「お帰りなさいませ」
「ああ」
 漆黒の兵士を引き連れて、アルベルはカルサア修練所に帰って来た。風雷と協力しての
魔物の掃討は思ったより手間取った。なにしろ逃げ足が早い上に、わりと小さな身体をし
ているので、なかなかに面倒な相手だった。
 ぞろぞろと漆黒の面々が疲れた顔で修練所に入る。残っていた兵士がみんなを出迎えた。
その中で一人、女の子がいてすこし異色に感じる。
「あの、団長さん」
 待っていたのだろう。マユが入り口付近でアルベルを見つけて近寄ってきた。
「ん?」
「その、私室に戻ってあげてくれませんか? なんか、ネルさん、このところずっと体調
が思わしくないんです。ごはんもあまり食べてない状態で…」
「…わかった」
 疲れていたが、アルベルは頷いた。そして、そばにいた側近に二言、三言申し付けると、
私室に続く執務室に向かう。
「おい、私室に熱い茶を頼む」
「わかりました」
 振り向き様にマユにそう言うと、あとはもう振り返りもしないで歩きだした。
「どうした?」
 私室に入って、ベッドの方を見て、静かに声をかける。
「ああ…帰ってきたの…。お帰り…」
 マユの言うとおりのようで、顔が青白く、生気がない。刀をベッドのへりに立て掛けて、
その横に腰掛けてネルを見下ろす。
「メシも食ってないのか」
「食欲がなくてね。どれもあまり喉を通らないんだ」
 妊婦に無理やり食べさせるわけにもいかないので、アルベルは嘆息する。
「医者は?」
「妊娠期間中の情緒不安定だってさ。よくある事みたいだけど」
「そうか」
「…ところでさ…、早く着替えてきなよ。泥臭いよ」
 掃討先では、風呂になどもちろん入れない。湯などを用意させれば湯浴みくらいはでき
るが、よほど返り血を浴びた時くらいでないと、それはしない。面倒だし、なにより他人
に左腕を見られたくないからだ。
 言われて、アルベルは眉を跳ね上げた。
 アルベルも漆黒兵士も風雷兵士達も、ウォルターでさえ似た状況だ。最近では、ウォル
ターは後方で指揮する事が多くなってきているから、ここまで汚れていないかもしれない
が。彼とは対照的に、アルベルは前線で戦いながら指示を出す方だ。汚さも比例している
かもしれない。
 口に出しなどしないが、ウォルターの戦い方は正直勉強になったりする。さすがのアル
ベルも、ウォルターの指揮や作戦には従う事が多い。文句の一つも言いたいところだが、
悔しい事に納得させられるだけのものがある。
「さっき、マユ達がお湯を持ってきてお風呂に入れてたから、熱いうちに入ってきなよ」
「そうか」
 兵士たちの集団浴場では、そろそろ漆黒の上層部が入りだすところだろう。ベッドから
立ち上がり、慣れた手つきで手早くガントレットを外すと、アルベルは着替えを手に浴室
へと引っ込む。
 その姿を視線で見送って、ネルはふっと息を吐き出す。
 アルベルの顔を見て、急に安堵感がひろがって、少し楽になった自分を戒めたくなって
しまった。
 これじゃまるで、アルベルを待っていたみたいではないか。
 そんな事実が許せなくて、ネルは顔をしかめた。
 …でも……。
 アルベルは疲れた顔をしていた。自分も仕事が終わった後は、あんな顔をしていたのだ
ろうか。ネルは少しだけ、周囲が自分に対して休め休めと言っていた理由がわかったよう
な気がした。

 そういえば、フェイト達に同行していた時に乗ったディプロという船は、いつでも好き
なようにお湯を浴びられた。
 あれは便利だったなと思いながら、アルベルは頭からお湯をかぶる。
 洗えば洗う程に垢や泥が流れ落ちる。なるほど、ネルに言われるはずだ。
「ふーっ…」
 湯船につかりながら、アルベルは長く息を吐き出した。いつもなら、こういう疲れた時
はもっとのんびりつかるところだったが、いかんせん、青い顔のネルが気になって仕方が
なかった。
 結局、風呂もそこそこにアルベルはさっさと浴室を後にした。
「ん?」
 寝ていたはずのネルが起き上がって、暖炉に火をつけている所だった。
「おい」
 声をかけると、火かき棒を手に、ネルが顔をあげる。
「寝てろ。調子わりぃんだろうが」
「ああ、でも、これくらいたいしたことないさ。寝てばかりいるのも飽きるしね」
「それくらい俺がやる。寝てろ」
「いいよ。座ってな」
 嘆息すると、首にかけたタオルを手に、アルベルはどうしたものかと髪の毛をかきあげ
る。彼女を見ると、前かがみになって、暖炉の中をかきまぜている。無意識なのか、おな
かに手をやる姿を見ると、アルベルも気が気でない。
「おまえ一人の体じゃねえんだぞ」
「へえ。あんたの口からそんな言葉が出るとはね」
「事実だろうが」
 ネルの茶化した言葉も、今のアルベルには通じないようだ。
「ふう」
 一息ついて、ネルは暖炉近くの椅子に腰掛けた。そしておなかに手をやる。もうクセに
なっているらしい。アルベルも机を挟んだ向かいの椅子に腰掛け、タオルで頭をごしごし
と拭く。
 そんな時、扉がノックされる。
「団長さん。あの、お茶をお持ちしました」
「ああ」
 椅子から立ち上がり、アルベルは扉に向かう。扉を開ければマユがお盆の上にポットと
カップを二つ、ついでに軽いお茶菓子もお盆に乗せて立っていた。
「お淹れしますか?」
「平気だ」
 別にポットからカップに注ぐくらいアルベルにだってできる。紅茶のような嗜好品でな
く、麦で煎られたお湯だ。淹れ方などあってないようなものだし。
 盆ごと受け取ると、アルベルはそれをテーブルの上に置く。そして、無造作な手つきで
カップに茶を注いだ。
「ん」
「ありがとう」
 熱い麦湯を差し出され、ネルはカップを手に取る。さすがに、お茶なら喉を通る。安い
麦湯でも、熱い飲み物は心身をホッとさせる。アルベルは自分の分にも注ぐと、カップを
手に取った。
「……あのさ……」
「ん?」
 しばらく無言だったのだが、ネルの方が口を開いた。
「あんたが出掛けてからね。クレアから手紙が来たんだ。あんたも名前くらいは覚えてる
だろう。クリムゾンブレイドのもう一人」
「あの暑苦しいおっさんの娘だろ」
「そう。彼女から手紙が来たんだ。それで…さ…」
「どうした」
 少し言いよどむネルに、麦湯を飲みながら、視線だけを向ける。
「もし……。もしだからね。もし、私たちが結婚するとなった場合、国家が口をはさんで
くるだろうって…」
「……そうだな」
 あくまでそっけない口調だが、ネルから視線をそらし、暖炉に向ける。
「…気づいてたのかい?」
 ネルは思わず顔をあげてアルベルの顔を見やる。
「まあな。今はてめえがそんな状態だから、シーハーツ側も何も言ってこねえのはわかっ
てる。休職中だからな。てめえがどうしようが強くは言えねえ状態だろう。別にここに永
住するとも言ってねえし、辞めるとも言ってねえからな。だが、結婚ともなれば、話は違
ってくるだろうな」
「…………。どうするつもりなんだい?」
「てめえ次第だ」
「……………」
 黙り込むネルに、アルベルは言葉を続ける。
「俺としては、てめえを返すつもりはねえ。………けどよ、無理強いさせても空しいだけ
だからな」
「………わからない……。どうしたら良いか、わからないんだよ…」
 うつむいて、テーブル上のカップを弱ったように見つめる。
「迷ってるくらいなら。俺はおまえを返さねえぞ」
「……っ……」
 ネルは驚いて顔を上げてアルベルを見る。濡れた長い前髪のすきまから、睨みつけるよ
うな紅い瞳と目があったが、先に逸らしたのはアルベルの方だった。
 暖炉の方に頭を向けて、タオルで髪の毛をこすりはじめた。黒と黄色の独特の髪の色は、
だいぶ黒色の方が多くなってきている。染め直すのも面倒くさいらしい。
「そう言われてもさ…。もしかすると、私も、あとで、考えが…、変わるかもしれないし」
「……まあな」
 それは認めて、アルベルはまだタオルで頭をこすっている。
「…………クレアがさ…そのうち、アーリグリフに来るかもしれないって」
「ここにか?」
「たぶん。私に会いに来ると思う」
「そうか」
 そっけなくそう言って、少し顔をあげる。髪の毛はまだ乾かない。
「あんたにも、もしかすると会うかもしれないね」
「そうか…」
 またも、二人はしばらく黙り込んでいた。暖炉の火のはぜる音だけが聞こえる。
「あんたさ…」
「ん?」
 ネルが静かに話しかけてくる。アルベルは暖炉から顔をあげてネルを見る。
「知ってて、言わなかったんだね」
「なにがだ」
「国家が関わる事になりそうだと」
「………まあな」
「どうしてさ」
「言ったところで、俺にとっては関係のねえことだ」
「関係ないって、そんなわけないじゃないか。親権にも関わるんだよ」
「フン。知るか」
 鼻を鳴らして取り合ってくれそうにない。この様子では、なにか思惑があったとしても、
教えてくれないだろう。ネルはため息をついた。そして、知らず腹に手をやった。
 こんな調子のアルベルだが、ネルの出方待ちというのは伺えたから、結局はネル自身が
どうするかにかかっているのだろう。
 ネルにしたって、どうして良いかわからなかった。
 むしろ嫌いだったアーリグリフ。戦争が終わり、フェイト達との旅を終えてからは、憎
悪はしなくなったものの、好きでもなかった。
 それが、ここでの生活をいつの間にか楽しんでいる自分がいる。修練所の女達と仲良く
なり、戦時中は死闘を繰り広げた漆黒の兵士達と馴れ合って。未だ自分を良く思わない者
はいるものの、修練所トップのアルベルの連れ合いとされては無下にもできないのが本音
らしく、そういう者はお互い取り合ってもいない。結局みな、アルベルを認めており、彼
に逆らうつもりはないようなのだ。
 なにより、アルベルはじめみんなが自分を大事にしてくれるのが嬉しかったし、甘えて
しまう。
 考えこんでしまい、気づかずにため息を繰り返すネルに視線をよこすアルベル。
 妊娠期間中なのだ。いらぬ心配や悩みなどをさせたくないのだが、そうもいってられぬ
状況が歯痒かった。
 やはり、自分に力が足らぬせいなのだろうか。
 もし、自分たちが結婚する事にでもなったら、国家間でややこしい事になるだろう事は
とっくに予想がついていた。あえて言わなかったのは、ネルをシーハーツに返さないため
だ。そんな、帰る意思を強くさせるような事を口にする気などない。
 ずるいというのはわかっている。だが、彼女が自分の子供を孕んでいる以上、こちらも
引く気はない。ネルがどうしてもと言わない限り、シーハーツから彼女を奪うくらいの気
概だ。
 こちらも予想だにしていなかった事とはいえ、結果的にネルはアルベルの所に転がり込
んできた。届くはずないと思っていた存在がそばにいる。誰に何と思われようが、言われ
ようが構うつもりはない。なんとしてでも欲しい。
 悔しいが、ロザリアの言ってる事には同調する事になりそうだ。
 しかし、シーハーツ側もおとなしくネルを渡すつもりはないらしい。クレアの手紙に何
が書かれているのか知らないが、ネルを惑わせる事を書いてあるのだろう。
 …あちらから見れば、ネルを惑わせているのはこちらという事になるのだろうが…。
 シーハーツの意向など知った事ではない。こんなチャンスを逃してなるものか。
 横目で、アルベルは沈むネルの顔を見る。昔に比べればはるかに脈があるようだ。手を
のばせばすぐ届く距離にはいるけれど、本当に欲しい所にはまだ遠い。
 そばにいられるだけで満足していては、いずれまた、届かないところへ行ってしまう。
 だが、具体的に何をどうすれば良いのかさっぱりわからない。
 敵を倒す事の方がよっぽど簡単だ。
 アルベルはため息をつきたくなったが、ネルを見て急いでそれを飲み込んで、どうにか
ゆっくりと息を吐き出した。



 結局どうするかを決めかねたまま、時間が過ぎて行く。ネルの腹はさらに膨らんできた。
「はあー」
「立つな歩くな寝てろ、てめえは」
 大きなおなかを抱えて動きまわるネルに、少し不機嫌そうな声を出してアルベルが言う。
執務室で、アルベルのデスクワークを手伝うネルだが、働きすぎる彼女に、彼としては手
伝ってもらうより休んでもらいたい所だ。
「あんたの整理が悪すぎるからだよ。ちょっとは片付けたらどうだい」
「どこに何があるかわかってるから良いんだよ」
「団長の言うとおりですよ、姐さん。あんまり動きまわってると体に触ります」
 ネルが動くとアルベルがおとなしくて助かると喜んでいた騎士だが、臨月が近いともな
ると気が気でないようだ。
「とはいえねえ、元々ジッとしてるのが苦手な性分だし」
 執務室のすみっこにある椅子はネルのためのもので、すぐに腰掛けられるようにはなっ
ているのだが、彼女はなかなかそれに座りたがらない。
「明日、ここを空けるがあんまり動かねえようにマユに言っとくからな」
「はいはい」
 何かあった時のためにアルベルは、ネルが独りでいる事を好まない。ロザリアが側にい
てくれるのがネルのためにとっては一番なのだが、相手が王妃ではそうもいかないだろう。
 最近では、体調の不振もだいぶ少なくなり、食事の量もかなり増えてきている。体が体
力を欲しているらしい。
 不意に、ノックの音が鳴り響いた。全員が扉に視線を集中させる。
「あの、ネルさんにお手紙が来てますけど」
 マユの声だ。アルベルが目で許可をすると、騎士が扉を開ける。開けられて一礼してマ
ユが入ってくる。そして、一通の手紙をネルに差し出した。
「早馬で来ました。なんか、急いでるようだったので、届けにきました」
「ありがとう」
 ネルの声がわずかに緊張している。誰からの手紙なのかわかっているのだろう。
「ん」
「ありがと」
 ペーパーナイフをアルベルから手渡され、ネルはすこしもどかしい手つきで封を切る。
ペーパーナイフを返すと、一人で読むため、彼女は隣の私室へ入る。
 椅子に腰掛け、封筒から中身を取り出すと、目を走らせた。
 やはり、クレアからの手紙だった。読み親しんだ文字が便せんに並ぶ。
 ネル、元気にしてますか。そろそろ臨月が近いのではないかと察します。なんとか都合
をつけて、アーリグリフに行く事になりました。一応、光牙師団「光」の部隊長として赴
く事になるのですが、あまり大っぴらにするわけにもいきません。なものですから、そち
らの団長に話をつけておいてくれると助かるのですが…。
 アーリグリフへはもちろん、ネル、あなたに会いに行くためです。考えてみれば、こん
なにも長い間、あなたに会わなかったのなんて初めてよね。なにはともあれ、あなたに会
える事を楽しみにしています。ロザリアにも会うつもりです。彼女は相変わらずなのかし
ら? そして、あなたの相手の事を陛下に話しました。やはり、私の懸念通りの事をおっ
しゃいました。けれども、陛下はなによりもあなたの意思を尊重したいとの事です。あな
たの意思と、そしてあなたの相手の意向も今回は聞きに来ます。ですから、あなたの相手
に会う事にもなります。少し日程に余裕があるので、彼の都合の良い日に会おうとは思っ
ています。彼には光牙師団「光」の部隊長として、クリムゾンブレイドとして、陛下に代
わり彼に会う事になりますから。下手をするとアーリグリフ王の意向も聞く事になるやも
しれません。
 どうなるにせよ、ラッセル執政官は何か言うのでしょうけど。そして結局…。まぁ、こ
れは余談ね。ネルにとって今は大事な時期かと思います。何の心配もせずに元気な赤ちゃ
んを産んでもらいたいけど、そうもいかなくてもどかしいです。
 あなたに会える時は、なにか滋養に良いものを持って行こうと思っています。あなたの
お母様からあなたに渡すように言われた品もあるし。おば様、平気そうにしているけど、
かなり心配してます。あなたがどうするであれ、孫の顔は絶対に見せなさい。こればかり
はもう命令です。
 ここまで読んで、ネルは苦笑した。そして、文面の最後にはクレアがやってくる予定の
日時が記してあった。今日からちょうど一週間後であった。
 それまでに意向をかためておかねばならぬのだ。クレアにはとにかく会いたくもあり、
かといってこの有耶無耶な気持ちのままでは会っても心苦しくもあり、ともかくネルの胸
中は複雑だった。
 あと一週間か……。
 ネルは自分の大きなおなかをさする。出産予定日はおよそ一カ月後。産んでしばらくは、
やはりここで過ごす事になるだろう。それからは…、それからはネル次第なのである。
 ここに嫁げば母親や、親友達、仕事、そして故郷を置き去りにする事になる。仕事を選
べば、ここの人々とは離れ離れになり、自分一人になる。そして、子供はどちらが育てる
かわからない。一度離れてしまったら、そう簡単に会えなくなってしまうだろう。まだ見
ぬ自分の子供だが、もし、その子と離れて暮らす事となってしまったらと思うと悲しくて
仕方がない。
 結局、どちらを選んでも、心苦しい結果になる。自分で決められなくて、でも他の誰か
に決めてもらうものでもなくて。ため息しか出てこない。
 ぼんやりと宙をながめていたら、不意に部屋の扉が開かれて、アルベルが入って来た。
「どうしたの?」
「仕事が一段落したんでな。小休止だ」
「またそんな事言ってサボるんじゃないだろうね」
「うるせえ」
 悪態をつきながら、アルベルは室内に入って来る。そして、棚から酒とグラスを持ち出
してきた。
「昼間からお酒かい?」
「一杯だけだ」
 ネルが妊娠中なせいなのか、アルベルはあまりこの部屋で酒を飲んでいない。グラスに
半分も注がないで、酒瓶の蓋はしめてしまった。
 そして、ネルの向かいの椅子に腰掛けると、少し口をつける。
 アルベルはなにも言ってこないが、手紙の内容が気になるのだろう。
「……クレアが、来週、ここに来るって」
「そうか」
「私と、ロザリアと、あんたに会うってさ」
「俺にか?」
 口からグラスを外し、顔をあげる。
「ああ。光牙師団「光」の部隊長として、クリムゾンブレイドとして、会うって」
「そうか」
 つまり、国を代表して会うという事なのだろう。私事なので会談というほどではないだ
ろうが、本人達にとってはとことん重要だ。
「あんた、来週、都合の良い日はあるのかい? あんたに合わせるそうだけど」
「余程急な仕事が入らん限り、来週はここでの仕事だ。どうにでもなる」
「そう」
 デスクワークにせよ、兵士達への鍛練に付き合うにせよ、結局はここにいるようだ。
「………まだ……決めてないんだ…」
「そうか」
「こんな状態のまま…会っては…まずいよね……」
 自分のおなかを見つめ、きゅっと手を組み合わせる。そんなネルを横目で見て、アルベ
ルは酒をちびりと飲む。
「良いんじゃねえか? 判断するのは向こうだ」
「え?」
 意外なこたえにネルは顔をあげてアルベルを見る。
「迷ってるってのが、てめえの今の状態なわけだろ。それを見てどうするか、判断するの
はあっちだ。…あんまりぐだぐだ悩むんじゃねえよ」
「……………」
 言葉は悪いが、明らかにネルを気遣っている。アルベルもクレアも、本心ではネルに余
計な心配を与えたくないのだ。
「で? 来週、あの女に会えば良いんだな?」
「あ、うん。あまり大っぴらにはできないけど、私用で来るというわけでもないから」
「わかった」
 酒を一気に飲み干すと、グラスをテーブルの上に置いて、立ち上がって執務室に戻って
しまった。
 アルベルが出て行った扉を見つめ、そして中の赤ん坊が自分の腹を蹴っている事に気づ
いて、腹に目をやる。腹がぼこぼこと揺れている。元気そうで、思わず笑みがこぼれる。
 男の子か、女の子か。どんな子なのか。楽しみであったし、不安でもあった。アルベル
も相変わらず、ネルの腹に手をやり見つめる眼差しはひどく優しい。
 なぜか少し気が楽になり、ネルは椅子のせもたれに深くよりかかり、天井を見上げた。
そして両手で腹をさすり、そっと目を閉じた。

                                                          to be continued...