「さて…と。みんな、これからどうするの?」
 サルーインを倒し、崩壊したイスマス城を見下ろす崖から、立ちのぼる朝日を存分に眺
めた後。腰に手を置いて、明るい調子でバーバラがみんなを振り返った。
「俺は南エスタミルに帰るぜ。長らく、帰ってなかったからな。俺の部屋もベッドも、き
っと埃っぽくなっちまってるだろうしな」
 ぐっと伸びをしながら、ジャミルは途方もない解放感を味わっていた。
「ジャミルの部屋ってどんなの? なんか、想像できないけど…。っていうか、お掃除す
るジャミルっていうのも、なんかもっと想像できないね!」
「あのなぁ…。俺だって掃除くらいするぜ」
 ケチな盗賊をしている割には、ジャミルはけっこう身ぎれいである。他意も悪意もない
瞳で自分を見上げるアイシャを、彼は半分ほどあきれながら見る。
「ふーん。どんなお部屋?」
「どんなって…。どんなだって良いだろーが。アイシャ、そういうおまえはどうなんだ?」
「私? 私は自分のお部屋っていうのかな。テントの中をカーテンとかついたてで区切っ
てる感じのものだし、お部屋のお掃除っていうより、テントの中全部お掃除するし」
 言われて、アイシャは口元に指をあてて、故郷にある、自分の住むテントの事を思い出
す。タラール族は遊牧民。ステップを移動しながら生きる彼らは住居も、移動できる特殊
なものになっている。
「…私も、ガレサステップに帰らなきゃ。おじいちゃん達、そろそろあそこに戻って来る
頃だろうし」
「そう。あんたたちは帰るのね。クローディア。あんたはどうするの?」
 バーバラは今まで黙ってにぎやかに会話するジャミル達を、ぼんやりと眺めていたクロ
ーディアに向き直る。
 問われて、クローディアは少し考える。そして、いつもの控えめな声を出す。
「私は……。私は…メルビルに行こうと思うの……」
「……そう。じゃあ……」
「ええ…。私を産んでくれた人とちゃんと会ってみたいと思うわ」
「そうかい。帰れるところがあるっていうのは、良いものだから。ね? グレイ」
 クローディアと同じく、今まで黙っていたグレイに意味ありげな視線をよこして、バー
バラは、今度は彼の方に身体を向ける。
「……まぁ…。否定はしないが……」
 彼女の視線の意味を解してかどうか、グレイは少しだけ曖昧な声を出す。
「私はエルマン達と合流して、また旅芸人の生活に戻るよ。サルーインが倒れたとはいえ、
みんなけっこう疲れてる感じだし。少しは私の踊りも役に立つかもしれない」
 サルーイン復活の影響でモンスターが暴れだし、タルミッタ付近はダメージを受け、ウ
ェストエンド地域にいたっては壊滅的な所にまで破壊されてしまった。
 それでも人間は立ち上がって、歩き続けるだろう。バーバラはそんな彼らを自分の踊り
を見る事によって、少しでも元気づけられたら、と思っていた。
「私、バーバラの踊り、好きよ。ウソに来る事があったら教えてね。みんなを連れて、バ
ーバラの踊りを見に行くから」
 アイシャがはしゃいで、軽くバーバラの踊りを真似して見せる。素直な彼女が可愛くて、
バーバラは目を細めた。
「そうね。そうするわ。さて。それじゃ、私とアイシャはアルツールを経由して、北上す
るけど、他のみんなはどうするの?」
 バーバラは腰に両手を当てて、残る3人を順々に見やる。言われて、ジャミルは考える
ように宙を眺め、クローディアもしばし逡巡した後、意見を聞きたいのか隣にいるグレイ
の方を見る。
「……メルビルへはこのままブルエーレに向かうか、ヨービルを経由するか、もしくはノ
ースポイントを経由するかになるが…」
「じゃあ、だいぶ遠回りかもしれないけど、ノースポイント経由にしようよ! ブルエー
レやヨービルだと、すぐにお別れになっちゃうじゃない!」
 グレイの言葉に、クローディアではなくアイシャが口をはさんだ。彼女に元気良く言わ
れて、クローディアはほんの少しだけ驚いたようだが、やがてうっすらとだけ表情が柔和
になる。
「……じゃあ…そうするわ…」
「うんうん! そうしよう! ね!?」
 クローディアの答えに、アイシャは素直に喜んで、クローディアの手を両手でぎゅっと
握った。
「じゃあ、ジャミル、あんたはどうするの?」
「ん? 俺かー?」
 後ろ頭に手を組んで、ジャミルはバーバラを見る。
「ここから南下するのはあんただけになるけど…」
「んー。そうなんだよなー」
 それに気づいていたジャミルは、どうしようかと顎をぽりぽりと掻いて、上の方を眺め
る。早く帰りたくもあり、もうすこし仲間達とも一緒にいたいとも思う。
「それとも、ちょっと遠回りになるけど、アルツールまで一緒に行くかい?」
「ん? そうだな……」
 言われて、ジャミルは少し考え込む。
「ねえ、ジャミルも一緒に行こうよ!」
「ん? んー、まあ、そうまで言うなら、仕方ねえな。一緒に行ってやるよ」
 アイシャの声に、ジャミルのいつもの調子の良さそうな笑顔が浮かぶ。どうせ別れると
わかっていても、もう少し一緒にいても良いだろう。
 どうせそんな事だろうと思っていたグレイだが、悪い気はしていなかったので、ほんの
少しだけの苦笑を口の端に浮かべる。それは、よほどよく観察していないと、わからない
ほどのものであったが。
「じゃ、行こうか」
「うん! 行こう行こう!」
「金、ちょっとあまってんだろ? パーッと盛大に飲み食いしようぜ!」
「アハハ。良いね、それ」
 必要以上の事はあまりしゃべらないグレイと、人見知りが強く無口なクローディアがい
るとなると、どうしても会話の多くは残りの3人に絞られてくる。とはいえ、それを気に
するようなメンバーでもない。
 それから、5人はアルツールに向けて歩きだす。この5人で一緒にいられるのはもう二
度とない事かもしれない。それをほとんどの者が予感しつつも、それに触れようとはしな
かった。

 アルツールではジャミルと別れ、ウソでアイシャと別れた。
 賑やかだった二人が抜けると、旅の仲間はかなり静かになった。ニューロードを形成す
るレンガ道を歩きながら、3人は急ぎもせずにノースポイントに向かう。
 あのイスマス跡で、誰もグレイがどこへ行くか聞かなかったのは、クローディアがメル
ビルへ向かうと聞いて、彼も彼女と一緒に行くだろうと全員が思ったからだ。
 バーバラも、アイシャも、ジャミルも。出会った時から、彼ら二人はいつも一緒にいた
から、そうなるだろうと思っていた。
 もっとも、バーバラあたりは、そのうちグレイはまた元の冒険者稼業にそのうち戻るの
だろうと、思っていたが。
 地図にも載らないような小さな村。ノースポイントとウソをつなぐ途中にある村で、旅
人目当てでできたような集落だ。同じ目的で大きくなったアルツールと異なるのは、大都
市をつなぐ所でもない事と、果樹園のような特産品ができるような土地柄ではないせいで
あろう。
 3人は、そこで宿をとった。
 小さな宿場町、ということで多少ひなびてはいるが、村の規模から考えればなかなか立
派なものだろう。
「あら」
 場所が場所のため、村に宿は数件あるが、酒場は一件しかない。その一件しかない酒場
にバーバラが訪ねてみると、酒場のはじっこでグレイが一人で酒を飲んでいるのを見つけ
た。
 もう良い時間なのもあり、客はグレイ含めて数人しかいない。
 壁の高い所に設置されているランプが薄暗く酒場内を照らし、時間もあいまって、非常
に落ち着いた雰囲気となっていた。
「あんた、ここにいたんだね」
 今夜は眠れそうにないので、酒でも飲もうかとこんな時間に酒場を訪れたバーバラだが、
まさかここで彼と会うとは思わなかった。
 全員個室をとっているし、それぞれがどこで何をしようが、どうこう言う連中でもない。
 二人とも休んでいるものと思ったが、グレイがここにいたとは。
「あ、ジン・トニックをちょうだい」
 酒場のマスターに酒を注文してから、バーバラは特に何も言わずにグレイの隣に腰掛け
る。
「しっかし、長かったんだか、短かったんだか、わからないような旅だったねえ」
「…そうだな…」
 必要以上にはしゃべらないグレイであるが、ひどい無口というわけでもない。話しかけ
れば相応に会話してくれる。
「で? あんたは、メルビルについたら、また元の冒険者稼業に戻るってワケかい?」
「そうだな」
「お互い根無し草か。もっとも、私にはエルマンとかナタリーとか、まぁあんたの知らな
い他の旅芸人仲間がいるけどね。あんたは、いっつも一人なんだっけか?」
「時と場合による。この旅の前は二人の仲間と旅をしていた」
「ああ、そうなの。あ、ありがとう」
 愛想のない酒場のマスターが、バーバラが注文した酒を持ってきてくれた。
 酒が来た事により、バーバラはおしゃべりをやめて、酒を口に運ぶ。なかなかうまい具
合にブレンドされていて、良いカクテルである。
 それからしばらく、二人は無口になって、静かに酒を楽しんでいた。だが、不意に、バ
ーバラがまた唇を開く。
「あんたさ、その顔だと結構モテたんだろ?」
「……聞いてどうする?」
「別に。聞きたいだけだよ。モテたんでしょ?」
「……詮索好きだな…」
 明らかに迷惑そうなグレイだが、バーバラは気にしない。
「女って大概そういうものよ。まあ、違う娘もいるけどね」
 彼女の言葉に静かに納得して、グレイはグラスを傾けた。茶色の液体が彼の口にゆっく
りと運ばれていく。
「言いたくないなら良いけどさ。でも、どうなのよ?」
「…………」
 グレイはわずかに眉をしかめて、横目でバーバラを見る。言いたくないらしい。
「言いたくないなら良いと言っておきながら、詮索するのか」
「あら、失礼」
 軽く笑って、バーバラもグラスを傾けた。
「でも、気になるわよ。あんた、私達と出会う前から、あの娘と一緒にいるでしょう? 護
衛の仕事だそうだけど。いつも一緒のあなた達を見ていると、年齢が年齢だから、勘ぐり
たくなるものよ」
 バーバラの言葉に、彼にしては珍しく、おおげさなため息をつく。
「まあ、私は保護する者とされる者みたいな印象を受けるけどね」
 おそらく、バーバラのその認識は間違っていないし、グレイも事実その通りな感覚で護
衛をしている。迷いの森からほとんど出ないで育ってきたクローディアは、人と人との付
き合いがひどく苦手で、時によっては随分と幼いところを見せる。そのため、グレイは色々
な事をクローディアに教えてきたし、フォローをしてきた。
 ガイドという名目で護衛の仕事を受けたが実際の所は、バーバラの言うとおり保護者の
ようなものであった。
「けっこう長い間護衛してるみたいだけど、わりと良い額をもらったんだ?」
「前払いと、途中払いをいくらか。今回で最後の払いを受ける」
「そっか。そうだよね」
 少し寂しそうな不思議な笑みをバーバラは浮かべた。つまり、今は旅人であるクローデ
ィアがそこで、メルビル皇女となってしまう。そうなると、もう気軽に会えなくなってし
まうであろう。
「なんだか、よく実感できないものだね。皇室の人間と係わりあいがあるって言うのは」
「まあな」
 名うての冒険者である彼は、貴族からの依頼を受ける事もあったので、身分の高い連中
はそう珍しいものではなかったが、さすがに皇室直系は初めてである。
「あとは短い間しかないんだろうけど。大事にしてあげなよ。あの娘の身分に関係なくさ」
 酒の入ったグラスを両手で持って、バーバラは横目でグレイを見る。しかし、彼女の言
葉には答えないで、グレイは酒を口に含んだだけであった。
 バーバラは苦笑して、ふっと息をつく。
 自分の事を言いたがらないのは、構わない。けれど、今のグレイはどうにも煮え切らな
い態度の男に見えてくる。それが、バーバラには少しイライラする。
「あんたさ。もうちょっと素直になった方が人生楽しめると思うよ?」
「何が言いたいんだ…?」
 少し呆れた雰囲気の混じった声で、今度はグレイが横目でバーバラを見る。
「…自分にしかわからない事は多いけど、他人の方がわかる事も、あるからさ」
「…………」
 なんとなく同意したくなくて、グレイは黙ってまた、酒を口に運ぶ。
 だんまりを決め込むグレイをしばらく眺めていたバーバラだが、やがてまた口を開いた。
「今回の旅は良い旅だったかい?」
「……どうだろうな…。…とにかく、やたら疲れたのだけは確かだ」
「疲れただけ?」
「まあ、それに見合うだけの収穫はあった。それは確かに言えそうだ」
「そうかい。じゃあ、良かったじゃないか」
「……そうかもな…」
 少し遠い目をして、グレイは顔をあげて宙を見つめた。

 ノースポイントではバーバラと別れ、グレイとクローディアはワロン島行きの船に乗り
込む。ノースポイントからメルビルへ直通の船便は今の所ない。ワロン島を経由しなくて
はならないのは、少し不便であるが、仕方がない。
 五人いた旅の仲間も、今では二人に戻ってしまった。
 船に揺られながら、クローディアは船を追いかけるカモメの群れを甲板から眺めていた。
 今では慣れた船旅だが、彼女は成人するまで、船はおろか海でさえも見た事がなかった。
 潮風が、クローディアの柔らかい茶色の髪をなびかせて、その強さに帽子を手で押さえ
る。
 迷いの森にいたままでは、海も船も、世界の事ほとんどを知り得なかっただろう。そし
て、自分の本当の親の事も。
 それは良かったのか、良くなかったのか。クローディアには判断する術はない。けれど、
とにかく親の元へと行ってみようと、もう決めた。
 サルーインを倒して終わった旅は、数奇すぎる運命に翻弄され続けた旅となった。人に
は運命にただからめとられるだけで、抗う事もできないと嘆いた事もあった。けれど、そ
れでもその運命に自らの意志で委ねよう、と思ったのは旅で培われた経験や知識、そして
仲間の言葉のおかげだと思っている。
「クローディア。昼食の時間だ」
 この男との出会いも、自分の数奇な運命の歯車の一つだと思う。
「どうした?」
 昼食のために呼びにきたグレイをじっと見つめていたら、彼は少し不思議そうな顔をし
たので、クローディアは無言で首を振った。
「何でもないわ。今、行くから」
「そうか」
 他人に詮索される事が嫌いなこの自由人は、人の事を根掘り葉掘り聞いたりしない。そ
れを寂しいと思った時もほんの少しだけあったが、逆に有り難かった事の方が多かった。
 この旅で色々な人々と出会い、別れてきた。その間、彼とだけはずっと一緒であったが、
その彼とも次の船旅で別れる事になる。
 もう決めた事とはいえ、本音を言えば少し寂しい気もするけれど。
 クローディアは軽く首を振って、少し遠くなった彼の背なかを追いかけて、船内へと続
く扉へ向かった。


                                                   to be continued..