フィアは不思議そうな顔で立
ち止まる。
「…俺ぁ今までフラフラしてただろ。若い頃は家出もしちまったし、親父にも心配かけっ
ぱなしだった。周りを見りゃあ、みんな落ち着いちまってる」
「……うん……?」
「そのうえ…、親父の立派な肩書で職まで用意してもらう始末だしな……」
「それは……」
 確かにそれは事実ではあるけれど、決してシウスに見合わない職業ではない。むしろ、
実力で言えばフィアなんかよりはるかに申し分のないものを、彼は持っている。このアス
トラルで、いやこの世界でシウスにかなう者など、どれだけいるのか疑問な程の強さだ。
旅の時の手柄や、魔王討伐の実績。もはや親の七光りなど関係のない域まで達してる。
「…前にも言ったじゃないか。ライアス様はお前が息子であるという事を抜きにして、実
力を見ていると。まだ自分の力が信じられないというのか?」
「そういうわけじゃないんだけどよ。でも、事実は事実で、変わらねえだろ」
「……それは……」
「…俺もけっこうしょうもねえ所あるからな。……でよ、そんな俺に見合う…つうより、
我慢できそうな女ってどんだけいるのかと考えてなあ……」
「……………」
 私がいる。
 そう言いたいのに、フィアは言葉が出ない。拳をぎゅっと握り締めてフィアはどうにか
気力を振り絞ろうと腹に力こめた。
「シウッ……」
「フィア」
「…え?」
 言葉をさえぎられて、フィアはシウスを見上げる。
「こーゆー俺には…、おまえが良いかなっ…て思ってよう」
「……へ?」
「そのー……、へへっ……。だから………結婚……、してくんねえか?」
 意味もなく後ろ首筋なんか掻いたりしていたが、やたら照れくさそうにしながらも、シ
ウスはそう言った。

 フィアは、空にある星という星が降ってくるのではないかという感覚に見舞われた。

 星が落ちてくるのが止まらない。
 見開かれた目から涙がぼろぼろぼろぼろこぼれ落ちる。
 今までの悩みも苦しみも、何もかもが吹き飛んで行くこの気持ち。
 涙で目前が歪んで見えても、この一瞬の情景を忘れたくない。
「へっ!? フィ、フィア!?」
 突然泣き出したフィアに、シウスが驚いてあわてふためきだした。
「お、おい、泣くのかよ!? 泣く程イヤだったのか!?」
「………う……」
「え?」
 弱り切ったシウスの声。いけない。嫌で泣いているわけじゃない。
「…ち……違う……」
 しゃくりあげ、なんとか言葉を振り絞る。けれど、シウスの方はそう受け取ってないら
しい。なにかとひどく、窮させてしまっている。
「わ、わりい……。いや、悪かった…。その、今のは聞かなかった事に……」
「違う!」
 思わず、フィアは叫んでいた。さっきのを撤回されてしまってはたまらない。
「え…?」
「違う! 嫌で泣いてるわけじゃない!」
 フィアは必死で泣き叫んだ。涙声になってしまっていても、構っていられなかった。
「あ…?」
「シウス! 今の……、今の……、本当なんだな! ウソじゃないんだな!? 冗談でもな
いな!? 撤回しないな!? 二言はないな!?」
「え? あ? あ、ああ……」
 シウスの両腕を両手でつかんでがくがく揺らしながら矢継ぎ早に怒鳴ると、彼は戸惑っ
たように頷いた。
「あうっ……」
 泣いちゃいけないと思うのに。涙がちっとも止まらない。
「ううっ…へぐっ……。ううううっ……」
 落ちて来る涙を拭うも、もう片方の手はしっかりとシウスの腕を握って離さない。
「……だ……大丈夫か…? おまえ……」
 いきなり号泣しだしたフィアに、ひたすら困惑したシウスが気遣うような声をかけてく
る。
 大丈夫じゃないのか、大丈夫なのか。自分でも判別がつかない程だ。
 シウスの言葉に答えを出さなくてはと思うのに、何を言えば良いか何にも思いつかない。
 ただただ、もう嬉しくて嬉しくて。後から後から涙はあふれ出て来る。
「ふうっ…ううっ……えぐっ……」
 泣き止もうと思っていても、涙は全然止まる気配がない。
 とにかく、とにかく答えを出さなくてはと、フィアはシウスの腕をまた強く握って、腕
でごしごしと目元を拭った。
「……はあっ、はうっ……。する……。…結婚……する……。絶対……、結婚……する…!」
 きっと今の自分はものすごく情けなくて、無様で、見苦しくて、どこかのはな垂れ小僧
のようにみっともないだろう。
「……絶対……、へううっ……絶対ぃぃ!」
 まるで駄々っ子みたいに怒鳴って、フィアはまた泣き出してしまう。スマートな言葉は
おろか、いつもの気張った言葉も何一つ出てこない。
「あ、ああ……、あー…、わかった、わかったから。な? 泣き止めよおまえ…」
 困りきったシウスは、あやすような声でなんとかフィアをなだめようとしている。フィ
アもうんうんと頷いて、泣き止もうとしているのだが、もうどうにも止まらない。
「はーっ……」
 どうしたって泣き止まないフィアに、シウスは重いため息をついた。
 こんなの、いつ以来だ。
 子供の頃は間接的にフィアをよく泣かせていた。シウスがフィアを直接泣かせるような
事はほとんどしなかったのだが、自分の後に木に登っていたフィアが落ちたとか、自分が
渡った後に渡ろうとしたら川に流されたとか、ケンカの最中のとばっちりをくらって殴ら
れたとか、そんな目にばかり合わせて、結果的にシウスが泣かせているようなものだった。
 どんなになだめてもフィアはなかなか泣き止まず、仕方なく泣いてる彼女の手を引いて
家に帰れば父親にこっぴどく叱られて、ばあやになだめてもらって、ようやく泣き止むの
である。
 いつもいつもそんな事になっていたけど、いつ頃からか、フィアは泣かなくなった。
 シウスの後にもちゃんとついて来られるようになって、とばっちりをくらったり、まき
こまれるようなマヌケな事にはならなくなっていた。
 トロいばかりの自分を返上したくて、シウスの後を追うためにフィアがどんなに努力し
たのか、シウスは実はあんまり知らない。なにしろ前しか見ない性格のため、そういう所
に気がまわらないのだ。
 シウスは、泣き続けるフィアに、昔の面影を重ねて見ていた。
 泣きじゃくるフィア相手に、ふざけてみたり、あやしてみたり。時々、それに笑ってく
れたり、泣き止んだり。それでも泣き止まない時は、仕方がない。家に連れて帰ってばあ
やになだめてもらうしかなかった。
「なきやめって、おめー…」
 うつむいて泣くフィアの頭にぽんぽんと手を乗せてみるが、効き目はないようだ。
 シウスはまたため息をついた。
 仕方がない。昔のように、家に連れて帰るしか方法ないだろう。
「…とにかく、帰ろうぜ」
「ひくっ…えくっ……、すすっ…、……うん……」
 シウスの優しい声に、フィアは涙で濡れる顔で頷いた。そんな彼女を見て、シウスは苦
笑いをして、つかまれている腕を引っ張って歩きだした。
 やがて、フィアが腕をつかむ力をゆるめたので、シウスはその手を握って、昔みたいに
手をつないで家への帰り道を辿る。
「ふくっ……。へへっ……、ふふふっ……」
 シウスと手をつないで歩いている事が無償に嬉しくて、フィアは泣き笑う。昔と同じよ
うに手をつないでいるけど、その手はもう随分大きくなっていて、硬くなっていた。
「お、笑ったな」
 笑い出したフィアに、やっと泣き止んだのかと、シウスも振り返って笑顔を見せる。
「ふふっ…。すん……、ははっ、あはははっ…」
 涙はまだ止まっていなかったけど、フィアは声をあげて笑った。やっと、泣く以外に嬉
しさを表現できるまでに落ち着いてきたらしい。
「へへっ…」
 フィアの笑い顔につられたか、安心したか、シウスも軽く笑う。
「…なんか、なつかしいな。昔も泣いたお前をこうやって引っ張って帰ったもんだよな」
「……そうだな…」
 泣きながら歩くフィアの歩調は遅くて、それをシウスはぐんぐん引っ張って歩いたあの
日。それを思い出して、フィアはわざとゆっくり歩いてシウスに引っ張ってもらう。
「ふふふ……ははは……」
 ぐいぐい引っ張られる感覚が心地良い。フィアは調子にのってほとんど自分の力で歩か
なくなった。
 人も出歩かない深夜のアストラルの町を、月の光が二人の影を長くのばしている。しば
らく歩いているうちに、フィアの涙も乾いてきた。
「おまえなー。ちゃんと歩けよ」
「いいじゃないか」
 さっきから引っ張ってもらってばかりいるフィアに、シウスが渋い顔をするが、彼女は
ひどく機嫌が良さそうに返すだけだ。
 けれど、あれだけ泣いていたフィアがにこにこするようになっただけでも、まあいいか
と思い始めている。
 ライアスの邸宅が見えてきた。ばあやがまだ起きているからか、それとも明かりだけつ
けておいてくれているからか、屋敷の中はいくつかの光が見える。
「……シウス……」
「あー?」
「これ……夢じゃない……よな?」
「は? 何言ってんだよ、おまえ」
「……うん……。……何でもない」
 不審そうなシウスの声に現実感が混じり、握り締めた手のひらの感触が、これが夢では
ないと伝わってくる。
 見上げたシウスの背中は随分と大きくて、あのときから随分と時間が流れた事を感じさ
せられる。子供だったシウスの背中をいつも見て、追いかけていた。
 フィアはふっと息をついた。
 これからは、ただ追いかけるだけじゃなくて―。
「ん? やっと自分で歩くようになったか?」
「…まあな」
 すこし速足になってシウスの隣に並ぶと、彼を見上げた。
 ―並んで歩こう。
 引っ張られるだけでなく、ちゃんと自分で歩き始めたフィアがシウスの隣に並んで、に
こっとほほ笑んだ。
「っ!」
 それがびっくりするほど可愛かったので、シウスは思わず顔を背ける。
 屋敷の玄関までもうすぐだ。あの屋敷に帰るのはいつもの事だけど。明日からはいつも
と同じようで、でもだいぶ違う生活が待っていそうで、フィアの心は踊った。
「……シウス…」
「なんだよ」
 穏やかなフィアの声とは対照的に、シウスはやたらぶっきらぼうに返す。
「……これからは…一緒に頑張ろう」
「! お、おう……」
 自然に笑ったフィアの顔は本当に可愛くて、シウスはまともに顔を赤らめたものの、こ
の暗さでは顔の色までは伝わらなかったようだ。
 これからは、背中を追いかけるんじゃなくて、隣を歩いて行ける。そう思うと、フィア
は嬉しくて仕方がなかった。



「あらー! まあー! そうなのー!」
 シウス達の結婚の報告を聞いた伯母はびっくりして口を大きくあけた。
「だから姉さん。その見合い相手を描いた肖像画は、もう……」
「あらまー。そうねー。もういらないわねー」
 そう言いながら、姉はあまり残念そうな様子も見せずに、取り出しかけた厚紙をバッグ
の中に押し戻す。
「いやー。びっくりしたわー。随分と早くにまとまったわねー」
「いや、早くないだろ。あいつらの歳を考えると」
「歳の事じゃないわよ。シウスが帰って来てからよー」
「え? あ、ああ…。そうだな。それから考えれば、早いと言えるが……」
 言われて、ライアスは少し考えこむように首を傾けた。
「あらそうー。そうなのー。やっぱり私の見合い話が効いたのかしらねえー」
「……ん?」
 ライアスは姉の言った事に、一瞬耳を疑った。
「え? ……姉さん。見合い話が効いたって、もしかして、わざと…?」
「そうよー。はっぱでもかけないとフィアちゃんはシウスを待ってぐずぐずしてるだろう
し、シウスはきちんと考えないだろうし。少しは自覚持たせないと」
「………え? あ…、え? それって、姉さん。フィアの気持ちに…気づいてたのか?」
「気づかないのなんてシウスくらいじゃないのよ」
 何をいまさらと言った様子の真顔で言われて、ライアスは言葉を失う。
「今回はフィアちゃんにどうかと思って持ってきたんだけどね。そしたら、今度はシウス
が焦るんじゃないかと思ってねー。うまくいっても困るから、フィアちゃんには合わなそ
うな人を選んできたんだけど。徒労だったみたいね」
「……姉さん……」
 ライアスは硬い声を出して姉を見た。
「けど、そーう。そうなのー。じゃあ、これからはちょっと忙しくなるわねえ。あんたも、
倒れてる暇なんてないわよ。しっかりしないと!」
 そう言って、彼女はライアスの肩をぱーんと叩く。そして、ライアスは姉なりに自分の
事を心配してくれていたらしい事にやっと気が付いた。
 シウスばかりが鈍いと思っていたが、そうとばかりも言えないようだ。
「あんた、孫でも抱いてみなさいよ。色々嫌な事なんて吹っ飛んじゃうんだから」
「あのなあ……」
 息子達が聞いたらどんな反応を示すかわからないセリフだが、楽しみにしていないと言
ったら嘘になる。息子達の急な話で実のところ、喜びよりも先に驚きがあったのだが、今
更ながらも嬉しさが込み上げてきた。
 確かに、孫をこの手で抱くまでは倒れてなどいられない。これからも色々問題はあるの
だろうが、なんとかなるんじゃないかと明るい気持ちになってくる。
 多少呆れ気味で姉を見ていたライアスだが、気が付けば、彼女と一緒に随分と明るい顔
で笑っていた。



                                    END











































大ざっぱに分類すると馬鹿×ツンデレってヤツになるんでしょうか。というわけでシウス
×フィアです。最近はとみに市民権を得ている感じの「ツンデレ」ですが、言葉が出初め
の時は、私はツンドラ気候の一種だと思っていました…。
まあ、それはともかく。カップリング話ですけど、お手手つないでおうちに帰ってるだけ
でーす。
彼らまわりの話となるので、ライアスも出番が多いですし、ライアス邸にいるお手伝いさ
んも出張ってます。…勝手にばあやにしちゃったけど…。あと、見合い話を持ってくるの
は親戚のおばさんと相場が決まっている(?)ので、勝手に伯母さんを作ってしまいました。
ライアスに兄弟いるかどうかなんて知りませんけど…。
書いてて思ったんですが、ライアス邸にはもっとお手伝いさんとかいないと、切り盛りで
きねえんじゃねえ? と思うんですが。イリアさん曰く「提督クラスじゃないとこんな屋
敷云々」いうほどに豪邸なら。カーナさん家の方が狭いのにメイド3人もいるぜ。