「…だから、わりいってつってんだろーが!」
「それが謝っとる態度か! まったく呆れて物が言えんわい!」
「ぐだぐだ怒鳴ってんじゃねえか!」
 ドア越しにまで聞こえてくる怒鳴り声に、フィアは一瞬立ちくらみをおこしかけたもの
の、ノブを握り締めて大きく開け放した。
「外まで聞こえてますよ!」
 自分の発した声に、ケンカをしていた二人が揃ってこちらを振り向く。
 一人はこの屋敷の主人のライアス。ベッドから半身を起こしながらも、あの大声を出し
ていたらしい。そして、もう一人はその息子のシウス。部屋の真ん中に突っ立って、こち
らに顔を向けている。
「……よお……」
 ケンカの真っ最中だからか、シウスは幾分か機嫌が悪そうな顔でぼそっと言った。
 久しぶりに会ったというのに、その挨拶がこれか。フィアの方もなにやらふつふつと腹
の方から込み上げてきた。
「…おまえは、久しぶりに帰ってきておきながら、なんだってまたライアス様とケンカな
んかしてるんだ!」
「知るかよ! この親父が勝手にいきなり怒り出したんだよ!」
「おまえが今まで一度も帰って来もしないで、便りの一つすらよこさないからだろうが!」
「俺がそんな性分か!」
「開き直るな!」
 今度はまたフィアとのケンカをいきなりはじめだすシウスに、ライアスは疲れたため息
を吐き出す。
 ぎゃあぎゃあと怒鳴りあう息子と義理の娘を見て、片手で顔を覆いながらも、ライアス
は実は微笑んでいたのだが。
「フィアも落ち着け。お前も帰ってくるなりケンカではシウスと一緒だぞ」
「しかし、ライアス様! こいつ程どうしようもないヤツもおりません!」
 そのどうしようもないヤツに、心底惚れ込んでいるのはどこの誰だと心で突っ込みなが
らも、ライアスは言葉の代わりに苦笑を吐き出した。
「まったく、どこで何をしていたんだ! どうしてまた突然帰ってくる!?」
「んっだよ! 親父が倒れたって聞いたから帰って来たんだよ!」
「だったら、便りの一つよこしてから帰って来い!」
「なんでそんな面倒くせえ事をしなきゃいけねーんだよ!」
 相変わらず騒ぎ合う二人を見て、ライアスは腹の底から笑いがこみあげてきた。
 家出していた頃とは違って、色々と糧を得て、経験を積む旅をしてきたのだろう。息子
から滲み出る雰囲気がまた一段と大きくなった。もはや力ではかなわない事だろう。技術
と経験で押し切れるかどうかも微妙といったところか。
 ちゃんと、成長して帰ってきた。でも、変わらない所は変わらないままで、それがひど
く愉快だった。
「……っく、くくく……くっはっはっはっはっ!」
 膝を叩いて笑い出すライアスに、二人は怒鳴りあいを止める。
「…なんだぁ? いきなり笑いだしやがって。もうボケたのか?」
「馬鹿!」
 失礼な事を言うシウスに、フィアはげんこつを浴びせる。
 シウスは怪訝そうな顔をしていたが、フィアは、突然笑い出したライアスの気持ちがわ
かるような気がしていた。
 きっと、すごく嬉しかったんだろうと。
 だって、本当に楽しそうに笑ってる。最近は、あんなに楽しそうに笑う事なんてなかっ
たのに。
「さあさあ皆さん、早くいらっしゃって下さいよ。お夕飯ができましたよ」
 ばあやが晴れやかな笑顔で、扉を開けた。
「お、メシか! 酒もあるのか?」
「もちろんでございますよ。ちゃんとたくさん用意してございますから」
「本当か? 最近、稼ぎがなくてあんまり飲めなかったんだよなー!」
 なんて単純なんだろう。ご飯と酒と聞いて、あっと言う間に機嫌を治してシウスは、ば
あやの後にほいほいとついていくではないか。
「ちょ、ちょっとシウス……」
 フィアの呼び声も、部屋から出て行ってしまったシウスには届かない。
 思わず、顔を見合わせるフィアとライアス。そして、どちらからともなく、吹き出した。
「はは、は、まったくあまりの馬鹿息子ぶりに、あきれて…ものも言えん…!」
「ふ、ふふ、ほ、本当に…」
 笑いながら、フィアは少しにじみでてきた涙を拭う。笑いすぎて出て来た涙ではない事
を、ライアスはわかっていたけど、気が付かない事にした。

「…まったく……。ちゃんと食べてなかったのか?」
 食卓の上の料理を、味わってなどいないようにすごい勢いでたいらげていく。そのあま
りのがっつきぶりに、フィアは呆れた果てた様子で向かいの席のシウスを眺めた。
「最近…はな…。これでも…一応急いで帰ってきた…んぐ…んだぜ?」
「食べるんなら喋らなくて良い。こぼすんじゃない」
「んー」
 一通り料理を詰め込むと、今度はぐびぐびと酒を飲み干し、本当に美味しそうな顔で息
とゲップを吐き出す。
「まったく……」
 シウスのゲップに顔をしかめて、それからため息をつくフィア。
「やっぱばあやの料理はうめえな!」
「ふふふ。ぼっちゃまの食べっぷりには腕のふるいがいがありますよ」
 ばあやはというと、行儀の悪いシウスを特にしかる様子もなく、むしろ嬉しそうに目を
細めて彼を見ている。
 上座に座るライアスは、ばあやほど表情に喜びを表してはいないものの、機嫌はかなり
良いらしい。倒れてから酒は断っていたのに、今日は以前なみの量を飲んでいる。
 実際、昨日までは静かな食事風景だったというのに、シウスが一人帰ってきただけで随
分と賑やかになってしまった。フィアもいつもより口数が多くなったし、酒も少しだが飲
んだ。

 風呂から上がり、フィアは良い気分で頭にかけたタオルで顔を拭きながら、廊下を歩い
ていた。ふと、シウスの部屋の扉が半開きになっており、明かりが漏れている事に気づく。
「シウス? 起きているのか?」
 帰ってきたばかりで疲れてるだろうからと、一番風呂にも入ったし、彼の事だから寝付
きもよく今頃はすかっと寝ているかと思ったのだが。
 半開きのドアから頭をちょっといれて、中を伺うようにフィアはシウスに声をかけた。
「ん? ああ、フィアか……」
 寝間着を着ていながらも、シウスはぼんやりと窓辺に突っ立って、窓からの景色を眺め
ている。声をかけられて、彼はゆっくりと振り向いた。
「どうした? 疲れているんじゃないのか?」
「ん、まあ…。疲れてるっちゃ、疲れてるんだが、平気っちゃ、平気だ…」
 今までが武者修行という、いわゆる体力勝負の風来坊な生活をしてきたわけだし、この
程度でへたばるようなヤワな身体はしていない。
 フィアはシウスが少し落ち込んでいる事に気づいて、部屋の中へと足を踏み入れた。
「どうした? 疲れているならすぐに寝るお前が…」
「まあ、そうなんだがよ。ちょっとな……」
 小さくため息をついて、シウスはまた窓の外を眺める。彼らしくない様子に、フィアは
わずかに眉をしかめた。
「なにか、あったのか?」
「いや、何にもねえ。別に何かあったわけじゃねえ…。そういう、わけじゃねえんだがよ
…」
「……おまえらしくないな」
「…そうかもしれねえ。……なあ、フィア。おまえ、今、いくつになった?」
「は? いくつもなにも、おまえと歳は同じだろう」
 いきなり何を言い出すのかと、フィアは頭にかけたタオルを首に下ろした。
「…ん、まあ、そうだったよな……。って事は……。はあ……、俺らも若造ってトシじゃ
あなくなっちまったんだよな」
「……何を言っているんだ?」
 ため息までつき出す始末に、フィアも困惑する。
「……久しぶりに帰ってきて思った。……俺は本当に久しぶりに帰って来たんだなあって
よ」
「は?」
 フィアはますます眉をしかめた。そんなフィアを見て、シウスは苦笑する。
「…修行してる最中は、どれくらいの時間が過ぎていったか、とかは深く考えた事もなか
った。国も違えば気候も違うしな。寒かったり、暑かったり、湿ってたり、乾いてたり、
よ。ひとっところにいるわけじゃねえから、変わる季節を見て、時間が過ぎるのを実感す
るわけじゃねえ」
「……?」
 まず感傷的になる事なんてないシウスが、いつになく感傷的なので、フィアは心配そう
な顔でシウスを見上げた。
「……ばあやは、あんなに小さかったっけか?」
「え?」
「親父も……。親父は、倒れたんだよな。だからあんなに……。ガキの頃はあんなに親父
が大きく見えたんだけどな…。……確かに俺はもうガキの歳じゃねえけど…」
「……シウス……」
 毎日顔を合わせているフィアにとって、ライアスやばあやの変化にはそこまで気が付か
なかったものの、久しぶりに帰ってきたシウスにとっては、かなりの変化に見えたらしい。
 ライアスとばあやの老いを。
「フラフラしてる場合じゃねえのかな…」
 剣豪シウスの名はだいぶ有名になっている。彼自身、それを知っているのかいないのか。
フィアにとってはもう十分だろうと言いたくなるほどだ。
「……旅をやめるのか?」
「本音の所はやめたくねえ。けど、俺もガキじゃねえと思うとなあ…」
 彼女の胸の音が少し高く跳ね上がった。つまり、それは…。
「旅にはもう出ない?」
「そうならざるをえねえかもな…。親父やばあやにはお前がいるから十分だろうと思って
たけどよ。親父が良くても、俺自身が納得できそうもねえなあ…」
 がしがしと頭をかいて、またため息をついている。
 フィアの方は血がつながっていないという事を強く意識しているが、ライアスやシウス
の方はあまり意識していないようだ。実の娘と代わりないと思っているらしく、シウスの
言葉からすれば、ライアスにとっての子供はフィアがいるから十分だろうと思っていたら
しい。
 それは喜んで良いのか良くないのか。
 確かに、そういうふうに扱ってくれるライアス親子には感謝している。けれど、やはり
血はつながっていないという頑然とした事実がある。なによりライアスとシウスは似てい
るけれど、フィアはライアスに似た所などどこにもない。
 それに、フィアにとっては、むしろ血がつながってなくて良かったと思う所だってある
のだ。
「じゃあ…、ずっと、ここに……?」
「そうなっちまうかもなあ…」
 あきらめたように腕を組んで、ため息をつく。フィアは嬉しくてけいれんしそうになる
頬を、一所懸命に我慢しなければならなかった。
 色あせた今までのフィアの生活に、色が戻ってくるような、そんな感覚だ。
「…そうか……」
「なあ、フィア」
「え?」
 緩んでくる頬を見せまいと、フィアは首にかけたタオルをまた頭にかぶせて顔を半分隠
しながら、シウスを見る。
「どこでも良い。なんか、兵士かどっか、空きがねえか?」
「え?」
 思わず、フィアは目を見開いた。
「このトシで下っ端ってのもイケてねえが、しょうがねえよな。俺が入り込めそうなとこ
ねえか?」
 つまり、それは。
「ちっと、ここに腰をすえてみるわ」
 シウスの言葉に、フィアは思わずタオルで顔をぬぐう。詳しく言うと、顔を隠したのだ。

 ポジションは適当に捜しておくと、自分でも可愛くない事をと思うのに、口からはつい
ついそんな言葉が出る。
 シウスの部屋から出る足取りが軽い。自室に戻って後ろ手に扉を閉めると、思わずベッ
ドに向かって飛び込んだ。そして、枕をぎゅうっと抱き締めて顔をうずめる。
「…………っく、くくくっ……、あははははっ…」
 枕に顔を押し付けたままなので、くぐもったような笑い声だ。でも、止まらない。
 帰ってきただけでも嬉しいのに、またふらふらと出て行ったりしないと言う。
 気持ちがこんなに軽くなった事はいつ以来だろうか。最近は倒れたライアスが心配で、
寝所につくと不安ごとばかり浮かんでは消えしてため息ばかりついていたのに。
 今日は、ぐっすり眠れそうだ。




                                                             to be continued..