ルシファーを倒し、フェイト達が去ってどれくらいの時間が過ぎたか。エクスキューシ
ョーナー達の脅威もなくなった。
 アーリグリフとシーハーツの戦争も終わり、人々は戦争の痛手から復興の日々を送って
いた。
「あー」
 かったるそうにため息を吐き出して、アルベルは自分の執務室に戻ってきた。戦争で被
害が出て弱っている村にモンスターが襲いかかってきて、それらの掃討が終わったのだ。
 一匹一匹はアルベルにとっては取るに足らぬ程の雑魚ではあったが、それは、アルベル
の戦闘力が飛び抜けているからであり、一般兵士からしてみれば、やはり恐ろしいモンス
ターである。
 一人でやった方が早いとは思うものの、兵士達の訓練も兼ねているので、指導しつつフ
ォローしつつ訓練もやらせてとかいう、なかなか面倒な仕事だった。さらに言うなら、雑
魚の中でもやたら強いのが一匹だけ出て来て、兵士達では太刀打ちできぬのでアルベルが
それにかかりきりになっている合間に怪我したり、迷子になる兵士が出て来たりして。
 とにかく疲れた。
 私室で一眠りするかと、執務室から私室へ続く扉のドアノブに手をかけた途端、扉から
ノックの音が聞こえる。
「なんだ」
「団長、お疲れの所を恐縮ですが、この書類、今日中にお目通しお願いします」
 アルベルは思わず深いため息を吐き出した。
 こんなに疲れる一日は珍しいが、毎日がこんな状態だ。
 そんなある日。アルベルは彼の後見のような存在であるウォルターに呼び出された。漆
黒軍団長である彼を呼び出せる程の人物は、アーリグリフでは彼と国王くらいしかいない。
「なんだ」
 ウォルターの屋敷の中、彼の執務室にあるソファにふんぞりかえり、アルベルは本当に
面倒くさそうに足を組んだ。
 礼儀作法などあったものではないアルベルに慣れきっているウォルターは、そんな彼に
眉一つも動かしはしない。ウォルターもウォルターで、執務机に座ったまま、書類に目を
通しながらの話である。あまり話し合いとかいう空気でもない。
「コーネル伯爵から、おまえと自分の娘を見合いさせろときた」
「またその話か」
 ウォルターは前置きもせずに単刀直入に言うと、アルベルはうんざりした声をあげる。
最近、見合いだの結納だの話がよく来るのだ。
「仕方あるまい。この国の軍人の権限が強いのはおまえも知っておろう。若き漆黒団長が
独身ともなれば、軍部とのつながりほしい輩はそこから狙うもんじゃ」
 書類から少しだけ目を離し、アルベルの方をわずかに一瞥する。頭ははげ上がっている
し、その脇から生える髪も真っ白だ。顔付きからも、かなりの年齢をいっているのではな
いかと思わせるが、まだまだ現役らしく、動きもかくしゃくとしている。タヌキジジイと
名高い、食えない男だ。
「俺がことごとく蹴ってる話も聞かないのか」
「聞いとるじゃろう。しかし、あわよくばと願うのは誰しも同じじゃ。まぁ、どうするか
を決めるのはおまえじゃ。わしは流しとるだけじゃ」
「クソジジイ…」
 しれっとして言うウォルターを睨みつけるアルベル。さんざん汚い言葉で罵倒したり悪
態をついたりしているが、ウォルターは気にする様子もない。
 慣れているのだ。それに、口が悪すぎるが、アルベルなりのコミュニケーションである
事もわかっていた。
「で? どうするんじゃ? 直接おまえに話しても断られるだけなので、ワシを通してき
たにすぎん話じゃが」
「するわけねえだろうが」
 アルベルの答えなど聞かなくてもわかりきっていたが。ウォルターはふっと鼻息を吐き
出した。
「ったく、結婚なんて面倒くせえ。なんでどいつもこいつも口を開けばそういう事を言い
やがるんだ」
「戦争が終わったからな。他国への関心は終わればあとは自国じゃ。あの国王もとうとう
年貢を納めたしの。若くて独身で、おまえだけの地位があれば年頃の娘を持つ人間の考え
るところは、どこも同じようなもんじゃ。そういうもんだと思ってあきらめるんじゃな」
 ウォルターは書類に目をやったまま、アルベルの方に目を向けずに言葉を続ける。
「けっ」
 面白くもなさそうに悪態をつく。
「実際問題、妻帯は考えておるのか?」
「俺が考えているように見えるのか?」
 薄く目を開けて、アルベルは睨みつけるような視線をウォルターに向ける。
「いや。聞くだけ無駄じゃったな」
 短くため息をついて。ウォルターは見終わった机の上の書類を軽く整理する。
「なら、最初っから聞くんじゃねえよ」
「まあ、そういう事なら、これからもおまえに、そのうるさい見合い話がずっと続くだけ
じゃ。あまりぐだぐだぬかすでない」
「…………………」
 言い返せずに、アルベルは不機嫌そうに口を結ぶ。
「今日の話はそれだけじゃ」
 書類整理の仕事も一段落し、ウォルターはよっこらしょと椅子から立ち上がった。
「それだけか!」
「そうじゃ。ついでにメシでも食って行くか?」
 今まで散々悪態をついてきたアルベルが、食事の誘いで黙り込んだ。ウォルターはそん
な彼を、どことなく優しい目付きで見やった。

 ウォルターがその気になれば、アルベルを口車に乗せて強制的に行動させる事はできる。
小さな頃から彼の面倒をみてきたり、性格を熟知しているからできるのだが。
 だから、ウォルターがアルベルを結婚させようと思えば、させる事は可能だろう。それ
を期待してウォルターにそんな話を持ってくる貴族や軍人も多い。最近では商人からもそ
んな話が来る。
 だが、ウォルターは本当に話を右から左に流すだけで、結局は断られていた。
 あとは、アルベルの首を強引にでも縦に振らせられるのは国王くらいのものだが、彼は
そういう話は取り合ってくれず、また、相手が相手だけになかなか持ちかけにくい話でも
あった。
 結局は本人の問題なのだ。無理強いさせたところで、相手があのアルベルではお互い不
幸になるだけの可能性も高い。なにより、アルベルとていい大人なのだから、自分の事く
らい自分で決めるものだろう。
 内心は、ウォルターも少し心配しているものの、結局はアルベルに任せるままにしてい
た。それにこの男の場合、助言も説教と受け取るだけで、態度を硬化させるだけだろう。
 ウォルターはちらりとアルベルを見やる。
 アルベルはいつもと相変わらず無愛想な様子で、食事をたいらげている。
「お代わりしますか?」
「いらねえ」
 使用人たちも慣れたもので、アルベルのとことん無愛想な態度にも戸惑いもしない。
 燭台のあまり明るくない光量の中、食器などがこすれあう音くらいしかしない食事であ
った。
 下に敷かれた柔らかい絨毯は使用人たちの足音を吸収するし、ウォルターはそうおしゃ
べりではない。アルベルに至ってはむしろ無口な方である。自然、会話はそんなに弾まな
い。
 別に弾まなくても、二人は気にしないのだが。
 昔、まだアルベルの父親が生きていた頃は、こうやって彼とよく食事をしたものだが。
あの男は酒が入るとよくしゃべった。血なのか、アルベルも酒が入るといつもより口が回
るようなのだが、あくまでいつもより、というだけで実際には口数はそう多くない。
 ふと、昔を懐かしむ。
「そういえば、疾風の団長の選出で、おまえが推薦されたな」
「そうかよ」
「どうする? 焔の継承は行うのか?」
 無愛想に食事を続けていたアルベルの手元が、はたと止まる。そして、考え込むように、
宙を見つめる。
「…いや…今のところ、その予定はねえ」
「そうか。……ずっと漆黒にいるつもりか?」
 ウォルターの問いに、アルベルは顔をあげた。
「…正直、決めてねえ」
「…フム…。今のおまえなら、クロセル侯でも従える事は可能なんじゃろうがの」
「あそこまででけえと逆に不便だぞ」
「確かにな。戦闘力はともかく、機動力を考えるとな…」
 おまけに、寝泊まりさせるだけでも大変である。権威としては非常に魅力的なドラゴン
ではあるが、あまり現実的ではない。ウォルターもクロセルの事は噂には聞いていたのだ
が、実際に目にして、その巨大さに驚いた。
「まぁ、おまえも忙しいとは思うがの。少しは考えておけ。ただでさえあまり頭を使わな
くなっとるんじゃろうが」
「うるせえ」
 悪態をついて、アルベルは手を動かしはじめ、食事を再開した。


「護衛? 王妃の?」
「そうだ」
 突然国王に呼び出され、何事かと思えば。謁見の間で、アルベルは国王に対し跪きもし
ないで突っ立っていた。
 アーリグリフ城は頑健な城だ。岩肌のような煉瓦で造られ、内装も華美ではなく、わり
と質素である。
 王の性格なのか、謁見の間も、赤い絨毯に、立派な玉座が鎮座されているものの、気候
的なものもあってか、どこかうす寒い空気がする。
「本来ならば、こちらに輿入れしたのだから、戻ってはならないのだがな。これからの事
を考えるとそう固い事も言ってられんだろう。シランドの方も急を要するようだし、多少
なりとも恩を売る事にもなる。ロザリアには忙しくてあまり構ってやれなくてな。俺とし
ても少し申し訳ないのだ。シランドに行けば友人たちもいるだろうし。少し生き抜きもし
てもらいたくてな」
 アーリグリフ国王アルゼイはそう言って、アルベルを見やった。30代後半の、凛々し
い顔付きの男だ。見かけも大事と髭も延ばしている。実際の年齢よりも少し老けて見える
のは、髭のせいなのか、激務のせいなのか。
「…仕事だから俺としては構わんが…。俺一人で護衛するのか?」
「侍女と御者はつく。まぁ、有能なのをつけるつもりだが、おまえ一人で護衛すると言っ
ても変わりないだろう」
「……………」
 珍しくためらっているアルベルに、アルゼイは片方の眉を動かした。
「どうした? 気に入らないのか?」
「…気に入らねぇとかいう問題じゃねえが…。いいのか?」
「ほう?」
 アルベルが気にしている事を察して、アルゼイが少し面白そうな顔をする。
「おまえもそういう事を気にするようになったか。少しは成長したようだな」
「そういう冗談を言ってる場合なのか?」
 まるで国王に聞く言葉ではないのだが、アルゼイはまったく気にしない。むしろアルゼ
イの隣にいる側近の方がアルベルの言葉遣いにやきもきしていた。横から口だしすれば国
王に黙らせられるのはわかっているから黙っているが。
「俺はロザリアを信用している。おまえもな。それに、シーハーツ領内に入る人数は最低
限におさえたい」
 確かに護衛がたった一人というのは、最低限も良いところだが。
「シランド側から、なるべく内密に済ませたいとの事でな。まぁ隣国に輿入れした王族が
戻ってくれば、何事と思うのが普通だからな」
 まったく気にならないわけではないが。ともかく命令は命令だ。アルベルはふっと息を
吐き出して国王を見た。
「…………で、出発は?」
「一週間後だ。3日程シランドに寝泊まりする事になるから、準備しておけ」
「御意…」
 最後だけそう言って、アルベルは軽く頭を下げた。これでもだいぶ進歩した方だ。

「よいのですか?」
「なにがだ」
 今まで黙っていた側近が、アルベルが謁見の間を出て行ってから口を開いた。
「アルベル殿に王妃様の護衛をお任せして」
「ヤツの戦闘力は群を抜く。護衛に関して言うなら、最高の人材だ」
「戦闘力に関しては、確かに最高でしょうが…」
 言いにくいのか、側近が言いよどむ。彼が言いたい事は、先程アルベルが気にしていた
事と一致する。
 ロザリア王妃はアルゼイ王とはだいぶ歳が離れており、むしろアルベルと近い。そのよ
うな男女を一緒に旅を出させるというのは、外聞だけでなくいろいろと心配されるもので
ある。
「先程も言ったがな。俺はロザリアを信用しているし、アルベルも信用している。……ア
ルベルがあの一件から戻ってきてからというもの、ロクな休みも出してやれなかったから
な。それもあってな…」
 アルベルはフェイト達と旅に出て、彼が色々と変わったのは周知の事である。一見変わ
ってなさそうに見えるものの、見識を広め、国宝クリムゾンヘイトを従えられるほどの実
力を持つまでになって帰って来た。
 あの若さであれ程までの実力。この人材不足のこの時世、便利なのであれやこれやと随
分こき使ってきた。無論、アルゼイの方も働きずくめなのだが、そろそろアルベルを労っ
てやりたいと思っていたところなのだ。
 今回、確かにシランド側からロザリアの呼び出しがあり、それに応じて行く事になるわ
けなのだが、実際には一日で終わるような仕事で、王妃の息抜きとして少し長めに滞在す
るような日程を組んだ。つまり、同時にアルベルの休息にもなるようになっているわけだ。
 どうせシランドに行ってもやる事のない男だろうが、たっぷり寝る事はできるだろう。
 睡眠時間を削っているのはお互い様だが、ゆっくり休んでもらいたかった。
「…陛下は少しアルベル殿に甘いのではありませんか?」
 少しだけ、側近の口調に苦いものが混じる。アルゼイは思わず苦笑した。
「そう言われると、俺も弱いのだがな」
 子供の頃からのアルベルを知っているアルゼイとしては、どこか幼いままのアルベルの
印象をぬぐえなくて。それにアルベル自身、行動が子供じみていたりする事があるので、
ついつい子供扱いしてしまっている時がある。
「何にせよ、ヤツが使える人材であることには変わりない。こき使いすぎてつぶすわけに
はいかんのだ」
「…まあ…。…陛下には陛下のお考えがあるのでしょう…」
 側近はそう言って。それからはこの話題はしなくなった。

「では、よろしくお願いします」
「…ん…ああ……」
 アーリグリフ王妃ロザリアは軽く会釈をして、アルベルに挨拶をするが、王妃相手でも
彼は相変わらずで。無愛想に頷くだけだった。
 黒髪に黒い瞳、愛らしい顔付き。美人と言えばそうだが、どちらかという可愛い娘さん
な印象のある女で、王妃の貫禄が身につくのはだいぶ先に思える外見である。
 王妃としての礼儀作法などは、もともと育ちが良いので問題はないのだが、貫禄ともな
ると、やはりそう簡単に身につくものでもないだろう。目下アーリグリフ王妃にふさわし
くなるよう修行中とも言う今日この頃。
 母国シランドに内密に、かつ迅速にという事で呼ばれ、最低人数で最高の護衛、という
事で漆黒団長アルベル・ノックスとこれから一緒に行く事になるのだが。
 彼に対して、未だあまり良い印象を持っていないロザリアだが、夫からそんなに怖い人
物ではない事、汚い言葉遣いなどに動じない事など、色々言われてきていたので。少し困
った顔をするだけにとどまった。
 だが、これからシランドまで行って帰る間。侍女が一緒とはいえ、彼と行動を共にする
というのは、正直不安ではあった。
 そして、馬車が出発すると。話題を捜してロザリアが思案するよりも早く。アルベルは
馬車の中の壁に寄りかかってあっと言う間に寝てしまった。
 思わず侍女と顔を見合わせるロザリア。
 相当強いと聞いてはいるが、護衛として役に立つのかどうか、ちょっぴりどころか、か
なり不安になる出発だった。


                                                           to be continued...