アルゼイ王が行ったアーリグリフの大改革は歴史に名を残す事になる。そして、さらに
歴史上有名になる戦争が起こるのだが、まだ、それは先の話。
 グラオの息子、アルベルも強く美しく成長した。…語弊はなく、彼は美しく成長したの
だ。
「そろそろか…」
 グラオは心配でならなかった。
 国宝クリムゾン・ヘイトを得物に、大空を翔るエアードラゴンにまたがり、アーリグリ
フ軍最強の疾風団長。無論、個人での戦闘力も群を抜く勢いのある彼だが、悩み事があっ
た。
 息子のアルベルの事である。
 幼い頃は人見知りのする、ちょっときかん坊の可愛い男の子だったのに。なにをどうし
たか、無愛想な生意気少年へと成長してしまった。
 おまけに、自分の戦闘力を過信しているきらいがある。何度となく口を酸っぱくして言
っても、反抗期なのか、まるで聞き入れてくれない。
 「反抗期」で済めば良いのだが、なまじ実力があるだけに手に負えない。さすがに、グ
ラオと対峙すれば、圧倒的に父が勝つのだが。
 さらに言うと、軍部内部にアルベルの美しさを狙ってる者までいて、なんだか胃が痛く
なってしまうようだった。
 グラオにとっては可愛い男の子であるアルベルも、他の者の目から見ると、色気をふり
まく美少年に見えてしまうらしい。
 まったくもってけしからん。
 ウチの息子を女郎屋の何かと間違えるとは、どうかしている。そりゃあ確かにウチの息
子は可愛いが。だからといって…。
「おい、親父」
「ふあ?」
 物思いにふけっていた自分を、当のアルベルの声が現実に引き戻す。グラオは居間の暖
炉のそばで、ぼんやりしていた。
「はじゃねーよ。稽古、頼む」
「ああ…そうだな。入団の儀式が近いからな」
 腰を浮かせながら、グラオは立ち上がる準備をするが。
「フン。あんなもの」
「アルベル。焔の継承はそういうものじゃないと、何度言ったらわかるんだ。ドラゴンを
屈服させようと思うな。意志を通いあわせ、相互関係を築くものなんだ。確かに、俺のエ
アリアルはおとなしいし、柔順だ。だが、それはエアリアルが特別であって…」
「うるせえな…。俺は稽古を頼んだんであって、説教を聞きに来たんじゃねえ」
「アルベル!」
「もういい」
 すっと目を細めて、ふいっと背中を向けてどこかへ行ってしまった。
 グラオはため息をついた。腰を浮かせたものの、立ち上がる気になれず、また椅子に身
をうずめた。
「旦那様。お茶を入れますか?」
「あ? ああ…。頼む…」
 疲れたように、椅子にもたれかかるグラオに、執事が申し出る。タイミングの良さから、
今までのやりとりを聞いていたのだろう。
「アルベル様も難しい年頃になってきましたね」
「困ったものだ。怪我くらいで済むなら、俺もこんなにうるさく言うつもりないのだが…。
なにか、勘違いしてるみたいだな…」
 執事は慣れた手つきで、お茶を入れる。疾風の団長になり、国王も変わり、生活が目に
見えて違ってきた。
 以前なら、嗜好品である紅茶など、そう口にしなかったし、できなかったものだが、食
物関係の流通が良くなり、ノックス家でも普通にお茶を楽しめるようになってきた。
 国が豊かになるにつれ、疾風団長の給料もかなり良くなってきた。あの国王なので、金
額を跳ね上げるような事はしないのだが、彼の行う改革を支えてくれたという、彼なりの
感謝の気持なのだろう。
 もっとも、妙なところで面倒くさがりのグラオは屋敷を建て直すだの、増築だのはせず
に、ドラゴンの厩を良くしたくらいしかせず。領土の方も、話は持ちかけられたのだが、
自分にはウォルターのように民を統治する技量はないと断った。だから、この屋敷が疾風
団長の住む所だと気づかない人も多い。
「はあ…。バーゼル。俺の教育は間違っていたんだろうか…」
 ため息混じりに、グラオは執事に話しかける。
「アルベル様はお優しい坊ちゃんですよ。ただ、極端に恥ずかしがり屋なだけです。それ
に、あれくらいの年頃の子供は何かしら、親に対して反抗するものでございます」
「そうだろうか…」
「ウチにもドラ息子がおりますが。あれくらいの年頃は親父の私の言う事なんか、聞きや
しませんでしたよ。考えてみれば、私もあれぐらいの頃は、親の言うことに何くれなく反
抗したくなるものでした」
「うーん…」
 言われてみれば、グラオだってそんな時代があった気がする。
「しかしなあ…。焔の継承は、正直、命に関わる事なのだ。あれでどれだけの人間が焼か
れ死んだものだか…」
 焔の継承は、ドラゴンライダーとなるために、必ず通らなければならない道だ。空を飛
ぶドラゴンの背に乗り、意のままに操るにはドラゴンと契約せねばならない。
 だが、ドラゴンとて、そう易々と背に乗せてはくれず、そうするためには方法が二通り
ある。ドラゴンと心を通わせ契約を結ぶか、もしくは屈服させ、支配下におくことで契約
を結ばせるか。戦闘中、生死を共にする事を考えると、どう考えても前者の方が良いに決
まっている。というか、後者は余程の事がない限り、してはならない方法だと、グラオは
思っている。
 信頼関係無くして、命など預けられるものではない。
 まあ、どちらにせよ、騎乗する者には、そのドラゴンの力に見合う程の実力が必要なの
だが。
「はあ…。どうしたものか…」
「どうしても、自分は大丈夫と思いたくなるものですからね…」
 さすがに執事の顔も曇らせた。主従関係を結んでいる以上、アルベルのワガママを大概
通してしまう彼も、責任を感じている。
 お茶を飲み、ふと窓を見ると、アルベルは一人で鍛練をしていた。庭に作られた巨大な
ワラ人形相手に、刀を振り回している。
 アルベルとて、力がないわけではない。根は真面目なので、やれと言われればやるし、
負けず嫌いなのもあってか、最後までやり通す力はある。机の上の勉強はあまり好きでは
ないらしいが、一通りの学問はもちろん、軍学もきっちり教え込んである。息子の教育に
関しては最高水準のものを施したつもりだ。
 アルベルは、興味のないものに対してはともかく、興味あるものに対しての吸収力は凄
まじく、実際彼の能力は高い。親馬鹿と自覚していようとも、息子は天才だと思っている。
 今回の事だって、本当に傲岸不遜なら、儀式に備えてあのように鍛練はしないだろう。
だから、実力はある。
 ただ、生意気なのは確かだった。
 小さな頃から、使用人に囲まれて育ったせいか、ワガママな所がある。自分も多少、甘
やかしてしまったかもしれない。
 おまけに反抗期に入ってしまったらしくて。父親の言うことやることにいちいち反抗し
て、ヒネくれた言動をとりだす。焔の継承がどれだけ危険なものかどんなに言っても、息
子の心に届かない。というか、おそらく聞き入れたくないのだろうが、あれは、そんなワ
ガママが通じるものではない。そこがまだまだ子供で。ただただ意気がっているだけなの
が、こ憎たらしくもあり、可愛くもあり、心配だった。
 疾風に出入りしているから、ドラゴンがエアリアルのようにおとなしくない存在である
事も知っているはずなのだが。
 どうして良いかわからなくて、グラオはため息をついた。
 母親がいれば、もう少し違ったものになったかもしれない。グラオは時々そう思う。父
親だけでだって立派に育てられるはずだと気張ってきたが、こうなってしまうと、そんな
考えに捕らわれる。
 アルベル自身、母親がいない事をそうひどく気にしてはいないようなのだが、グラオと
しては内心気にしてきた。再婚も考えないではなかったが。
 正直、興味を持てるだけの女がいなかったし、人見知りするアルベルが、そう簡単に他
人に心を許すとも思えなかった。ましてや、そんなアルベルの母親になど、女の方も可哀
想である。
 すっかりぬるくなった紅茶を飲み干して、グラオは庭にいるアルベルを再び見やる。と
にかく、自分にできること。息子に稽古をつけて、ドラゴンを屈服させるほど強くするか、
もう少し言うことをきくよう、自分を認めさせるか。
 結局自分は武人で、これくらいしか、会話の術を知らないのかもしれない。自分に苦笑
して、グラオは椅子から立ち上がった。
 そろそろ木剣ではなく、本物の真剣を使う稽古をしても良い頃だろう。
 グラオは執事に、刀を持ってくるように言い付けた。…さすがに、クリムゾンヘイトを
稽古用として使う気にはなれなかったので…。


 バール山脈にドラゴン達はいる。そこは、ドラゴンが鳥のように飛び交うほどたくさん
いる。
 グラオはアルベルと、数人の部下を連れてこの山にやってきた。もちろん、エアリアル
も連れて来ている。
 本当は、ドラゴンに乗ってしまえばひとっ飛びなのだが、これは儀式である。最初から
最後まで行程は歩きだ。
 人の歩みよりも早く飛べるエアリアルは、愚痴もこぼさずにおとなしくついて来ている。
まったく信頼しているグラオだが、このエアリアルを見て育ってしまったからこそ、アル
ベルがドラゴンを甘く見ているのではないかと不安になる。
 アルベルも、戦闘中のエアリアルを見ていないわけではないはずなのだが…。
 グラオはもくもくと山道を登るアルベルを横目で見る。急な勾配が続いた後だから、額
に汗が浮かんでいた。
 ウルザ溶岩洞まではもう少しかかるだろう。
 大丈夫だろうか…。
 不安は尽きなかった。
「おまえ、まさかクロセルをねらっているんじゃないだろうな?」
 今まで不安だった事を口にすると、アルベルはなんだか冷たい視線を返してくる。
「まさか。俺もそこまで馬鹿じゃない」
 ほんの少しだけホッとする。自分の戦闘力に自信をもっているグラオでさえ、侯爵級ド
ラゴンは楽勝できる相手ではないし、一歩間違えば死に至るほどの相手であるのはよく知
っている。もちろん、今の実力ならば、クロセルと協力関係を結ぶ事も不可能ではないと
思っている。
 侯爵級ドラゴンと戦うというのも、面白そうなこととは思うが、エアリアル以外のドラ
ゴンと契約を結ぶつもりなど毛頭ないので、命令か何かでない限り、そういう事はないの
だろうが。
 アーリグリフ最強の男も、反抗期真っ盛りの息子にはかなり手をやいていた。


 一行はウルザ溶岩洞に着き、そして、最悪の時を迎える事になる。
 儀式の最中は一瞬でも気を抜けば死ぬ。そして、傲慢な態度で接してはならないとあれ
ほどグラオが言ったのにも関わらず、アルベルはそれを聞かなかったのだ。
 アルベルが選んだドラゴンは、なかなかに名のあるドラゴンだった。それだけ、相手の
プライドも高い。心を通い合わせるのには、不遜すぎて、力でねじふせるには、アルベル
の力は足りなすぎたのだ。
「生意気ナ人間ヨ…。アノ世デ己ノ愚カサヲ、思イ知ルガ良イ!」
 ドラゴンの瞳が危険に薄くなった。グラオの背中が一瞬寒くなる。
「いけない!」
 エアリアルが叫ぶ。グラオは走りだしていた。
「馬鹿モンがっ!」
 必死になってアルベルを突き飛ばし、グラオの目前は赤く染まった。猛烈な熱さに、全
身が引き付けを起こす。だが、ここで倒れてはアルベルに被害が及ぶ。
 灼熱の炎の中、グラオは信じられないように目を見開くアルベルを見た。
 良かった。アルベルは無事みたいだ。
「うおおおおおおおおっっ!」
「グラオ!」
 エアリアルは大きな翼を羽ばたかせ、炎を吹き付け続けるドラゴンに体当たりした。
「ギャアアオオウ!」
「ギュワオッ!」
 相手がメスドラゴンと言うのもあったのだろうか。生意気な人間に制裁はすでに加えた
というのもあったのか。そのドラゴンはエアリアルに体当たりされ、どうにも納得いかな
そうな顔をしていたが、炎を吐くのをやめ、ぎろっとアルベルを睨みつけ、翼を広げると、
あっと言う間に飛び去ってしまった。
「グラオ様!」
「グラオ!」
 炎を全身に纏い、人型は形を形成できなくなり、ぐらりと崩れ落ちる。もうこうなって
しまってはどう手の施しようがない。
「う、…あ、うわああああああああああっっ!」
 何が起こったのか、理解できない、したくない硬直から外れ、アルベルは炭と化してい
く、父親だったモノに駆け寄ろうとした。自分の左手が燃えている事にも気づかずに。
「いけません! アルベル様!」
「だめです!」
「アルベル様!」
「離せ! 親父! 親父ぃっ!」
 半狂乱になるアルベルに、部下達が取り押さえようと群がる。エアリアルはばさっと翼
を広げると、数人の部下もろともアルベルをその足につかんで大空へと舞い上がった。
「エアリアル! 離せ!」
「う、うわあああ!」
 突然空に運ばれて、部下達も半分パニックを起こしていたのだが、それもつかの間。
 バシャアアン!
 一行はバール山脈を流れる冷たい川に落された。
「グワアアアァァ!」
 ジュワっという水が蒸発する音。アルベルの悲鳴。もう少し遅かったら、アルベルの腕
は焼け落ちていたかもしれなかった。
 ふわりと翼を羽ばたかせ、エアリアルは川岸にゆっくり降り立った。グラオの不安は的
中した。だから、エアリアルはグラオがそんな行動に出るのではないかと、密かに恐れて
いた。彼が、表面上何と言おうとも、息子を溺愛していたのをよく知っていたから。
 恐れていた事が現実になってしまった。
 エアリアルは悲しそうに頭を垂れる。
 川に落されたショックからなのか。アルベルは呆然としていた。


 グラオの遺体は間もなく回収され、葬儀がしめやかに行われた。グラオの死亡の原因と
なったアルベルはその場にはいなかった。
 いたたまれなかったわけではない。行けなかったのだ。
 左腕の火傷がひどく、精神的なショックも大きくて、熱に侵され、ベッドから少しも動
けなかったのだ。
 いつもは凛とポーカーフェイスのアルゼイも、飄々としたウォルターも、この時ばかり
は顔を曇らせていた。
「アルベルの様子は…?」
「それが…。左腕にひどい火傷を負われていて、高熱を出されて、ベッドから一歩も動け
ない状態だそうです」
「そうか…」
 重苦しいため息を吐き出しながら、アルゼイは柩を見た。神父が長々と説教を垂れてい
る。
 グラオはこの国にとって必要な人材だった。アルゼイ自身、個人的な感情も持ち合わせ
ている。グラオ死亡のニュースは、アルゼイの足元をぐらつかせるだけのものがあった。
 息子の事を語る、嬉しそうなグラオがまぶたの裏に浮かぶ。それは、つい先日の事では
なかったか。
「ふう…」
 アルゼイは人に気取られぬよう、そっと目頭を押さえた。
 グラオらしいと言えば、あまりにグラオらしい最期ではあったのだが。
 アルベルの焔の継承に対する態度が不安だ、不安だとこぼしていた。もしかしなくても、
こうなる事は、彼の予想の範疇だったかもしれない。
 そうだとしても。
「はあ…」
 アルゼイのため息は止まなかった。



                                                             to be continued..