「今までごめんなさいね、ネル。今度から安心して良いわ」
「安心って…?」
 ネルは不思議そうな顔で、マリアを見た。
「ディプロでのあなたの個室、なんとかなりそうなの」
 宇宙船ディプロ。反銀河連邦組織クォークの乗る船である。エリクール2号星へ向かう
途中なのだが、エクスキューショナー達を迂回する道をその時々で取る必要があるため。
目的地までは思ったより時間がかかってしまっていた。
 そして、マリアのいたずら心と個室の残りの数の都合から、ネルはアルベルと同室とい
う、年頃の女性としては不適当極まりない処遇を受けていたのだが。
「本当かい?」
「ええ。物置にしていた部屋をどうにかして、ね…。あ、物置だからといって、別に倉庫
みたいな部屋じゃなくて、もともとは個室だったのを、みんなして荷物を置いていったら、
結果的に物置になっちゃった部屋でね。施設としては、今まであなたが使っていた部屋と
変わりないわ」
 やはり、似た年頃の男女を同室にするというのは、ネルにとって不便も多かろうという
気持があって、マリアはクォークのみんなに言ってその個室を用意させたのである。
「こっちよ」
 ウィンクして、ネルを連れてマリアは歩きだす。
 案内された部屋は、マリアの言う通り、ネルが今まであてがわれていた部屋と、構造は
まるで同じ部屋であった。
「急いで掃除したものだから、少しほこりっぽいのは我慢してちょうだい」
「いや、いいよ。悪いね。なにか、無理させちまったみたいで」
「無理なんかしてないわ。今まで悪いと思っていたのはこっちの方よ」
「はは…」
 ネルは苦笑してごまかしたが。
「じゃ、早速移動するよ。荷物はもう運びこんじゃって良いんだね?」
「ええ。じゃあ、私はちょっと用事があるから行くけど」
「ああ」
 軽く手を振って、マリアを送り出すと、ネルは苦笑して今まで自分があてがわれていた
部屋へと赴いた。
 プシュ
 この船のドアはどこを開けてもこんな音しかしない。いい加減もう慣れたが。
 部屋に入ると、アルベルは武器の手入れに執心していた。
「マリアが新しい部屋を用意してくれたんだ。これからは、この部屋はあんた一人で使う
事になったよ」
「は?」
 武器の手入れに夢中だったのか、アルベルは顔をあげて間の抜けた声をあげた。
「だから。新しい部屋を用意してくれたんだ。私はこれからはそっちで寝起きする。この
部屋はあんた一人で使うってワケ」
「フン。これからはこの椅子で寝起きしなくて良いって事か?」
 アルベルはこちらのベンチのような椅子で寝起きする事になっていた。寝所がどこだろ
うがあまり不満を言うつもりはないが、たまに寝ぼけて椅子から落ちるのは、あまり良い
気持のするものではなかった。
「そういう事」
 それだけ言って、ネルは荷物をまとめはじめる。
 ネルは無言で荷物をまとめていたし、アルベルも無言で武器の手入れをしていた。別に
嫌な沈黙ではなく。特別話す事もないのでしゃべらないだけなのだが。
「それじゃ」
 荷物をまとめ終わると、ネルは少しだけ振り返って、それから部屋を出て行ってしまっ
た。
 アルベルは横目でちらりとネルを見ただけで。小さく鼻を鳴らすと武器の方に視線を戻
した。刀とガントレットの両方の手入れをしなければならないので、他のメンバーよりも
時間がかかる。もともと武器は好きなので、それを苦と思った事はないが。
 別に女が出て行く事自体、たいした事はないと思った。寝所が変わって、多少寝やすく
なったりするくらいだと思った。
 確かに、自分はあの女に普通ならぬ感情を抱いているし、彼女とこの部屋で体を重ね合
わせた事もあるけれど。そんな事を表ざたにする気などさらさらないし、彼女が出て行っ
た事が残念だなどとは死んでも思いたくない。未練がましい自分など、自分が一番許さな
い。
 アルベルは深呼吸をして、神経を集中すると…。
 女の残り香が部屋に漂っていて、思わず辟易した。

「アルベルちゃーん。ごはんだよー」
 ひょいとトレーニングルームをのぞき込み、スフレは一人鍛練に励むアルベルを見つけ
た。部屋にいなければ、ここくらいしかアルベルは行く場所がないはずで。スフレの思っ
た通りで、彼はここにいた。
「ん? ああ…」
 落ちてきた汗をぬぐい、アルベルは振り返る。部屋では狭くて好きな刀も振るえない。
ので、ここで好きなだけ素振りをしていたのだが。
「すごい汗だね、アルベルちゃん。ごはんの前にシャワーでも浴びてきたら?」
「ああ…。そうする…」
 珍しく素直にそう言うと、アルベルは刀を鞘にしまう。
「じゃ、アルベルちゃんはちょっと遅くなるって言っといてあげるね。でも、なるべく早
めに来るんだよ?」
「ああ…」
 次から次へと流れ落ちる汗をぬぐいながら、アルベルはスフレを通り過ぎて、部屋へと
向かう。
 スフレはそんな彼を見送って、それから食堂へ向かった。

 頭から熱いシャワーを浴びる。
 ただボタンを押すだけで、湯を浴び続けられるこの浴室は、ディプロ内で唯一、アルベ
ルが気に入ったものだった。この船はアルベルにとって怪しいものが多すぎるか、これは
確かに便利だ。
 濡れた髪をかきあげて、軽くまとめて水気を切る。
 体を拭き、ラフな格好に着替えると、肩にタオルをかけて部屋を出る。髪が濡れたまま
だが、ここは寒くない。風邪をひくことなどないだろう。
 タオルで頭を拭きながら、アルベルは食堂へと向かう。
 プシュ
 気の抜ける音にはいい加減慣れてきたが。
 アルベルは、食堂に入って、自分が注目を集めている事に気づいた。全員がまるで凝視
するように彼を見ているのだ。
 それに機嫌を悪くしながらも、近くの空いている席に座る。
 何でみんなが自分に注目しているのかよくわからないが、とりあえず不快である。
「おい、メシはどこだ?」
 彼の向かいの席に座っていたクリフに話しかけるが、彼は硬直したように彼を見つめる
だけだ。
「おい!」
「へ? あ、ああ…。メシか…。待ってろ。とってきてやる」
「は? おい、自分で行くぞ」
「いいから。そこで待ってな」
 クリフは気味悪いくらいに珍しく親切で。アルベルは思いきり顔をしかめた。
「ホラよ」
 ほどなくして、クリフは食事の乗ったトレイを持って来てくれた。
「ああ…。…………すまんな…」
 聞き取りにくかったが。アルベルは礼を言う。仲間になった当初からは考えられなかっ
たが、彼が最近丸くなってきたのは、彼自身多少なりとも自覚はしてきていたが。
「アルベルさんって…」
「ん?」
 話しかけられ、スープをスプーンですくいながら、アルベルは隣にいるソフィアを見る。
「アルベルさんって…その、色っぽいんですね…」
「は?」
 この上なく。アルベルは眉間にシワを寄せてソフィアを睨みつけた。
「なに寝ぼけた事言ってんだよ。気持ワリイな」
 ソフィアの言うことにまるでとりあおうともせず。アルベルは食事に戻る。
 …自覚ないんだ…。普段あんな格好してるくせに…。
 食堂にいたほとんどが似たような事を思った。
 濡れた髪の、風呂上がりのアルベルは、鎖骨を見せたラフな格好と相俟って。男でも見
ほれる色気を発していたのだ。
 今まで誰も怖がって彼に近づく人が少なかったし、今まで同室だったロジャーがそんな
もん気づくわけないし、ネルはそんな事他言しなかったら、みんな知らなかったのだが。
「ああ? さっきからなにガンつけてんだよ?」
 本当は見とれていたのだが、アルベルはそうとらなかったようで、さっきから視線を感
じていたクリフを睨みつけた。
「いや…別にそういうわけじゃ…」
 彼の隣にいるミラージュの視線をも感じて、クリフは慌てて自分の食事に戻る。
「足りねえんだが、もうねえのか?」
 あっと言う間に食べ終えて、スプーンを口にくわえながら、アルベルはソフィアを見る。
「お代わりですか? それなら、あっちに行けばあるはずですよ」
「わかった」
 皿を持って立ち上がり、アルベルはお代わりをもらいに歩きだす。
 その後姿を思わず目で追うクリフ。
「…女なら良かったのに…ですか?」
 ミラージュの淡々とした声がクリフの動きをとめる。
「なっ、なに言ってんだよミラージュ!」
「声が裏返ってますよ、クリフ」
 するどく突っ込まれて、言葉を失うクリフ。そして、気まずそうな顔で食事に戻る。
「ふーっ」
 何故かため息まじりにどかっと席について、アルベルは食事を続ける。食べ方も豪快で
多少オヤジくさい。仕草や動作などは男らしいというか、外見とは裏腹なものばかりなの
だが。

「はあ…」
 トレーニングルームで滝のように汗を流し、体を動かしたから、肉体は疲れている。こ
のままベッドに身を委ねれば、すぐに眠りにつけるはずだ。
 ばさっと肩にかけたタオルを投げて、倒れるようにベッドに横たわる。ベッドの近くに
あるボタンに手を延ばし明かりを消す。
 いつもならすぐに眠れた事だろう。
 だが。
「………………」
 ベッドの布団には、女の残り香がそこはかとなく、残っていた。そういえば、あの女は
ずっとこのベッドで寝ていた。
 思い出す、熱い時間。
 体は疲れているのに、精神はそんなことはないようで。
 目を閉じれば、まぶたの裏に女の肌がうっすらと浮かびあがる。
 耳の奥であの声が響くようで。
「クソッタレ!」
 これではちっとも眠れない。
「チッ…」
 小さく舌打ちし、アルベルは身を起こす。そして、壁にたてかけてある愛用の刀に目を
向けた。

「あら?」
 ミラージュは暗いディプロ内の見回りをしていたが、トレーニングルームが明るいのに
気づいて足を止めた。
「まあ…」
 トレーニングルームではアルベルが一人、刀を手に素振りを繰り返している。このディ
プロでは、刀を振り回しても平気なのは、確かにトレーニングルームくらいしかないのだ
が…。
「こんな時間なのに、精がでますね」
「ん?」
 素振りする手を止めて、アルベルは横目でミラージュを見やる。
「フン…」
 だが、すぐに視線を戻し、素振りを続けた。
「鍛練も良いですけど、体を休める事も必要ですよ。あまり体に鞭打つのは良くありませ
ん」
「フン…、放っておけ…」
 ミラージュの方を見向きもしないで、アルベルは素振りを続ける。そんなことはアルベ
ル自身も承知しているのだが。
 どうにかして眠るには、極限まで体を疲れさせるしかない。そう思って、ここに来た。
「ほどほどにしてくださいね」
 それだけ言い残して、ミラージュは他の部屋へと足を向けた。
 目だけで彼女を少しの間追っていたが、やがてアルベルは素振りに専念した。
 これだけ疲れさせれば、すぐに眠れるはずだ…。
 しかし。
 布団に残る女の香りが、どんなに肉体を疲れさせても、アルベルを眠らせてはくれなか
った。余計に目がらんらんとして、体の疲れとは裏腹に頭の中はやたら活発で。
「チックショウ…」
 歯軋りしながら、アルベルは起き上がる。とてもじゃないが、このベッドでは眠れそう
にない。
 ちらりと、アルベルは向かいの昨日まで自分が寝ていた椅子を見た。

「アルベルちゃーん! 起きろー! ごはんだぞー! 室内放送切ってるのー?」
 インタホンを連打して鳴らしながら、スフレが起こしに来た。
「アルベルちゃーん?」
 反応がないので、スフレはちょっとだけ、ドアのセンサーに触れてみる。
 プシュ。
 扉は難無く開いて、薄暗い室内が見渡せる。
「アルベルちゃん、鍵かけてなかったんだね。不用心だよー?」
「うう…、なんだよ…」
 廊下から光が差し込んで、アルベルが毛布の中でもぞもぞと動く。それを見てスフレは
きょとんと首をかしげる。
「……ねえ、アルベルちゃん。アルベルちゃんがどこで寝たって、そりゃあ、アタシは構
わないんだけどさ。でもどーして、ベッドが空いてるのに、椅子の上で寝てたりするの?」
 人が寝るはずのベッドは空で、人が座るはずの椅子の上で、アルベルは毛布にくるまっ
て寝ていた。
「…う……ん…。うるせえな…。なんだよ…メシか?」
 スフレの言ってる事には取り合わず、毛布の中から眠たげな目だけをこちらに向ける。
「ごはんだよ」
「そっか…」
 もぞもぞとしばらくぐずぐずしていたが、やがてゆっくりと身を起こす。
「食堂で待ってるよー!」
 スフレは手をぶんぶんと振って、扉を閉めると先に食堂へと歩きだす。
「はあ…」
 体の方は疲れていた。すこし寝たりないが、目が覚めてしまうとここで眠る気にはなれ
ない。おおきなあくびをして、半分しか開いてない目のまま、アルベルは着替えるために
椅子から立ち上がった。

 布団に残る香りは時間的に言えば、もう消えても良いはずではないか。しかし、記憶は
鮮明に残り続けていて、わずかに匂っているのかいないのかもうわからない香りを、記憶
が勝手にたぐりよせる。
 いくらなんでも、こんな所で夜這いなど死んでもプライドが許さない。女が欲しくなっ
てもここではどうしようもない。一人で耽るのも空しい。
 となれば。
「…せんひゃくさんじゅうよん。せんひゃくさんじゅうご。せんひゃくさんじゅう…ふわ、
はああ…」
 涙さえも目のはしっこに浮かべて、スフレは大きくあくびをする。
「アルベルちゃーん。どこまで数えたっけ?」
「さあな」
 アルベルは、トレーニングルームでさっきから黙々と腕立て伏せをしている。彼の近く
にあるトレーニング機器に腰掛けて、スフレは彼の鍛練に勝手に付き合っていた。
なんだかんだ言って、ディプロ内ではそんなにやる事がない。
コンピューターを使いこなせる連中はそれで時間がつぶせるが、未開惑星出身ではどう
しようもない。スフレはコンピューターよりも体を動かしている方が好きなので、足は自
然にこちらのトレーニングルームに向かいやすい。
「アルベルちゃん。飽きたー…」
「だったら寝てりゃ良いだろ。付き合えと言った覚えはないぞ」
 アルベルの鍛練にスフレが勝手に付き合っているだけなのだが、他の連中がコンピュー
ターとにらめっこしていては、スフレもつまらない。
「そうなんだけどー。アルベルちゃんよく疲れないねー。ずっとトレーニングしてるなん
てさあ」
「体力なんぞつけておいて越した事はねえ。それだけだ」
「まあねえ。それはねえ」
 眠そうな瞳で同意して、スフレはトレーニング機器にもたれかかる。
 スフレだって毎日鍛練は欠かさない。未来の大ダンサーを目指して日夜努力を怠った事
はない。体力をつける事に関しては同意するが、正直単調な鍛練メニューに飽きていた。
 眠くて瞳を閉じてしまったスフレには取り合わず、腕立て伏せを続けるアルベル。
 トレーニング機器の使い方も聞いたが、よくわからないのが多く、結局あまり機器を使
わないトレーニングメニューになる。
 まだだ。
 まだまだもっと。
 もっと体を疲れさせないと、あの残り香に負けてしまうような気がして、負けると考え
ただけでも、アルベルは悔しくてたまらない。
 そう思うと、疲れた体に鞭打って、鍛練を続けた


                                                           to be continued..