説得
「入るぞー」
  ノックもせず、ホークアイはずかずかとラヴィアンの部屋へと入ってくる。
「……また来たの…?」
  あきらかに嫌悪の瞳でホークアイを見る。
「またって、久しぶりじゃないか。それに俺はこの部屋に入ったのは初めてだ」
「…………………」
  ラヴィアンは話をする気もないようで、そっぽを向く。
「ラヴィアン。おまえ腹減ってないか?  美味いかゆをもってきたんだ」
「…………いらない」
  しかし、ラヴィアンはつばを飲むのが聞こえた。実際ここのところほとんど食べてな
いし、水すらもよく飲んでいないのだ。
「……じゃ、聞こえるこの腹の虫はなんの音だ?」
「………………………」
  そう。空腹のためにラヴィアンの腹はなりっぱなしであり、ホークアイがもってきた
おかゆの美味しい匂いが部屋中に充満したため、余計にひどくなりはじめたのだ。
  ホークアイはフッと息をつき、おかゆを机の上に乗せ、自分はそこにある椅子に腰掛
ける。そして、そっぽを向き続けるラヴィアンを眺めた。
  一瞬、悲しそうな瞳をして、それからすぐにその気配を消す。
「…話は聞いた。で?  おまえは何を知りたいんだ?」
「……別に、何にも」
「………………そうか…?」
「………………」
  ラヴィアンの腹の音はずっとなり続ける。おかゆは静かに湯気をあげ、美味しそうな
匂いをさらにあたりに撒き散らした。
「……おじさん!  あっちへ行ってよ!  邪魔なんだよっ!」
  ぐるりとこっちに顔を向けて、ラヴィアンが怒鳴る。だけど、ホークアイは少しも動
じなかった。
「いや。俺はここに動かない」
「あっちへいけったら!」
  しかし、ホークアイは動かない。ラヴィアンは歯を食いしばり、ぐぐっと上半身を起
こそうとした。
「あっちへ…いけよ!」
  枕を投げようとしているのだろうか。枕をつかもうとしているが、うまくつかめない
ようである。だが、そうしようとしているのはわかった。
「………ラヴィアン」
「なんだよ!?」
「なぜおまえがそうなってしまったか。それが知りたいんだろ?」
  ホークアイが低い声で、静かにそう話しかける。ラヴィアンは少しハッとして、でも
すぐに歯を食いしばった。
  しばらく無言が続いたが、ラヴィアンはぼすっと枕に頭を強くうずめる。そして、相
当苛立った声でこたえた。
「そうだよっ!  なんで…なんであたしがこんななの!?  なんで体が動かないの!?
この包帯だらけの腕はなに!?  なんで…なんで……げっげほっごほっ!」
  そこまで言うと、急にむせる。ホークアイは少し慌ててラヴィアンに触ろうとしたが、
嫌がってもぞもぞと動いている。
「……そっか…。じゃあ俺はそれを教える。なぜアンジェラが言いたがらないか。その
理由も教える。それでいいな?」
「…………………」
  一瞬、ラヴィアンはあっけにとられ、しばしホークアイを見て、けれどすぐに視線を
天井に戻した。
「そのかわり、おまえにはそこのかゆを食ってもらう」
「…なんで?」
「そういう取引だからだ。おまえがかゆを食わない限りは俺も教えない」
「……………………」
  ホークアイが何を考えているのかまったく読めなくて、ラヴィアンは怪訝そうに彼を
見る。しばらく悩んでいたのち、やっと声をあげた。
「……………わかった…」
「よし。じゃあ食え」
  ラヴィアンは小さくうなずくと、ぐぐっと上半身を起こしはじめる。半分は持ち上が
るのだが、それ以降が上がらない。ホークアイは彼女の背中を抱き起こした。
「持てるか?」
「………………」
  手がゆっくり動く。ホークアイはベッドに乗り出し、ラヴィアンのすぐ隣に座る。そ
して、背後から支えるように、2人羽織りのようなかっこうになって、ラヴィアンの食
事を手伝った。手伝われて、ラヴィアンもはじめは嫌そうだったのだが、最後はあきら
めたようである。それに、本当はものすごくおなかがすいていたのだ。
「……ふぅ…。…もういい…。これくらい食べれば良いでしょ?」
  半分以上も食べてから、ラヴィアンはそう言った。ホークアイはにこりとほほ笑んで、
かゆのわんを机の上に置く。
「水飲むか?」
  こくんをうなずいたので、ホークアイはまたも手伝ってやりながら、水を飲ます。途
中、水がラヴィアンの口からこぼれ落ちて、布団の上に落ちる。
「おっと」
  そばにあるタオルでそれをふく。ラヴィアンはそれをものすごく嫌そうに見ていた。
「………おじさん…」
  少し落ち着いてから、ラヴィアンはホークアイを見た。ホークアイも椅子に座って、
真っすぐラヴィアンを見た。
「…そうだな…。何故そうなったか…だな」
  うなずくラヴィアン。
「まず、ラヴィアン。おまえさん、あのときの事をどれだけ覚えている?」
「あのときのこと?」
「マナの聖域での事だ」
  ホークアイがずばりと言ってきたので、ラヴィアンはちょっと伏し目がちになった。
そしてまた、ホークアイを見る。
「…実は…あんまり覚えてない…。ただ、もう夢中で…、夢中だった。マナを復活させ
ること…ただそれだけしか…考えてなかった。いきなり、ルガーが謝りながら攻撃して
きて…」
「うん」
「わけがわからなくて…。それから…それからみんな敵に見えて…。ルガーも、イーグ
ルも……おじさんも…」
「うん」
  ラヴィアンはちょっと気にしてホークアイの様子を見たが、彼は一向に気にしていな
いようであった。
「それから…痛いのと苦しいのと…でも、もう少しだっていうので、頭がいっぱいで…。
あのとき、お母さんの声が聞こえて…。お父さんもやって来て…」
「うん」
  ホークアイはただ相槌をうつばかりである。
「一番…アルテナが元に戻るのを願ってるはずのおかあさんがやめろって言って…、も
う、なにがなんだかわからなくて…悔しくて…あたまがいっぱいだった…。そしたら、
急に熱い光りがどかんって…おちてきて…それから……あとは…覚えてない……」
「そっか…」
「……マナの女神さまは…どう思ったんだろう……」
  ぼんやりと宙をながめて、ラヴィアンはつぶやく。どうやら、満腹になった事もあり、
だいぶ落ち着いてきたようである。
「…じゃあ、ラヴィアン。おまえはあの熱い光を何だと思った?  なぜ、自分に落ちて
きたと思った?」
「……それが、おじさんの教えてくれる事に関係あるの?」
「ああ」
  もちろん何の関係があるのかホークアイもわからないのだが、適当に大きく意味あり
げにうなずいて見せる。このへんのハッタリはさすがである。
  ラヴィアンはそんなホークアイを見て、また宙に視線を戻す。もう見飽きた天井の柄
がある。
「……天罰だと思った……」
  ふと、ホークアイが顔をあげる。
「……みんながやめろって言ってる中、やろうとしてたから…だから、女神さまが怒っ
たんだと思った……」
「…………そうか…」
  複雑な目で、ホークアイはラヴィアンを見た。それから少し考えてから口を開いた。
「…そうだな。ラヴィアン、おまえの思った通りなのかもしれない…」
「え?」
「天罰だよ」
「………そっか…。やっぱり…そうなんだ……」
  そう言って、ラヴィアンはぼんやりとする。ショックを受けているようには見受けら
れなかった。
「………本当のところはな、あれはアンジェラの魔法だったんだ」
  だいぶの沈黙のあと、ホークアイがそう言った。
「え?」
  ラヴィアンは少し驚いてホークアイを見る。
「アンジェラもな。あいつ、魔法の腕はすごかったからな…。マナのあるあの場所でな
ら、ヤツも魔法が使えるんだよ」
「……まほう…?」
「雷の魔法だったな…。後から思えば、もっと安全な方法はなかったとか、みんな思っ
たけど…。あのときはみんなして頭ん中混乱して、興奮してたんだな…。俺も…そうだ
った…」
「………………」
「自分の娘を自分の魔法でうってしまった……。……しかもその原因を作ったのは自分
だ…。だから、アンジェラはおまえに言えなかったんだ……」
「………………」
「そして、おまえは木から落ちた。それからはデュランの回復魔法で何とか一命をとり
とめた…。そんなところだ。その時のショックでおまえはその日から今までの記憶がな
かった。そういう事だったんだ」
「…………………」
  何を考えているのか。ラヴィアンは無言でホークアイを見つめ続けた。
  長い沈黙が続いた。
「……そうか……」
  それだけ言って、ラヴィアンはホークアイを見るのをやめて天井を見た。
「………どうして…おかあさんはアルテナをあきらめてしまったのかな……」
「それは知らん…。……けど、後悔したくなかったからじゃないか?」
「え?」
  ラヴィアンはまたホークアイを見る。
「世の中、どうあがいたって、どうしたって無理な事がある。アルテナの気候がそうだ
った。アンジェラはあがくだけあがきたかったんじゃないか?  アルテナという国を自
分の力でやれるだけやって…。もう駄目なら、それは仕方がない。でも、後になっても
うちょっとやっていればよかった、なんて思うくらいならやれるだけやりたかった。…
そうだったんじゃないか、なんて思うけどな、俺は」
「…………でも…あきらめなければ…何でも…」
「できると思うか?」
「…………………」
「なぁ、ラヴィアン。何故、人は空を飛べないと思う?  鳥はあんなに自由に飛べるの
に」
「?  だって、鳥は鳥。人とは体の作りが違うし…」
  いきなり何を言いだすのかと思って、ホークアイを見る。
「じゃ、なぜ魚はずっと水の中で生活できる?  人は少ししか潜れないのに」
「???  え?  だって…魚じゃない…」
「そうだよな。じゃ、あきらめなければ、人は鳥になれると思うか?  魚には?」
「…無理だよ。生まれ変わりでもしない限り」
「だよなぁ。…それと同じだよ。どう頑張ったってできない事はあるんだ」
「……………………」
  ホークアイの言いたい事が少しわかって、ラヴィアンは考え込む。
「…でも、アルテナは…」
「同じ事だよ。元々あの土地に人間が住めるような環境じゃなかったんだ。マナがある
時は魔法で何とかしてたけどな」
「だから…」
「無理なんだよ。調べさせてもらったが、あのときのアルテナの人口は五〇〇人にも満
たなかったそうじゃないか。食料も大半を輸入に頼っている。そして、マナが戻ったと
して、その20年前の魔法技術を使える人間がどれほどいると思う?」
「…それは本を読んで…」
「確かにお前なら可能かもしれない。じゃ、アリシアはどうだ?  ヤツにはできそう
か?」
「………ちょっと……無理かも……」
  久しく会っていない姉を思いだし、ラヴィアンは少し考える。
「大半はアリシアのような人間がほとんだ。本読んでできるなんてヤツはお前くらいだ
よ。つまり。マナが戻ってもどうする事もできなかったんだよ」
「…………………」
「世の中、おまえみたいに根性であきらめなければって人間ばかりじゃない。そうそう
にあきらめて逃げ出しちまうヤツの方がよっぽど多いくらいだ。
  人に言うことを聞かせるっていうのはな、すごく大変だ。おだててもおどしても動か
ないヤツもいる。簡単に裏切るヤツもいる。すぐにウソをつくヤツもいる。国ってのは
そういうのもひっくるめて、色んな人間がいる集団だ。その集団を、マナが戻った、頑
張ろうで動かせるものじゃない」
「…………………」
「理由はそれだけじゃあないけどな。もうぎりぎり、いっぱいいっぱいまでやって。ア
ンジェラはもう国を閉じる用意をしてた」
「……それは…知ってた…」
  だからあんなに焦ってた。マナが戻れば、母親に笑みが戻ると信じていた。
「他にもな。おまえ、アストリアで妖魔に会ったろう」
「…………、あ。ああ…あの、ピエロみたいな…?」
「そう。死を喰らう男って名で呼ばれてた妖魔だ。マナが復活すれば、ヤツも復活する。
今はショボくれてるけど、本当はもっと強い」
「…そうは見えなかったけどな…」
「自惚れるな。アレは本当にお前より強い。あいつの呪術なんか見た事ないだろう。ま
あ、見たくないけどよ」
「……………」
「俺の若かった時代。ようはマナのあった時代だな。魔法、マナの恩恵を受ける分、そ
れだけ危ないヤツらがたくさんいた。昔いた竜帝っていうドラゴンの親玉は町を一瞬で
滅ぼした。わかるか?」
「………………」
「マナを復活させるということは、そういうのも復活させる危険性を伴っているんだ」
  ホークアイの言うことを徐々に理解しはじめるラヴィアン。
「物事は大概一長一短だ。長所ばかり見ていては短所に足元をすくわれる。……おまえ、
長所しか見てなかったろ?」
  その通りだった。
「もちろん、やめろと言った背景には、シャルロット達の事があった。…アンジェラは、
あいつらの犠牲の上でマナが戻ったところで喜ぶようなヤツじゃない。…デュランも、
悲しむだけだろう」
「……………………」
  ラヴィアンはしばらく、ほうけたように天井を見つめていた。
  荒療治である事は承知していたが、荒療治すぎたか?  ホークアイは心配になってラ
ヴィアンを見る。
「…つまり…そういう事だったんだ…。わかったか…?」
「………………」
  しかし、ラヴィアンは何も言わなかった。随分してから、一言つぶやいた。
「……やっぱり…天罰だったんだね……」
「……ラヴィアン……」
「あたしのやってたことは…間違いだったんだ…」
「そうじゃない」
「だって!」
「ただ人の話を聞けって、俺は言いたいだけだ」
「……………………」
  ラヴィアンは言い返せなくて黙り込む。
「誰もおまえを責めちゃいない。責められるというなら…そういうふうに吹き込んだア
ンジェラなのかもしれない…。でも…誰も誰かを責めちゃいないさ…」
「…でも…でも、あたしはおかあさんにさんざんひどいことをいったし…シャルロット
にもいった。今日きたおとうさんにも…」
「誰も怒っちゃいないさ、そんなこと」
  事もなげにホークアイが言う。
「だけど!」
「ラヴィアン。じゃなぜ八つ当たりしてしまった?  なぜ苛立っている?  その解決法
は?  なぜ腹が減る?  なんでだ?」
  ホークアイはラヴィアンを真っすぐのぞきこむ、いっきに疑問をまくしたてる。ラヴ
ィアンはたじろぎ、頭をすこしずらした。
「…その答えを少しずつでいいから考えてみな。窓も開けて、な?」
  急に優しい口調になり、ホークアイは歩いて部屋の窓をあける。さぁっと外の風が部
屋の中に舞い込んでくる。
「おじさんも一緒にかんがえてやろう」
  言って、ホークアイはラヴィアンのベッドに腰をおろす。そしてラヴィアンの上半身
を起こさせて背中に手をまわすと、こちら見てきたラヴィアンににこっと笑いかけた。
「下を向いて考えるんじゃなくてな。上を、そうだな、あのかかってる絵のあたりを見
て考えてみようか?」
  そう、ホークアイは壁にかかっている絵を指さす。静物を模写して油絵のようである。
  ラヴィアンは長い間その絵を見ていたが、やがてふっと息をはきだした。
「……おかあさんも…シャルロットも…。あたしを悲しそうに見るんだもん…。…哀れ
んだ目で…見るんだもん…。なんで…、…なんでそんな顔するのか。なんで、何も教え
てくれないのか…。すごく、イライラしたし、ムカムカきた」
「うん」
  ホークアイはゆっくりうなずいた。
「…体は思うように動かせないし…。食事もトイレも一人でできなくて…。なんであた
し、生きてるかわかんないし…」
「うん」
「こんなあたしが生きてて何の意味があるかわからないし…。死にたいと思った。…死
にたいのに、おなかが減るの…。のどがかわくの……」
「うん」
  ホークアイは優しくラヴィアンの背中をさする。
「どんなに我慢しても…おなかがへって…おなかがなるの……」
「うん」
「…………なんで……死ねないのぉ……?」
  そこまで言うと、とうとう泣き出してしまった。ホークアイは無言で、ただただラヴ
ィアンの背中をさすっていた。

                                                             to be continued..