前進
  アンジェラが廊下を歩いていると、なにやら大声が聞こえる。ケヴィン達の私室から
だ。
「……どうしたの?  変な声だして」
「タ、タムが、タムがしゃべった!」
  幼子を抱き上げて、ケヴィンはもうはちきれんばかりの笑顔をしていた。アンジェラ
の脳裏に、長女のアリシアが初めて歩いて、狂喜したデュランが浮かんだ。
「久しぶりだもんねえ。子供の成長って早いわよ。本当にあっと言う間なんだから」
  部屋に入り、ケヴィンが抱き上げてる幼児をのぞき込む。つぶらな瞳で、のぞき込ん
できたアンジェラを見つめる。
「…でも、シャルロットの子だもんねぇ。やっぱりちょっと成長遅いわね」
「そうなの?」
「そうよ。もうすぐで2歳になるんでしょ?  そしたらねぇ…」
「そっか…」
「ぷあ、ぷー、だーあー…」
「な? ぱぱって聞こえないか?」
  なにか言う幼児に、ケヴィンは嬉しそうにそう言う。
「違うでしょ。大体長い間会ってなかったんだから、あんたが父親だなんて忘れてるわ
よ」
「……うー…」
  水を差すアンジェラ。しかし、確かに事実だろう。
「別に離れたくて離れてたわけじゃないのにー」
  抱き上げてゆらしながら、わが子をじっとのぞきこむ。
「あう…、なー」
「はいはい。どーしたのぉ?」
  アンジェラも幼児をのぞき込み、高い声をだしてあやす。
「ケヴィン!  帰ってたなら、なんで私に会わないの 」
  バタンとドアをあけて、シャルロットがずかずかと入ってきた。
「え?  だって仕事中って言うから、邪魔したら悪いと思って」
「んもう!」
「まんま…まんまー…」
  シャルロットを見ると、タムは喜んでじたじたとシャルロットに手をのばしはじめる。
「あ、シャルロットの事、ままって呼んでる!」
「当たり前よ。母親だもん」
「オレの事はぱぱって呼ばない…」
「当たり前じゃない!」
  アンジェラとシャルロットの二人にハモって言われて、ケヴィンはがっくりうなだれ
た。
「うー…」
「それで?  どうだった?  あっちの方は」
「……もめた」
「それはわかるわよ。きちんと決まったんじゃなかったの?」
「ルガーじゃ不安だってみんな言うんだ。本当に困った」
「それは困ったわね…」
  ビーストキングダムには、王位のごたごたが起こっていて、それをなんとかおさめる
ために帰っていたのだが、余計にごたごたがおきて、それをおさえるのにひどく時間が
かかってしまったのだ。
  さっきからタムがシャルロットの方に行きたがってるので、仕方なくケヴィンはシャ
ルロットに抱き渡すと、タムは喜んでにこにこしはじめた。
「かぁーわいいわね」
  アンジェラものぞきこむ。
「……さびしい……」
「仕方ないじゃない。長らく留守にしてたんだから」
  腕を組んで、首をふるアンジェラ。
「今日はもうずーっとタムの世話はオレがする!」
「はいはい」
  苦笑して、シャルロットは子供をベビーベッドに寝かしつける。
「今日って夜も?」
「当たり前!」
  決意もかたく、ケヴィンはタムを見る。
「あら、でもいいの?」
「なにが?」
「ひさーしぶりに夫婦が会ったのよ、あんた。お互いつもる話もあるんじゃないの?」
「うん」
  しかし、アンジェラの言う裏の言い回しを解せず、ケヴィンは素直に頷いたので、ア
ンジェラは少しがっくりきた。
「あのね、あんた!」
「ア、アンジェラぁ!  やめてよぉ!」
  さすがに意味を解したシャルロットが顔を赤らめながらアンジェラの腕をとる。
「あーら、シャルロット。あんたもたまってんでしょ?」
「アンジェラ!」
「うっふっふっ。ケヴィンってあっちに帰れば元王様だもんねぇ。あっちじゃ女に困ら
ない生活してたかもよ?」
「アンジェラっ!」
  顔を真っ赤にして怒り出したので、アンジェラは声をあげて笑い出した。だが急に声
をひそめて、ケヴィンに背を向けて話し出す。
「でも、ケヴィンって、なんかあっちすごそうだけど、そうなの?」
「う……。まぁその見たまんまっていうか…」
「あらまぁ。もしかして、獣人化したりする?」
「た、たまに」
「……それは……なんていうか…確かにすごそうね…」
  なんだか壮絶そうな気がする。シャルロットはパッと見て、二十にいくかいかないか
の年齢に見える。しかも正当清純派とも言える容姿だ。そういう服を着せたら完璧お人
形さんのようである。それが獣人と…というのはなんだかどこかの三流ポルノ小説みた
いだとか、不謹慎な事を考える。
「な、なんの話してるんだよっ!」
  聞こえたか、さすがのケヴィンも顔を赤くさせた。アンジェラはころころと笑い出す。
「んもー!」
「ふっふ、からかってごめんね。でも、あんたら相手にこういう話ができるっていうか、
通じるっていうか…。あのときじゃ全然考えられなかったわねー」
「あ、あのときはね」
  まだ顔が赤いのがなおらず、シャルロットは頬をさすっている。
「……そういうアンジェラだってどうしてるの?  デュランと長い間会ってないんでし
ょ?」
「ふふふ。そうね、今でも恋しいわよ。でも、仕方ないじゃない」
「…う…ま、うん……。ごめん…。ちょっと無神経だった…」
  言い返そうと思ったのだが、アンジェラの事情を思い出してシャルロットはなんとも
困ってしまって、頭を下げた。
「まぁ、旦那がホークアイとかだったら、本気でうかうかしてられないわよね。いつだ
って浮気しそうだもんねー、あの男」
「そうだよねー」
「…………………」
  ころころと笑い合う女二人を目の前にして、ケヴィンは複雑そうな顔をしていた。


「うん…。そうそう…。もうちょっと…」
  中庭で、ケヴィンはラヴィアンのリハビリに付き合っていた。元々努力家だけあって、
リハビリもきちんとこなすし、毎日のトレーニングも欠かさない。ふらふらしつつも、
少し立てるようになってきた。しかしまだ、自力で立つ事はできないのだが。
「はぁ、はぁ…」
「まだ腕の力に頼ってるみたいだけど、仕方がないね」
  車椅子に戻してあげながら、ケヴィンが言う。
「その腕の力もだいぶついてきたみたいだね」
「…うん…」
  そう言って、車椅子を押す。
「そうだ、ラヴィアン。オレの故郷にな、滋養になる温泉がわいてるんだ。今度ラヴィ
アンも来ないか?」
「温泉?」
「ああ。深い岩場にわいてるんだ」
「……温泉は……いいや…」
  裸にならなければ、肌を見せなければならない温泉など、ラヴィアンにとっては論外
の場所である。
「そうか?  すっごく気持ち良いんだ。疲れなんかとれちゃうし、ちょっとしたケガな
んか治っちまう」
「………………」
「でも、歩けるようになったら行こうよ。別に水着着ても良いし」
  そういう問題ではないんだけど…。
  デリカシーがないというか、悪気がないというか。本当に好意だけで言っているのは
わかるのだけれど…。
「でも…やっぱりいいよ」
「そうか…」
  残念そうなケヴィンの声。
「…だって…ほら、あたし…こんな…赤い肌してるし…顔だって…」
「…そうか?  オレは全然気にならないけど…」
  だからあたしが気にするんだってば。
  なんだか口に出せない言葉。
  自分の素顔を見た時、ケヴィンもさすがに驚いた。でもすぐに笑顔になって、なんだ
ラヴィアンだったのかと言った。悪気があって言ったのではない。包帯を巻いているの
がラヴィアンだと認識していたかららしい。
  確かに彼は他の人より変わっていた。まぁ、シャルロットも行動をよーく観察すると
実はけっこう変だったりするのだが、それはともかく。
  バカがいくつついてもおかしくないくらいの素直さがあって、大人とはちょっと思え
なかった。
  だから、彼の好意は裏も何もない、本当にただそれだけの好意なのである。
  すこしひねくれがちになるラヴィアンの思考回路も、いらぬ勘ぐりも、彼の前ではす
べて無駄だし、意味をなさなかった。
  ホークアイは何を考えているのかわからないのに対し、ケヴィンは何も考えてないの
がわかるというのがなんだかすごいとさえ思える。それに、どこか父親とたまに雰囲気
がだぶったりするのもまた事実。
  だから、最近、ケヴィンになつくようになってきた。

                                                            to be continued..