「シウス! あんた戻ってきたんだって?」
「伯母さん」
 シウスが有名なのか、はたまたこの人の耳が早いのか、シウスの伯母がライアスの邸宅
へと訪ねにきたのだ。
「しばらくここにいるとかってんじゃなくて、いい加減ここに腰を据えるんだろ?」
「本音は、俺は旅に出てえんだけどよ」
「なに言ってんの! 私もあんたも、ライアスも。いくつになると思ってんのよ。もうそ
んなトシじゃないだろう」
 パーンとシウスの腰を叩いて、伯母はからから笑って客間へとずかずか入って行く。ち
ょうど、ばあやがお茶を用意している所だった。
 昔からこんな人だったなと苦笑しながら、シウスも客間へと続く。
 しかし、彼女も昔の記憶から思うとかなり歳をとっているなとちらりと思って、シウス
はわずかに目を閉じた。
「お姉様はいつも元気がようございますね」
「ありがとう」
 ばあやが出すお茶をにっこり受け取って、早速口をつけている。
「けど、どうしたんだ? 突然」
 椅子を引いて腰掛けると、ばあやがタイミングよくシウスの前にお茶をおいてくれる。
騒ぎを聞き付けてか、ライアスも客間へとやって来た。
「姉さんはいつも突然だな。何の話があるんだ?」
 ライアスも少し呆れた調子で席につくと、そこにお茶が用意される。それを見計らって
から、伯母はシワの増えた顔でまたにっこりほほ笑んだ。
「いやね。シウスに良い話があるんだけどさ……」
 そう言って、彼女はバッグから二つに折り畳まれた厚紙を取り出した。


「ただいま戻りました」
 フィアは玄関で靴についた土を払いながら、屋敷内に声をかける。
 ほどなくして、ばあやが少し慌てたようにぱたぱたとこちらに駆け寄ってきた。
「あ、あらあらまあまあ、フィア様。お帰りなさいませ」
 屋敷の客間から聞こえる声に、フィアは客の気配をかぎとった。
「ただいま。…誰かお客様が?」
「お姉様がいらっしゃってるんですけどね…」
 ばあやの自分を見る、ひどく困ったような顔を見て、フィアは小さく首をかしげる。
「伯母様が? あの方はいつも突然だな」
 血はつながっていなくともライアスの娘として自然に受け入れてくれた明るいライアス
の姉を、フィアも好意的には思っているものの、オシの強さが苦手でもある。
「ライアス様、ただいま戻りました。伯母様。こんにちは」
「ああ、フィアちゃん。こんにちは。そうそう、フィアちゃんにも良い話があるんだよ」
「い、いい加減にしてくれ、姉さん。フィアには何度も断られているだろう」
 フィアが客間に入って来たのを見て、ぎょっとするライアス。ばあやといいライアスと
いい、明らかにこの場に自分を歓迎していない雰囲気は何なのだろうか。
「いいじゃないのよ。見るだけでも。ねえ、この方なんてどうかしら?」
 彼女がいそいそと椅子から立ち上がってフィアに差し出したのは、折り畳まれた厚紙の
中に描かれた年頃の青年の肖像画だった。
 それを見た途端、フィアの顔には困ったような苦笑いと冷や汗が流れ出る。
 見合い話である。
「い、いえ、伯母様。いつもお気持ちは嬉しいんですけれど…」
 肖像画をろくすっぽ見もしないでやんわりと断るフィアに、彼女は特に気を悪くしたふ
うもなく、「あら残念ねえ」と簡単に引き下がる。
 簡単に引き下がってくれるのが彼女の良い所だが、懲りない所がおせっかいというか、
しつこいというか。
 引きつった笑顔を張り付かせながら、ため息がばれないようにゆっくり空気を吐き出す
フィア。そして、彼女は伯母が座った向かいの席で先程フィアに見せたのと同じ仕様の肖
像画に見入るシウスが目に入った。ちょうど、彼は入り口から少し見えにくい位置にいた
のだ、気づくのにやや遅れた。
「どうだい、シウス。相当な美人だろ?」
「美人だけど、絵かきがごまかして描いてんじゃないのか?」
「なに失礼な事を。大臣殿の娘さんだよ。美人でしとやかと評判な娘さんなんだよ」
 ぎぎいっとフィアの首が不自然に動き、その肖像画手に、伯母となにかやりとりするシ
ウスを不気味な光をたたえて睨みつけた。
 その様子を見たライアスとばあやがなにやらあわあわと慌てた様子を見せるが、伯母と
甥の関係でも血のつながりがきちんとあるらしく、伯母とシウスはそんな空気にちっとも
気が付かない。
「本当かよー?」
「本当だよー。一度会ってみなさいよー」
 伯母と甥は同じノリで会話して、なにやら楽しそうでさえある。というか、シウスが手
にしている肖像画は、見合い相手描いたものであるのは、伯母がフィアに見せた先程の肖
像画からでも伺えるというもの。
 つまり、伯母は甥のシウスに見合いをもちかけており、そのうえシウスの様子から見る
となにやら乗り気のようであると。
 そういう事になっているらしい。
 それがわかった途端、フィアの背後のオーラが変化した。それを感じたライアスとばあ
やがますます慌てるものの、何をどうしたら良いのかわからなくて、ただただそれぞれの
顔を見ているばかりだ。
「けどよ。こんな美人が俺の見合い相手って、なんかおかしかねえか?」
「どうして?」
「今までフラフラしてたんだぜ? 今もまだ、職にもついてもねえのによ。いくら親父が
ちっと有名だっつってもよ」
 ライアスの名は後世に伝えられる程の英雄であるが、息子にかかれば「ちっと」になっ
てしまうらしい。
「…うーん。でも、騎士団長はこの国に一人しかいないものだしさ。あんた一人息子だし」
 英雄とも呼ばれ騎士の国アストラルの騎士達の頂点立つ男も、姉にかかればそう言われ
てしまうのは、なにか謙そんを越えている気もするが。
「…にしたってなあ。そんなうまい話、そう転がりこんでくるもんなのか?」
 美人である事に悪い気はしないものの、やはり長年一人旅をしていない。シウスもうま
い話に警戒を見せる。
「……まあ、箱入り娘らしいからね…。でも、どうだい。会ってみるだけでも」
 甥の突っ込みに微妙に言葉を濁した伯母が気になるものの、手にした肖像画の女性は上
品で淑やかで穏やかそうな瞳をたたえた美人で、絵の修正を差し引いても相当なものでは
ないだろうか。
 シウスだって旅をしているくらいだから、これ以上の美人を見た事がある。一緒に旅を
した事のあるあの女は相当なものだった。
 もっとも、彼女自身になにか色々と秘密を抱えていた事や、それどころじゃなかった事
もあってそういう対象ではない、とシウスの中で断ち切っていたのだが。
 それはともかく自分の伴侶となる相手が美人というのは、ちっとも悪い話なんかではな
い。
「うーん…。じゃあ、まあ、会ってみるだけでも」
「そうしなさいよ!」
 会うだけなら、別に構わないか。そう思って、シウスは軽い口調でそう言った。
 実際のところ、シウスに見合いの先に続く結婚というものに興味がそこまであるわけで
はない。美人への関心と好奇心、あとはまだ仕事が決まっていないので単に暇だとか、そ
んなに深く考えての事ではなかった。
 だが、生真面目なフィアにとって見合いというものはそんな軽い気持ちで受ける、など
という事は考えもつかない事だし、会えば見合いの背後にある結婚も真面目に考えなけれ
ばならないものとなっているのである。
 それになによりも、フィアの個人的な感情が先程のシウスの言葉を聞き捨てる事なんか
できなかった。
 さっきからずっと怖い顔でシウスを睨みつけていたのだが、憤怒の形相凄まじく、眉も
まなじりもキツく吊り上げ、血管も浮き上がり、眼力で人も刺せそうな勢いで睨みつける。
「じゃあ、先方さんにも伝えておくわ。予定、あけときなさいよ」
「職が決まるまで空きまくりだってーの」
 シウスも鈍感だがこの人はさらにその上をいくのか、怒りまくってるフィア、どうして
良いかわからずオロオロするライアスとばあやににこにこ笑顔で挨拶をして、伯母は来た
時と同じようにぱぱーっと帰って行く。
「おお、フィア、帰って……た……のか?」
 怒り狂っているフィアの形相にようやっと気づき、シウスもさすがに顔を引きつらせた。
 こっちは相手の顔もろくに見ないで断ったというのに。こうなるなら、もうちょっと相
手の顔や略歴なんか聞いておけば良かったと思う。
「ふん!」
 ギロリッ! とシウス強く睨みつけ足音も響き渡るほどに大股で客間を歩き抜け、開け
た扉も屋敷中に響き渡るほどに叩きつけるように閉め去る。
「…な、ど、どうしたってんだ、アイツ?」
 困惑した顔で近くのソファに座る父親の顔を見ると、ライアスは額に手を寄せて大きく
ため息をついた。
「お前はほんとーに馬鹿だな…」
「なんだよ、それ」
 父親の呆れ果てた様子とその言葉に、シウスは口をとがらせる。
「馬鹿ってなんだよ。見合いを受けた事か? 伯母さんがもってきた話だろ」
「そうなんだが…。もうちょっと、なあ…」
「もうちょっとどうしろってんだよ」
 フィアの気持ちに気づいてやれと言いたいものの、これは父親である自分が口を挟む事
ではないなというのと、言ったらこの馬鹿息子は変な意地をはりだして余計に話がこじれ
るだろうと先が見えるとそれ以上言えなくなってしまう。
 もっとも、意地っ張りといえばフィアの方がよっぽど意地っ張りだし、実際のところ彼
女が素直になってしまえば相当話が早いんではないかと思う程だ。
 彼女が息子の事を随分と前から好いているのはライアスも知っている。指摘すれば彼女
は真っ向からは認めたがらないが、症状で言えばかなり重症の部類に入るはずだ。なによ
り、見合い話も見合いというだけで断っているし、もう何年もずっとシウスの帰りを待ち
続けていた。健気というか、頑固というか、そこが可愛いと言えば、確かにそうなのだが。
 話はうまく進まない。
「おまえなあ。見合いって、話が進んだら結納、結婚と続くんだぞ。そこまで考えて受け
たのか?」
「……そこまで考えてねえよ。ウマも合わなかったら断るだけだろう。けど、会ってもみ
ねえで判断する事でもねえだろ」
「それは、そうなんだが……」
 確かにそれはシウスの言うとおりである。会いもしていない人間の事でどうこう判断す
るのは失礼ではあるし、発展もない。
 ライアスはもう一回ため息を吐き出し、少し考える。
 確かに二人の性格を考えると、今のままでは発展はないだろう。ならば、考えのないシ
ウスの行動でもフィアへのはっぱをかける事にはなるのではないか。
 このままシウスの話が丸くおさまってしまうとフィアには非常に可愛そうな事になるな
と思うと、心苦しいが、フィアの方はシウス程に相手の来手に困らないとも思う。
 しかし、そうなると決まったわけでなし、ここで気を揉んでも仕方ないなと考えると、
また展開が進んだ時に何か手を打てば良かろうと思い、ライアスは肩の力を抜いた。
「……まあ、いいか。とりあえず、食事の準備を始めてくれ」
「は、はい……」
 戸惑いを隠せないばあやにそう言い付けて、腑に落ちないシウスを一瞥して、ライアス
はもう一度、小さくため息をついた。



                                                             to be continued..