もう、どんな言葉も届かないのだろうか。
 ノックス家に仕える執事のバーゼルは、まったく表情を動かさないアルベルを見やった。
 高熱はなんとか引き、左腕の火傷はひどい状態なものの、アルベルの命に別状はなかっ
た。
 父親が死んだ責任は、もちろん、彼にある事は彼自身が痛い程わかっている。だからこ
そ、心が壊れてしまったかのように、表情が無くなってしまったのだ。
 唇は真っ白になり、瞳に生気は感じられない。顔はいつもよりまして青白い。
 確かに、口うるさくなってしまう父親を疎んじてはいたが、決して嫌っていたわけでも、
憎んでいたわけでもない。
 むしろ、ちゃんと慕っていた事を、バーゼルはよく知っている。でなければ、好んで父
親と同じ職につこうなどと思うはずがない。
 グラオには言ってなかったが、アルベルが、アーリグリフ最強という父親の存在を、重
圧と感じていた事を薄々知っていた。まだ若いのだから、焦って父親に認めてもらおうな
どと思わなくても良いのだが、若さゆえにそれにも気づかず。
 反抗期というのもあったのだろうが、父親にまだまだと言われるたびに、気位の高さと
反骨心をチクチクと刺激して。
 こんな最悪な結果となってしまった。
「アルベル様。お薬を塗らせていただきますよ」
 彼はウンともスンとも言わない。バーゼルは無言でかしこまると、アルベルの左腕をと
って、包帯をはがしていく。
 赤黒く焼けただれた腕に、薬を丁寧に塗っていく。もう使いものにならないだろう。医
者はそんな事を言っていた。
 たとえそうだとしても、アルベルにはまだ右腕が残っているし、まったく動かないわけ
ではない。無くなってしまうよりも全然マシだ。
 ウォルターや、国王までも見舞いにきたが、アルベルはそんな状態だった。立場や性格
上、彼らの表情がひどく変わるような事はなかったが。今回の事件で、誰が一番ショック
なのかは、痛いくらいにわかった。
 言葉を重ねても空振りするだけとわかっている二人は、時間が必要だと判断して、ノッ
クス家の屋敷を立ち去った。
 アルベルがどうにか動けるようになるまで、かなりの時間がかかった。未だ左手は不自
由だが、右手は無事なのだから、生活がどうにかならないわけではない。
 幸い、金銭面に関しては、殉職として国王が国から出してくれたし、グラオ自身浪費家
というわけではなく、使い道がないままそのままにしていて溜め込んでいたのもあり、不
自由する事はなかった。
 ただ、動けるようになっても、立ち直ったわけではなく。アルベルの口数はめっきり減
り、目付きは険しくなり、すさんだ生活を送るようになった。
 アルベルは、以前はたしなむ程度だった酒を飲むようになった。盛り場に繰り出しては
騒ぎを起こすようになった。
 屋敷に帰ってこない事もあったが、それをすると、バーゼルが徹夜でアルベルを待って
いるので、さすがに帰って来るようになった。
 自分に対しての憤りを、どうぶつけていいかわからないのだろう。
 それをわかっていながらも、何もしてやれないバーゼルは口惜しかった。暴れるアルベ
ルは痛々しくて、見ているのがつらかった。
「あの小僧が町のチンピラをたたきのめしてくれるのでな。少し自警団の出番が減ってる
んじゃ。ものは考えよう。あの小僧とて、まったく役に立たぬわけではない」
「はい…」
「…まあ、小僧には、背負うものが大きすぎて、どうしていいかわからんのじゃろう。じ
ゃが、そろそろ、自分の尻は自分でぬぐう事を覚えても良い頃じゃ。時間がかかっても、
小僧自身に解決させんと、何の意味はない。わしらが気を揉んだところで、どうにかなる
わけでなし。今はただ見守っておれ…」
「そう…ですよね…」
 アルベルがいない時に、ウォルターはこの屋敷に訪れてきてそう言った。彼が自分の屋
敷に来ているという事を、直々に伝えに来たのだ。アルベルの事を思いやるバーゼルを心
配してくれていたらしい。
 アルベルがすっかり変わってしまったわけではない。自分が不眠で帰りを待っていると
知れば、きちんと帰ってくるぐらいの分別がある。もっとも、バーゼルが寝てしまうと、
出て行ってしまうようなのだが…。
 とはいえ、バーゼルの事を決して蔑ろにしているわけではないのはわかっている。
 立ち直る糸口が断たれてしまったわけではない。
 バーゼルは長期戦を覚悟した。

 相変わらず、アルベルは町で暴れていた。腕力に任せてケンカ騒ぎはいつもの事だし、
酒は当たり前。女も覚えたようで、顔の良いアルベルはたち所に人気が上がった。賭け事
に手を出さなかったのは、単に興味が無かったかららしいが。手を出してみたが、彼にと
っては面白くなかったようだ。
 動かなかった左手だが、だいぶ動かせるようになってきた。さすがに、火傷の跡ばかり
はどうしようもなかったが。
 医者に、この左手はもう駄目だと言われたのが彼の負けん気に火をつけたようで、持ち
前の根性でこの状態にまでにもってきたのだ。もっとも、動いたとしてもあまり力は入ら
ないらしい。この左手で戦うなどというのは無理だろう。
 腐れたアルベルだが、ケンカと女はこの屋敷には持ち込まなかった。
 そんなある日、酔っ払ったまま、アルベルは屋敷に戻ってきた。閉めたドアにもたれか
け、アルベルは酔いで熱くなった体をぼんやりと醒ましていた。
「…?」
 いつもなら、バーゼルが飛んできてなにくれと世話をやいてくれるものだが、今日に限
ってはそれもない。通いのメイドはこの時間には帰ってしまっているから、いるわけない
し。
 訝しげに思って、アルベルは少しおぼつかない足付きながらも、屋敷内を歩く。
「バーゼル?」
 台所に立ち寄って、室内を見回して、アルベルはギョっとした。バーゼルが倒れていた
からだ。
「ちょ、おい! どうした!? バーゼル!」
「うっ…うう…」
 急いで抱き起こし、軽くゆすると、バーゼルは小さくうめく。
「おい、どうした!?」
「あ…アルベル様でございますか…。申し訳ありません…。急に目眩がいたしまして…」
 息も荒く、苦しそうな弱々しい声を出す。
「ちっ!」
「あ、アルベル様?」
 アルベルは舌打ちすると、バーゼルを抱き上げようと抱えたが、左腕に力が入らない。
悔しそうに顔を歪めたが、今度は肩の上へとかつぎ上げた。
「あ、アルベル様! な、何をなさいます。私は大丈夫ですから」
「倒れてたくせして、何をほざいてやがる」
 弱々しい声で抗議するバーゼルを一喝する。
「アルベル様!」
 バーゼルも抵抗してもがくが、肩にかつがれてしまっては、どうすることもできない。
 本当はこんな乱暴な運び方でなく、もっとそっと運びたいのに、左腕に力が入らないた
め、それができないのだ。
 その事実に、アルベルは歯をかみしめた。
 バーゼルを寝室まで運び、ゆっくりとベッドに寝かせる。
「申し訳ありません、アルベル様。お手数をおかけして…」
「うるせえ。寝てろ」
 靴をぬがし、アルベルは毛布をバーゼルの上にそっとかける。そして、バーゼルをのぞ
き込んだ。いつもより血色が悪い。
「医者を呼ぶか? 水は? 食い物は? なんか食えるのか?」
「だ、大丈夫でございます。もう平気です。アルベル様がこうして、寝かせて下さいまし
たから」
 バーゼルが弱々しくほほ笑んでそう言うと、アルベルは一瞬口を曲げて。顔をしかめた。
「そういう事を言ってるんじゃねえ。なんか必要なものはねえかと聞いてるんだ」
 バーゼルは苦笑した。そして、少し考えて。
「……では、お水をお願いしてよろしいでしょうか」
「フン」
 鼻を鳴らすと、アルベルは寝室を後にする。それを見送って、バーゼルは目尻にしわを
寄せた。
 腐れて荒れてはいるが、彼本来の優しさは失われてはいない。
 ホッと息をついて、バーゼルは天井を眺める。まだ心臓がドキドキしている。最近、立
ち仕事がつらい。体力も落ちてきて、物忘れもひどくなってきた。
 歳は取りたくないと思いつつも、こればかりはどうしようもない。
 あまり数えないようにしてきたが、改めて、彼は自分の年齢を考えてみた。もう、とっ
くのとうに引退しているような年齢なのだ、彼は。
 妻を亡くし、親子ともども貴族に使用人として仕えて、もういいかげんトシだからと解
雇されて。息子からもいい加減に養生しろと言われたが、まだまだ現役と思いたくてグラ
オに雇ってもらい、それからずっと住み込みの執事をしている。
 急に老け込んだ気持になってしまった。
 確かに、グラオが死に、アルベルが暴れだして、ひどく疲れやすくなってしまった。
 やっぱりトシなのかなぁとぼんやり考えていると、アルベルは水差しをもってやってき
た。
「おい、飲めるか?」
「あ、ありがとうございます」
 バーゼルはゆっくり身を起こし、水の入ったコップを受け取る。それを飲むと、なんだ
かホッとしてしまった。アルベルの優しさが妙に嬉しかった。
「少し落ち着きました」
「そうか」
 アルベルの方もホッとしたらしく、気持がゆるんだ。
「お夕飯がまだでしたね。すぐにお作りします」
「いらねえ。てめえは寝てろ」
 起き上がろうとするバーゼルを押し止どめ、アルベルは顔をしかめる。
「少し休みましたから。もう大丈夫です」
「いらねえっつってんだろ。寝ろ」
「しかし」
「いらねえ!」
 とうとう怒り出してしまった。こうなってはアルベルのワガママだから、バーゼルは何
も言えなくなってしまう。
「いいな。寝てろよ。起きて勝手にメシなんぞ作り出したらぶっつぶすからな!」
 そう怒鳴りつけて、アルベルは部屋を後にする。
 バーゼルは苦笑して、ゆっくりとベッドに身を横たえる。以前から、口は悪かったのだ
が、もっと悪くなってしまったようだ。素直じゃないところもひどくなってしまった。
 それでも、バーゼルはなんだか嬉しかった。
 起きているつもりだったのだが、心労がたまっていた事もあって、バーゼルはいつの間
にか寝てしまっていた。
 ふと、部屋を包む良い匂いに気づいて目が覚めた。顔を横に向けると、ベッドの隣にあ
るサイドボードの上におかゆが置かれていたのだ。どうも、どこかで買ってきたものらし
い。
 少し身を起こしてそれを見ていると、ドアが開く音がして、アルベルが水差しを持って
入ってきた。中身を交換してきたようだ。
「食えるなら食え」
「あ、アルベル様は…?」
「俺はもう食った」
 どんと水差しをサイドボードの上に置き、睨みつけるように、バーゼルを見下ろす。別
に怒っているわけでなく、戸惑っているようなのだ。
「…ありがとうございます…。それじゃあ、いただきますね」
「フン」
 ベッドの近くにある椅子にどかっと腰掛けて、アルベルは腕と足を組む。
 どうやら、心配してくれているらしい。子供の頃からアルベルの面倒をみているバーゼ
ルにはそれがなんとなくわかった。
 素直に感情表現する事が苦手な上に、ひどい照れ屋ときているから。こんな態度になっ
てしまうのは承知している。
 興味無さそうにしていながらも、視線はちらちらとこちらに向けられている。やっぱり
気になってしょうがないらしい。
「ごちそうさまでした。美味しかったですよ」
 感謝の気持をこめ、バーゼルはおかゆの鍋から、顔をあげた。
「フン」
 とかなんとか鼻を鳴らしながら、水を注いでくれている。
 空の皿と交換に、水をもらい、バーゼルはゆっくり水を飲む。
 本当にホッとした。
「ありがとうございます、アルベル様」
「フン。ここでくたばられたら、気分がワリイ」
 そう言って、アルベルは口を曲げた。しかしすぐに、こちらをのぞき込むように見つめ
てきて、
「…で、他に何か、いるもんとか、ねえのか?」
 バーゼルは苦笑が止まらなかった。

 その日、アルベルはつきっきりで看病してくれた。バーゼルは申し訳なかったのだが、
彼は頑としてきかなくて。その結果、アルベルはベッドのそばにある椅子でいつの間にか
寝てしまっていた。
 翌朝、アルベルが椅子の上で目覚めると、自分に毛布がかけられていた。ハッとしてベ
ッドを見ると、もはやもぬけの空であった。
 洗面に部屋を出ると、掃除中のバーゼルがいた。
「おはようございます、アルベル様。アルベル様のおかげで、こんなに元気になりまして、
ございます」
 朗らかそうなバーゼルの明るい笑顔。彼のこんな表情を久しぶりに見て、アルベルは眩
しそうに目を細めた。
「おい…。無理してんじゃねえだろうな?」
「いいえ。それより、アルベル様。お顔を洗いになってきて下さい。朝食のご用意が整っ
てございます」
 バーゼルはいぶかしげに睨みつけるアルベルに、にっこりほほ笑んでみせた。

 その時は、それで済んだのだが、バーゼルはそれからたびたび調子を悪くし、アルベル
が医者に診せたところ…。
「特に異常という異常はありません。ただ…」
「ただ…、なんだよ?」
「ただ、もうかなりのお齢ですから。執事の仕事はつらいんじゃないでしょうか。ここも、
冬は冷え込みますし、やはり、寄る年波にはなかなか勝てないものですから」
「…………そう…か……」
 バーゼルがかなりの齢である事はアルベルも承知している。だから、そう言われても医
者の言葉を疑う余地などなかった。
 アルベルは、その日かなり考え込んでいた。バーゼルを解雇すれば、彼は執事の仕事か
ら解放されるのである。確かに、彼は年齢のわりに無理しすぎるところがあるのだ。彼の
息子が、心配して時々訪ねてくるのも知っている。
 年齢的なものは、医療や施術ではどうしようもない。
 そして結局。アルベルはバーゼルを解雇した。退職金と、送りの馬車までつけて。バー
ゼルは渋ったのだが、クビを言い渡されては仕方がない。その言葉の裏にある、バーゼル
を労る気持も察したから。
 バーゼルは何度も何度も振り返りながら、息子と一緒にノックス家の屋敷を後にした。
 通いのメイドがもう一人増える事となったが、住み込みの使用人はこれでいなくなって
しまった。
 メイド達が帰ってしまった後。アルベルは屋敷の中で一人。ぽつんと立っていた。

 もう、誰もいない。

 あまり大きくないと思った屋敷も、こうなると広く感じられる。複数ある部屋数も、ア
ルベルには多すぎた。
 時計の音だけが、屋敷の中に響く。
 どれだけ、突っ立っていた事か。なにか、裏の方で物音がした。
 あそこは、もうドラゴンのいないうまやしかないはずだが。
 不思議に思って、アルベルはうまやに赴く。
 そこには、大きなドラゴンが一匹、うずくまって寝ていた。
「え…?」
 アルベルはかすれた声出す。エアリアルは、主を無くし、関係を結ぶ必要もなくなり、
帰ったのではなかったのか。
「な、なんで、おまえが…ここにいるんだよ…」
 アルベルに声をかけられ、エアリアルはゆっくり身を起こす。健康に問題はないようだ
が、昔に比べて痩せたように見える。
「ここは私の好きな場所。気まぐれに立ち寄っているだけです」
「気まぐれにって…。もう親父はいねえんだ。ドラゴンのおまえが人間の住むこの街にい
る理由なんか…」
「ここは私の好きな場所なんです。どこにいようが、それは私の勝手です」
「そ、そうだけどよ…」
 もしかして、エアリアルはずっとここいにたのだろうか。父親が死んだ時点でもう山に
帰ったものだとばかり思い込んでいた。前に、ここにちらりと寄った時にもいなかったは
ずだし。それ以来、ずっとこの厩に足を踏み入れず、ここに来るのはすごく久しぶりで。
「ま、まさか、おまえ、ずっとここにいたわけじゃ…ねえよな…?」
「ええ。狩りをしに出たり、水を飲みに行ったり。ずっとここにいるわけじゃありません」
 アルベルは厩を見渡した。ワラはだいぶ腐っているし、水飲み場も、エサ置き場ももう
空っぽだった。
 エアリアルにとってここは寝起きする環境ではないはずだ。そりゃあもちろん、野生の
ドラゴンだったら、別にこんなところで寝起きするのに不自由でもないのだろうが。
「…………………」
 アルベルは顔をうつむかせた。正直、厩の中は汚かったし、臭かった。
 やがて、アルベルは顔をあげると、無言で厩の中の掃除をはじめた。父親が生きていた
頃はわりとよくやっていた作業だ。
 左手がうまく動かなくて、使いにくいが、そんな事、構わなかった。
 腐ったワラを全部出してしまうと、水をまき、床をこする。汗をぬぐいながら、もくも
くと作業を続けた。エアリアルは、そんなアルベルを静かに見守っていた。
 ウォルターのところから、ワラを貰い受けると、それをまき、水飲み場に新鮮な水を満
たす。エサ置き場には、大きくて良い肉を一つ、どすんと置く。
 エアリアルは首を延ばし、やはり無言でその肉をついばむ。
 それから、アルベルは水をもってきて、専用のたわしで、ごしごしとエアリアルの身体
をこすりはじめた。幼かったあの頃はエアリアルの足しかこすれなかったが。
 肉を食べ終わり、エアリアルは身体をこすってもらい、うっとりと目を細める。
 ごしごし、ごしごしとアルベルは無言でエアリアルの身体をこすっていた。ただひたす
らに、こすっていた。
「人間の命は短いものですね」
 身体をこすってもらいながら、黙っていたエアリアルが静かに口を開いた。
「私たちの半分も生きられない。そして、肉体的な耐性も、強度も弱い。バール山脈のど
こかでは、人間達が私たちの身体を切り刻んで実験しているとか。私たちの強さや寿命の
長さを利用したいようですね」
 静かに、淡々とエアリアルはしゃべっていた。アルベルはそれに応えず、ただもくもく
とたわしを動かしていた。
「ドラゴンの中でも長命である、クロセル様もおっしゃっていました。人間とは、かくも
弱き者だと。そんな弱い存在に手を貸す私たちを、クロセル様は蔑んでおられるのでしょ
うね」
 やはり、アルベルは何も言わずに、ひたすら手を動かす。
「私も人間がいかに弱い存在か知っています。でも、私はグラオと契約しました。どうし
てだと思いますか?」
「…………知るわけねえよ…。そんな事……」
 ほとんど聞き取れないくらいの小さな声で、アルベルはぼそぼそと言う。
「好奇心です。人間には色々なタイプがいると聞きました。もちろん、ドラゴンにも色々
なタイプがおります。私はグラオと契約する事で、人間達を観察してみようと思ったので
す」
「……………」
 アルベルの動く手が少し遅くなった。
「色々な人間がいました。それは、私の予想以上でした。そして、自分が予想していた以
上に私は人間が好きになりました。私は、グラオが好きでした」
「…………ドラゴンのおまえが……か?」
「ええ。私はグラオが好きです」
「………………」
「でなければ、ここが好きな場所にはなりません」
「ケッ…。変わったやろうだぜ…」
「そうですね。自分でもそう思います」
 ドラゴンは、そう言って目を細めた。
「ねえ、アルベル」
 エアリアルは長い首をまげて、自分の横腹をこすっているアルベルに頭を近づけた。
「あなたは自分が好きですか?」
「は?」
 突然、そんな事を聞かれて、アルベルは面食らった。自分を好きかどうか。そんな事、
考えた事がなかったからだ。とはいえ、その答えはわかりきっていたのだが。
「…フン、そんな事、どうだって良いだろうが…」
「私はグラオが好きでした。そして、あなたもグラオが好きだったのでしょう?」
「………………」
 アルベルは何も答えないで、顔をうつむかせた。
「グラオはあなたが大好きで、正直、私はあなたに嫉妬していました」
 ドラゴンはまるで読めない表情で、淡々と語っている。
「私は、グラオの命を奪ったあなたを恨んでいます」
「……そうか…よ……」
「でも、恨んだところで、グラオは帰ってきませんし。グラオもそれを望んでいるわけで
はないでしょう。グラオが一番愛したのはあなたなんですから」
「………………」
「アルベル」
 名前を呼ばれて、アルベルはうつむいたまま、動きを止める。
「グラオはあなたが大好きでした。私はそんなあなたに嫉妬しているし、恨んでいます。
でも。それでもやっぱり、私もあなたが好きですよ」
「…………………」
 エアリアルはそっと首を動かし、動かないアルベルをそっとのぞき込む。そして、静か
にアルベルの顔をなめた。アルベルの左手が力無くエアリアルの頭をなでる。
「背中がかゆいです。こすって下さい」
「……へっ…。口うるさいヤツだ…」
 鼻をすすった後、なめられた跡をぬぐって、アルベルはエアリアルによじのぼる。そし
て、背中をこすりはじめた。エアリアルは目を閉じて小さく喉を鳴らした。
 その日は、アルベルは厩で夜を過ごした。エアリアルの固い皮膚を枕がわりにドラゴン
に抱かれるようにして眠った。
 頬をなめられて、アルベルは目を覚ます。目をこすりながら、寝ぼける様は、幼い頃の
彼とあまり変わっていない。エアリアルはそんなアルベルを目を細めて見ていたが。
「おはよう、アルベル」
「ん? ん…。ああ…」
 おかしな体制で寝ていたから、ちょっと身体の節々が痛い。ごきごき鳴らしながら、伸
びをする。
「朝か…」
 窓の透き間から差し込む朝日を、アルベルは不機嫌そうな目で見る。
「アルベル。新鮮な水が飲みたいです」
「あー? ああ…。ったく…待ってろ」
 アルベルは伸びをしながら、井戸まで水を汲みに行く。そして、エアリアルはアルベル
が手にした桶から、直に水を飲んでいた。
 満足したらしく、桶から顔を離し、口元を舌でぬぐう。
「……………」
「?」
 エアリアルはしばらく、じっとアルベルを見ていたので、アルベルも不思議に思いはじ
めた頃。
「私、山に帰りますね」
「は?」
 突然、そんな事を言い出したので、おかしな声をあげてしまった。
「グラオがいない今、契約でもないのにここに私がいる事は本来おかしいのです」
 エアリアルは、それを承知の上で、しばしばここに戻ってきていたらしい。
「でも、帰る前にあなたに会っておきたくて」
「…………………」
 アルベルは今にも泣きそうな顔で、エアリアルを見つめた。
「アルベル。私はあなたが好きですよ」
 最後にもう一度だけそう言って、エアリアルは首をのばして、アルベルに頬を擦り寄せ
る。固いドラゴンの皮膚だが、アルベルは気にならなかった。
 少し名残惜しそうだったが、エアリアルはそっと首を戻し、身体を反転させると、厩の
出入り口に歩いて行く。
 外に出ると、その大きな翼を広げる。朝日が彼女の翼を照らし、白く光る。そして、そ
の翼を羽ばたかせ、エアリアルは飛び立った。
 カルサアを一回だけ旋回すると、エアリアルはばさばさと羽音をさせて、飛び去ってし
まった。
 それをぼんやり眺めていたアルベルだが、やがて屋敷へと歩きだす。そろそろ、通いの
メイドが来る頃だろう。
 朝食を食べて、それから。それから、剣の稽古を本格的に再開するつもりだ。ウォルタ
ーあたりに頼めば良い練習相手を見繕ってくれるだろう。
 まだ気持の整理がついたわけではない。この罪悪感が消えることなど一生ないだろう。
それでも、いつまでもこのままでいられないと思った。
 事の原因が自分である事はわかりきっている。すべては自分が弱く、未熟すぎたゆえだ。
 今までだって結局、父親にも、ウォルターにも、バーゼルにも、エアリアルにも助けら
れっぱなしだったではないか。
 そうだ。こんなところでくすぶってる場合ではない。もっともっと、もっともっと強く
なってやる。強くなってみせる。いや、強くならなければならないのだ。
 そのためにはまず。
 きちんと朝食をとることにしよう。
 そう思って、アルベルは屋敷のドアを開けた。

                                                                         終わり

































あとがき。
アルベルたんの昔話です。あたくしも書いてみたいなぁと思いまして。やってみました。
焔の継承の描写がやたらあっさりしているのは、アルベルが儀式にどんなドラゴンを選ん
だのかわからんかったので。他の事までも色々書いてるくせに、こんなところで遠慮して
もしょうがないのですが、なんだか気がひけてつい。
えーと、最近、それはもうこのハナシの3をUPした後なくらいに最近。ようやっとSO
3が手元に戻ってまいりました。…半年以上ないまま書いたりしてたんですが…。辞書見
直してみたら、違ってるとこぼろぼろありますねー…。なんかもー直すの面倒なんでその
ままにしてしまいますが…。変だなとか思っても見逃しておいて下さい。
で、グラオさんがどんな感じの人なのかは、想像するしかないのですが、わりと親ばかだ
ったんではないかなぁとか。アルベルの母親についてもまったくもって謎なのですが、ど
うにもアルベルが小さい頃にいなくなってる感じがするんですよね。なんか女っ気のない
性格してますし。グラオが男手一つでアルベルを育てた感がします。
アルベルがかなり武人な性格しているので、きっと親父も無骨な武人タイプだったんだろ
うとか思いまして。アルベルが父親似じゃないってのも、グラオが外見も無骨っぽいとか
思ったので。そんな設定。表記してないけど、ガッチリした体つきで、美形ではないけど
そこそこ愛嬌のある顔立ちなイメージでした。
オリジナルなキャラクター達は、できるならばあまり出したくはないのですが、執事とド
ラゴンは話の展開上外せなくて。執事の名前とか、本当は決めたくなかったのですけど。
まぁバトラーだからバ何とかでいいやとかって名前つけましたが。ドラゴンの方も適当な
んですが。疾風団長のドラゴンだから良いドラゴンだろうし、強そうなのが良いなぁとか。
執事の名前よりずっと悩んだりして。でも結局最後に名前変えちゃいました。もしかする
と変え忘れがあるかもしれませんが。
ついでに、こんなのにも答えてみました。ドウゾ。ノックス親子スキーに30の質問