「これ、覚えられるなら覚えてほしいの。回復は使えて損はないから」
 そう言いながら、マリアはアルベルに1冊の本を手渡した。無言でタイトルを読むと、[サ
ポートスペル・スキルブック]と書いてある。
「…なんだ…これは…」
「だから、回復系の紋章術が使えるようになる本よ。正確に言えば、使い方を書いてある
本ね」
「ふうん…」
 少し読み込まれた感じの表紙をひらき、中身を確認する。
 紋章術。マリアの世界ではそう言って、アルベル達の世界では施術と呼ぶ。それの使い
方を図解入りで書いてあるようだが…。教科書みたいなものか。
「クリフとロジャーにも読んでもらおうと思ったんだけど。どうにも苦手みたいね。無理
強いはしないけど、使えて損はないという理屈はわかるでしょう?」
「まあな…」
「それじゃ、その本はあげるわ」
「? おまえはいらないのか?」
「私はもう使えるから」
 そういえば、つい最近、ヒーリングをマスターして、戦闘中に使っていた事を思い出す。
アルベルはフンと小さく鼻を鳴らすと、本を閉じて、割り当てられた部屋に入った。


 割り当てられた部屋で、ベッドに寝転びながら、アルベルは本を読み進める。
「ん? 本読んでるのか? 珍しいな」
 同室に割り当てられたロジャーは部屋に入ってくるなり、読書しているアルベルを見つ
けて、少し目を丸くした。
「まあな…」
 上の空で返事をして、ページをめくる。ロジャーは何を読んでいるか気になって、本の
背表紙を見るべく、ちょっと背をかがめる。
「さ、さぽーとすぺる、すきるぶっく…。ああ、あの本か」
「知ってんのか?」
 アルベルは目だけを、ロジャーの方に向ける。
「前に読まされたんだけど、オイラにはなんか、向かねえみたいだ」
「そうか…」
 そういえば、マリアがそのような事を言っていたようだが…。読んでみると、そんなに
難しい事を書いてあるようには思えなかった。
「おい、そこに立ってろ」
「ん? こうか?」
「ヒーリング」
 呪文を唱え、手をかざすと手のひらから紋章が光りながら表われて、ロジャーを緑色の
光が包む。
「どうだ?」
 言われて、ロジャーは自分の体をあちこち見ていたが、首を振った。
「さあ…。オイラさっきたっぷり寝たからなぁ…。わかんねえや…」
 元から体力が満タンの者に使っても無意味か。
「それなら…。サイレンス」
 今度は違う施術を使ってみるが。
「それって、施術だけを封じるヤツなんだろ? 元から使えないオイラに使ってもしょう
がないんじゃあ…」
 ロジャーに突っ込まれるようではおしまいではないか。アルベルは小さく眉をしかめる。
「アンチドート…は、毒をくらってないと無理か…。おいタヌキ。てめえ毒くらってこい」
「無茶言うなバカチン! 何でオイラがわざわざ毒食らわなきゃなんねーんだ!」
 アルベルがひどい事を言ってきたので、ロジャーは怒り出してしまった。
 仕方ない。
 アルベルは本を閉じて、天井を見上げた。今現在、宿で休んでいるから体力を削ってい
る者などいないだろう。ヒーリングを試すにも試す相手がいないから、また今度にする事
にした。


「くそっ!」
 モンスターの爪攻撃をくらって、クリフはステップを踏んで後退する。腕に深い傷をく
らい、クリフは患部を手のひらでおさえ、顔を苦痛にゆがめた。
 チャンスだ。
「ヒーリ…」
「ヒーリング!」
 アルベルの術が飛ぶ前に、マリアの術がさっさと飛んでいった。
「お、サンキュー!」
 あっと言う間に傷を治し、クリフの顔がぱっと明るくなる。親指をたてて見せると、ま
た戦闘に戻って行った。
「油断…したか!」
 今度はフェイトが激しい体当たりをくらって、地面に転がり動けないでいた。
 今度こそ!
「ヒー…」
「ヒーリング! 大丈夫かい?」
「あ、ありがとうございます!」
 今度も、アルベルより先にネルの術が飛んでいた。思わず手を突き出したまま呆然と突
っ立っていると、そばにいた怪物の体当たりをくらってしまった。
「ぐはっ!」
「何やってんだい!」
 飛んでくるネルの叱咤に思わず腹をたてたりして。
「くそったれが!」
 力任せに、体当たりしてきた怪物をぶったぎった。
「ちっ!」
 アルベルは回復施術を使う事をとっととあきらめて、戦闘モードに切り替えた。
 所詮自分は戦争屋だ。肉を斬る感触に口元を歪ませて、刀に刺さったままの怪物を蹴り
飛ばした。


「ウルザ溶岩洞にいる怪物達は、今までのヤツらよりもずっと強いらしいから。みんな、
気をつけて」
 フェイトが顔を少しこわばらせて、ウルザ溶岩洞の入り口で全員を見回して言った。
 アルベルにとって、嫌な思い出しかないウルザ溶岩洞。もう二度と行く事もないと思っ
ていたのだが。
 あの時はあの時だ。気持を切り替えねばなるまい。首をふり、アルベルはフェイト達の
最後尾に続いた。
 ウルザ溶岩洞はその名の通り、溶岩がところどころ流れ出ているような場所で、洞窟全
体が蒸し風呂のように熱い。
「あぢゃー」
 目を半開きにして、ロジャーは舌を出している。こうして見るとますますタヌキっぽい。
そういえばウォルターはよくタヌキジジイとか言われているが、本物のタヌキジジイはこ
いつのじいさんかとかよくわからない事を考えながら、アルベルはロジャーの揺れる尻尾
をなんとなく眺めていた。
「しかし…何を考えているかわからん男だな…」
 クリフは最尾をついてくるアルベルをちらりと見て、マリアに小声で話しかける。
「アルベルの事? …そうね…。でもまあ、そういう人なんでしょう…」
 マリアもちらりとアルベルを見て、小声で返す。
 人の考えている事などわからないものである。
「敵だよ!」
 ネルの声に、全員が身を身構える。目前には全身を炎を焼かれ、よたよたと歩きまわる
おかしなモンスターがふらふらしている。
「なんだありゃ!」
「しゅ、趣味が悪いわ…」
「ファイアーコープスだ。気をつけろ。炎系の技を使うぞ」
 それだけ言って、アルベルはダッシュをかけて切り込んでいく。ちょっとだけ顔を見合
わせたクリフとマリアだが、すぐに顔を引き締めてそれぞれの武器を構えた。
 大丈夫だと思ったものの、やはり苦い思い出を目の前につきつけられるようなこのモン
スターは正直言って、アルベルも苦手だった。
 おそらく苦もなく片付けられるレベルの相手のはずなのだが。視覚的効果がアルベルに
とって最悪である。
 どこか及び腰になっているのを見抜かれたか、援軍としてきていたノヴァズブレイズが
横から技を放ってきた。
「スターフォール」
 無機質な声が聞こえ、アルベルの頭上から振動が落ちてくる。
「しまっ…」
 逃げようと思った時はもう遅く。アルベルの体は上から降ってくる謎の物体に押し潰さ
れていた。
「アルベル!」
 フェイトの声に、ネルもハッとした。目を向けると、さっきまでアルベルがいた場所に
岩みたいなのが降り注いでいるではないか。
「こにゃろーっ!」
 スターフォールを放ったノヴァズブレイズは。ロジャーの斧の一撃によって、葬り去ら
れていた。
「まだまだくるぞ!」
 クリフの声に前を見ると、ぼろぞうきんのような姿の幽霊がふわふわと浮かびながらこ
ちらに襲いかかってくる。
「クソ! キリがねえな!」
 汗をぬぐうひまさえなく、戦闘は続く。
「ここは…引いた方が良いな!」
「そうね!」
 フェイトとマリアは背中合わせになって、自分達を取り囲むモンスター達をねめ付ける。
「僕が退路をひらく。マリアはなんとか敵をくい止めて!」
「オッケー!」
 ちょっとだけ目を合わせて。ほんの少しだけお互い笑うと、ばっと体を離した。
「逃げるぞ! こっちへ!」
 取り囲む層が薄いところ目がけて、フェイトは剣を大きく振り回しながら、道を開く。
 フェイトの指示を聞き、仲間達は目で退路を確認する。そして、なんとかモンスター達
をあしらいながら、フェイトに続いた。
「急げ! バール遺跡まで退却するぞ!」
 みんなは溶岩洞を走り抜け、洞窟と遺跡をつなぐ扉まで疾走した。
 背後の安全を確かめるべく、ネルは横目で後ろを確認する。と、しつこいのが一匹、薄
暗いので何なのか確認できないが、こちらを追いかけてくるようだ。ネルは走りながら呪
文を唱え、完成したところで振り返って術を解き放った。
「サンダーフレア!」
 バリバリと雷が音をたてて、モンスターを焼いた。足止めには持って来いの術なので、
こういうときは重宝する。
「ハァッ、ハァッ、ハァーっ! みんな、大丈夫か?」
 肩で大きく呼吸を繰り返し、フェイトは息も絶え絶えになっている仲間たちを見渡した。
バール遺跡はウルザ溶岩洞と違い空気がひんやりしていて、すごく気持が良い。
「な、なんとか…」
「逃げ切れた…ようね…」
 やっと汗をぬぐい、マリアもみんなを見渡した。
「………あら……?」
「どうしたんだい?」
 マリアの声に、ネルも汗をぬぐいながら顔をあげる。
「アルベルは?」
「え?」
 そこで、全員はお互いを見回した。
 アルベルはこの場にはいなかった。
「……まさか……」
 引きつった顔で、フェイトはウルザ溶岩洞に続く先を見た。薄暗くて見通しが悪いので
よくは見えないのだが。
「あいつ…、隕石みてえなのくらってたよな…」
 冷や汗を流しながら、クリフもウルザ溶岩洞の方を見た。
 もしかして、あの場にそのまま置いてきてしまった?
 全員が気まずい沈黙に包まれた後。
「ここで待ってて。様子を見てくるから」
 慌てたフェイトが、ウルザ溶岩洞の方へ駆け出すと同時に。
「うわ!」
「うお!」
 どんっと誰かと激しくぶつかった。
「あたたた…」
 思わず尻餅をついて、ぶつかった相手を見ると、相手も尻餅をついているようだった。
「クソッ! 何なんだ、一体…!」
「アルベル! 無事だったのか!?」
「ああ!?」
 ガラも悪く、アルベルは顔をしかめてフェイトを睨みつけた。薄暗くてハッキリと見え
ないが気配も声も間違いない。アルベルだ。
 それを見て、マリアは安堵の息をもらした。どうやら全員無事なようだ。
「いや、逃げたは良いけど、アルベルの姿が見当たらなくてさ。探しに行こうと思ってた
んだけど…」
「ああそうかい」
 非常に機嫌がよろしくないアルベルはそう言って、顔をしかめたまま、立ち上がる。
「てめぇらが逃げるってのを聞いて、何とか起き上がってモンスター切りながら走ってた
はいいが、そこで雷のカタマリをくらって足止めくらってたんだよ!」
「うっ…!」
 つまり。アルベルはモンスターと間違えられて、サンダーフレアをくらったのだ。言わ
れてみれば、彼の服はとこどころ焦げていて、焦げ臭い匂いがした。
「あの………その………悪かったよ……。よく確かめもしないで、術を放って…」
 気まずい思いをして、ネルは上目使いでアルベルを見たが。
「てめぇか…」
 術を放ったのがネルだと言うのを知って。アルベルは剣呑とした目付きで彼女を見たが。
やがて鼻を鳴らして背中を向けてしまった。
 俺を殺す気か?
 そう言おうかとも思ったが。言うだけ無駄だったのでやめた。
 彼女が自分に対して殺気を放っていたのは確かだ。最近はめっきり少なくなっているよ
うだが、それでも、お互い敵として戦っていたのである。
 これも仕事だ。
 そうして割り切るより他あるまい。
「回復アイテムもどうも使いすぎたようだし。用心して、ここは道具の調達に戻ろうか…」
 腰に手をあてて、フェイトはため息混じりにそう言った。万端に準備して挑んだつもり
であったが、予想外に強敵が連続して出るので、思ったよりかなり回復道具を使ってしま
っていた。
「賛成。オイラもう暑くていやだ…」
 ロジャーは舌を出しながら、地面にへたばっていた。
「一休みしたら、山を降りよう。……水の補給もしなくちゃな…」
 水筒を口に含んで。ほとんど空に近い事を知ると、フェイトは少し眉をしかめながら、
水筒を振った。
「バール遺跡を抜ければ涼しいバール山洞に入るから。そこまで行けば暑くないわよ」
 暑さにへたばったロジャーに、マリアは近くにある岩に腰をかけて話しかける。そう言
われて、ロジャーは少し弱々しいながらも、笑みを浮かべてマリアを見た。



                                                              to be continued..