「俺を呼びつけるとは良い身分だな」
 しょっぱなからのこのセリフに、クレアもため息をつきたくなった。
 正直、呼ばれて来る男かどうかも疑問だったのだが、ロザリアいわく「ネルが言えば来
るよ」との事で。そして、本当にやって来た。
「ともかく。お話しがあってこちらに伺いました。あまり表ざたにもできませんが、一種
の国命を負ってもいます。よろしいですね?」
「フン」
 軽く鼻を鳴らして、アルベルはクレアの向かいの席にどっかと腰掛けて、横柄に足を組
む。こめかみに浮かびあがりそうになる血管をおさえて、クレアも無表情に努める。
 ロザリアの「アルゼイ様によるアルベルの扱い方」は弁で押せるとの事だが。だがそれ
はアルベルよりも年上で、付き合いが長いからできる事だろう。アルベルの方もあまり言
い返そうとはしない相手のはずだし。
 実際にこの男が弁が立つとは思えないが、だからといって自分の弁で押し切れる相手か
わからない。怒らせて、抜刀なんかされたらまずクレアに勝ち目はない。まぁ、それはな
いだろうが、どう出て来るのかは読めない相手だった。
「で? シーハーツ側はどうするんだ?」
「その前にあなたの意向を伺います。ネルをどうするつもりですか?」
「返す気なんかねえ」
「どうしても?」
「フン」
 鼻を鳴らしてそっぽをむいてしまう。頭にくるだけ無駄なのだなと悟り、クレアは話題
を変える事にした。
「……ネルの意向ですが……」
 クレアは言葉をきって、アルベルを見た。
 しばらく、無言になる二人。一見、気の無さそうに見えるアルベルだが。
「……何だよ……」
 不機嫌そうに言葉の続きをうながしてきた。
「気になりますか?」
「さっさと話せ!」
 なるほど。ロザリアの言う事もあながち間違っていないようだ。
「ともかく、シーハーツの意向としては…」
「ふざけてんのかてめえ?」
「いいえ。今は休職中とはいえ、ネルはシーハーツの誇るクリムゾンブレイドの一人です。
シーハーツとしては、彼女のような有能な人材の流出は懸念すべき問題です」
 クレアはあくまで毅然とした態度を崩さない。仏頂面を続けるアルベルだが、微妙に居
心地悪そうな雰囲気が伺える。ようく観察すると、どことなく雰囲気で感情を表す男のよ
うだ。
「フン」
「そして、彼女は封魔師団「闇」の部隊長です。これが何を意味するか、あなたならおわ
かりですね?」
「だったらどうだって言うんだ」
「シーハーツの国家機密を、軍事的にも、政治的にも、あまり表向きにできないところま
での情報を彼女は数多く所持しています。以前のように戦争でも起こった場合、いえ、戦
争に限らず、こちらとしては相当の痛手です」
「で?」
「シーハーツとしては彼女に戻って欲しいのです。たとえ、おなかの子供の父親があなた
であっても、個人の事情が国家に勝ると思いますか?」
「俺には関係のねえ話だ」
 アルベルはあくまでそっけない。
「どうしても、ネルを返す気がないと?」
「さっき言ったはずだ」
「何故ですか?」
「さあな。てめえで考えろ」
 問答になっているのかいないのか。もちろん、ここでは感情的になってしまった方が負
けなのだ。クレアはそのことをよくわきまえている。そして、こちらの男も。不機嫌そう
にしていても、感情的になってなどいない。
「もし…。仮定の話ですが。もし、ネルがここに嫁ぐ場合、その情報の流出が懸念されま
す。あなたはそれをどうしますか?」
「さっきから聞いてばかりだな」
「もちろんです。伺うために参ったのですから。情報が流出した場合、真っ先に疑われる
のは彼女です。裏切り者と呼ばれるやもしれません」
「だろうな」
 ここで引いてはいられない。クレアは押して押して押しまくる事にしている。
「そうなった場合、あなたはどうするのですか?」
「どうもしねえ。ヤツがシーハーツに行かなきゃ済む問題だ」
「シーハーツは彼女の生まれ育った国です。帰りたくなる時もあるでしょう。周囲の反対
を押し切ってでも行動に出る可能性が、彼女の場合ありえます」
「……………」
 沈黙は肯定と見なして良いだろう。クレアはなおも言葉を続ける。
「そのとき…あなたならどうするのですか?」
「…ま…。一緒に行くんだろうな」
 今までまるでそっけないうえに、やる気もなかったのに、少し態度が軟化したように見
受けられる。
「くだらねえ糞虫どもに纏わり付かれるくらいなら、途中で抱えて連れ戻す」
「………そうですか……」
 長い前髪で見えにくい瞳を見据えて、クレアは小さく頷いた。
「…ここでシーハーツの情報が流出するおそれは、ありますか?」
「そんなものに興味ねえよ。下らねえ」
「たとえあなたに興味がなくても、周囲は情報を欲しがるでしょう」
「まあな」
「そのとき、あなたはどうするんですか?」
「どうもしねえ。なんでそんな糞虫どもに俺がとりあわなきゃならねえ」
「ネルには会わせないと?」
「当然だろうが」
「国王命令でも?」
「俺だったら、王妃を使えと言うがな」
 なるほど。言葉は悪いが、ネルに触れさせる気はないようだ。それに、頭も悪くない。
汚い言葉でごまかしているが、なかなかに食えない。
「相手がウォルター伯でも?」
「あなどられたもんだな、あのクソジジイも。ま、確かに手段を選ばんところもあるがな。
だがよ、あのクソジジイが現役でいられるほどの年数のうちに戦争を起こすのか?」
「…それは…」
「先の戦争は、結局無駄に消耗戦だっただけだ。そっちは知らんが、こっちは再び戦争を
起こしているような場合じゃねえ。あの戦争好きもくたばったしな。あのジジイの目の黒
いうちに再度やるとなると、早々に自滅する」
「……………」
 自国の状況を、外国の将軍にあっさりばらす将軍も珍しい。
「…しかし、それゆえに短期決戦をしかけてくるのでは?」
「…その前におまえ、あの女がそんな情報流すと思うか?」
「………いえ………」
「あの女を疑うより、身内を疑うか、警備が甘いか。どっちかじゃねえのか」
 確かに先の戦争で、クレアの部下から消えた人物がいた。どうやらスパイだったようだ
と後で知る事になったのだが。
「…では、そうなった場合、ネルから情報を引き出そうとは思わないと?」
「その前に言いやしねえよ、あの女は」
「薬は使わないと?」
「………本気で言ってんのか、てめえ」
 よそをむいていたアルベルが、少し殺気を滲ませてにらみつけてきた。それが本物だっ
たので、クレアは恐怖心を覚えたが。ここで引いてはいられなかった。
「私はシーハーツの人間です。アーリグリフ人であるあなたの言う事を信じる根拠を、私
は持っていません」
「ハッ。そうかよ」
 遠回しに信じられないと言われて、アルベルは鼻を鳴らした。それは認めたようである。
相変わらず態度がでかいというか、悪いというか。
 アルベルの方とて、受け答えによってはネルを奪われかねない。彼女がシーハーツ出身
で、住むにしてはあちらの方が良いに決まっている事くらい、わかりきっている。それを、
身重なのを良い事にアーリグリフから動かしてないだけで。
 クレアの問いに、彼にしてはまともに答えているのは、そのせいもある。この緊張を相
手に悟られたくはない。
 キツネとタヌキの化かし合いとも言い切れぬが。
「ま…。そんなに信じられねぇって言うなら、何か懸ければ良いのか?」
「たとえば?」
「そうだな。俺の左腕くらいだったら、ここでくれてやってもかまわねえが」
「そんなものもらっても困ります」
「そうか」
「定番ですが…、命を懸けるとは言わないのですか?」
 クレアの視線に挑戦めいたものが含む。
「言わねえな。これからって時に死ぬ気にはならん」
「…………………」
 未だアルベルの真意がはかれない。クレアはどうしたものかと思案する。遠回しの誠意
としても受け取れるし、ずるいだけかもしれない。それを判断できるほど、クレアはアル
ベルの事を知らない。
「…どうしても…ネルを返す気はありませんか?」
「ねえな」
「彼女がそれを望んでも?」
「迷ってるくらいなら返さねえ。…けど、本人がどうしてもって言うんなら、ま…仕方が
ねえよ」
 ふっと息を吐き出して、アルベルは足を組み替える。絶対に返さないと言うのかと思い
きや。これはクレアにとっては少し意外な答えであった。
「で? あいつはどうしてもシーハーツに帰りてぇってのか?」
「…彼女は、その判断を私に一任してくれました。私の意向で決定する事になりました」
「ほう?」
 はぐらかすクレアに、アルベルは挑戦的な声をあげる。はぐらかした背景を読もうとし
ているようだった。
「で? てめえの判断はどうだって言うんだ?」
「その前に。あなたに尋ねたい事があります。…なぜ、ネルを返したくないのですか?」
「なぜもなにも。それこそ、こっちの情報の流出の懸念とやらがあるじゃねえか」
 まるで馬鹿にしきった口調で、こんな事を言ってくる。ムカムカくる腹をおさえながら、
クレアはどうにか息をつく。
「だから返さないと?」
「道理だろう?」
 確かにその通りなのだ。ネルがこちらに来て約半年。カルサア修練所内の情報にはかな
り精通してきている事だろう。なにより、彼女の本職は隠密なのである。
 ずるいというか、手ごわいというか。
「理由は、それだけなのですか?」
 クレアはさらに挑戦的な瞳でアルベルを見た。睨みつけないように神経を集中させる。
クレアが知りたいのはこの男がネルをどう思っているのか。彼女をどうするのか。本当に
大事にしてくれるのか。その事だ。
「…………………」
 ふと、アルベルが真っすぐこちらを見てきた。あまり目を合わせないようとしない男だ
が、本気で睨み合ったらもしかすると、こちらの分が悪いかもしれないと思いはじめる。
武力で適わないのはわかりきっている。
「…まあ、第一の理由は自分のガキを孕んでるからだが。これ以上の理由が必要か?」
「彼女が別の男性の子を宿していたとしても?」
「…………………」
 クレアの方も負けてはいない。手にじっとりとにじむ汗を察せられないように、努めて
平静をよそおう。アルベルの紅い瞳がクレアの目を射貫く。クレアは静かに奥歯を噛み締
める。呼吸は腹に力をこめ、どうにかしてゆっくりとなるように繰り返す。
「…俺に何を言わせてぇんだ? 俺の言う事は信じられねぇと言ったのはてめえだが?」
「あなたがネルをどう思っているのか知りたいだけです。子を産む道具にしか考えていな
いようなら、私はあの娘を連れ戻します」
 今まで遠回しな事しか言ってこなかったクレアが本意を言ってきた。それを聞いて、ア
ルベルが不敵に笑う。お互い、ネルを想っている事に変わりないのはわかった。
「女がガキを産むのは今にはじまった事じゃねえだろうが。同じ産ませるなら、俺はあい
つが良い。それだけだ」
「他の女性は?」
「ごめんこうむる」
 軽く手を広げて見せる。少しだけ、クレアの力が抜けた。満足とは言えないが、不満と
も言えない受け答えだった。
 相手の態度が態度なので、クレアもつい挑発するような、遠回しな事を言ってしまった
が。本意を言ったら、あっさり本意が返ってきたような気がする。もっとも、これがそれ
までに必要な手順だったかもしれないが。
「………。わかりました。……私の意向というか…判断は、…保留です」
「ほう」
「正式に決定するまで、ネルは、それまではここにいる事になるでしょう」
「そうか」
 正面きってネルがここに嫁ぐ事をOKするわけにもいかない理由も、アルベルにもわか
る。とはいえ、一応は、ここはアルベルの勝ちという事にもなるのか。
「ただ……」
「ん?」
「子供が、長旅に耐えられるようになるまで成長した場合、数日でもシランドに戻ってく
るようネルに言い付けました。…彼女の母親がずっと心配しているのです。妊娠中に飛び
出したまま、帰って来ないのですから。しかも行き先も告げずにです。その方に子供とも
ども元気な姿を見せるようにと。その時には、彼女はシランドに戻る事になります」
 クレアの出したこの条件に、アルベルはふっと笑う。それは、あまり嫌みな笑みではな
かった。
「良いんじゃねえか? それくらい。なんなら、ドラゴンでもつかまえて、旅なんかしね
えで来てやるよ」
 確かにアーリグリフ名物(?)疾風は空を飛ぶ竜にまたがる騎竜兵で構成されており、
移動力は騎兵の比較ではない程のものを誇る。空を飛んでくれば、長い日数をかけなくて
も往復も早い事だろう。
 これは、アルベル側の歩み寄りなのか。クレアは彼を見つめてみる。相変わらず読みに
くい瞳だ。
「私の話はここまでです。お呼び立てして申し訳ありませんでした」
「まったくだな」
 頭を下げるクレアに、あくまで不遜そうな態度を崩さないアルベル。
「もう用はねえな? 俺は仕事に戻る」
「お忙しい所をありがとうございました」
 もう反応もせずに、アルベルは椅子から立ち上がり、出入り口に向かう。
「それから、アルベル殿」
「あ?」
 呼び止められて、アルベルは立ち止まってわずかに振り返る。
「あまり自己主張ばかり通しておられますと、ネルの方が勝手に子供をつれて、こちらに
戻ってくる事もありえますから。それこそ、彼女がここに殴り込みにきた勢いで、戻って
くるでしょうね。けっこう、感情的になりやすい面もありますので。そのときは、こちら
も彼女を返す気はありませんから」
「っ…」
 不敵な笑みを浮かべて、こんな事を言うクレアに、一瞬だけ絶句するアルベル。
 結局は、やはりネルの意向次第というわけなのだ。ネルが迷っているから、保留になっ
た。そして、ネル自身が帰りたいと思えば、ネルはネルで、勝手に帰ってしまうのだ。そ
この所を指摘されて、アルベルは言葉に詰まってしまった。
 最後の一矢は効いたようで、思わず立ち止まってしまうアルベル。
「……かっ…、関係ねえよ……」
 さらにどもってしまったりもして。アルベルは舌打ちしながらこの部屋を後にした。ド
アが少し乱暴に閉じられて足音が遠のくと、クレアはぐったりとした様子で椅子にもたれ
かかる。
「はぁー……」
 とにかく疲れた。両手で顔をぬぐい、クレアは天井を見上げる。
 どうやら、ロザリアの言うとおりらしい。どうしても素直に認めたくはないらしいが、
あの男はネルに惚れている。それもかなりの重症のようだ。
 「歪のアルベル」と正面きってまともに話をしたのは今回が初めてである。戦時中は尾
鰭もあろうが、凄惨な噂しか聞いた事のない男だった。
 実際に会ってみた印象は、好きな女の子についつい悪戯をしてしまうような、どうにも
子供っぽい人物である。アーリグリフ王のように、彼より年上で、幼少の頃からのアルベ
ルを知っていれば「可愛い」と言うのもわからないでもない。
 とはいえ、だてに漆黒団長もしていないようで、食えない所がある。戦闘など、軍事的
に関する事ならば、相当に有能なのだろう。
 シーハーツ国としては、あんな男をこれからも敵に回したくないし、ネルのような希有
な人材を嫁にやるなどもってのほかなのだが。ネルが敵に回るとは思えないが、もし戦う
事になってしまった場合、どちらにせよ彼女が苦しむ事にしかならない。それを思えば、
やはりネルをこの地に留まらせてはいけないと思う。
 けれど、本当は優しくとも、なんとも跳ねっ返りな所もあり、そこらへんの男など簡単
に蹴散らすネルに、あそこまで惚れこんだ男など、今までいなかったのでは無かったか。
 シーハーツには、クリムゾンブレイドのファンクラブなんていうのもあるが、誰も本来
の「ネル・ゼルファー」として見てはいないのである。クリムゾンブレイドという華々し
い肩書と、彼女の外見の美しさしか見ていないのだ。
 別にファンクラブに限った事ではないし、ネル自身も彼女本来の優しさも純粋さも封じ
込めて、冷血な隠密を懸命に努めていたのだ。ほとんどの人間が、その「隠密ネル」とし
て見ていたのに。
 あの男は何をどうしたか、本来の「ネル」に戻してしまった。ネルの父親が死んでから
は、クレアだって彼女本来の姿など見ていなかったのに。
「…ああ、そうか…」
 そこまで考えて、クレアは小さくつぶやいた。自分たちは「隠密ネル」として、彼女に
接してきた。本人が望んでなった事とはいえ、それでは本来のネルに戻りようはずもない。
 彼は、おそらくずっと「ネル」として接していたのだ。そして、ネルが隠密という事な
ど、わりとどうでも良いのだろう。さっきの会談を思い起こしてみれば、そんな感じがし
た。それを思えば、本来の彼女に戻してしまった理由も頷ける。
 それでも、あのネルを、クリムゾンブレイドと知った上で、彼女を娶ろうというのだ。
しかもアーリグリフの将軍がである。
 お互い戦時中は疎ましい存在に感じていたはずだ。アーリグリフ内の反感だって買うだ
ろう。それでも、彼は彼女を欲しいと言う。
 そこまで親友を愛してくれているのなら、クレアとしては嬉しくないわけでもない。ネ
ルが幸せそうに笑っているのを見れば、クレアだって幸せな気持ちになってくる。
 けれど、やはり相手がアルベルで、アーリグリフの将軍というのはどうにも面白くない。
 本当に、ここにネルを嫁にやってしまって良かったのだろうか。クレアは今になっても
迷っていた。
 しかし、もう決めてしまった事だし、その旨をアルベルに伝えてしまっている。今更何
を言おうと、あの男は絶対にネルを返してくれはしないだろう。
 ぐらぐらと考えてクレアはため息を繰り返す。ネルを想う気持ちには、彼女の親にも負
けないくらいのものがあったのに。
 そこで、はたと気がついた。
「……そっか…」
 また、小さくつぶやいた。自分は負けてしまったのだ。ネル想う気持ちは誰にも負けな
いつもりだったのに、負けてしまった。
 負けてしまっては、仕方がない。
 クレアは苦笑しながら、深いため息をついた。
「結婚……か……」
 まさか、ネルまでもアーリグリフに嫁ぐ事になるなんて。一体どこの誰が予想しただろ
うか。


「え? 泊めるのか?」
「いいだろ、それくらい。空いてる部屋くらい都合つけなよ」
 時間も時間だし、カルサア修練所の近くに宿泊施設はない。ロザリアは馬車でアーリグ
リフに帰れるが、クレアはそうはいかない。
「馬車くらいつければカルサアくらい行けるだろーが。王妃の馬車にでもついでに乗せて
行けよ」
「私がクレアと話したいんだよ。久しぶりなんだから。大体、一人増えたくらいでどうっ
てことないじゃないか」
「そういう問題じゃねえよ」
「どういう問題なんだい」
 アルベルとしては、あんなやりとりをした後である。正直、二度とやりたいとは思わな
い。まともに言い合いをしたら言い負かされそうな相手は苦手だ。
「どういうって……。っちっ……クソッ……」
 ネルの瞳に覗き込まれてはアルベルに勝ち目はない。ネルの事だ。ここで不許可でもし
たら、ロザリアと一緒にクレアを連れてアーリグリフに行きかねない。
「一泊だけだぞ!」
「クレアも忙しいから、そんなに長居はできないよ。…ありがと」
「…フン……」
 ふっとほほ笑む笑顔が可愛い。だんだん打ち解けてくれるようになって見せてくれる笑
顔が嬉しい。こうなると、もうどうにも弱い。結局、クレアが泊まれる部屋を都合してや
る事になった。
 そんな二人のやりとりを物陰から伺うロザリアとクレア。ロザリアに、彼らのそれを見
てれば色々わかると言われ、クレアも観察していたのだ。
「……負けてるわね」
「負けてるでしょ?」
「ネル…。どうやってあんな男を負けさせたのかしらね…」
「さあ、そこまでは……」
 あのアルベルがネルのどのへんに惚れたかとか言うとは思えないから、そのへんは永遠
の謎になってしまうかもしれない。
「…案外、あの男の方が苦労するのかもね…」
「案外でもないと思うけど…」
 アルベルと何か話しながら、ネルは笑っていた。アルベルはわりと仏頂面をしているも
のの、別に嫌そうでもなくて。その様子を伺いながら、クレアはじっとネルの顔を見つめ
ていた。
 ネルの笑顔は幸せそうで。ふっと腹に手をやる仕草が優しかった。無理しようとする彼
女を気遣う、アルベルの手つきもなにげに優しい。
「…けっこう…幸せそうね…ネル…」
 やはりまだ、素直にネルの笑顔をどこか認められなくて、クレアはそんな事を言う。
「そうね。私が最初呼ばれた時は、体調不良で気持ち悪そうで。本当に心配したけど。ア
ルベル殿と一緒にいる時も不機嫌そうだったのよ。それが今では、ああだものね。アルベ
ル殿、頑張ったんじゃない?」
「って事は、やっぱり、ネルは奪われたって事になるのかしら…」
 ため息をついて、クレアは物陰から覗き込むことをやめたので、ロザリアもそれになら
った。
「クレアから見たら、そういう事になるのかな。やっぱり」
「…あんな顔見せられたら、シランドに連れ戻せないじゃない。……悔しいわ」
「クレアもそういう人を見つけたら?」
「そのうち見つけてみせるわよ」
 ロザリアに笑顔でそんな事を言われてしまったものだから、クレアは少し口をとがらせ
て、強気に言ってみせた。

                                                          to be continued...