不機嫌そうな顔を隠しもせずにむっつり黙り込むアルベルと、やはりあんまり面白くな
さそうな表情のネルの二人を目前として、ロザリアと侍女は何度目かわからないくらいに
顔を見合わせる。
 二人は黙り込んだかと思うと、ちょっとした事でいちいち口げんかをはじめて。結局は
アルベルがネルに殴られて終わりを告げる。
「ったくもう!」
 そろそろ馬車の壁に穴が開くのではないかとかいうほど、アルベルの頭が馬車の壁に激
突させられて。
 ネルは怒った顔で腕を組む。
「…あなたたち、あの旅の最中もそんなだったの?」
「え?」
 何度目かわからぬケンカが終わり、不意にロザリアが口を開く。ネルとアルベルがフェ
イト達に同行して、なにやら平和を勝ち取ってきたのはみんな知っている事だ。
「そんなだったって…」
「いや…。そんな調子だったら、同行していたフェイトさん達も大変そうだなと…」
 いちいちどうでも良い事でこんなケンカを目の前で繰り広げられていたとなると、かな
りうるさかったんじゃないだろうか。
「どういう意味だい?」
「いや…。その…怖いよ? ネル…」
 顔が近づくほどまでに凄まれて睨まれて。ロザリアはたじろぐ。
「フェイトは甘いからね。こんな男でも許して同行させちまうようなヤツだよ。寄り道も
多くてさ。こっちが大変だったよ」
 車内の座椅子にどさっと背中を落ち着けて。ネルは腕を組んでそんな事を言う。なんだ
か文句の論点がよくわからないのだが。ネルの様子を見て、ロザリアは少しだけ眉を跳ね
上げた。
「もういらっしゃらないのかしら?」
「…………だろうね」
 ネルの瞳に陰りが落ちる。ロザリアはそんなネルを見つめていた。アルベルは窓の外を
望むようにしていたけれど、横目でネルを見ていて。
「フン。うるさいのがいなくなってせいせいしてるんじゃねえか?」
「なんだって?」
「いちいち口出されてうざがってそうだと思ってな」
「フェイトだって、あんたみたいな低能がいなくなってホッとしてそうだねぇ」
「足手まといよかマシだろうが」
「誰が!」
 思わず声を荒げるネルだが、アルベルは相変わらずスカしたような態度をとっている。
「ん? そこで今怒鳴ったヤツだがな」
 ネルの表情はどちらかというと、無表情であったのだが、目はとことん座っていたし、
こめかにあたりの血管がどんどん浮き上がってきている。
 また、ネルのパンチが飛ぶと思っていた。実際、彼女が拳をうならせてアルベルに当た
る瞬間。
 ぱしっ!
 随分軽い音がして、アルベルが彼女の拳を避けて受け止めた。ロザリアと侍女が、ネル
さえも驚いた瞬間。
 アルベルは油断ない瞳で、ネルの手首をゆっくり離して、すぐ側にあった魔剣に手を延
ばした。
 その時になってようやくネルも不穏な空気に気づいて、慌てて馬車の外に向かって視線
を走らせた。
「20人…、21人か…?」
「20人。モンスターが2匹」
「え!?」
 アルベルの言葉を、ネルが微妙に訂正する。
 そろそろペターニ近いからと大丈夫かと思っていたが。イリスの野に生える雑木林を通
る道は、辻強盗にはわりと格好の場所でもある。警備団などが巡回しているものの、運が
悪ければ出くわすものだ。
 しかしこの場合、運が悪いのはこの馬車を狙っている者達の方であったろう。
「おい! 馬車を止めろ」
「えっ!?」
 御者の方は、まだこの馬車を取り囲もうとしている空気に気づいてないらしい。突然の
命令に戸惑いの声をあげて、慌てて手綱を引く。
 いきなり止まるように命令されたルム達の方も驚いたようだが、よく訓練されたルムな
ので、おとなしく立ち止まる。
「ど、どうしたんですか?」
「おとなしくしてろ。てめえは反対側だ」
 ロザリアに一言だけそう言うと、今度はネルにそう言い付けて、アルベルは馬車を降り
る。
「ア、アルベル殿?」
「ロザリア。身を乗り出すんじゃない」
 思わず窓からのぞき込もうとするロザリアを力づくで引き戻し、座席に押し付ける。
「私も戦いますか?」
 侍女が油断ならない瞳でネルを見た。どうやら戦闘の訓練を受けた侍女らしく、なかな
かスキのない瞳をしていた。アーリグリフ王が本気で少数精鋭を、王妃のためにつけてく
れた事をいまさら察して。ネルは静かに首を振る。
「いや、あんたはここでロザリアの護衛を頼むよ」
「わかりました」
「いいかい? 動じるんじゃないよ。まあ、たいした事のない連中だからすぐに片付くだ
ろうけど。窓から顔を出さない事。何があっても飛び出さない事。良いね?」
 ネルはロザリアと侍女のそれぞれに顔を向けて念を押してそう言うと、アルベルが出た
反対側の扉を開いて外に出る。ちょうど、アルベルが御者になにか命令し終えたようだっ
た。おそらく、この御者も腕に覚えがあるのだろう。慌てふためく様子もない。
「どうするんだい? あんたの手筈とやらは?」
 顔は見えないが、馬車の反対側にいるアルベルにネルは話しかける。
「馬車に手を出させねえで叩き潰す」
「それって作戦って言うのかい?」
「そんなものが必要な相手か?」
 アルベルの返ってきた言葉に、ネルは軽く肩をすくめた。そして息を吸い込むと施術の
呪文を唱え始めた。
「アイスニードル!」
 ネルの言葉と共に、氷のツブテが木々の透き間を飛んで行き。
「ギャア!」
 悲鳴が雑木林の合間から聞こえ、なにか倒れる音がした。それを皮切りに、盗賊たちが
次々と襲いかかってきたのだ。
 弓矢やら、短剣やら、手斧やら。各々武器を手にいっせいに馬車に向かっての攻撃が開
始された。
 ロザリアは心配そうに馬車の外の気配を伺った。窓のカーテンも閉めているので、見る
事はできないが、激しい乱闘が繰り広げられているのはわかった。隣の侍女はいつの間に
取り出したのか一振りの剣を手に、緊張の面持ちをしていた。
 数々の怒号、刃物のかちあう音、叫び声やあまり聞きたくない、なにやら鈍い音。
 長い時間にも思えたが、実はそれほど長時間というわけでもなく。
「おい」
 馬車の扉が開かれて、アルベルの無愛想な顔がぬっと表われる。思わずドッキリして跳
ね上がったロザリアだが、すぐに胸をなでおろした。
「馬車を出すぞ。長居は無用だ」
 アルベルの方はほんの少し返り血を浴びているくらいであったが、魔剣に滴る血が生々
しくて、ロザリアは思わず血の気が引いた。
「ふう」
 反対側の扉が開き、ネルがため息をつきながら乗り込んできた。
「だ、大丈夫?」
「え? ああ。大丈夫だよ。心配ないから」
 不安そうなロザリアを怯えさせてはならないと、ネルは微笑んで見せる。
 一瞬、ちらっとだけ見えたのだが、外の様子はかなり惨憺としているのだろう。見たい
ような、見たくないような。ロザリアがそんな事を考えているうちに馬車はまた走りだし
た。
「王妃様の馬車と知ってて襲ったんでしょうか?」
 また、いつの間にか剣をしまった侍女が、少し眉をしかめてそう尋ねてきた。
「それはないだろう。ただの強盗だよ。王妃だと知っているなら、こんな雑魚で襲ってな
んか来ないよ」
 ネルは首を振って侍女の言葉を否定する。
「そうですか」
「ああ。王妃ともなれば、それなりの護衛がつくものさ。あっちも相応の覚悟でなきゃ返
り討ちにあうからね」
 そして、実際に強盗達は見事に返り討ちにあったわけだが。
「糞虫にも程があるな」
「ともかく。あんたに何もなくて良かったよ」
 アルベルの様子から見ると、本当に雑魚だったようだ。ネルはまだ顔が青いロザリアを
安心させようと顔に笑みを浮かべる。
「あ、安心して良い…んだよね?」
「ああ」
 友人を元気づけようと、ネルは穏やかに微笑む。それを見て、ようやっとロザリアの方
も生きた心地がしてきた。
 戦闘経験など皆無に等しいロザリアが、こんな事慣れているわけがない。それでも、気
丈に取り乱しもせずにいたが。
 ロザリアはほうっと息を吐き出した。そして、ネルに応えて彼女も微笑んで見せた。


 そんな事もあったが、あとは滞りもなく、無事にペターニに着いた。別に急ぐ旅でもな
いし、先の一件の事からロザリアを落ち着かせたいとのネルの意向もあり、まだ早かった
がここで一泊する事になった。
 王妃の護衛がアルベルの仕事だが、ネルがいるなら彼女に任せた方が良い。なにより、
ロザリアの方も、彼女の護衛の方が心安いだろう。
 ネルに王妃の護衛を任せて、アルベルは、昼はペターニをうろつき、夜はあてがわれた
部屋でくつろいでいた。
 アルベルがベッドで寝転んでいると、不意に扉がノックされる。
 ルームサービスを頼んだ覚えはないなと不審がりながらも、アルベルは声をあげた。
「何だ?」
「ロザリアです。入れてくれませんか?」
 意外と言えばあまりに意外な人物の訪問に、アルベルは思わず眉をしかめた。
 いくらアルベルでも、自国の王妃である事には変わりはない。そう無下にするわけにも
いかないので、小さく舌打ちしながらアルベルは扉を開ける。
「何だ?」
「ちょっと…失礼してよろしいでしょうか?」
 手に何か持っているロザリアが、意味ありげな視線をアルベルに送る。断る理由もない
ので、アルベルは無言のまま、扉を開いた。
「失礼します」
 軽く会釈して、ロザリアはアルベルの個室に入ってくる。
「何の用だ?」
 あくまでアルベルはそっけないし、無愛想だ。しかしロザリアはだいぶ気にならなくな
ってきた。
 今回の旅で、アルベルの人となりが多少なりともわかってきたからだ。
 こんな夜も遅い時間に、王妃ともあろう者が臣下である若い男の部屋に一人で入って来
るなど、非常識も良いところなのだが。
「部屋は私のものと変わりありませんね」
 入った部屋をぐるりと見渡す。一応お忍びの旅である。かなり良い部屋をとってはいる
が、そうそう派手な事をできるわけでもない。
「俺の部屋の感想を言うために来たのか?」
 目を半開きにして、半分睨みつけるような目でロザリアを見るアルベル。
「もちろん、違いますけど。………アルベル殿は、最初は随分無口な方とお見受けしまし
た」
「?」
 向き直って、いきなりこんな事を言うロザリア。彼女の真意を計り兼ねて、さすがのア
ルベルもわずかに困惑顔をする。
「けれど………」
 急に、ロザリアの顔が笑いをこらえるような表情になり、アルベルはますます怪訝そう
な顔をする。
「貴殿は、ネルと一緒にいると、随分口が回るようですね?」
「!」
 ほんの一瞬だけ、アルベルがギョッとした顔をする。そのわずかな変化をロザリアは見
逃さなかった。やっぱり! とでも言いたそうにロザリアの顔が輝く。しまったと思った
がもう遅い。
「私も16年近く想い人のいる方を片思いしてきた身。片思いする気持ちなら、誰よりも、
誰よりも知っています」
「何が言いてえ?」
 引きつるような怖い顔ですごんで見せるが、もう通じない。
「私、ネルとは付き合いが古いですから。まー、自分の事でさえ鈍感な娘ですからねー、
あの娘。あれは、自分の気持ちに気づいてないですねー」
 頬に手をやって、ロザリアは困ったようにため息をついて見せる。普段が普段なので、
アルベルはそう表情を変えたりしないのだが。脈でも計られたら大変なくらいに動悸が激
しかった。
「余計に大変だと思いますけど」
「何の話をしてるんだ」
 激しく睨みつけるが、ロザリアは相変わらずの笑顔を浮かべていて。
「そう思って激励の品をお渡しようかと思いまして」
 そう言って、ロザリアは手にしていた箱をアルベルにつきつけた。
 細い木箱で、焼き印が押されている。箱の形状から、瓶ものが入っているなと察せられ
るが、焼き印を見れば、酒だとすぐにわかった。
「…酒か?」
 思わずその木箱を受け取って、アルベルはしげしげとそれを見る。
「シランドではあまり酒造が盛んでなくて、あまり良いお酒はないんですけど。さすがに
ペターニは違います。この街で一番の銘酒を買ってきました」
 一番の銘酒と聞いて、一瞬伝説のロマネコンチかと思ったが。さすがに違うようだった。
しかし、あれの値段はもはや理不尽に近い。良い酒は良い酒なのだろうが、あそこまでい
くと酒というものは、何であるのかとか、違う方に論点がいきそうな気がする。
 ロマネコンチはともかくとして、焼き印が本物ならば、相当の銘酒だ。
「正直、お酒の事はよくわからなくて。酒屋で相談して買ったものです。相当の銘酒と聞
きましたけど」
「本物ならな」
 ドメイヌ・サンタ・デュックと書かれた焼き印は、酒にくわしい者なら聞いた事がある
はずのものだ。
「もし、偽物でしたら、申し訳ないのですが、どうにも疎いものですので。ともかく、今
回の護衛のお礼の品です。受け取ってくれると嬉しいのですが」
「頭でも狂ったか? 王妃が夜更けに臣下の男の部屋に訪ねてきて、酒を手渡すなど、正
気の沙汰じゃねえぞ」
 本当に王妃に対する口の聞き方ではないのだが。ここまでくると、お互いの非常識さが
滑稽でさえある。
「そうですね。その通りでしょう。でも、私にできる事はこれくらいなんです。ネルもあ
なたも、放っておいたら平気で独身を通しそうですし」
「だから何が言いてえんだ」
「アーリグリフに友達が増えたら嬉しいかなって」
 素のままの娘に戻って、ロザリアは手を組み合わせてほほ笑んで見せて。思わずアルベ
ルは絶句した。
「別にアーリグリフに不満があるわけじゃないんですけど。アルゼイ様以外に知り合いで
すらいない状態で。もちろん、それも覚悟の上の事ですから。構わないのは構わないので
す。友達を増やす努力だって怠るつもりはありません。けれど、ネルみたいに親しい友人
を引っ張り込めるチャンスがあるなら、トライしてみて損はないかなと」
 アルベルは開いた口がふさがらないまま、呆然と王妃を凝視した。
「まぁ、本当のところ、このお酒はあなたの部屋に訪れる口実に過ぎないのですけれど。
何がお好きなのかもわかりませんでしたし、ネルに尋ねるわけにもいかなくて。アーリグ
リフの方は、お酒をお気に召す方が多いと云いますから。このお酒が、今回の護衛のお礼
という気持ちである事には変わりありません。どうぞ受け取って下さい」
 どうやら本気で言っているようだ。ここまでくると呆れてしまう。しかし、やっている
事と言っている事の凄さにはさすがのアルベルも頭がくらくらしてくる。
 確かに、アーリグリフ人の酒好きは周知の通りだが、だからといって、このような状況
で酒を差し入れるなど、襲って下さいと言っているようなものである。だが、当のロザリ
アにはそんな考えなどまるでない事は、今までの話からでもわかるのだが…。
 ロザリアはアルベルの反応を伺って、黙って彼を見つめていた。
 アルベルはしばらく無言で、少し考える。そしてため息を吐き出した。隠したところで
もうバレているし、うろたえる所を見せるのは嫌だった。
「おまえはあいつを不幸にするだけとは思わねえのか?」
 アルベルの出した言葉に、ロザリアは驚いた顔をした。そして、しばし逡巡する。
「あなたは自分をそういう人間だと思っているのですか?」
「フン」
 あまり取り合いたくないようで、アルベルは鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「そこまでご自分を卑下しなくても良いように思いますけど。本当にそういう人なら、ア
ルゼイ様が気に入るわけないわ」
 アルゼイの事となると、ロザリアの顔付きが変わる。一瞬でうっとりとした顔付きにな
って彼女は嬉しそうに少し身をひるがえす。
 この女が国王に惚れこんでいるのは知ってはいたが。今までの話題をともかくとして、
思わず呆れてしまう。
「確かに側近の方々はあまりあなたをよく思ってないようですけど」
 だがすぐにこちらに体の向きを戻す。ロザリアはアルベルを少しのぞき込んだ。その理
由のほとんどが王に対する礼儀がなってないというだけで、アルベルがやっている仕事内
容や業績などではない。
「正直、いくらアルゼイ様のご判断でも、あなたの事がよくわからなくて戸惑っていまし
た。けれど、今回の事で、少しあなたの事がわかったような気がします。アルベル殿。あ
なたはネルを不幸にしてしまうと危惧しておられるようですけど、それは、やってみなけ
ればわからないとは思わないのですか?」
「思わねえよ」
 すぐさまロザリアの言葉を否定する。やってみようとすら思わないのだろうかと、ロザ
リアはアルベルを少し、のぞきこんだ。
「しかし、アルベル殿。その言葉ですけど…、それは本当に彼女の事を想っていなければ
出ない言葉ですよ? そんな方が、彼女をそう簡単に不幸にするとは思えませんが」
「……………」
 墓穴を掘ったかと、アルベルは苦り切った顔をする。こんな話はもう終わりにしたいが、
どうして良いものやらわからない。
 深いため息をついて、眉間にシワを寄せたまま、アルベルは少し考える。ロザリアは彼
の言葉を待った。
「あのな。惚れてもねえ男につきまとわれて、誰が嬉しい? 第一、あっちはこっちの事
を嫌ってんだぞ」
「でも、不幸になってしまうと決まったわけではないでしょう?」
 アルベルはまた深いため息をついた。どうして自分は王妃とこんな話をしているのだろ
うか。
「ネルの幸せが何であるかは、ネルでしかわかりません。私にも、そしてあなたにもわか
らない事です。でも、そうなる事で、少なくともあなたは、幸せになるのではないのです
か?」
 意外すぎるロザリアの言葉に、さすがのアルベルもどう言って良いかわからなくなって
しまって。ただただ呆然と彼女を見つめるだけだった。
「幸せの尺度なんて、人それぞれなんでしょうけど。一緒にいる人が幸せだと、結構伝達
するものだと思います。むしろ、それこそが幸福につながるのではと思います。あなたが
幸せであるなら、それは、一緒にいる人にとって決して悪い事ではないはずです。少なく
とも、私はそれを信じています」
 やはり黙ったままのアルベルだったが。呆れているというか、絶句しているというか。
ともかくこんな事を言ってきたのはロザリアが初めてなので、どう言ったものかよくわか
らないのだ。
「……てめえ、それ、本気で言ってるのか?」
「ええ。本気です」
 睨みつけるアルベルに対し、ロザリアの顔は穏やかであったが目は真剣だった。
「そんな一方的なもんがか?」
「そう考える時点で、すでにあなたは一方的ではありません」
 アルベルはもう何度目かわからないため息を吐き出した。
「まるで説教だな」
「私、元は神官ですから。説教はいつもの事です」
 ふっとロザリアの顔がほころんで、アルベルの方は口をつぐませた。そして、やっぱり
深いため息をつきながら、少し疲れた目でロザリアを見下ろした。
「もういい加減にしてくれ。元はと言えば、てめえのエゴだろうが。どうしてそれに俺が
付き合わなきゃならん」
「……そうですね…。ごめんなさい。…確かに私のエゴにあなたが付き合う必要はありま
せん。…ただ、あなたはいつも城ではつまらなそうでした。他の人とこれといった交流も
せずに、私はあなたの笑った顔を見た事がありませんでした。…でも、ネルといる時のあ
なたは随分と楽しそうに見受けられました。あんなに喋る方だとも思いませんでしたし」
「………………」
 これを聞いたアルベルは激しく自己嫌悪に陥り、思わず手を自分の目に当てて、言葉も
無く立ち尽くす。
「あ…、あの…? アルベル殿?」
 どうやら落ち込んでいるらしいアルベルを、ロザリアはちょっと覗き込む。
「一体、てめえは俺に何の恨みがあるんだ? 俺がてめえに何かしたか?」
「いや…別に恨んでいるわけでは…ないんですけど…」
 アルベルとしては、いじくってほしくない所なのに、ロザリアは彼の事をよく知らない
せいか、むしろ好意的につっつき回すというタチの悪さだ。
「クソが…。利用するものは何でも利用するんだな。そういや、王妃に成り上がった手段
も選ばなかったようだが?」
 剣呑げな瞳で睨みつけながら、吐き捨てるようにアルベルが言う。彼女はアルベルの雰
囲気に少し気圧されていたが、やがてふっと肩の力を抜いて息を吐き出した。
「…自覚しています。確かに、私がアルゼイ様に嫁入りした手段は、褒められたものでは
ありませんでした。伯母の地位を、自分の地位を、アルゼイ様の不幸を、情勢を。国家間
の戦争でさえ、私にとってはチャンスだったのです。それを利用して私はあなたの国の王
妃になりました。…他人を蹴り落としてまで手に入れたいとまでは思わなかったけど、チ
ャンスがあるなら逃したくなかった。思えば随分と大掛かりで被害が大きくて。結局は、
たくさんの不幸の上に私の幸福があります。事情を知らない人は政略結婚と呼ぶでしょう。
けれど、本当のところは策略結婚も良いとこです」
「……………」
 皮肉のつもりで言ったのに、彼女はそれを肯定的に受け止めてしまった。
「それでも。私はあの方が欲しかった。他人にどう思われようが構っていられる心境では
ありませんでしたし。私は、どうしようもないくらいにアルゼイ様が大好きです。アルゼ
イ様の心にずっとエレナ様がいようとも、それは変わりありません。苦しくないと言った
らウソになるけど、それくらいでくじけていられません」
 真っすぐアルベルを見つめ、ロザリアはきっぱり言い切った。
「なにより、これ以上のぞむのは贅沢と言うものでしょう。手段を選ばなかったとはいえ、
あくまで目の前にあるチャンスを利用したとも言います。結果的には、私たちの結婚はみ
なの内心がどうであれ、めでたい事と捉えられる事になりました。過程がどうあれ、一応
は丸く納まったと判断して良いでしょう?」
「ま…まあ…な…」
 同意を求められて、思わず頷いてしまうアルベル。確かに、過程はどうあれ、彼らの結
婚は両国間にとって悪い事ではなかった。建前だけで言うなら、めでたい事だったのだ。
「ここまで来たら幸せにならなければバチがあたります。手段を選ばなかった分、後戻り
もできませんしね。なによりも…、結果良ければすべて善しです!」
 今度こそ。アルベルはなにも言い返す言葉などなかった。おとなしそうで、美人という
より、むしろ可愛らしいロザリアの腹の底がこうまで座り切ったものだとは思っていなか
ったのだ。
 やはり、あの女王の姪だけあるのか。いざという時の気概は相当なもののようだ。
 そこまで言って。ロザリアはほっと息を吐き出した。こんなにも胸の内を吐き出したの
は初めてだったからだ。
 アルベルの言うとおり、ネルを不幸にするきっかけになるかもしれないという恐れはあ
る。だが、彼自身が言う程、ネルが不幸になるとは思えなかった。それに、そこで不幸な
ままでくじけるネルの性格ではない。
 もちろん、アーリグリフにネルを引っ張り込みたいという、彼女自身の我が儘な発想で
はある。だが、それと同時にアルベルも、そしてうまくいけばネルにとっても悪い話には
ならないんじゃないだろうか。ロザリアはそう思って、ここに来た。
「…あなたは伯母様と同じ瞳の色をしているんですね。…もしかすると、あなたは私の遠
い親戚かもしれませんね」
 しばらくアルベルの瞳を見つめていたロザリアは、静かに口を開いた。
「どういう意味だ」
「クリムゾンヘイトを持ち出したのは昔のシーフォート女王です。アーリグリフの誰かに
その血が遺伝していても何らおかしい事はありません」
「だからどうした」
「いえ、そう思うと親近感がわくなと。それだけですけど」
 アルベルは言葉ではなく、ため息を吐き出した。触れられたくない心の箇所をがんがん
つっつかれて正直良い気持ちがしないのだ。とはいえ、力いっぱい応援してくれているの
もわかるから、ひたすら微妙な気持ちになる。
「なにかありましたら、相談に乗りますよ?」
 ロザリアはこの一言を言うために、わざわざ酒を買い、アルベルの部屋に入り、そして
寄り道しながらも話をしてきたのだ。
「フン」
 絶対相談なぞするものかと思いながら、アルベルは低く鼻を鳴らした。頑ななアルベル
に、ロザリアはほんの少しだけ苦い笑みを浮かべる。
「ネルの好みとか、趣味とか、多少でしたら教えてあげられますけど」
「もういいから、帰ってくれ」
 さらに上乗せするように言うロザリアに、アルベルは低くてやや疲れた声を出した。
 だが、どうやら少し打ち解けてくれたらしいアルベルに、ロザリアは小さくほほ笑んだ。
「ふふ。では、夜分遅くに申し訳ありませんでした。それでは」
 優雅に会釈して、王妃はアルベルの部屋を出て行った。ちなみに、こっそり部屋を抜け
出したロザリアが、彼女の部屋で待ち構えていたネルに怒られたりするのだが、それはま
た別の話。
 アルベルはしばらく呆然と突っ立ったまんまだったが。やがて長いため息をついてベッ
ドのへりに腰掛けた。右手で顔を覆い、指の透き間から机の上に置かれた木箱を見る。
「ちっ…」
 小さく舌打ちして、アルベルはそのままベッドに寝転がる。
 そして、ぼんやりとした表情で、白い天井を眺めていた。



                                                          to be continued...