アルベルはあてがわれた部屋に一人、ぼんやりと突っ立っていた。さきほどクロセルと
協力して、何が何だかよくわからなかったが、星の船、フェイト達がバンデーン船という
謎の巨大物体を退けたところだった。
 クロセルのような巨大な竜だって畏怖せず立ち向かえたが。あの星の船とやらはわけが
わからなさすぎた。
 とりあえず、自分が刀で向かって行ってもはてしなく無駄なだけな事は悟った。シーハ
ーツとの戦争を横槍な形で終わらせた星の船。話に聞いてはいたが、無茶苦茶だ。そりゃ
あれだけの被害も出るはずである。
 牢獄から解放されて、アルベルはウォルターの話がどうしても信じられなくて、その星
の船とやらの事を少し調べた。
 信じられない程の戦死者の数である。あのヴォックスがやられたというのを、信じるの
も難しかったのだが。あの男、性格はともかく、実力は確かにあるのだ。
 クロセル並のドラゴンが必要なはずである。それだって結局ほとんど刃が立たなかった。
フェイト達のいた世界というのが、とりあえずとんでもなく文明が発達している事は伺え
た。近くにあるグリーデンの文明も発達しているそうだが、フェイト達はもっと進んでい
るのだろう。
 とにかく、この世界の危機はどうにかなった。
 フェイト達の戦いはまだ終わってないそうだが。とりあえず自分には関係がない。フェ
イト達も別に要請してないし、彼らも自分たちを巻き込む事を本意としないようだ。
 ならば、このまま自分は帰るだけだ。
 はあ…。
 珍しく、アルベルは重いため息をはく。
 自分のいた世界のなんと狭かった事か。井の中の蛙とはこの事か。
 アルベルは自分の右手を見つめる。
 まだだ。まだまだ自分は強くならなければならない。もっと強くならなければ。
 その右手を握り締めて。そして軽く荷物をまとめはじめた。
 部屋を出ると、ちょうどウォルターと出くわした。誰とも会いたくなかったので、アル
ベルは顔をしかめた。
「小僧。荷物まとめてどこへ行く」
「帰るだけだ」
「彼らに別れの挨拶はせんで良いのか? 仮にも仲間として組んだ仲じゃろうが」
「知るか。………挨拶なんて、俺のガラでもないだろ」
「そうかの?」
 その見透かすような目が気に入らない。しかし、ここで怒ってもはじまらない。アルベ
ルはもう何も言わないで城を出るべく歩きだした。
 ちょうど城の門を出たあたりで、空の彼方がキラリと光った気がした。それを目で追っ
て、抜けるような青空を見ていると、何とも言えない感情が沸き上がってくる。
 彼らと過ごした日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。仲間なんぞ、下らない馴れ合
いの集まりかと思っていたけれど。案外悪いモノでもなかった。
 そこまで考えて。
 なに、感傷的になってやがる。
 自分で戒めて、アルベルは首を振る。

 自分がやたら目立つ風貌やら格好やらしているくせに。アルベルはシランド市民の注目
を集めている事にムカついていた。
 この外国で、どれだけの人間が自分の事を知っているかわからないが。その影でコソコ
ソ言うのだけはひたすらムカつく。睨みつけるとそそくさと逃げ出すのだが。
 足早になって歩いていると、今度は数匹のエアードラゴンがシランド上空を通り過ぎて
行く。
 あの中に王が乗るドラゴン、オッドアイも飛んでいたから、ウォルターもあのあたりに
いるのだろう。
 アルベルも残っていればあのエアードラゴンに乗せられて、さっさとアーリグリフに帰
ったのだろうが、今はそんな気になれなかった。
 自分の足で歩いて、帰るつもりだ。
 そのドラゴンが飛んで行った方をぼんやりと眺めていた。
 ハッと途中で我に返り、また歩きだす。自分が思っているよりも随分、感傷的になって
いるようだ。
 そろそろ町の出口にさしかかろうとしていた時だった。
「ちょっとあんた!」
 最近聞き慣れた声が背後で聞こえた。自分の事かとちょっと振り返って見ると。赤い髪
を短く切った女がこちらに駆けてくるではないか。ネル様だとささやく声が聞こえる。そ
ういえば彼女はこの国では有名人だった。
 他人のフリを決め込んで歩いていると、さっきより大きな声で、怒鳴られてしまった。
「そこの、黄色と黒のおかしな髪で、腹出して、足もチラチラ出しながら歩いてるあんた
だよ!」
 自分の事である。と言うかその呼び方はなんだ。ガントレットの事や、名前を呼ばなかっ
たのは、自分がアーリグリフの人間だとは、知られないための配慮なのだろうが。
 アルベルは渋々立ち止まる。
「なんだ…」
 どうしても不機嫌になる。ネルはだいぶ急いで駆けて来たと見えて、自分の所まで来る
と手で膝をついて、前かがみになって荒い呼吸を繰り返している。
「ハァ、ハァ、ハァ…。忘れ物…」
 言って、ネルは一冊の本を目の前に持って来る。マリアから借りた本でアタックスペル
のスキルブックである。そういえば部屋に置きっ放しだった。
「いや…もういらないから置いてきたものだ…」
「え…だって…スキルブックだろ…。あんた読んでたんじゃないの…?」
「読んでたし、使ってみたが。結局俺は斬った方が早い」
 言われて。ネルはしばらくアルベルと本とを交互に見ていたが、やがてふっと息をつく。
「ま、確かにそれは言えるか…」
 息を整えて、ネルは深呼吸をした。
「…ハア。けど、どうしたって言うのさ。フェイト達に別れも告げないなんてさ」
「クソジジイに多少は言付けといたはずだが…」
「まあ、確かに聞いたけど…。それにしたってさ」
「放っとけ」
「ったく…。相変わらずだねえ、あんた。…で、あんたこれからどうするのさ?」
 真っすぐに自分を見上げる瞳。仲間に入った頃は殺気立った目付きで、スキあらば睨み
つけていた瞳なのに。その頃に比べると、今は随分穏やかだ。
「アーリグリフに帰る」
「アーリグリフに帰るって、国王とか、ウォルター伯とかはもうとっくにドラゴンに乗っ
て帰ったよ?」
「歩いて帰る」
「歩いてって…。まあ…良いけどさ…」
 呆れているらしい。ネルは息をついて腰に両手を置く。
「フェイト達とは…もう二度と会えないんだよね…」
 寂しげにつぶやく。彼女のフェイトを見る目は、他の人間とは明らかに違っていた。そ
れに気づいたのは、知らず彼女を目で追うようになってからだ。
 なにげに観察していると、自分が彼女を目で追うように、彼女もフェイトを目で追って
いた。援護も彼の方につく事もどことなく多いようだ。もちろん、彼女もプロだから、明
確な形でえこ贔屓のような真似はしないのだが。それでも、やはりフェイトの援護につく
事が多い。
 自分が彼女を目で追うより前に、彼女はフェイトの事を意識していたようだ。どうも見
ているとそれに彼女自身の自覚はないようなのだが。
 今、その顔がどれほど寂しそうな顔をしているか。鏡で見たら彼女自身が一番驚くので
はないだろうか。
「だろうな。わけのわからない野郎だと思っていたが。本当にわけがわからねえ」
「確かにそれはね……。別れる時も、目の前で消えちまったよ。何だったのか、見ていた
私もさっぱりわからない」
 小さく笑って。それがなんとも寂しげで。この女を見つめている自分は、一体どんな顔
をしているのか。
 憎まれている方が慣れているし、さっさと割り切れるものだ。だがこの女は自分を憎む
事をやめてしまったようだ。
 どうして憎んだままでいてくれなかったのだろうか。限りなく自分はそっけなくしてい
るつもりだと言うのに。フェイト達との別れだってしなかったのに。
 なんなんだ、この気持は。
 知らず、アルベルの方も苛立ってきた。
 女一人のために、この自分が、どうしてこんなに気持がかき乱されなくてはならぬのか。
こんな事は初めてで、どうして良いかわからなくて。とにかく苛立ってくる。
「ともかく。その本はいらねえ。てめえの方でもいらねえって言うなら、捨てといてくれ。
俺は帰る」
 不機嫌そうに吐き捨てるように言って。ネルの顔を見ないで踵を返して歩きだす。
 けれど。アルベルは出入り口まで来て立ち止まった。
 思わず振り返ると自分を見送る彼女と、彼女の背後にそびえるシランドの街が目前に広
がった。優美なシランド城。整理された町並み。街に流れる清らかな水。あふれる施力。
何もかも自分の故郷の国とは掛け離れていた。
 アルゼイ王の気持が今更ながらよくわかった。
 これだけの肥沃な土地だ。アーリグリフの領土となれば国民全員の、飢えも寒さもしの
げよう。このすべてを手中にしようとして。
 失敗した。
 もし戦争に勝っていたら、この女も手に入ったのか?
 そんなわけねえ。
 あっさりと今考えた事を打ち消す。
「良い所だろ?」
 シランドの街を見渡す自分に、ネルは少し満足そうに微笑みかけた。その顔は、この国
を、この街を心から誇りに思っているのだろう。
「気が向いたら…あんたじゃ向かないかもしれないけどさ。なにかのついでで良いから、
またシランドに来ると良いよ」
 良い顔で笑いやがる。
 知らず、アルベルは目を細める。
 だが、アルベルは首を振って歩きだす。
「仕事でもねえ限り。来る事はねえだろうよ」
 ぎりぎり彼女にまで届くか届かないかくらいかの声量。もっとも、隠密な彼女の事だか
ら、聞こえているだろうと思うが。
「それでも良いからさ!」
 だいぶ距離が離れてきたので、ネルは口に手を添えて叫んだ。
 どうしてあんな事を言うのか、あの女は。
 いや、そういう女だったか。
 もう振り返らないで、アルベルは歩きだす。シランドの門を越え、イリスの野に足を踏
み出す。このへんのモンスターなど、アルベルの敵ではない。
 別に金に困っている身分でもないし、アーリグリフまでの道中の不安な要素など何一つ
ないのだが。
 周りに誰もいないという妙な寂しさを感じながらも、それを振り払って歩きだした。


 ペターニで宿をとり、アルベルはどさりと身体をベッドに横たえる。
 長く重いため息を吐き出した。
 未熟な自身。特定の女を目で追う自分。未知の世界。誰かと協力して何かを成し遂げる
事。
 今回の旅は発見が多すぎた。発見と言うほど、なんだか嬉しい事ばかりではないはずな
のだが。
 とにもかくにも旅を通して痛感した事は、自分がまだまだ全然未熟だと言う事だった。
確かに自分だって強くないわけではないのだが。上には上がいる。自分はその上に行きた
かったはずで、そこにいなければならなかったはずだ。
 ともかく、カルサアに帰ったら一から修行をしなおせねばならないか。だがカルサアに
いる連中では相手にならない。
 もっと強い相手…。
 それを考えて、フェイトの顔がふっと浮かんで自分自身嫌になる。
 いない人間を相手にするなど不可能な事だし、どうしてあの男の顔が浮かぶと言うのか。
 だがフェイトは底知れぬ成長力を秘めていて、それは悔しいながらも認めていた。認め
られないという狭量さは自分も嫌だったし。
 何もかもが目まぐるしい。
 ぼんやり見上げる天井に、くるくると仲間だったヤツらの顔が巡る。
 自分がこんなに感傷的だとは知らなかった。
 もう二度と会わぬヤツらだと言うのに。
 ネルとはもしかするとまた会うかもしれない。お互い国の要職にいるので、確率はロジ
ャーよりも高いだろう。もっとも、それだってどれだけあるものだか知れたものではない
が。
 目を閉じると、ネルの顔が浮かぶ。自分を睨みつける顔。呆れた顔。不思議そうな顔。
そして笑う顔。隠密という仕事をしているが、それにしては彼女は表情豊かだ。もっとも
っと彼女の顔が見たくなる。気をつけていないと視線が彼女の方へ行ってしまう。…これ
は…。
 オイ…。
 ちょっと待て…。
 アルベルは自分自身に突っ込んだ。
 もしかして、これは…。
 これがアレってヤツなのか…。
 なんだか呆然としてくる。
 一生自分には縁のないものだと思っていた。結婚するにしたって、どうせどこかの娘と
の政略結婚が良いとこだろうと思っていた。もっとも、あまりするつもりもないのだが。
相手もこんな自分と一緒になっては不遇というものだろうし。
 この俺がそんな事…。
 あるはずが…。
 思い直して、頭を振る。確かに女は嫌いではない。あの柔らかい肉体は男として欲しい
時だってあるものだ。
 女など、多少小ぎれいで、多少肉付いていれば良いのだ。それ以上に何の興味があると
言うのか。
 それ以上の興味など…。
 思いかけて、彼女の事をもっともっと知りたい自分がここにいる事に気づく。何故、知
りたいのか。何故もっと彼女の顔が見たくなるのか。何故、気をつけていないと、彼女に
視線がいってしまうのか。




                                                     to be continued..