旅の行程は滞りなく過ぎた。
 ペターニ付近で、新・月影なる盗賊団が出没しているとかいう不穏な噂は聞いたものの、
別に出くわしもしなかった。
 シーハーツ首都のシランドに着き、馬車はシランド城の前で止まる。さすがに城内には
話が通じているらしく、ロザリアを出迎える人間が控えていた。
「お帰りなさいませ、ロザリア様」
 控えていた人々が頭を下げると、ロザリアは優雅に微笑んで馬車をゆっくりと降りる。
少しだけ、王妃としての貫禄が身についてきたようだ。
「ちょっと久しぶりだね。お帰り、ロザリア」
「お帰りというのも、おかしいのかもしれないけど。でも、お帰りなさい。ロザリア」
「ネル、クレア」
 人々に付き添われ、城内に入るとクリムゾンブレイドの二人がロザリアを待っていた。
ロザリアは友人たちとの再会に彼女は顔をほころばせる。そして、順番に彼女達を抱き締
める。
「早速で悪いけど、女王陛下と大神官様がお待ちだよ」
「うん。わかってる」
 友人たちと会うと、ロザリアはついつい自分の身分を忘れて、ただの娘に戻ってしまう。
「…で、どうしてあんたがここにいるんだい?」
 ロザリアと侍女が降り、最後に面倒くさそうに馬車から降りてきたアルベルを、ネルは
不審そうに腕を組んで睨みつけた。
「あ、アルベル殿は私の護衛で一緒なのよ」
 ロザリアがちょっと慌てたように言うと、ネルはさらにうさんくさげな視線を送る。
「護衛? 漆黒の団長がわざわざ?」
「国王命令だ。従わんわけにもいかねえだろうが」
 やっぱり面倒くさそうに、アルベルは鼻を鳴らすように答える。
「そう…。ま、そういう事なら…あっちの国王も考えてくれてるって事か…」
 嘆息しながらネルが言う。正直、あまりアルベルの事はそんなに好きではないが、彼の
戦闘力は評価している。王妃のために最高の人材を用意してくれた事は理解できる。なる
べく内密に済ませたいとの意向もわかってくれたようで、最低人数で最高の護衛というな
ら、彼ほどの人間はいないだろう。むしろ、漆黒をほったらかしにしてでも、ロザリアの
ためにわざわざ回してくれたのだ。
 ネルはそれを認めて、軽く目を閉じる。未だにあまりアーリグリフ王を良く思えないけ
れど。ロザリアの事をきちんと大事にしてくれているようだ。そこは認めなければいけな
いなと、思っていた。
「客間に案内させるよ。ロザリアの護衛は、今度は私らになるから」
「そうしてくれ」
 相変わらずの不遜な態度にネルはまたため息をついた。側にいた部下に二、三言言付け
ると、ネルとクレアはロザリアを連れて城の奥へと歩いて行く。
「こちらでございます」
「ん…ああ…」
 横目で彼女ら3人を見送って。アルベルは客間へと案内される。

「本当なら、ロザリアの手をわずらわせないでやりたかったんだけどね」
 女王がいる、謁見の間までの長い廊下を3人で歩いて行く。クレアは苦笑しながらロザ
リアに話しかける。
「仕方がないよ。王族の血が必要なんでしょ? 本来なら伯母様が一番適任なんでしょう
けど。伯母様だけ、あれだけの血を抜き取るってわけにもいかないものね」
「さすがにね。昔の女王も厄介な封印をしてくれたものだけど」
 ため息をつきながら、ネルは赤い絨毯を踏み締めて歩く。3人でつるみながら歩く姿は
そのへんのかしましい女性そのもので、近隣諸国に恐れられるクリムゾンブレイドも、ア
ーリグリフ王妃も、こうして一緒いる姿を見ていると、とてもそうとは思えない。
「血だけを輸送と言っても、途中で凝固してしまうし」
「で、こうやって本人が呼ばれたわけなのよね」
 ロザリアは無邪気に笑う。今回、彼女が呼ばれた理由が、数代前の女王が施した封印が
弱まってしまったので、新たに封印の儀式を執り行わなければならなくなったのだが。
 その封印というのが、王族の血が必要な強い封印で、さらに血統限界値が強い者程適し
ているというものなのだ。現女王であるロメリア女王が一番の適任者なのだが、いかんせ
ん、必要な血の量が結構なもので。
 女王ロメリアと、その妹である大神官だけで負担するのも心配なので大神官の娘である、
ロザリアが呼ばれたのだ。血を抜き取ると考えるだけでも、若いロザリアが必要なのも頷
ける。
「で? どうなの、アーリグリフ王妃としては?」
 クレアが少し気にしたように、ロザリアをのぞき込む。
「うん。アルゼイ様が忙しすぎる事をのぞけば不満はないよ。っていうか…。あのお兄ち
ゃんと結婚できただけでも幸せなんだもん。これ以上贅沢言えないよ」
「そう……」
 少し引きつった笑みを浮かべたが、クレアはそれ以上言うつもりはないようだ。
「幸せ?」
 今度はネルがロザリアの顔をのぞき込んだ。
「とっっても…!」
 うっとりしたような、とろけた顔でロザリアが微笑んだものだから。思わずネルとクレ
アの目がどこまでも遠くなった。
「良かったね…」
「うん! あのね、アルゼイ様ってね…!」
 しばらく、二人はロザリアのノロケ話を聞かされる羽目に陥り。
「あ、あー、と、ところでさ」
 ロザリアの話しが一段落ついた途端、ネルは急いで口を挟む。話題をどこに振ったもの
か考えて。
「アルベルが護衛だったそうだけど、大丈夫だったかい?」
「アルベル殿? うん。別に、何もなかったけど。ただ…」
「ただ?」
「話しかけてもボソッ、ボソッとした答えが返ってくるだけで、話が続かないのよね。困
っちゃった」
「話しかけるだけ無駄だよ。放っておきなよ」
 あまりに相変わらずなので、ネルは苦笑いを浮かべた。
「馬車に乗った途端寝ちゃうし」
「本当に護衛なのかい、あの男は」
 ネルも、さすがに今では、あの旅で彼が同行を強制された時ほど嫌ってもいないし憎ん
でもいない。別に好きなわけでもないが、それなりにあの男の事は認めているし、評価も
している。
「すごい強いって、聞いてはいるんだけどね」
「ま、強さだけならね。あのクリムゾンヘイトを従わせられたんだもの」
 伝説の魔剣を従わせるには真に強くなければできない事で、それを成功させる事ができ
たのは、今のところ、アルベルとその父親の二人だけだ。
 伝説の魔剣の長い歴史の中で、そのたった二人だけなのだ。
「まぁ何事もなければ、護衛として働く必要がないのは確かよ。むしろ、彼が働く事がな
くて良かったわ」
「それもそうだね」
 クレアが口を挟むと、ネルはそれに頷いた。何事もないのが一番なのである。
「でも、まさかこんなに早くお母様や伯母様と再会する事になるとは思わなかった。二度
と会えない覚悟で嫁入りしたけど」
 15年近く片思いを続けて。むしろ執念に近いそれを成就させるだけの事はある。相応
の覚悟でもって嫁入りしたのだが。あまりにあっさり再会できた事に拍子抜けもしたりす
る。
「血を抜き取るから、体調の方は大丈夫ね? 妊娠の心配とかないわね?」
 クレアはこれからの儀式に少し心配そうな顔になる。
「むしろ嬉しい悩みよね、それって」
「…大丈夫そうね。一応、検査はするわよ」
「うん」
 そして、3人は謁見の広間前へとやって来て。ネルが荘厳そうな大きな扉を押し開けた。


 アルベルが通された客間は結構良い感じの場所で、まったく歓迎されてないわけでもな
いらしい。むしろ前に来た時との待遇の差を思えばかなり良い方だろう。
 軽く鼻を鳴らして、アルベルはどさっとベッドに倒れ込む。よく干された気持ち良い匂
いのシーツが鼻孔をくすぐる。
 ずっと馬車に乗り続けるというのも結構疲れるものだ。
 アルベルは久しぶりに熟睡できそうで、靴も脱がないまま、ゆっくりとまどろんでいっ
た。

 シランド女王一族が執り行う封印やら儀式など、アルベルにとっては一向に興味もない
事で、シランド滞在はむしろ食って寝るだけの休息期間のようなものだった。
 まあアルゼイ王はそれも意図して、アルベルを王妃護衛にまわしたのであるが。
 コロコロコロ…。リーリーリー…。
 中庭では、虫達が鳴いていて。その鳴き声に混じって、闇夜の空気を切り裂く音がする。
 いくつかの月が、シランド城の広い中庭をぼんやりと照らし出していた。その月明かり
の下、アルベルは無言で剣を振るっていた。
 他人に鍛練する所など見せたくもないアルベルだが、こうやって剣を握って一心不乱に
振り回す事は、気持ちを落ち着かせる。
 何も考えないで集中できる分、色々忘れたい時や、思い詰まった時などにやると、スッ
キリするものだ。
 突然、背後からダガーが高速で飛んできても、アルベルは眉一つ動かさずに右腕を振る
う。
 キィン!
 軽く剣の柄で弾き飛ばし、ダガーは回転しながら上空に高く跳ね上がる。
 左手の技手で、落ちてくるそれを器用にキャッチして。アルベルは振り返った。
「なんだ。これを俺にくれるってわけか?」
「そういうつもりで投げたわけじゃないけど。ま、どこにでもあるダガーだよ。欲しいな
らあげるけど?」
 城から中庭に続く大きな窓から、ネルが闇に紛れてゆっくりとこちらに歩いてくる。
「フン」
 アルベルは軽く鼻を鳴らす。
「どういうつもりだい? こんな時間に中庭で剣なんか振り回して」
「てめえには関係のねえ事だ」
「クリムゾンブレイドとして、城の警備もしているんだよ。中庭に誰か不審人物がいるっ
て報告を受けてさ。ちょっと様子を見に来たのさ」
「そうかよ。で? 俺は不審人物って事になるわけか?」
 手にしたダガーを下に投げ付けて地面に突き刺すと、不遜そうな瞳でネルをねめ付ける。
「そうだね。ちょっとどころかだいぶ不審人物だ」
 不敵な笑みを浮かべて、ネルは腰の小太刀を抜き放って、ゆっくり構えた。今度はどこ
にでもあるダガーなどではなく、ネル愛用の希代の名刀である。
「手合わせ願う!」
 叫ぶと、ネルは腰を低くしてダッシュをかける。アルベルは一見まるで無防備だが。
 ガキィン!
 ネルの短刀とアルベルの魔剣とがかちあった。鍔ぜり合いなどしては、腕力のないネル
の方が不利である。それがわかりきっているネルはすぐに引いて、間合いをとる。
「はあっ!」
 刃を振り下ろし、衝撃波を飛ばすが、アルベルは最小限の動きでかわしてしまう。だが、
そこが狙い目で、そのスキに、得意の機敏さを活かしてアルベルの懐にもぐりこもうとす
るが。
 かなりのスピードで切り込んだはずなのに、それもあっさりとかわされて。その驚きで
できた一瞬のスキをつかれて。
 かかとのあたりに軽い衝撃がすると、自分の身体がふわりと舞って、空に浮かぶ月が目
の前を通り過ぎていき。
 どさっ。
 大の字に寝転がってしまった自分の首のすぐ横に、アルベルの鋭い技手の爪先が突き刺
さった。
 ザクッ!
 一瞬、ひやりとしたものが背中を走った。横目でその技手を見ていたら、いつの間にか
アルベルの顔がすぐ目の前に来ていて。
 思わず喉を鳴らした。
 吐息が降りかかるくらいの至近距離で。薄暗いくせに、アルベルの紅い瞳が異様に目を
引いて。
「大丈夫なのか? 天下のクリムゾンブレイドがその程度の腕で」
「なっ…!?」
 侮辱された事に、カッとばかりに頭に血が上る。
「フン」
 だが、アルベルは鼻を鳴らすと顔を遠ざけて、ゆっくりと立ち上がった。
 未だ心臓の音が鳴り止まないが、ネルもゆっくりと身を起こす。ネルだって毎日鍛練を
欠かした事がなかったのに。アルベルはまたさらに腕をあげる努力を怠っていないようだ
った。
 負けを認めて、ネルは嘆息した。
「はぁ…。腕をあげたつもりだけど…。まだまだだったか」
「甘ぇんだよ」
 吐き捨てるようにアルベルが言う。もう鍛練する気がないのか、刀を腰の鞘に納める。
悔しいが、アルベルの強さは本物である。
 こんなにあっさり負けたのがまったく面白くなくて、ネルは苦々しい顔で、またため息
をついた。
「けど、こんな夜中に刀を振り回してたら、普通に不審がられるもんだよ。しかも中庭で
さ」
「うるせえ」
「みんなあんたの身分や仕事を知ってるんだ。昼間に鍛練したって誰も不思議に思わない
よ」
 やっと立ち上がり、土埃を払いながら、ネルはアルベルを見やる。
「いつどこで何をしようが、俺の勝手だろうが」
「ここはアーリグリフじゃない。シーハーツのシランドで、しかも城内の中庭だよ。…ま、
あんたに言っても無駄か…」
「わかってるんなら言うんじゃねえよ」
 ネルは、今度は呆れのため息を吐き出した。腕はあげても、性格は相変わらずだ。アル
ベルはネルを無視して、シランド城へ続く窓へと歩いて行く。どうやら部屋に戻るようだ。
「明日の夜もやるのかい?」
「てめえには関係ねえよ」
 歩いて行く背中に声をかけると、無愛想な声が返ってくる。
「関係あるから聞いてるんだろ。警備の者が怯えるから、話なら、通しておくけど?」
「勝手に怯えさせてろ」
 愛想もクソもなく言い放ち、アルベルは城内へと入ってしまう。ネルは何度ついたかわ
からないため息をまたついた。
「ったくもう…」
 肩をすくめて、ネルは自分が投げ付けたダガーを少し捜してみたのだが、この暗闇だ。
捜す事を早々にあきらめて明日、明るくなってから探す事に決めると、彼女も自室に戻っ
た。


 封印の儀式も無事に終わり、ロザリアのシランド滞在期間はあっと言う間に過ぎて行っ
た。
「ロザリア。つつがなきように暮らすのですよ」
「はい」
 女王と大神官に見送られて、ロザリアは二人と名残を惜しむように抱き合って。少し寂
しそうな笑顔で馬車に乗り込んだ。
 アーリグリフ製の馬車だが、シーハーツを走っても不審がられないようなデザインだ。
けれどやはり王妃が乗るという事で、立派な馬車で中はわりと広く造られている。シーハ
ーツ出身の王妃のために作られた特別製の馬車だ。
 馬車にはすでに侍女とアルベルが乗り込んでいた。
 さて出発しようかとしていると、ネルがクレアや女王と何か話しながらやって来て、さ
も当然そうな顔で馬車に乗り込んできた。
 まったくそんな話を聞いていないアルベルは、目を丸くして空いた席に座る彼女を見て
いた。ロザリアは聞いていたようで、ネルの乗車に驚いた様子はない。
「じゃ、お願いね」
「ああ」
「頼みますよ」
「わかりました」
 馬車の扉ごしにクレアや女王と会話して、外の者が馬車の扉を静かに閉める。
「じゃ、行ってちょうだい」
「はい」
 ロザリアが窓から身を乗り出し、表にいる御者に声をかけると、ルムに鞭くれて、馬車
は走りだす。馬車の窓から手を振って、ロザリアは家族との別れを惜しむ。
 やがて、人々の姿が小さくなり、ロザリアは窓から身を離した。
 だいぶシランドから離れてから、アルベルが口を開いた。
「おい」
「なんだい」
「なんでてめえがここにいる?」
「ロザリアの護衛のためにね。あんた一人じゃ別の意味で心配だ」
 ネルは、横目で隣にいるアルベルを見やる。
「というか、アリアスで仕事があるんだ。それまで、ロザリアの護衛も兼ねて一緒に同行
するというわけ」
「話しておこうと思ったんですけど…」
「良いんだよ。どうせ聞いちゃいないだろうし」
 ロザリアが苦笑してフォローしようとするだが、ネルは突き放すように言う。
「なんでてめえが判断するんだよ」
「事実じゃないか」
「んだと?」
「はっ。こんな狭い車内でやるってのかい?」
 一瞬で険悪な空気になり、同乗していたロザリアと侍女がオロオロとまごつきはじめる。
二人とも国を代表するほどの強者である。そんな二人にこんな狭い馬車で暴れられたら、
たまらない。
「………ケッ!」
 わりと広い車内とはいえ、切ったはったするにはあまりに狭すぎる。というか、そもそ
もそういう空間ではない。アルベルは短く悪態をついて、不機嫌そうに黙り込む。
「ロザリアも大変だね。こんなのと顔を突き合わせアーリグリフくんだりまでさ」
「てめえの顔よりもマシだろうがよ」
 ネルの悪態に合わせるかのように、アルベルが言い返す。
「どういう意味だい?」
「そのまんまの意味だが? てめえんとこの鏡は毎日割れて大変そうだな」
 がんっ!
 馬車の内部から激しい振動がして、御者は慌てて鞭を持ち直した。
「ど、どうしたんですか!?」
 御者は驚いて、馬車内に通じる窓を振り返ってのぞきこんだ。
「なんでもないよ」
 すましたような声で返ってくるネルの声。御者がのぞくその小さな窓ではわかりにくか
ったが、車内の壁に顔を埋め込ませる勢いで、盛大にどつかれたアルベルが少しだけ見え
た。
 ロザリアと侍女は、思わず顔を見合わせた。


                                                          to be continued...