「ところでさ、アルベルちゃんは? 何かさっきからいないんだけど…」
 スフレはさっきから一人いない事に不思議に思って、きょろきょろと周囲を見回した。
「あの兄ちゃんなら帰っちまったぜ。止めたんだけどさ。低い声でうるせえって言われた」
 少しだけ声真似をして、ロジャーはあきれたように後ろ頭に手を組んだ。
「えええーっ! なんで強引にも止めなかったのよう!」
 最後の別れかもしれないというのに、別れの挨拶もさせてくれなかった。スフレは思わ
ず大きな声をあげる。
「しょうがねえだろ。さっさと歩いて行っちまうんだもんよお」
「アルベルちゃんはねえ。強引に言いくるめれば言うことを聞いてくれるの!」
「できねえよ! オイラにはよ!」
「ううっ…」
 ロジャーにそういう芸当ができない事くらい、スフレはわかっていたから。口をつぐま
せた。
「ゴメンネ…。怒鳴っちゃってさ…」
 おもわず憤りをぶつけてしまった自覚があるから。スフレはうつむいて小声で謝った。
「いや、いいけどさ」
 そんな事を気にするロジャーではないし、スフレの気持もわかるから。ロジャーはふう
と息を吐き出して、かぶっていたヘルメットをずり下げる。
「本当にもう、相変わらずなんだから」
 腕を組んで、マリアもあきれたため息を吐き出した。寂しい事を表に出せるほど、マリ
アは素直ではないから。そんな言葉しか出ないけど。
「フェイト…」
「しょうがないなあ、もう…」
 ソフィアの少し泣きそうな顔に、フェイトも困り果てた。フェイトだってまったく寂し
くないと言ったらウソになる。
「しゃあねえよ。そういうヤツだって、もうわかってたじゃねえか。まあ、そうそうくた
ばるやつでもねえから。元気でやってくだろうよ」
 さすがにクリフは大人で。困ったような笑みを浮かべて、手を広げて見せた。
「それじゃあ、みなさん。お元気で」
「ああ。おまえさんがたもな」
 ミラージュがにっこりほほ笑むと、アドレーは豪快に笑って見せる。
「さよなら」
 ネルが軽く手を振ると、ロジャーもぶんぶんと大きく手を振った。大きな目をうるませ
ながら、スフレも手をぶんぶん振って。ソフィアもほんの少し泣きながら手を振った。
 軽く会釈をするミラージュ。ちょっとだけ手をあげて見せるクリフ。マリアは小さくほ
ほ笑んで。フェイトは、深く頭を下げた。
 そして、消えるように去ってしまった。
 残った3人はなんとなく顔を見合わせた。
 イリスの野で別れを告げ、ここからならシランドも近い。辺りは小鳥のさえずりと、小
川のせせらぎぐらいしか聞こえなくて。本当に平和になったんだなと思わせられる。
 ロジャーは大きく息を吸い込んだ。
「はあーっ…」
 彼が吐き出した特大のため息が、今までの事を物語っているようでもあった。
「…じゃあ、オイラはサーフェリオに帰るぜ。おねいさま、おっちゃん! またな!」
「ああ」
「坊主も元気でな」
 ぶんぶか手を振って、振り返りながらも、尻尾振り振りロジャーはイリスの野を駆けて
いく。ここいら一帯をふらついていたエクスキューショナー達はもういない。元居たモン
スター達も、今のロジャーの敵ではないだろう。
「さて、我らも行くかのう」
「はい」
 感慨深げにロジャーの背中を見送っていたアドレーだが、ふっと息をついて振り返って
カラコロ下駄の足音をさせて歩きだす。ネルも軽く頭を下げて彼に続いた。
「しかし、グラオの息子も相変わらずじゃのう。あのお嬢ちゃんの泣き顔を見たら、やり
きれんわい」
「しかたありませんよ。そういうのが苦手なんでしょう」
 たぶん、スフレあたりに泣きつかれたりしたら、アルベルは心底困っただろう。きっと、
どうして良いかわからなくなる。
「さて、陛下に報告したら、また海を越えねばならんの」
「お疲れさまです」
「おぬしもな。あまり根詰めて仕事しすぎるでないぞ。ネーベルもくそ真面目すぎるとこ
ろがあったからの」
「はい…」
 横目でネルを見て、アドレーは大股でカラコロ歩く。長い仕事のようでもあったし、長
い休みのようでもあった気がする。
 すべてが過ぎ去ってしまうと、なにもかもが夢のようにも思えてくる。
 これからまた、仕事続きの日々になることだろう。それが別に嫌だとは思わないが、今
まで一緒だった仲間がいないというのは、やっぱり寂しい。
 思えば、ずいぶん長く一緒に居る事になってしまった。
 歩きながら、今までの事が走馬灯にように巡っていく。
 ざくざくと土を踏み締めて、門を見上げると、遠くにシランド城が見えた。


 先にカルサアへ帰るか、王に報告しておいた方が良いか。
 アルベルは歩きながら迷っていた。自分は軍人なのだから、さっさと報告する方が良い
に決まっていたし、黙って消えていたのは事実だし、この刀を取りに帰った時に驚かれた
し。
 しかし、報告と言っても、なにがどうなったのか正直よくわからない。マリアあたりに
報告書とか書いてもらった方が楽だったかもしれないと、今更ながら思う。
 きっと、自分がどう言ってもあの王は納得しないと思った。報告も苦手なら報告書だっ
て苦手だ。口下手な自覚はいつでもある。
「…そうも言ってられんか…」
 だいぶ向こうにカルサアが見えてきた。一瞬、ウォルターの顔が脳裏をかすめアルベル
は少し不機嫌そうな面持ちになる。
 きっと仕事がたまっている事だろう。あの王の事だ、どんどん自分に仕事を押し付ける
に違いない。
 もっとも、王自身がそれ以上に仕事をこなしている事はわかるから。悪態はついても仕
事はこなさねばなるまい。
 これからの事を思うと、自然ため息がこみあげてくる。
 まあ、今までふらふらしていたのを許してくれたのだ。仕方がないだろう。
 だいぶ近づいてきたカルサアの門を見上げ、今までとは微妙に違う見え方がしているの
に気づいた。




 それぞれの毎日がはじまる。エリクールにいた連中は今までの日常に戻っただけで、特
に新しい生活がはじまったわけでもなく。
 相変わらずの日々を過ごしている。
 ただ、アルベルの場合は確実に仕事量が増えていたが…。
「ふーっ」
 不機嫌そうに目の前の束になった書類を見下ろす。
「アルベル様。前回の件の報告書です。あと、こちらは目を通していただくだけで良いの
ですが、一応、アレの領収書ですね。ドラゴンのエサ代もありますか」
 どんっと。書類の束が追加される。アルベルでなくてもうんざりしたくなる量だ。
「…俺はデスクワークにはむかんのだがな…」
「そうも言ってられませんよ。ヴォックス様がお亡くなられて、デメトリオ様、シュワイ
マー様と幹部が次々亡くなりましたから。疾風ががたがたしている分、ウォルター様と国
王陛下でどうにかしているのですから」
 アルベルの秘書のようなものを、結果的に務めている漆黒の騎士が淡々と言う。
「わかっちゃいるんだがな…」
「お茶を持ってくるように、言いましょう」
「…ああ…」
 半開きの目で、一番上の書類を手に取る。

「くそっ…。やっと終わりか…」
「お疲れさまです。これで最後ですね」
「ああ…」
 最後の一枚を漆黒の騎士に渡し、アルベルは机の上に突っ伏した。横目で時計を見ると
そろそろ今日が終わりそうな時間だ。
 さっきの騎士だって一緒に仕事をしていたのだから、上司のアルベルが仕事をやめるわ
けにもいかないので。今日は一日中ほとんど、この執務室から出なかった。
 大きく伸びをしながら、椅子を引いて立ち上がる。ずっと座りっぱなしというのは、ア
ルベルにとって戦い続ける事よりしんどかった。
「アルベル様」
「なんだ?」
 書類を一枚一枚確認していた漆黒の騎士が、声をかけてくる。
「明日のアーリグリフへの登城、お忘れにならないで下さい」
「ああ…」
 思わずため息が出る。
「あと…」
「ん?」
「お夜食を用意させましょうか? お疲れでしょう」
「いや、いい。おまえもとっとと寝ろ」
「はい」
 本当に丸くなったなと、騎士は思いながら、頭を下げる。なにが団長をここまで変えた
か知らないが、仕事がしやすいし、はかどる。
 騎士は書類を手に、この執務室を後にする。
「では、失礼いたします」
 あの騎士は細かいところにも気がついて、しっかりしているのでアルベルも重宝してい
たりする。今度給料をあげてやるかなどと、ぼんやり考えていると、やっぱり小腹が減っ
た。
 夜食でなくても茶くらい飲もうと、アルベルは執務室を出る。
 調理場に足を踏み入れると、閑散としていて人の気配がない。薄明るい光を頼りに、ア
ルベルは調理場を見回してみたが、後片付けはすべて終わってしまっていたようだ。なん
だか食糧庫を漁るのも面倒な気分になってきた。
 仕方がない。水で我慢するか。
 ため息をつくと、共有の大きな水差しから水を注ぎ、飲んでいた。水なら、自分の所で
飲めば良かったのだが。
「あ、アルベル様!?」
「あん?」
 入り口からかけられる声に振り向くと、新入りの配膳係がいた。あまり記憶にないが、
食事の時、ちらりと顔を見かけた記憶がある。
「ど、どうしたんですか、こんな所へ!」
「喉が乾いたんでな」
「も、申し付けて下されば用意しましたのに!」
「面倒だったんでな」
 こういう時間の時は自分で動いた方が、はっきり言って早いという事を知っているので、
実はたまに夜中調理場をあさってたりしていたりするのだが。
「なにかご用意いたしましょうか?」
「いや、いい」
 手をひらひら振って、アルベルは調理場をあとにする。残された配膳係は複雑そうな顔
で彼の後姿を見送っていた。

「アルベル様? …そうね、まあ昔からそんなに悪い人じゃなかったけど、例の一件から
帰ってきたら、だいぶ性格が丸くなっていたから驚いたな」
 カルサア修練所では新入りの配膳係の先輩にあたるマユは、料理の手を止めて、少し考
えながら言った。
「でも、どうしたの?」
「ええ。昨夜、ちょっと片付け忘れたものがあって夜に調理場に行ったんですけど、アル
ベル様がいて驚いたんですよ」
「ああ、なんか時たま夜中に出没するんだよね、アルベル様。最近は深夜までお仕事して
るから、おなかすいたり、喉乾いたりするみたいね。たまにお夜食作ったりしてたんだけ
ど、あなたは知らなかったか」
「ええ…。なにかお出ししましょうかって言ったんですけど、いらないって言われて」
「ふーん。勝手に食糧庫漁るから困るんだけどね…。あ、ここだけの話ね。そういえば、
兵士の人もね、アルベル様丸くなったって、噂してるよ。前は近寄りがたい人だったしね。
わたしたちにはそうでもなかったけど、男の人には厳しい人だったし」
「そうだったんですか」
 小麦粉を練るのを再開し、マユは麺棒を動かす。新入りは小麦粉の袋の口をしめた。
「おかげで人気急上昇だよ。ほら、アルベル様ってすごく格好良いじゃない」
「お、男の方にですか?」
「両方だよ。この前、アーリグリフの貴族の娘さんとお見合いしないかって話がきたらし
いよ」
「え!? そ、それで、どうなったんですか?」
 新入りが思わず身を乗り出したので、マユはちょっと顔をしかめたが、すぐに表情を戻
した。
「断ったみたいよ。くわしい話は知らないけど」
「はあ…なるほど」
「あんたたち! 無駄口叩いてないで!」
「あ、はい、すいません!」
 おしゃべりしているのを見つけられて、新入りは慌てた声を出した。


「アルベル様? ああ、なんか本当最近丸くなったよなー」
 新入りはお酌をしながら、修練所トップのアルベルについて漆黒の兵士に尋ねてみた。
「前はすんげえ怖くてよー。下手な事言ったら斬られそうだったし。まあ、訓練が厳しい
のは相変わらずなんだけど」
「何考えてるかわかんねえ人だったしな。無愛想だし、シェルビー様との仲も悪かったし」
 一日の仕事が終わり、今はほとんどがゆっくりとした時間を過ごしている。兵士の一部
はこうして酒盛りなんかしていた。
「シェルビー様…ですか?」
「ああ、あんた新入りだから知らないか。前の漆黒の副団長だった方だよ。戦争のごたご
たで亡くなったけど」
「はあ…」
 空になったコップにお酒を注ぎ足す。
「まあ、無愛想なのは今も変わらねえか」
「でも、前より怖くなくなった感じはするな」
「そうだなあ」
 どうやら兵士の評判はかなり良くなってきているようである。


「…で、評判は最近も…上がりつつ…あるようです…と」
 新入りは報告書をまとめて、読み返してみる。こんなものかもしれない。
「ふう…」
 下っ端の自分では、上が何を考えているのやらわからない。ただ、言われた通りアルベ
ルの身辺調査をするだけだ。
 報告書をていねいにたたむと、周囲の気配をうかがう。大丈夫。だれもいないみたいだ。
 窓から身を乗り出し、口笛をふくと、一羽の鳥が窓のへりにちょこんと降り立った。そ
の鳥の足にくくりつけられている、金属管に詰め込んだ。また周囲を見回して、鳥をつか
んで軽く飛ばすと、羽ばたいて、空の彼方へと消えて行く。
 それをしばらく見送っていたが、やがてふっと息をつくと、新入りは仕事に戻った。



                                                            to be continued..