「うはー……」
 どんよりとした顔つきで、フィアは突っ伏していた顔をあげる。
 あれから、自室のベッドに飛び込んでうつぶしたままであったが、なかなか考えがまと
まらない。
 何度も何度もリフレインするばあやのさっきの言葉。
『言葉にしないと、伝わらない』
 つまり、それは……。
 告白しろと。
「う、ううう、ううううううう……」
 できるのだろうか、そんな事が。フィアはまだ何もしていないのにも関わらず、もう耳
まで真っ赤になっている。
 しかし、ばあやの言うことはいちいちもっともである。あれだけの鈍感男もそういまい。
自分がどれだけ強く、長く想い続けてきたのかなどさっぱりわからない顔してこの屋敷を
闊歩している。
 色恋沙汰にそんなに興味があるわけではないのは知っている。異性に対して興味はある
ようだけど、剣術と天秤にかけたらすぐに剣術の方に傾くだろう。
 そんな男に告白して、どうなるのか。うまくいったら、そのまま……結婚?
「ひいいいいいい!」
 枕に思いっきり顔を突っ伏して、フィアはおかしな声をあげる。
 いやいやいや。そうと決まったわけじゃない。がばっと顔をあげて、フィアは赤い顔の
まま宙を睨みつけた。
 ともかく。自分は何をするべきか、である。それを考えなければ…、と思って、フィア
は枕を抱き締めてどうにか妄想を断ち切るべく頭を振った。
 だから。自分のするべき事は……。というか、自分がやりたい事は…。もしも、縁談が
まとまってしまったら、どうしよう…。いやいや、そんな事を考えるんじゃなくて……。
 妄想で恥ずかしくなったり、悲しくなったり、照れたり、怒ったりと、まったく考えが
まとまらない。
「あー……」
 しまいには考える事に疲れてしまい、フィアは仰向けになって見慣れた天井を眺めた。
 どうしてこんなに恥ずかしいんだろうか。
 一言言って、想いを伝えたところで、何がどうなるんだろうか。シウスの態度が変わる
のだろうか。
 …まあ、少しは変わるかもしれない……。ぎくしゃくしたり、するんだろうか……。
 それは、ありうる話だな、とぼんやりと思う。
 シウスは別に自分の事を嫌ってなどいない事はわかっている。好意的にみてくれてる事
もわかっている。ただ、それは家族のように大事に思ってくれているようで、こちらが異
性として見ているのに対してだいぶ違っているように感じられるのだ。
 昔、他の仲間と一緒に旅した時は、なんだか距離が近づいたと思った時があった。あっ
たけど、あれからどれだけ時間が経ったというのか。忘れっぽいシウスがあの時の感情を
思い出してくれるのだろうか。
 ばあやの言うとおり、自分のためでもある事だと思う。思うけど。
「ううう……ううううう……」
 まったくもって、どう伝えれば良いのやら。
 フィアはぐしゃっと髪の毛ごと頭をつかんでうめくような声をあげた。



 フィアがぼやぼやと何にもできないまま、シウスの見合いの日が来た。都合が良いのか
悪いのか、フィアの方はその日は仕事が入っていた。
 シウスの方もそこまで意気込んでいくわけでもないし、相手方も奔放すぎるシウスを気
に入るかわからない。
 多分、おそらく、きっと、そんなすぐに決まる話ではないだろうと見積もっているもの
の、それでも気になるのである。
 今頃はしつらえた礼服を着ているであろうシウスの部屋のあたりを、屋敷の外から眺め
て、フィアは盛大なため息をついた。
 様子を見に行きたいような、見に行きたくないような。ジレンマに悩まされ、フィアは
またため息をつく。

「シウス。大臣殿の娘さんのレイリアさんよ」
「レイリアと申します。よろしくお願いします」
 伯母から紹介された娘は、肖像画よりも美しい娘だった。化粧をしているのもあるだろ
うが、それを差し引いてもかなりのものだ。
「あ、ど、どうも、シウス・ウォーレンです」
 使い慣れない敬語を使い、頭をかきながらシウスも頭を下げる。
 彼女もハイランダーだからフェルプールに比べれば背が高いが、全体的にほっそりして
おり、体格的に言えばむしろフェルプールに近いように感じた。黒く艶やかな髪といい、
たおやかな容姿といい、以前に旅した事のあるあの娘とためを張れるのではないか、とい
う程の美貌だ。
 あの娘の時は旅の仲間として位置付けていたが、この女性の場合は「見合い」の相手で
ある。自然、シウスの方も意識は変わるというものだ。
 伯母の話や、相手の叔父という人との会話が続き、彼らも交えた雑談などで過ごした後。
「それじゃあ、二人で、ね」
 という言葉とともに、アストラルの有名料亭を追い出された。
「シウス様は、あの魔王アスモデウスを討伐したという噂を聞きましたけれど、やはり、
本当なのでしょうか?」
 鈴の転がるような声。旅先で美人には何度か会った事があるけれど、それがこちらに向
けられるというのは、まったく悪くない。
「ええ、まあ。仲間と一緒に、ですけどね」
「まあ。恐ろしくはなかったんでしょうか?」
「確かに、まったく怖くないといったら嘘になりますけど。でも、あそこまでいったら、
やるしかないですよ」
「勇ましい方ですのねえ」
「いやあ……」
 まともに照れて、シウスは後ろ頭をかく。相手の娘の方も、シウスに対してまんざらで
もない印象を持ったようである。

「……さま、フィア様!」
「えっ? あ、ああ、どうした?」
 もうさっきから何度もフィアに声をかけているのだが、上の空でまるで声を聞いていな
い反応を示している。
「あの、ですから。次の習練メニューの事ですよ。もうみな前の習練を終わらせておりま
す」
「あ、ああ、その、悪かったな。では、組み手を……」
「フィア様! それはさっきと同じ習練メニューですよ」
 既に済んだ習練メニューを提示され、フィアの部下は驚いた声をあげた。
「え? あ…ああ、そ、そうだったな……えっと、次は組み手……じゃなくて、組み手…
…でなくてええと、ええと……」
 口ごもり、どもってしまい、自分でも何を言っているのかわからない状態のようで、一
人で混乱している。
「フィア様……」
 部下は、そんなフィアにどうしていいかわからない声をあげた。
 こんなにしっかりしていないフィアも初めてである。

 それから、特に行く当てもあったわけではないけれど、アストラルの城下町をゆっくり
二人で散策している時だった。
 まあ、噴水広場あたりをまわって、またあの料亭に戻るか、などとシウスはこれから巡
るルートの事を考えていた。
「レイリアさんは、趣味は何を?」
「趣味、ですか…。そうですね、ピアノを少々たしなんでますの…」
「へえ、ピアノを」
「ええ。趣味程度で、とても人様にお聞かせできるようなものではないんですけど。シウ
ス様のご趣味は?」
「えっと……、剣術、ですね」
 旅だと言いそうになって、シウスは慌てて剣術の方に言い換えた。すっかり風来坊気質
になってしまったが、それはあまり良い趣味とは言い難いだろう。
「さすがに騎士団長様のご子息ですわね。やはり、旅でも剣術は役に立ちまして?」
「それはもう。旅先で魔物はたくさん出ますからね。倒さないと、やられるだけですから」
「すごいですわね。私、屋敷からほとんど出ませんので、魔物なんか見たら卒倒してしま
いそうですわ」
「魔物の中には、ちょっと、すごい見た目のヤツもいますからねえ」
 しかし、魔物を見てすぐに卒倒する女が隣にいたら、旅なんかできないなあ、などとシ
ウスはぼんやりと考えた。まあ、平和になった今なら、旅に出なければする必要もない心
配なのかもしれないが。
 それにしても、さっきから使い慣れない丁寧語ばかりで話し続けて、いちいち舌をかみ
そうになって仕方がない。
「でも、アストラルの町並みってこうなっていますのね。私、ほとんど屋敷から出ません
ので、よく知りませんでしたわ」
「え?」
 かなりの勢いで箱入り娘である事を宣われて、シウスは思わず立ち止まった。
 その時である。
 ドガッシャーン!
 派手な音に振り向くと、店先で乱闘騒ぎが起きていた。
「ふざけんなこの野郎!」
「てめえこそふざけんな!」
「ぶわ、なにしやがるてめえ!」
 5、6人の男たちが一体なにが原因かでわからないが、激しい殴り合いを繰り広げてい
るではないか。
 これが見合い中でなかったら、シウスは飛び出して仲裁に入っている事だろう。
 わきわきする右手をどうにかおさえて、見回りの騎士を探す。幸いにもすぐに気づかれ
たようで、「何事だー!」とか怒鳴りながらやってくる騎士の姿が見えて、シウスもホッと
した。
「見回りの騎士も来たようだし、大丈夫そう……って、ええ!?」
 レイリアの方に振り向いて驚いた。さっきまでそこにいたはずの彼女が、見当たらなく
なっているのだ。
「レイリアさん! どこにっ……って!」
 探そうと辺りを見回して、失心して道の真ん中で倒れているレイリアを見つけた。
「ちょ、ちょっと、レイリアさん! レイリアさん!」
 抱き起こして、がくがくゆすると、真っ青の顔のまま、うっすらと瞳を開ける。
「あ、ああ…。シウス様……。ごめんなさい、私、人が…その、戦っている所を初めて見
たもので……」
「た、戦うって、ええ!? ちょ、ちょっと!」
 戦うといえば、まあそうではあるが、あれは戦いというより乱闘というか、ケンカとい
うか、もっと程度が低いどつきあいである。
 慌てて、近くの露店から水をもらい、彼女にそれを一口含むませると、なんとか取り直
したようだ。ふらつきながらも、なんとか自力で立てるようになった。
「ごめんなさい。取り乱した所を見せてしまって」
「い、いえ……」
 それを「取り乱した」というかどうかシウスにはかなり疑問であったが、そこのところ
を突っ込む気にはなれなかった。
 レイリアが少し白っぽい顔ながらも、また歩き始めた時である。
「どいたどいたー!」
 威勢の良い声が響き渡り、棒の先に荷物をくくりつけた小僧が人をかきわけて町並みを
疾走しているのが見えた。
「うわっ!」
「おっと!」
 がしゃーん!
 人を避けていたつもりが避けきれず、通行人と衝突を起こして、小僧は道路に派手にひ
っくりかえった。勢いがつきすぎたのもあったようで、小僧の腕と荷物が当たって、彼の
腕に一筋の切り傷がついた。
「い、いってー!」
「大丈夫か、坊主? ちゃんと前を見ないと駄目だろう」
 ぶつかった人の方はびっくりしただけのようで、引っ繰り返った小僧を助けおこしてや
っている。
「いててて。ご、ごめんよ……」
「いいから。ちゃんと傷を洗った方が良い」
 ぶつかった人は良い人のようで、半泣きしている小僧の方を気遣っているようだ。
 一連のやりとり眺めて、子供は元気が良いとか言おうと振り返り、シウスの自分の視界
にレイリアがいない事に気づいた。
「え、えええええ!?」
 なんと。彼女はまた失心して道端に卒倒しているではないか。
「ちょ、ちょっと! レイリアさん! レイリアさん!」
 また抱き起こしてゆすると、彼女はすぐに気が付いたようである。
「あ……ああ、ご、ごめんなさい……。私……血を見ると、駄目なんです…」
「ち…、血って、そんな…!」
 あの程度の切り傷で失心するとは、一体どういう生活をしているのであろうか。という
か大臣は一体どういう教育を娘に施したのであろうか。
 もう一度、さっきの露店から水をもらい、彼女はまた水を一口含んで、どうにか元気を
取り戻したようだ。
「…本当に、ごめんなさいね……。どうにも、慣れない事が多すぎて……」
 町くらい出歩いてくれよ、とか思わず願ってしまったシウスだが、とりあえず無言で頷
いておく。
「あー! おかあさーん!」
 小さな子供の声が近くでして振り向くと、なにやら鼻血が出てしまったようで、男の子
が上を向いて母親を呼んでいる。
「あらあらあら。どうしたの?」
「わかんらい。急に、はらぢがでてきたったー」
 そのトシでマセたのかーなどと下らない事が脳裏をかすめつつも、子供が鼻血を出すの
に別段おかしな事などないので、母親に鼻血を拭いてもらっている男の子をぼんやり眺め
ていた。そして、シウスは何かに気づいたように、ハッとなって後ろを振り向いた。
「ああああ!」
 やっぱり。
 レイリアは、子供の鼻血を見てすでに卒倒した後だった。
 むしろ青くなっているのはシウスの方だが、やっぱり慌ててまたも彼女を抱き起こした。



「……伯母さん…。今回の見合い、断っといてくれよ……」
 引きつった表情で、シウスは自宅に帰るなり開口一番そう言った。
 あの後、どうにか料亭に戻ったものの、会話とかする前に卒倒しそうになるレイリアを
介抱しては歩き、またちょっと歩いては卒倒しそうになる彼女を支えるという、一体何を
しに町に出たのかさっぱりわからない状況になったのだ。
「えー? どうしてだい? ものすごい美人だったじゃないか」
「いや、美人なのは良いんだけどよ。ケンカ見て卒倒、切り傷見て卒倒、子供の鼻血見て
卒倒じゃ、俺と所帯持つなんてできねえって…」
 手をぱたぱた振って、シウスは変わらず引きつった表情で言う。
「……あー……。箱入り娘さん……だからねえ……」
 さすがの伯母もその様子を聞かされて、思わず彼女も顔を引きつらせた。
「それに、俺の性格上切ったはったやらねえわけねえし、騎士の仕事なんて戦う事だろ? 
それの嫁がそれって……駄目だろ」
「そ、そうだねえ……」
 騎士の嫁たる女が、たかだか子供の鼻血ごときで卒倒していては、務まるはずもない。
「う、うーん。そ、それじゃ、申し訳ないけど、断っておくよ」
「悪いけど、そうしてくれ」
 引きつった顔のまま、疲れた様子でシウスは自室へと向かう。なんだかどっと疲れてし
まったのだ。
 伯母が、ライアスと今日の見合いについて話していると、普段着に着替えたシウスが、
客間にひょっこりと顔を出す。
「ん? どうしたシウス」
「ちょっと、気分転換に飲んでくるわ」
「夕食はいらないのか?」
「食べてくる」
「そうか。あまり飲みすぎるなよ」
「わかってる」
 そう言って、シウスは顔を引っ込めて、扉を閉めて行ってしまったようだ。そんな息子
を見送って、ライアスはほっと息をつく。
「しかし、なんだかほっとしてしまったな」
 とりあえず、フィアには安心させられる報告ができそうだ。
「なに言ってんの。このままあの子が独身なのはよくないでしょう」
「それはそうなんだが」
「あんただって、孫を抱きたいって思ってるんでしょうが」
「それは…まあ……否定はしないが……」
 この姉はフィアの気持ちに気づいているのだろうか。彼女もフィアをかわいがっている
ようだけど……。
 正直、ライアスにとってもフィアとシウスがまとまってくれれば面倒もないし、一番良
いと思っているのだが、いかんせん自分が口だししては、もっとまとまらないだろうと思
うと、ため息しか出てこない。
「お姉様。今日はお夕食、どうしましょうか?」
 ばあやが姿を表して、食事を一緒にするかどうか尋ねてきた。そういえば、シウスは酒
場に行ってしまったなと思い出し、彼女は口を開く。
「……そう、だねえ……」
「今日ぐらい食べていったらどうだ。シウスがいないんじゃ、料理もあまってしまう」
「…じゃあ、あの子の代わりにはならないけど、今日はちょっとご馳走になろうかねえ」
 迷っている姉にライアスがそう言うと、変な見合い相手を持ちかけてしまった事を悪い
と思っているのか、今日は夕食を食べていくらしい。
「わかりました。じゃあ、3人分、ご用意させていただきますね」
 ぺこりと頭を下げて、ばあやはこの部屋を後にする。
「けど、姉さん、また見合い話を持ってくるのか?」
「なんだい、その言い方。まるでわたしがもめごとを持ち込むみたいな感じで」
 まるででもなんでもなく、その通りなのだが。遊びにきてくれるだけなら、明るい彼女
がいるだけで、場も盛り上がりやすくなって良いのであるが…。
 しかし、そんな事を言われても姉はけろりとした調子で、さっきとはまた全然違う話題
をおしゃべりしはじめた。




                                                             to be continued..