「ふむ…」
 闘技場の控室に近い医務室で、アルベルは医師の検診を受けていた。椅子に座らせられ、
指で目を開かれている。医師の背後の画面には、アルベルのものと思われる頭蓋骨が映し
出されていた。画面は、他にも小さな光る文字がびっしりと並んでいる。
 ディプロの医務室もよくわからない道具が満載だったが、ジェミティの医務室も、よく
わからない機器や道具が満載だった。ただ、どうにも薬くさいのだけは共通していた。
「…これくらいなら、点眼薬で治るね。失明の心配はないよ。目薬を出しておくから。き
ちんと点眼を続ければ、1週間もしないで見えるようになるよ」
 一緒に付き添っていたネルは、ほっと安堵の息をもらした。
「もっと早く治せないのか?」
「あまり急激に治すっていうのは、君にも負担がかかるからね。多少時間がかかってもゆ
っくり治す方が良いんだよ」
 そう医師に言われてしまっては仕方がない。アルベルは口をつぐんだ。
「あとは特に異常もないし。しばらく不便かもしれないけど、そのうち見えるようになる
から。焦らないようにね。お大事に」
 医師にぽんと肩を叩かれ、検診が終わった事を悟る。
「あまり目を使わないように、これを使って下さい」
 看護婦が、用意しておいたアイマスクを丁寧にアルベルにかぶせる。
「これがないとまずいですか?」
「まずいっていうほど、まずくはありませんけど。やらないよりやった方が良いです」
 思わず尋ねるネルに、看護婦はにっこりほほ笑んで答えた。
「こっちだよ」
 治療の終わったアルベルの手をとり、ネルは出口へと案内する。
 ドアを開けると、医務室前の廊下になぜか全員が集合していて、いっせいにこちらを見
た。見えなくてもなんとなく気配と雰囲気を察したらしく、アルベルもたじろいだ。
「大丈夫だよね!? アルベルちゃん!」
「おい、目が見えなくなったなんてウソだろ!?」
「どうだったんだ? ネルさん、何か聞きましたよね? どうだったんですか?」
「ジェミティなんだから医療だって高度な技術なんでしょう? どうなの?」
「大丈夫ですか? 目が見えないのなんて一時的ですよね? 治りますよね?」
「オイどうだったんだ? 平気なのかよ?」
「目が見えないなど気合でなんとかなるんだろう? なんとかせい!」
 全員がいっせいにしゃべりだしたので、聞き取れず、アルベルもネルも言葉に詰まる。
「みなさん! 静かにしないと聞き取れませんよ」
 パン! と手を叩き、今まで黙っていたミラージュが全員を沈黙させた。
「…で? どうだったんですか?」
「目薬をもらったよ。それをきちんと点眼すれば、1週間しないで目が見えるようになる
ってさ。他は特に異常ナシだって」
 苦笑してネルがアルベルの代わりに言うと、みんなは顔を見合わせ。ほっと息をついた。
「良かったー! 心配したんだよー!」
「子分の目が見えないなんてやっぱ親分としては、心配だったけど、大丈夫みてえだな!」
「はあ…。ともかく、良かったよ」
「大丈夫なのね? …目が見えないなんて戦士として致命的だからどうなるかと思ったけ
ど…」
「良かったですね! 失明するかもとか心配したけど、安心しました」
「まあなんだ。治るってーんなら、それでヨシ、か」
「今回はなんとかなったようじゃが、これからも気をぬいてはいかんぞ! ともかく、良
かったのう」
 そしてまた、全員がわっと喋りだし、それぞれの言葉がなんとなくだけ聞き取れる。ス
フレなんかは思わずアルベルに抱き着いていた。ただ、ミラージュだけはにこにことほほ
笑むのみだった。
 アルベルは見えなくとも、それぞれの声を聞き、その様子で全員が自分の安否を気遣っ
ていたと知ると。思わず眉間にしわを寄せた。
「…フン…。いちいち騒ぐんじゃねえよ…うるせえな…」
 吐き捨てるように言って、抱き着いているスフレを引きはがし、見えないままに強引に
歩きだそうとする。
「あ、アルベルちゃん、そっちじゃぶつかるよ。こっちこっち」
「おいばかちん! 人がせっかく心配してやってるのに、そんな事言うのかよう」
 スフレはすぐにアルベルの手をとり、廊下を歩きだす。ロジャーも続いてアルベルの足
元をちょろちょろと歩いている。
「ど、どうして、怒っちゃったんでしょうか…」
 どうして良いかわからないようで、ソフィアは不安げに周囲を見回した。
「面白い人ですね」
 ミラージュがくすくすと笑いだしたので、ソフィアはきょとんとした顔になる。
「素直じゃねーな」
 クリフは呆れて肩をすくめる。
「え? え? え?」
 ソフィアはおろおろと周囲を見回し、最後にフェイトを見た。彼も肩をすくめて見せる。
「照れてるんでしょ。まったく素直じゃないわね」
「素直なアイツってのも、それはそれで気持ち悪いから、あんなんで良いんじゃねえか?」
 苦笑して、クリフが頭をぐしゃりとかく。
「それもそうね」
 わりとひどい事を言いながら、クォーク組は顔を見合わせて笑った。ちょっとひどい事
を言ってるなと思いつつも事実だと思うから、ネルもこみあげてくる苦笑を隠せなかった。

 目の見えないアルベルがいては動きようがないし、数日で治るというのだから、それく
らいは滞在するのも良いだろう。というわけで、一行はジェミティで少し長めの休みをと
る事になった。
 ここが娯楽都市で助かったのは、こちらの世界観に合わせて、宿も自分達が知っている
ものとそう相違ない事だろう。それでも、細かい所はやはり文明の高さを思わせる。目の
見えないアルベルにとってはそこが便利で助かった。
 特に、口にすれば実行される音声ガイドは有り難かったようだ。未開惑星出身とはいえ、
そういうものに対して割り切りが早いアルベルは、わりと使いこなすのは早かった。あま
り人の手は借りたくないという、持ち前の負けん気が強かったのもあったかもしれない。
 とはいえ、急に目が見えなくなったから、すべてを自分でやるのは不可能で。
「目が見えねえってのは不便なんだな」
 口元にごはんつぶをつけながら、ロジャーは向かいで苦戦しながらごはんを食べるアル
ベルを見やる。
 どこに何があるかわからないのですべてが手探りだし、隣で介護しようとするネルをう
ざがるので、手探りで料理を捜して指を突っ込んでしまったり、お椀を引っ繰り返したり
と、いちいち見ていて危なっかしい。
「いい加減におとなしく言う事をききな!」
 結局最後には叱られて、不本意そうながらもネルの介護を受ける事になる。
 人の手を借りねばならぬ事が不本意で仕方がないのだが。そうも言ってられないのがや
はり不本意で。目が見えない状態のアルベルはたいがいムスったれた顔をしていた。


「目が見えなくて不便でしょー。アタシが髪の毛結ってあげるね」
 目が見えているアルベルなら、スフレの笑みに何かを感じ取ったのかもしれないが、わ
からないので、言われるままにベッドに腰掛け、スフレに髪の毛をくしけずられる。
「アルベルちゃんって、あんまり髪の毛のお手入れしてないでしょ。染めてるんだったら、
洗うだけじゃだめだよー。せっかく美人なんだから」
「うるせえ。………オイ、なんで髪の毛を引っ張るんだ?」
「いいから、いいから」
 ブラシでくしけずりながら、スフレはアルベルの髪の毛を結い上げる。自分と同じよう
な髪形にするために。
「できた!」
「なんか、首のあたりが寒いし、生え際がなんか痛いんだが…」
「うんうん。なかなか似合ってるよアルベルちゃん」
 アルベルの前に回り込み、スフレは満足そうに何度も頷いた。
「ねえ、ちょっとだけ、そのアイマスク取ってみて良い?」
「? 何でだ?」
「いいから」
 スフレはゆっくりとアルベルのアイマスクを取り払い、腕を組んで彼を眺める。なんだ
かとても満足そうである。これで視点が変でなければ良いのだが、そればかりは仕方がな
い。
 その時、ノックの音がして、すぐに扉が開かれた。
「あんた、点眼の方は……」
 点眼する時間となったのでネルが部屋に入ると、スフレと同じ髪形にされたアルベルが
声のするネルの方を向いた。
 その髪形に、ネルは思わず絶句した。
「? なんだ? もうそんな時間なのか?」
「あ、あんた…それ…」
 ネルがふるえる指でアルベルの髪形を指さすと、彼の前でスフレがにこにこしてブイサ
インをしている。
 やっとおかしい事に気づいて、アルベルは自分の頭に手をやる。
「おい! なんだこりゃ!」
「あ、とっちゃだめだよ、似合ってるんだから!」
「ウソつけ!」
 髪の毛をほどき、乱暴に手ぐしでまとめると、一つにさっさとくくってしまった。
「似合ってたのにー」
「やかましい。おまえはもう俺の髪に触るな」
「ちぇっ」
 口をとがらせて、スフレは指をぱちんと鳴らす。
 他にも、目が見えないのを良いことに遊ばれもしたが、2、3日もするとアルベルの方
も目が見えない事にも多少慣れてきた。
 そして、今までの戦闘を目に頼りすぎていたのを悟り、気配を察する訓練なんかもぼち
ぼちはじめたりしていた。
「やあ!」
 丸めて棒状にした新聞紙で、ロジャーは座禅を組んだアルベルに殴りかかるも、軽く叩
き返されてしまった。
「声をあげたら、どこから来るかわかるだろうが」
「い、今のは気合をいれただけだ。今度は黙って殴るぞ!」
「さっさとやれ」
 言われて、ロジャーは息を殺すとそっとアルベルの背後にまわって、新聞紙で殴り掛か
る。
 パシン!
「んぎゃ!」
 だが素早く叩き返されてしまった。
「いちいち大振りなんだよ、てめえはよ」
「んぐぐぐぐ…」
 口をひんまげて、それから何度も殴りかかったがそのどれもが返り討ちにあってしまう。
頭にきたロジャーは、新聞を丸めて球状にすると、アルベルに投げ付けた。
「ん?」
 痛くはないが、当たった感触はする。それに、眉をしかめる。
「へっへー! これならどこから来るかわかんねーだろー」
 舌を出して、と言ってもアルベルは見えないのだが、ロジャーはからかうようにそう言
うと、アルベルは一瞬眉をしかめ。
「もいっぺんやってみろ! 打ち返してやる!」
「おお、やってやるじゃん!」
 と、ロジャーは丸めた新聞紙を次々にアルベルに向かって投げ付けた。
 元が新聞紙だからそんなにスピードが出るわけではないし、痛いわけではない。だが、
当たると悔しい。
 アルベルはロジャーが投げてくるそれを打ち返そうとするが、なかなか打ち返せない。
「へへへへ! 打率1割きってんじゃねーの!」
「うるせえ!」
「せやっ」
 ロジャーの投げた新聞紙が飛んでくる。アルベルはどうにか空気の流れを読もうと神経
を集中させる。
「フン!」
 ぱしっ!
「あ」
 見事に打ち返され、丸めた新聞紙は勢いよく飛んでいき、ちょうど扉を開けたネルに当
たった。
「あ……」
 ロジャーの声の様子が明らかに変わり、アルベルは怪訝そうに眉をしかめた。
「おねいさま…」
「へ?」
 アルベルが間の抜けた声をあげる。
「あんたたち…」
 新聞紙が当たった事に対しては、ネルはそんなに怒っていなかった。別に痛くなかった
し、少し驚いただけだし。だがしかし。この光景は何事だ。
 さすがのアルベルも震えるネルの声を聞いて、言葉を失った。
「なにさ、この部屋! こんなに散らかして!」
 部屋にはロジャーが丸めた新聞紙が散乱し、わりと焦って丸めたりしたから破片やらも
とにかく散らかっていたのだ。
 思わず黙り込む二人。
「いやその、このばかちんが修行したいって言うからオイラは仕方なくその…」
「おい、良い方法を思いついたって言ったのはてめえだろうが」
 クリフに負けず劣らず、この男も似たような精神年齢だとは。ネルは頭痛がしてきた。
「ったく! ロジャー! 片付けるんだよ!」
「あ、あい…おねいさま…」
 耳と尻尾を下げて、ついでに肩も下げてロジャーは頷いた。
「ったくもう!」
 悪態をつきながら、ネルは部屋の掃除をはじめる。本来ならアルベルにもさせるところ
だが、目が見えない状態ではそれも無理だろう。
 部屋の真ん中で一人、アルベルはなんだか気まずそうにあぐらをかいていた。

                                                        to be continued..