それからというもの、フィアの機嫌はとてもとても悪かった。
 シウスが帰ってきた時はあんなに晴れやかな顔をしていたというのに、今のフィアは触
れたらすぐにでも爆発しそうな雰囲気だ。
 部下への稽古も以前より厳しくなっているし、醸し出す空気がとにかく怖い。
 そしてそれの大原因とも言えるシウスはというと。
「久しぶりにこんな服を着ると、なんか動きにくいな」
「じっとなさってくださいまし」
 落ち着いた印象のアストラルの民族衣装を着て、ばあやに少し寸法直しをしてもらって
いる。シウスが昔に着ていた服もあるが、もう随分とここに寄り付いてなかったため、ほ
とんどサイズが合わなくなっていた。
 なので、礼服も持ってはいたが、ここは新しく作った方が良いという事になり、仕立て
屋に頼んでおいたのだ。
「しかし、坊ちゃまもご立派になられましたねえ」
「なんだよ、急に」
「ついこの間までやんちゃに走り回っておられたというのに、時が流れるのは早いもので
すねえ。私も随分と歳をとったものです」
「…よしてくれよ」
 照れというより、そんな事を言い出すばあやに寂しさを覚えて、シウスは曖昧な笑みを
浮かべる。
 シウスはまず美しいと言えるような容姿はしていない。だが愛嬌は感じられるし、どち
らかというと男前といった顔で、悪いわけではないが、目を引く容姿とは言い難いだろう。
それでも、アストラルで主に礼服として使われる民族衣装に袖を通すと、なかなかそれな
りに見えるものだ。
「こんなんで良いですかね」
「ああ、こんなもんだろ」
 堅苦しいなと思うものの、まあ仕方がない。
「…しかし、坊ちゃまがお見合い話を受けられるとは驚きました」
「…まあ、ヒマだしな。フィアに職の空きを捜してくれと頼んだものの、あいつなんか最
近やたら機嫌悪くてよお。なかなか良い話を持ってこねえ」
「それは……」
 見合い話なんか受けるからだが、ばあやは黙っておく。
「お仕事のこと、旦那様には頼んでおいでですか?」
「多少は打診してるんだが、以前みたいな事になっても面倒だしな。それがあるからか、
親父もあんまり良い話持ってこねえし」
 そちらの方は、まあその通りなのだろう。騎士団長が騎士長に息子を推したばかりに、
言われなき誹謗中傷にさらされたのはシウスだ。それのため、シウスは家を飛び出してし
まった。さすがに今ではそんな誹謗中傷を気にする事もないし、実力で黙らせるだけの自
負もある。魔王を仲間と一緒に倒した名声も伝わっている。
 ただ、シウスは気にしなくとも、ライアスの方が気にしてなかなか息子のために職を見
つけられないようである。
 シウスの方から一般兵士に志願しても別に良いかとも思ったが、ライアスもフィアも、
まるで良い顔をしなかった。というか、反対された。剣豪シウスの名はアストラルでは実
は結構有名だ。そんなシウスが一般兵士に混ざっては他の兵士達が気にしてしまうし、そ
の上司ともなる者も困る事だろう。
 だから、それなりな職につけないとあとあと面倒になる事請け合いで、なかなか簡単に
はいかないようだ。もっとも、ライアスはともかく、フィアの方は最近はシウスの職探し
をやっていない。
 そんなものだから、暇なシウスはここのところはタトローイまでの洞窟で修行も兼ねた
魔物倒しばかりしている。
 ここに腰を据えると決めたものの、こんな日が続くのでは、シウスも旅を考えてしまう。
「…しかし、暇だからと、お見合い話を受ける人も、そんなにいないのではと思いますけ
ど…」
 そんなにどころか、シウスくらいなものではないだろうか。
「そうかもな。ただ……まあ……いや、何でもねえ」
「はい?」
 シウスはばあやの顔を見て、そしてなにかごまかすように笑って見せた。
 そこへ、開いたままの扉にノックする音が聞こえて振り向くと、フィアがあまり面白く
なさそうな顔で立っている。
「シウス。ライアス様がお呼びだ」
「おお、わかった。どうだー? 仕立て屋から今日来たんで着てみたぞ」
 仕事が休みだというのに、フィアの機嫌は相変わらず悪いようで、今日も朝食の時しか
顔を合わせなかった。が、シウスはあまり気にしないようにしており、無邪気な顔で着付
けてもらった礼服をフィアに見せた。
「っ…! し、知るか! いいから早く行け!」
 シウスの姿を見て赤面したフィアだが、すぐに怒り出してしまった。そんなフィアの反
応にシウスは苦笑いで受け流す。
「……へいへい。別にこのままでも良いよな?」
「良いと思いますよ」
 着替えるのも面倒くさいので、ばあやに軽く確認するとシウスは礼服を着たまま父親の
書斎に向かう事にした。
「書斎にいんだろ?」
「ああ…」
 部屋を出て歩きだすと、フィアも一緒に歩きだす。どうやらフィアも一緒に呼ばれてい
るらしい。
「けどよ、おまえなに最近そんなにカリカリしてるんだ?」
「別に。私は普段と変わらない」
 ついっと顔を背けてそっけない調子で言い放つ。
「仕事が忙しいのか?」
「だから、私は普段通りだ!」
 ウソつけと思いながらも、こんな状態のフィアに何を言っても無駄だと知っているシウ
スはため息一つで流す事にした。自分も成長したものだ、とかシウスはそんな事を考える。
 アストラル騎士団長の邸宅は広い。シウスの部屋から父親の書斎まで結構な距離がある。
しばらく無言で歩いていた二人だが、隣を歩くシウスの礼服姿をちらちら横目で見ていた
フィアが口を開いた。
「おまえ……」
「ん?」
「…その、どうして、見合い話を受けたんだ?」
「あー? あー。まあ、暇だったからな」
「暇って…。暇だからって見合いするヤツがいるのか?」
「それに美人だったしな。会ってみるくらいなら良いかと思ってよ」
 随分と軽い気持ちで受けた事を知って、フィアはひどく呆れてシウスの顔を見た。
「しかし、おまえ、見合いって言ったら、その、お互いが気に入ったら、その、…結婚と
かするものだろう? そんな軽い気持ちで良いのか?」
「会ってみるだけじゃねえか。いきなりそこまで考えねえけどな」
 考えろよ。とか心の中で突っ込んでもフィアは口にしなかった。
「会ってもみねえうちに、気が合う合わねーなんかわかんねえよ。会ったからって、即、
そっちまで話が進むとは限らないだろ」
「それは…そうだが……」
 シウスの言うことに納得してしまい、フィアは口ごもらせる。しかし、それでも少し腑
に落ちない所がフィアにはある。
「けれど……その、少なくとも見合いって事はそれが少しは関係するものだろう? そう
なる、そうならないにしても」
 結婚する、とかいう言葉を使いたくなくて微妙に言葉を選びながらフィアが尋ねると、
シウスは少し寂しそうな笑顔を浮かべた。
「…まあ、確かにな。……けどよ。……俺もそういう歳になっちまったんだと思うとな。
伯母さんが前にやってきただろ? 伯母さんが孫の話をすると親父の顔がなーんか寂しそ
うな顔してる気がしてよ。俺もいい加減そういう事を考えた方が良いのかと思ってな。ま
あ、まだ考えられる頭もしてねえから、まずは話を進めてみればちったあ考えられるかと
思ってな」
「……シウス……」
 シウスがここにとどまるというのは自分のためというより、ライアスやばあやのためで
ある、というのは前に聞いた。見合いもそれの延長線上にあっての事だったと知り、フィ
アの胸中は複雑になる。
 フィアもライアスのために結婚を考える事はあった。けれど、好きでもない男と一緒に
なる事はどうしても考えられず、そんな話が来てもいつも断っていた。
 もし、隣を歩く男と所帯を持つ事になったら…と考えると、フィアは知らず知らずに体
温があがっていくのを感じる。シウスとの子供で、ライアスの孫ともなれば、何人だって
産んでみせる気概がある。
 そこまで考えて、フィアは耳まで赤くなっているのを自覚して、シウスから顔を背けて
ごまかすように口元に手を当てた。しかし、前を見て歩くシウスはそんな彼女の様子にま
るっきり気づいていないようだ。


 別に、シウスの方に見合い相手と積極的に結婚する気持ちがあるわけではないと知り、
フィアの機嫌も幾分かはおさまった。
 仕事が見つからずふらふらしていたシウスだが、新しくできた騎士隊の隊長の職があっ
たので、ライアスがそこに入れた。実験的に作られた騎士隊で、伝統も何もなく人員も寄
せ集めでフィアが率いる騎士隊よりもかなりランクが下がる部隊である。
 ただ、シウスは一般兵士でも構わないと言っていたくらいだったし、そういう寄せ集め
の騎士隊だけあって、騎士団長が息子をねじこんだように見えても、あまり周囲からの文
句も出なかった。
 その騎士隊も寄せ集めも寄せ集め、元傭兵達で構成されたもので、正直なところ周囲の
騎士達も蔑みの対象で見る者もいるくらいの集まりであったが、武者修行という名目でフ
ラフラしていたシウスにとっては特に問題はなかったようだ。
 問題が山積みであっても、それなりに頑張って働いているらしい。
 そして、シウスに騎士長という肩書がついたところで、見合いの日取りが決まった。
「…というわけだから、あんた予定空けときなさいよ」
「おう」
「じゃあ、私はこれで」
「ああ」
 日取りが決定した事を告げにきた伯母は、お茶もそこそこにあっさりライアス邸を後に
した。
「相変わらずあんまり長居しないよな、伯母さん」
「姉さんはむしろ気を使わないからなあ」
 苦笑して、ライアスは姉が去っていったドアの方を眺める。
「昔っから姉さんはああでな。いつだったか、子供の頃の話でな……」
 ライアスとシウスは昔の伯母の失敗談とかを話のタネに談笑していた。その様子を、扉
のすきまからこっそり伺って覗き見るフィアの姿があった。
「……お嬢様……」
「ひう……っ!」
 思わず出かかった悲鳴をなんとか手で口に押し当てて、すごい勢いで鳴り出す心臓をも
う片方の手で押さえて、振り返る。
 そこには、ばあやが立っていた。
「ば、ばあや……」
 未だ鳴り止まぬ心臓を押さえ、フィアは引きつった顔でばあやを凝視する。
「お嬢様…。やっぱり、気になりますか?」
「それは、その…」
 客間の様子を覗いているところを現行犯で話しかけられては、どうにもごまかしようが
ない。冷や汗がだらだらと流れ落ちていくのが自分でもわかるほどだ。
「えと、だから……」
 口をぱくぱくさせて、言葉を探すがどうにもこうにも見つからない。
 やがて、フィアは大きくため息をついた。まあ、ばあやにはもうばれているようなもの
だから、というのや彼女に対する信頼感の大きさもあった。
「その、………………少し……」
 自分でも往生際が悪いと思うのに、どうしても素直になりきれない。フィアらしくなく
小さな声でぼそっとだけ、つぶやくように言う。
 それを聞いたばあやは、ひどく優しく困ったような笑顔を浮かべた。
「…お嬢様は可愛い方だと思います」
「な、なにをいきなりっ…?」
 突然のばあやの言葉にまた驚いて、フィアは体をのけぞらせる。
「そうやって、意地を張ってしまうのは、私から見ればそれはもう可愛らしいと思います」
「え? あ……うん……。……え?」
 まあ、ばあやから見れば、フィアは孫みたいな年頃だろうし、何をやっても可愛いと思
われるのかもしれないが。しかし、どういう脈絡でそんな事を言ってきたのかわからなく
て、フィアも困惑した。
「でも、あまり意地をはってしまっては、後々取り返しのつかない事になってしまいます。
ましてや、坊ちゃまは昔から真っすぐというか、前しか見ないというか、繊細な所はちょ
と持ち合わせていない方」
 ちょっとどころか、そんなものなんか微塵も持ち合わせていなさそうな性格をしている
が、ともかく。
「そんな坊ちゃま相手では、言葉にしないと、伝わらないのでは?」
「な、なな、な、なにを、なにを、言って……!」
「ばあやはお嬢様が悲しむ顔を見たくありませんよ」
「なに……、なにを……」
 真っ赤になってどもりまくっていたフィアだが、ばあやの少し寂しそうな笑顔を見て、
どんどんと頭が冷めていった。
「私が……何を……悲しむと……」
 言葉では反論しているものの、語調がめっきりついていっていない。
 わかっている。わかりきっている。このままシウスの縁談がうまくまとまってしまった
場合、嘆き悲しむ自分自身の心を。外面は意地をはって軽口を叩くかもしれないけど。ず
っとずっとシウスしか見ていなかった。長い間戻ってこなくってもやっぱりずっと待って
いた。
 それなのに。
 帰って来た途端、よくも知らない女との縁談にあっさりまとまってしまったら、今まで
のフィアの想いは行き場を無くしてしまう。どんなにか長い間想っていたとしても、その
時の長さももはや無意味だ。
 さらに嫌な事を考えると、シウスは跡取りでもあるから相手の女がここに住むなんて事
になったら、フィアはもういたたまれない。
「…坊ちゃまは、今回の見合いにそこまで乗り気でもないようですけど、お姉様は次、ま
た次と話を持ってくるでしょうし」
「そ、それは……」
 それは非常に有り得る話だった。なにより、フィアの見合い話を懲りずに何度も持って
くるような人である。
「ですから、お嬢様」
「な、なに…」
「ばあやは応援しております。頑張ってください」
「え、ええええっ!?」
 顔を赤らめて、フィアはその場から後ずさった。
 それは、つまり。
 その時、客間の扉が開いてちょうどフィアの頭に当たった。
 ごん。
「あ」
 扉を開けたシウスが、やばいという顔をしてフィアを見る。
「ああ、わりー」
「い、痛いじゃないか!」
 思わず顔を赤らめたままシウスに突っ掛かると、彼はほんの少しムッとしたような顔を
した。
「だから、ワリィってよ。ってか、そんなところで立ち話してる方にも問題あんだろが」
「なにを!」
「いいからどいてくれよ。邪魔だろうが、そこは」
「あ、ああ…」
 確かにドアの真ん前に突っ立っていては、通行の邪魔である。フィアはシウスに道を譲
ると、彼はすたすたと廊下を歩いて行く。
 大きな彼の後ろ姿をぼんやりとばあやと二人で見送っていたが、それが見えなくなって
から不意にばあやはフィアの方に向き直る。
「ばあやはいつでもお嬢様の味方ですから」
「いやっ、だからっ…!」
 顔が赤いのが治らないまま、フィアは何か言いかけるけど、言葉にならなかった。
「大丈夫ですよ」
「だからっ、なにがっ!」
「そんなに悪い方向には行かないと思います」
「なっ、そのっ、あのっ、だからっ! …………も、もう、何でもないっ!」
 もはや何を口走っているのか、何を言って良いのか全然わからなくなって、自分でもわ
けがわからないまま、フィアは自室に向かって駆け出した。



                                                             to be continued..