短い秋も終わり、アーリグリフにとっては長い冬が到来する。トラオム山岳にはすでに
雪がちらついている。
 アーリグリフ国民にとってこの長い冬をこらえる事は大事な事で、大変な事であった。
「さみー!」
「我慢しろ。アーリグリフまでもうすぐだ」
 エアードラゴンの上で、アルベルはグラオの腕の中で縮こまる。寒い空気の中、空を飛
ぶのだから、その寒さたるや相当なものである。エアリアルは相変わらず平気そうな顔を
しているが。
「いらっしゃいませ、グラオ様!」
「ああ」
 アルベルがドラゴンの背から降りるのを手伝ってやりながら、グラオは返事をする。血
が遠いとはいえ、王族であるアルゼイの屋敷は大きい。疾風用に、ドラゴンが置いておけ
る広いうまやももちろん完備している。
「エアリアルを頼む」
「はっ」
 兵士はばっと敬礼して、エアリアルのたづなを持ってドラゴンの宿舎へと連れて行く。
この国では、下っ端の兵士より、身分の高い者の持つドラゴンの方が地位が高いので、兵
士はエアリアルに丁重な態度をとる。
「行くぞ、アルベル」
「うん…」
 連れられて行くエアリアルをみながら、アルベルは引っ張られるようにグラオの後を歩
いた。
「おお、グラオ。来たか」
 若いアルゼイは、グラオ親子の到着に、顔をほころばせた。会場は思ったよりも人が集
まっていて、アルベルはその人の多さに小さな眉をしかめ、グラオのズボンのすそにしが
みついた。
 やれやれ。
 グラオがそう思っていると、アルゼイがこちらに近づいてくる。
 グラオは慌てて頭を下げ、アルベルを自分のズボンからなんとか引っぺがす。
「アルベルか。久しぶりだな」
 名前を呼ばれて、アルベルはびっくりすると、またすぐにグラオの後ろに隠れようとし
てしまう。
「こ、こら、アルベル!」
「はははは。相変わらずだな」
 アルゼイが鷹揚に笑うと、アルベルはグラオの膝のあたりから、ちょこっと顔を出す。
アルゼイがにこっと笑いかけてやると、目を大きくして、顔を引っ込める。だが、すぐに
またひょっこり顔を出してこちらをのぞいている。
 アルゼイはおかしくなってしまった。
「すみません、アルゼイ様」
「いやいい。可愛いじゃないか。おまえにあまり似てないんだな」
 笑いをこらえるように、アルゼイは自分をのぞくように見上げているアルベルを見た。
「はあ…まあ…」
 アルベルが父親に似ていないのは誰もが認める事で、グラオの血は外見上としては、そ
のバサつく髪の毛くらいしか遺伝していないようだ。
「アルゼイ様だ。王族の方なんだから、おまえも挨拶をしろ」
 自分のひざにしがみつくアルベルを引きはがし、グラオはどうにかアルベルの頭を下げ
させる。
「こ…こんにちは…」
 今にも消え入りそうな声で、どうにか聞き取るのがやっとなくらいだ。
「ああ。よく来たな、アルベル」
 挨拶に応えてあげると、アルベルは自分を上目使いに見上げて、くりっと首をかしげた。
親父に似てなくて全然可愛い。男の子用の服を着ていなければ、女の子と間違うくらいだ。
「遅かったな、グラオ」
 しゃがれた声に振り向くと、ウォルターがこちらに歩いて来る。風雷の団長を勤める男
でアーリグリフにしては珍しく、実力だけでのし上がってきた男だ。その戦闘力もさるこ
とながら、頭も切れ、上の方としては重宝しつつも警戒されている。
「あ、くそじじー」
「なんじゃ、小僧まで連れてきておったのか」
 こ憎たらしい事を言われながらも、ウォルターは目を細めてアルベルを見た。激しく人
見知りのするアルベルが、まったく怖がりもせず、むしろ笑顔で言っているのだから、ウ
ォルターには心を許しているのだ。だから、言葉は汚くても、ウォルターは彼のこと可愛
がっていた。
「アルゼイ様の仰せでな。仕方なく…」
「何を言っておるか。本当は可愛い息子を見せびらかしたいのではないか?」
「な、なにを言う…」
「確かに、アルベルはおまえに似ずにえらく可愛いな」
 これで愛想をふりまくような愛らしい仕草でも見せれば、あっと言う間に人気者になれ
るであろう。えらく人見知りをするので、そういう事はできなさそうだが。
 しばらく、3人で談笑していると、ずぼんのすそをくいくいと引っ張られる。見下ろす
とアルベルはなにやら真剣な眼差しで、机の上にあるごちそうを指さした。
 どうやら食べたいらしい。
「父さんはちょっとここで話しているから。そこにいるメイドに手伝ってもらって食べる
と良い」
「うん!」
 ごちそうを目の前にして嬉しいのか、アルベルはにこっと笑うと、ごちそうの方へ駆け
出して行く。
 しばらくその背中を見送っていた3人だが、やがてまた、話に戻る。
「で、どれくらいの期間になりそうなんですか?」
「それが、はっきりしないのだ。…まあ、そんな事だろうと思っていたがな…」
 まだまだ若いのに、アルゼイはうとまれている。年長者として、グラオはどうにもそれ
に寂しさを覚える。この若者が国のために要職についてくれれば、この国もきっと変わる
のではないか。そう思ったのも一度ではない。
 パーティは滞りなく終わり、グラオはアルベルを連れて城下町へ出た。酒が入って気を
良くしたグラオが、アルベルにおもちゃを買ってやろうと言い出したのだ。
 寒いのが嫌いなアルベルだが、おもちゃを買ってくれるとなれば話は別で、グラオの手
をぎゅっとつかんで、雪がちらつくアーリグリフをきょろきょろしながらついてくる。
「ええっ〜と、どのへんに良いのが売っていたっけな…」
 酒の入った頭で、グラオはほろ酔い加減で城下町を歩く。
 まだ陽は落ちていないのだが、雪雲のせいであたりは薄暗く、町並みは雪で埋もれ、慣
れている人間でないと右も左もわからなくなるような町だ。
 そんな所をほろ酔いでいい加減に歩いていたせいか、変なところに入り込んでしまった
ようだ。掘っ建て小屋が立ち並ぶ貧民街に来てしまったのだ。
「あれ…。道を…間違えたな…」
 どう見ても道具など売っていそうにない光景に、グラオは頭をかく。少し酔いも醒めて
きたようだ。
 ふと、道端の壁に寄り合うようにしてうずくまっている親子がいた。子供はアルベルと
同じくらいか、それより少し下か。母親と寄り添って暖をとっているかに見えた。
 しかし、どうにも様子がおかしい。ちらつく雪を降り注がれるままにして、ぴくりとも
動かない。
 アルベルは眉をしかめ、そろそろとその親子に近寄ってみる。
 母親のいない子供だから、やはり母親が恋しくなる時もあるのだろうか。グラオがぼん
やりとそんな事を考えていると、アルベルはその小さな男の子を指でちょいとつついてみ
た。そこで、その親子の様子がやっとおかしい事に気づいた時。
 がざっ!
 幼い男の子はくずれるようにして倒れた。
 アルベルはひきつるような顔を見せて、グラオのところにすっ飛んできた。
 親子で凍死していたのだ。
「う、動かない…。こ、凍ってるの…?」
 寒さだけではないのだろう。アルベルは歯をがちがち言わせ、震える声を出す。グラオ
の酔いはすっかり醒めてしまった。
 ようく見ると、親子で薄着しか身につけておらず、それではこの寒さに耐えきれなかっ
たのだろう。昨夜はえらく冷え込んだと聞いたし。
 さっきまでのパーティー会場とは一転したこの光景。グラオは心の中にまでも雪が入り
込んできたような気がした。
 自分にしがみつくアルベルの頭をそっとなでる。そして、グラオは低い声で言った。
「アルベル。よく見るんだ。これが、この国の現実だ。さっきみたいにごちそうが食べら
れるところもあれば、こうやって貧しくて寒くて死んでいく人もいる」
「…………こわい…」
「今は…わからなくても良い。いずれ、これがどういう意味か知るようになるだろう。だ
から、アルベル。よく見ておけ」
 父親の大きな手を感じながら、幼いアルベルはその目を見開いて、その光景を見ていた。
白い肌。灰色のまつげと唇。二度と開けらる事のない瞳。降り積もる雪。寄り添うように
動かない親子。それが、この国の現実なのだと云う。
「寒かったのかな」
「寒かったのさ」
「おなか、へってたのかな…」
「へってたんだろうな」
「…………」
 ズボンにしがみつく力が強くなる。何がどういう意味なのか、アルベルにはよくわから
なかったのだが、なにか怖いものを見てしまった気がした。しかし、大事な意味を持つと
いうことは、なんとはなくだが、わかった。


 アルゼイがシランドに留学してから、どれくらいの月日が流れたか。現国王の病状が芳
しくなく、王家は次期国王の座を巡る策略が真っ昼間から横行するようになった。
「聞いたぞ、グラオ。今度、疾風の団長になるそうだな」
 ウォルターの屋敷で、グラオは彼と酒を酌み交わしていた。アーリグリフ軍部の中で、
実力のみではい上がってきた二人だから、歳こそ違えど、気が合うのだ。
「これを棚ぼたと言うべきか、そうでもないのか」
 グラオはあきれた様子で、ぐいっと酒を飲み干す。外はしんしんと雪が降り積もる。カ
ルサアもアーリグリフ程ではないが冬ともなれば、やはり寒いし、雪も降る。
「疾風団長は国王との縁も近かったからな。風邪をこじらせたと聞くが…。まあ、風邪を
こじらせたんじゃろうな…」
「……………」
 ウォルターの何か含むような言い方に、グラオは無言でグラスに酒を注ぐ。寒い地方の
特色か、アルコール度の強い酒と、酒のつまみが食卓の上に並べられている。反対にウォ
ルターはそれほど酒をたしなまないらしく、チーズやゆで卵などの軽食が並べられていた。
「王家ってのも大変だな。こうやって好きなように食べ物を飲み食いできないらしい」
「まったくじゃな」
 呆れ果てたように、ウォルターは鼻息を出す。正直、呆れ果てているのだ。
「このままだと、次期国王はヘンリー卿か、もしくは…アルゼイ殿になるか…」
 ウォルターのしゃがれた声に、グラオはあの利発な若者の顔を思い浮かべる。
「アルゼイ様か…。今はシランドに留学中だが、ヘンリー卿が不慮の事故に見舞われた場
合は、呼び戻されるのか?」
「そりゃそうじゃろう。もはや王家を継げるのはその二人じゃ」
「ほう…じゃあ、アルゼイ様が次期国王になる事も…」
「今では、まったく有り得ぬという話ではなくなってきた。…しかし、そうなると、なん
だか面白い事になりそうじゃのう」
 飄々とした様子で、ウォルターは切ったゆで卵を口に入れる。
「しかしまあ、今のところは次期国王はヘンリー卿じゃろうな。確かに有り得ぬ話ではな
いが、ちょっとな…」
 重職連中は、ヘンリー卿にせよ、アルゼイにせよ、年端もいかぬ若造としか見ていない。
どちらも思いのままに操れると思っているのだろう。これ以上小賢しい真似をする必要は
ないと判断するはずだ。
「それもそうだな」
 グラオの方も面白いとは思うものの、そう思うようにコトが進むとは思っていなかった。

 だが。

「ヘンリー卿が事故死!?」
 自宅でアルベルに稽古をつけていた時。疾風の部下が文字通り飛んできて、かの貴族の
事故死を伝えた。まったくもって皮肉なことだが、次期国王として城に登城する最中での
出来事だったそうだ。
「本当なのか!?」
「ええ。馬車が脱輪しまして。部下もろともヘンリー卿が外に投げ出されたそうです。他
は全員軽症で済んだのですが、運悪くヘンリー卿の打ち所が悪くて…」
 どうやら、誰かの策略も関係無しに、本当に運悪く事故死してしまったようだ。
 人生とはわからんものだ。
 この時ほど、グラオがそう思った事はない。
 国王の葬式、国葬も終わり、アーリグリフで国務をこなし、やれやれと自宅に帰ってき
たところに息子が稽古をつけろと言ってきて、それに付き合ってる最中にこの報告。
「また葬式か」
「ええまあ。そうなりますけど…。しかし、この国はどうなるのでしょうか? ヘンリー
卿が亡くなってしまった今、もうどなたもこの国に国王を継ぐ方がいなくなってしまわれ
ます」
 兵士の不安そうな顔を見ながら、グラオはアルゼイの顔を思い浮かべていた。
「確かにこの国にはいないがな。隣国にいるだろう」
「え?」
 兵士はグラオの言っている事がよくわからない、というような顔をして首をかしげた。

 そして、急遽アルゼイがシーハーツから呼び戻された。

「まさか、こういうカタチでこの国に戻ってくる事になるとはな」
 皮肉な笑みしか浮かんでこない。アルゼイは城の塔から、この国全体を見回した。この
国の重職連中は、自分の事を右も左もわからぬ若造としか見ていない。きっと思いのまま
に操れると思っているのだろう。ヘンリー卿が亡くなり、そのおはちがアルゼイにまわっ
てきた時も、さほどの混乱もなかったという事は、彼らからにしてみれば、国王になるの
はどちらでも良かったという事なのだろう。
 戴冠式を控え、アルゼイはグラオとウォルターの二人を呼び出した。政治的にはともか
く、この二人は軍事的な地位は非常に高い。
「グラオ・ノックス。馳せ参じました」
 ウォルターより遅れる事数分。グラオはかしこまって王の私室に入ってきた。次期国王
はアルゼイに決まりきっているので、もはや彼の私室である。
「よく来た。久しぶりだな」
「………」
 窓を眺め、背を向けていたアルゼイがこちらを向いた。一瞬、グラオは数年前まで稽古
をつけていた、あのアルゼイなのかどうか重ならなかったのだが。
「ご立派になられましたな」
「ありがとう」
 ふっと鼻で笑って、アルゼイは少し顔をうつむかせる。肩身の狭い思いのするシランド
留学であったが、彼にとって実りは非常に大きかった。むしろ、もっと滞在して、勉強し
たいくらいだった。書物の多さもアーリグリフと比べて桁違いだったし。しかし、こうな
ってしまってはそうも言ってられない。
 ウォルターはすでにソファに座って、アルゼイの次ぎの言葉を待った。
「お前達も知っての通り、明日には俺の戴冠式だ。つまり、明日から、この俺がこの国の
国王というわけだ」
「そうなりますな」
 ウォルターは軽く相槌をうつ。アルゼイが何を言い出すか、おそらくわかっているのだ
ろう。
「俺は見ての通り若造だからな。おまけにシランドに厄介払い留学もさせられている。右
も左もわからぬ坊ちゃんだろう」
「フム」
「重職連中はそう思って、俺に数々の助言をしてくるのだろうな」
「そうでしょうな」
「だが、俺は俺のやり方を貫きたい。正直なところ、助言はあまりいらないのだ。かとい
って、いくら国王とはいえ、たった一人では正直厳しい」
「そうですな」
「そこでだ。ウォルター。グラオ。お前達には俺のサポートを徹底的に頼みたい」
 二人は無言でアルゼイを見た。
「幸い、この国の軍人の発言権は強い。お前達二人が協力的になってくれれば、貴族議員
の連中も黙らせられる。俺は…今の重職や議員の連中の半分以上はクビにするつもりだ」
「ほう…」
「もちろん。軍部の連中のほとんどの首をはねる事にもなるだろう。軍部の方もわけのわ
からない肩書が多すぎる」
「否定しませんな」
 ウォルターは目を閉じて、首をゆっくり降る。上からの口添えで、なんだかよくわから
ない役職の軍人が、疾風や風雷の中にいる。そいつらの給料がまたなかなかときているの
だから、なんとも。
「抵抗は当然強いだろう。今までの価値観を引っ繰り返す事にもなるかもしれない。だが、
それでも俺は俺のすべき事を強行するつもりだ。…ウォルター。グラオ。頼む」
 アルゼイは頭を下げた。
「いけませんな、陛下。国王は目下のものに頭を下げるものではありませんぞ」
「確かに俺は戴冠式の後には国王になる。だが、今は国王ではない」
 ウォルターはふっと鼻で笑った。
「そうでしたな…。わかりました。出来る限りの協力をしましょうかの」
「俺も、協力しましょう。なかなか面白そうな事になりそうだ」
「恩にきる」
 アルゼイは顔をあげ、真っすぐ二人を見据えた。



                                                             to be continued..