獣人王
「え?  困るわよ、そんな事言われても!」
  アンジェラは久しぶりに会った夫にそう言った。
「いや、だから、こっちも困るんだってば」
「そんな事言ったって、あなた今、私がどうしてここにいるかわかってるじゃないの」
「もちろんそれはわかってる。けど…」
  夫婦の口論を聞き付けて、ラヴィアンは車椅子を走らせる。
「どうしたの?」
「あ…、ラヴィアン…」
  ラヴィアンがリハビリをして、そろそろ立てるようになっている、というのは知って
いるし、たまに妻と娘の様子を見にくる。
「……いや…その…」
  デュランはどうしたものか困っているようで、口ごもっている。
「どうしても夫婦で出なきゃいけない式典があるんですって。で、私に出れないかって
…」
「いや…、もちろん…。その、うーん…」
  なにやら相当困っているようである。
「じゃ、お姉ちゃんに変わり出てもらうとか」
「絶対ダメ」
  にべもなくアンジェラが言い放つ。
「それに、娘が代理で出るだなんておかしいじゃないのよ。夫婦と間違われたりした
ら、変な勘繰りされるじゃないの!」
 もちろん、ラヴィアンは冗談で言ったのだが。姉の極度のファザコンは周知の事実
である。妻の変わりに、なんて役柄喜んで飛びつくこと請け合いなのだが、母は自分
と容姿が似ている事もあるのか、娘のファザコンぶりには良い顔をしない。むしろ多
少嫉妬さえしているようなのだが。どうやらファザコンに混じり、密かな近親相姦を
娘が願っている事も感じ取っているらしい。異性の好みまで遺伝したようだ。
 もっとも、当のデュランは娘として見ているし、愛してはいるが、女としては決し
て見ていない。親離れが遅いんだろう、程度の認識しかなかったりする。
 それをはたで見ていて知っているラヴィアンは、姉の絶対かなうことのない片思い
をまぁ、カタチだけという、ちょっとタチの悪いお節介冗談であったのだが。
「いいよ。おかあさん行ってきなよ」
「行ってきなよ…って、ラヴィアン!」
  アンジェラは驚いて娘を凝視した。父親も驚いているようである。
「だいじょぶ。なんとかなるよ」
「なんとかって…」
  今では最低限の身の回りの事は自分でできるとはいえ、車椅子を必要にしてる以上、
まだまだ介護してもらわなければならない場面はたくさんある。
「だいじょぶだったら。それに、おかあさん、ラッドにもきちんと会ってない日とか多
いじゃない」
「…………………」
  アンジェラは困ったようにデュランと顔を見合わせた。確かにアンジェラも末の息子
とゆっくり過ごしたいけれど…。
「あたしの世話ばっかりで疲れてるんじゃない?  ゆっくりしてくればいいよ」
「ラヴィアン!  別に私は疲れてなんかいないからね」
  すこし、たしなめるようにそう言う。
「でも。いってきてよ、おかあさん。おとうさんも困ってるし。それにあたし、一人で
どれだけできるかやってみたいしさ」
  そこまで言われてしまい、アンジェラは困ってしまった。親思いというか、ここまで
言われたら、この子は頑固なので何がなんでも行かせようとするのも知っていたからだ。
「……そう…?  じゃ…行ってくるわ…」
「え?  い、いいのか?」
「そのために、わざわざウェンデルまで来たんでしょー?」
「…いや、そうなんだけど…」
  まぁ、シャルロットもケヴィンも、神官達ももしもの時は絶対面倒みてくれるだろう
とわかっていたので、アンジェラはフォルセナに旅立つ事になった。
「じゃ…お願いね。大丈夫…よね?」
「うん。いってらっしゃい」
  包帯のすきまからのぞく目がほほ笑んでいる。シャルロットもケヴィンも仲良くなっ
た神官達も見送ってくれた。振り返り、振り返りしてラヴィアンを気にしながら、アン
ジェラは馬車に乗り込む。
「行っちゃったわね」
「うん」
  馬車を見送ってシャルロットがつぶやく。彼女は仕事の途中だったのだがわざわざ見
送りに来たのだ。司祭服を身につけ、司祭用の帽子もかぶったままである。見た目は可
愛らしい娘さんなので、キャンペーンの女の子と間違える人もまま、いる。まだ威厳と
いう点では、闇の司祭ヒースには遠く及ばない。
  ちなみに闇の司祭のヒースは本気で仕事が忙しいので、ここにも来れない。
「さて、私は仕事に戻らせてもらうわね」
  シャルロットの言葉をはじめに、神官達も各自仕事に散っていく。
  そして、残されたのはケヴィンとラヴィアンだけだった。元々ラヴィアンに仕事なん
てないし、ケヴィンはいわゆる退職した身分と言っていいので、こちらもやはり無職で
ある。
  どうやら面倒をみるのが好きらしいので、そこいらにいる動物や子供の面倒をみたり
して日々を過ごしているようであるが。
「アンジェラ、どれくらいあっちにいるって?」
「…わかんない…。ここからフォルセナまでけっこう遠いし、ラッドともゆっくりした
いだろうし…」
  車椅子を押してもらいながら、ラヴィアンはぼんやり考えながらつぶやく。
「そっか」
  カラカラカラカラカラ…。
  この車椅子もだいぶくたびれてきた。
「そうだ。なぁ、ラヴィアン。やっぱり温泉いかないか?」
「…………温泉……」
「そうだ。泉もあるぞ。すごく透明できれいなんだ。温泉は白く濁ってるけどな]
「………………」
「ラヴィアンにも、オレの故郷を見てほしいな。森ばっかりで森ばっかりだけど。良い
ところだよ」
  ビーストキングダムがどういうところかは、本とかで読んで知ってはいる。昔は一日
中夜という辺鄙な場所だったらしい。今でも交通が不便なので、辺鄙な場所には変わり
ないのであるが…。
「それに、ルガーがラヴィアンに会いたがってるんだ」
「ルガーが?」
「うん」
  珍しく、ケヴィンは寂しそうにほほ笑んだ。
「謝りたいって。ルガー、ずっと悩んでるんだ」
「………………………」
  あのときの事は別に怒ってはいない。やはり、あの雷の魔法は天罰だったんだと思っ
ている。結局自業自得だったのだ。自業自得でこうなってしまったのだから、仕方がな
い。そう思っている。
  だから、自分の姿を悲しそうに見られると無性に腹立たしくなってくる。可哀想とか
そういうふうに思ってほしくない。それが、自分をひどく惨めな気持ちにさせるから。
同情も別にいらない。同情する方になにか優越感をもっているように思えるから。そん
なの見ていて腹がたつ。
  事件から、ひねくれ根性が身についてしまったけれど、自分でもどうしようもない。
気がつくと、随分ひねている。
「………ルガー…、そんなに落ち込んでるの?」
「……うん……」
  困ったようにほほ笑む。この前のごたごたもそれが関係しているようだったが、ケヴ
ィンは何も言わない。説明するのが面倒臭いからなのか、言う程の事ではないからなの
か、それはわからないが。
「そっか…」
「ラヴィアン、もう怒ってないんだろ?」
「…うん…」
「いくら言っても聞かなくて。ラヴィアン、そういう事で怒ったりしないのに」
  確かにその通りだった。鈍そうなのに、いきなり見透かされてる気分になって、ラヴ
ィアンはビックリしてケヴィンを見た。
「うん?」
  顔を見つめられ、ケヴィンは首をかしげて見せた。
  どうにも彼には計り知れないようなところがある気がしてきた。
  まぁ、それはともかく。
「……そうだね…。このままじゃお互いによくないよね。行ってみる、ビーストキング
ダムに…」
「本当!?」
  ケヴィンはぱぁっと顔を明るくさせて、ラヴィアンをのぞきこんだ。
「う、うん」
「そうか!  じゃあ、用意しないとな!  温泉につかると良いぞ。オレ達だけじゃなく
てケモノもモンスターもみんなつかりにくるんだ!」
「…そ、そう…」
  なんだか随分危険そうに聞こえるが…。


「へ…?  本気…?」
「おう。もう約束した」
  出立の準備をするケヴィンに、シャルロットはタムを抱きながら仰天した。
「また長期滞在になるの?」
「たぶん」
「でも…。先週にも行ったじゃない。ちょっとだけど…」
「うん…。ごめんな。あんまりここにいなくて。でも、ラヴィアンに温泉につからせて
やりたいし…となると、温泉の効能は一日二日じゃでないし。故郷も見てもらいたいし
…、それに…ルガーに心の整理をつけさせてやりたいんだ」
「…やっぱり、ルガー…落ち込んだままなのね…」
「うん…ずっと気にしてる…」
 振り返って、困ったようにほほ笑む。ケヴィンがこう言うという事は、相当悩んでい
るという事なのだ。あの件以来のルガーの落ち込みようはなかった。自分を責め続け、
あんなにたくましかった彼がしだいにやせ細っていった程である。
「あいつも、今のラヴィアンを見れば、少しは立ち直ってくれると思うんだ…」
「そう…。じゃ、仕方がないね…」
「また、タムには忘れられちゃうかなぁ」
  寂しそうにそう言って、ケヴィンはタムを見る。もうすやすやと眠っているようであ
る。
  親密な空気が家族に流れる。
「あそうだ、シャルロット!」
「え?  な、なに?」
  突然大声を出したのでビックリする。
「ラヴィアンの水着用意してくれ。女の子だし、ハダカで温泉なんて嫌がるだろうし」
  それ以前に肌を露出する事さえも嫌なのでは?  と思いつつも、シャルロットもあの
温泉の効能は知っているので、一応何も言わなかった。


  ラヴィアンのサイズに会う水着も用意させ、彼らはビーストキングダムに旅立った。
ケヴィン達が移動用に使う鳥を使おうとしたのだが、シャルロットに叱られたのでそれ
はやめた。早いのだが車椅子とかは運べないという欠点があったし、鳥の気性が荒いの
で危険な時もあるのだ。
「じゃ、いってくる」
「はいはい」
「もし、アンジェラが帰ってきたら言付け頼むよ」
「わかってるってば」
  シャルロットに見送られて、ケヴィンは車椅子を押して出発する。ここからビースト
キングダムまではもちろん遠いので、けっこう長旅になる。重い荷物を背負って、ケヴ
ィンは歩きだした。
「ねぇ、ケヴィンさん」
「うん?」
「ここからビーストキングダムまでどれくらい?」
「……うーん…。いつもと行く方法が違うからなぁ、なんとも言えないけど…。湖の上
を船で通って、ラビの森でジャドへ行って、それからミントスに行くだろ?  それから
また歩くからなぁ…」
「ふーん…」
「まぁ、こうやって進んでるんだ。いつかはつくよ」
  それはまたなんだかえらく気の長い話のような気がした。
  道はそれほど舗装してなく、車椅子の上での乗り心地はよくなくて、少し気持ち悪く
なったりして。それでもいい加減車椅子にも慣れていたから耐えられたけど。
  あまりに段差があるところはケヴィンが車椅子もラヴィアンもかついで渡る。ほとん
どケヴィンのペースですすんだので、けっこう早いペースであった。
  それにしても。
  本気であきれるほど体力のある男である。朝からずっと歩きずくめなのに、さして疲
れを見せないし、休むと行ったら食を取る時だけなのに、である。
  思ったより随分はやくにジャドに着き、運よく定期船もすぐに乗れた。
  船は久しぶりだった。
  甲板に出て、飛ぶかもめを眺めながら、ラヴィアンは潮風をその身にうける。
「あの…もしかして、獣人王ですか…?」
  ケヴィンと甲板で話していると、なにやら毛深い大男が、ケヴィンに向かって恐る恐
る話しかけてきた。
「うん?  今は違うよ」
「ああ、ではやっぱりケヴィン様なのですね!」
  大男がぱっと顔を輝かせる。ラヴィアンはいぶかしげにケヴィンを見た。そんな話、
一度も聞いた事がないからだった。
「もしかして、ビーストキングダムにお戻りで?」
「いや、うーん…。まぁ、ちょっと里帰りかなぁ…」
  ちょっと考えて、苦笑しながらそう言うと、大男は喜んだようである。
「そうですか!  それはよかった。みなも喜びます」
「………え…そうかな…」
  困った顔で笑っていると、大男はぶんぶんと首をふる。
「そうですよ。この前せっかく戻ってらしたのに、またウェンデルへ行ってしまうし…」
「はは…は…」
  ケヴィンは本当に困っているようだが、こうまで慕われてはむげにする事もできず、
笑ってごまかすしかないようである。
「で…その子は…?」
  包帯だらけのラヴィアンを不思議そうに見る。
「うん?  トモダチの娘なんだ。ケガしてるから、温泉に連れてこうと思って」
「ああ、それは良いですね。あそこの温泉はいつだって万病に効きますからね!  娘さ
ん、ケガがよくなると良いですね」
  大男は顔に似合わずに、丁寧に恭しくラヴィアンの手を取ると頭を下げた。なんだか
知らないがケヴィンはビーストキングダムでなにか相当高い地位だったようであるが…。
「……ケヴィンさん…。ビーストキングダムで何してたの……?」
  大男が去ったあと、ラヴィアンは不思議そうにケヴィンを見上げたが、彼は苦笑して
るだけで何も言わなかった。
  まあ、ビーストキングダムにつけば判明するだろうと思った。
  実際は、ビーストキングダムの前のミントスで判明した。
「おかえりなさいませ!  獣人王!」
  大男や大女、いかついのごっついのばっかりがそろいもそろってミントスの港で出迎
えられた時は本気でビビった。
「だからぁ、もう獣人王じゃないんだってば…」
「いいえ、それでもあなた様は獣人王ですよ!」
  大袈裟に出迎えに、あきらかに迷惑そうであったようだが、やはり好意をむげにする
事ができないらしくて、ケヴィンは困ったように笑いながら、いかついのの群れの中を
車椅子を押して歩いていく。
「……獣人王って…。ケヴィンさん、獣人王だったの…?」
  とてもそう思えなくて、ラヴィアンはケヴィンを見上げる。
「……うん…まぁ、前に…ちょっとね…」
  まさかとは思っていたが、まさかのまさかだった。すべての獣人達を束ねる、獣人王。
一人一人の戦闘力が高い彼らの統率者である。それがどれだけのものなのか。
「獣人王、お荷物お持ちいたします!」
「車椅子でしたら、我らが!」
  と、自分が自分がとかもうしだされる。仕方なく、荷物は持ってもらう事にして、さ
すがに車椅子はケヴィンが押していた。
  ケヴィンはちょっとため息をついていたが、やがてあきらめたようである。
「じゃ、ビーストキングダムにまで行こうか」
「はいっ!」
  ぞろぞろついてくる連中にそう声をかけると、みんな良い声で返事をして、そしてざ
っざかざっざか月夜の森をみんなで歩きだした。
  ラヴィアンはちょっと怖かったのだが何も言わなかった。

                                                            to be continued..