理解
  ひとしきり泣いて、ラヴィアンはホークアイによっかかってぼんやりしていた。
  不意に、ホークアイはラヴィアンの手をとって、握らせたり、開かせたりしてみた。
包帯がまかれ、そのすきまから焼けただれた肌をのぞかせている。
「……………?」
  ラヴィアンは少し不思議そうにその手を眺めていた。そして、今度はもう片方の手を
見る。そして、ゆっくり動かしてみた。
  ぎこちなく。でも少しだけ指が動く。
「おじさん……」
「ん?」
  ラヴィアンの視線の先を見る。ぶるぶると震える左手をあげて、ゆっくり、手を握っ
て見せる。
「ラヴィアン…!  おまえ…」
「は、…はは…。全然…動かないね…」
「なに言ってるんだ。それだけ動かせれば上等じゃないか」
「…そう…かな…」
「そうだ。何事にも順序ってもんがあるんだ。もしかすると、まぁ、走るのは無理かも
しれねえが、自分でメシくらい食えるようになるかもしれねぇぜ?」
「……本当…?」
「ああ」
  無責任にも、ホークアイは大きくうなずいて見せた。
「……そうだな、3年。3年頑張ってみろ。3年もありゃおまえならなんとかなりそう
だぞ」
「…そ、そうかな…」
  突然でてきた3年という言葉に、ラヴィアンは少し怪訝そうな声をだす。
「本は好きだろう?  好きな本をたくさん読めたら良いと思わないか?」
「うん」
  即行うなずくラヴィアン。どうやら本好きは健在のようだ。ホークアイはしめたとば
かりにっこりほほ笑んだ。
「よし、じゃあ本を読もう。ここはウェンデルだ。アルテナにも負けず劣らず本ばっか
りはたくさんあるぞ」
「……本……本かぁ……」
  どこか夢見心地のラヴィアンの声。今まで忘れていたようである。
「たぶん、おまえ見込みあるぞ。それだけ動かせるんだ。リハビリ続ければここの本は
読みたい放題だ」
「読みたい放題…」
  うれしそうなラヴィアンの声。活字中毒なまでの本好きだ。きっと本の魅力は誰より
も知ってるに違いない。
「なぁ、ラヴィアン」
「え?」
  少し改まったようなホークアイの口調に不思議そうに見上げる。
「今すぐ動くってのは無理な話だ。赤ん坊だってすぐに立って歩けない。だから…」
「だから?」
「焦らなくて良いんだ」
「………………」
「…おまえの好きそうな本を持ってこよう。ケガに効きそうな薬も持ってこよう。ヒマ
ならおまえのリハビリに付き合う。俺にできるだけの事はする。……だから、死にたい
なんて言うのは……もうちょっと先にのばさないか?」
「……わかった……」
  暗くないラヴィアンの返事に、ホークアイはほほ笑んだ。


「……でも、なんで、おじさんはそうしてくれるの…?」
  だいぶたってから、ラヴィアンはホークアイを見上げた。ホークアイはまだラヴィア
ンの背中を抱いていた。
「ん?  なんでって、当然じゃないか」
「当然って…」
「デュランとアンジェラの娘なんだろ?  なら、俺の娘も同然だ」
「?」
  ラヴィアンはよくわからないらしく、怪訝そうにホークアイを見上げる。
  ホークアイはそんなラヴィアンににっこりほほ笑んだ。


「随分、長かったな」
  部屋から出てきたホークアイに、デュランは話しかける。彼が出たときはすでに夜も
ふけており、夕食の時間となっていた。
「ああ。まぁな」
  軽くうなずいて、食前のワインを一口。久しぶりにする親友との食事である。
「…デュラン…ごめんな」
「?  何が?」
「今から思ってもメチャクチャ荒療治しちまった…」
「………………」
  食べるのをやめて、デュランはホークアイを凝視する。
「え?」
「あーいや、一応さ。イヤな事は吐き出させないと、と思って。あの事を全部話した。
いやー、途中、ちっと言葉を間違えてどうなるかと思った…」
「おまえ…」
「いやいやいやいや、大丈夫大丈夫大丈夫!  それは、大丈夫。ラヴィアンにリハビリ
の約束をとりつけたし」
「約束?」
「そう。本を読みたいなら、少しずつリハビリしようって。ラヴィアンの性格なら、ア
メをちらつかせてりゃ自分でムチうって努力するだろうと思ってな」
「…おまえなー、人の娘を…」
  デュランににらまれて、ホークアイは苦笑してごまかした。
「実際、あの子はもうちょっとトシくって、周りさえ見えるようになれば落ち着いて行
動できるようにできたろう。あのときは、それができなかっただけだろうし…」
「………………」
「デュラン。あの子は間違いなく優秀だ。おまえらよりもはるかに!」
「………………」
  憮然そうにホークアイを見るが、デュランは一応何も言わない。
「本気でトンビがタカを産んだんだろう。……だから、きっとあの子は大丈夫だよ」
「………………」
「でも…やっぱり時間は必要だろう。今日は荒療治しちまったけど、あとはたぶん地道
にやってくしかないんだろうな…。さっきな、ラヴィアン、自分で手を動かそうとして
た。力がうまくいれられなくて、震えてたけど」
「………そ、そうか…」
「シャルロット。あの子は、筋力が低下してるから動かせないんだろう?」
「おそらくね。あと、動かし方を忘れてしまってるからかもしれない…」
  肉をナイフで切る手を止めて、静かにうなずいた。
「……あとは…時間だよ…」
「…そうか…。そうだな…」
  デュランはホークアイを見て、そして静かにうなずいた。


  次の日から、ラヴィアンのリハビリがはじまった。最初はうまくいかなくて、多少八
つ当たりしていたようだが、それ以前よりも随分減った。
  シャルロットの配慮で神官達も全面的にバックアップしてくれた。そして、シャルロ
ットにあたることもなくなった。
「はい、そう。1、2、1、2…」
  アンジェラが娘の手を握ってやりながら、動かす練習。今日も続けられていた。元々
相当な努力家で根性のあるラヴィアンの事。その成果は少しずつだが、目に見えて表れ
てきた。
「はー…ただいまぁ…」
  ヨレヨレになって、ケヴィンが神殿に帰ってきた。
「あ、ケヴィン様…。随分かかりましたね」
「うん。もう、ずー……………………………っと、もめてた…」
  ため息とともにそう言うと、荷物を抱えて神殿内へと歩きだす。本当に久しぶりの光
の神殿であった。故郷は故郷だし、ビーストキングダムは好きは好きだが、もめごとは
嫌いである。
  長くなりそうだと思ったら本当に長くかかってしまい、やっと落ち着いたのでここに
戻ってこれたのである。
「あ、ケヴィン様。お帰りなさいませ」
  中にいた神官がケヴィンを見つけて頭を下げた。
「うん。シャルロットと、タム、どこにいる?」
「司祭様は現在仕事中ですが、タム様はお部屋においでですよ」
「そっか…。ありがと…」
  そう言うと、ケヴィンは自分たちの私室へと歩きだす。仕事をしているのなら、シャ
ルロットに会うのは後回しにした方が良いだろう。
「ゆっくり、ゆっくりでいいのよ。そう……」
「ラヴィアンさん、その調子です!」
  ふと、聞こえる声に中庭を見る。と、そこで包帯だらけのラヴィアンがそこに設置さ
れた手摺りにつかまって、よろよろと立ち上がろうとしているではないか。
「ラヴィアン!!!」
  突如かかった大声にみんなビックリして、一瞬動きをとめた。ラヴィアンは思わず手
を離してしまい、その場に尻餅をついた。
「な…なによ…ケヴィン…?  驚かさないでよ」
  振り向いて、アンジェラは声の主を見つけた。
「ラヴィアン!  どうした!?  すごいぞ!」
  今まで疲れた顔も吹っ飛んで中庭に飛び込んでくると、嬉しさのあまりにラヴィアン
を高く抱き上げた。
「う、うわああ!?」
「すごいな!  本当に!」
「ちょ、ちょっと、ケヴィン」
  慌ててアンジェラはケヴィンの腕をとる。
「ん?」
「んじゃないでしょ!  ラヴィアンおろしなさいってば」
「え?  ああ、うん」
  ケヴィンはゆっくりラヴィアンを降ろす。立ちたいようだが、力が足りなくてそのま
ま立つ事ができない。
「ああ、もう。今日はいいわ」
  そう言うと、アンジェラはそこの車椅子を持ってきて、ラヴィアンを座らせた。
「ふう。何なのよ、いきなり大声だして…」
  あきれて、アンジェラは腰に手をあててケヴィンを見る。前に比べて少し若返ったよ
うな気がする。それも嬉しくなって、ケヴィンはまたにこにこした。
「いや、ラヴィアンが立ってて、すごいと思ったんだ。本当にすごいな。オレがクニに
帰る時はベッドの中だったのに」
  ケヴィンはほほ笑んでラヴィアンの手を取る。どうやらラヴィアンは苦笑したようで
ある。
「ビックリして嬉しくなって、つい。ごめんよ」
  素直なケヴィンに怒る気も失せたようである。アンジェラも苦笑するよりほかなかっ
た。
「付き合ってくれてありがとう。今日はここまでにするわ」
「あ、はい」
  リハビリを手伝ってくれていた神官にそう言うと、彼は会釈をして、ラヴィアンに挨
拶をして、去って行った。
「それにしても随分かかったのね。どうしてたの?」
  車椅子を押しながら歩きだしたので、ケヴィンも歩きだした。
「もめてた」
「それはわかるわよ。何をそんなにもめてたのよ」
「色々…。あんまし思い出したくない…」
「そう」
  カラカラカラカラカラ…。車椅子の音が神殿の廊下に響く。
「タムちゃんに会わなくて良いの?  久しぶりなんでしょ?」
「そうだ!  タムー!」
  アンジェラに言われて思い出すと、ケヴィンは一目さんに駆け出した。
「……ヘンな男ねぇ…」
  ケヴィンの背中を見ながらそう言うと、アンジェラはまた車椅子を押す。
「ケヴィンさんって…あんな人だっけ…?」
  ラヴィアンは母親に話しかける。
「ああいう男よ」
「……ふーん…」
  どうにもあまり記憶にないのだが…。ラヴィアンはちょっと考えてみる。
  ラヴィアンも、今では最低限の身の回りの事なら自分でできるようになっていた。そ
れが、元気になってきている理由だった。リハビリをやればやっただけ動くようになる
体は、自信を取り戻させる。
  ただ、いくら身近な人が気にしてないとはいえ、ただれて醜く変形した肌や顔は、コ
ンプレックスになっていた。
  少し動けるようになった時。自分で包帯を外して見てしまったのである。自分の顔を。
あまりのショックに数日、食が喉を通らなかった。
  だから、包帯はとれない。長袖に長ズボン、手袋。見慣れてしまえばどうって事はな
いが、たまに迷い込んだ神殿の参拝客がラヴィアンを見て驚き、逃げ出す人さえいた。
  なので、あまり神殿より外は出たがらない。
「このへんでいいよ、母さん。あとは自分で戻るから」
「そう?」
「うん」
  ちょっと娘の顔を見て、彼女が頷くのを見ると。アンジェラはラヴィアン自身に戻ら
せる事にした。
  まだ腕の筋肉に元のような強さはない。けれども、自分で車椅子を動かす事はできる。
平坦な場所なら自力で移動できる。
  ラヴィアンは車を動かして、自室に向かう。ドア開けて入って行く。部屋には、ラヴ
ィアンの大好きな本がいつもある。元々ウェンデルの蔵書量はアルテナにひけをとらな
い程だし、色んな人が本を差し入れてくれるのだ。
  アンジェラは周囲の人々の好意が嬉しかった。娘のために、みんな気をまわしてくれ
る。
  本当は家族全員で暮らしたいのだが、それにはフォルセナまで移動せねばならない。
しかし、外出をラヴィアンは極端に嫌うし、神殿のようにラヴィアンに適した環境がフ
ォルセナにはない。
  娘が元気になってくれただけでも、アンジェラは嬉しかった。今でも罪悪感がないわ
けではない。けれど、そればかり考えていては前にすすめない。娘も前に歩きだしたの
なら、自分も前向きに生きなくては、と思っている。
  もう精神安定剤は飲んでいない。

                                                            to be continued..