困惑
  ラヴィアンの精神状態が正常に戻った。このニュースはフォルセナに伝わり、急いで
父親がかけつけた。
「おい、シャルロット!  ラヴィアンが正気に戻ったって?  本当なのか?」
  父親が大急ぎでウェンデルにやって来た。どうやら走ってきたらしく、息をきらして
おり、肩を上下させている。
  だが、神殿の入り口に迎えに来たシャルロットの顔は暗い。
「…ええ…。それは本当よ…だけど…」
「だけど…だけどどうしたんだ!?」
  シャルロットの両腕をつかみ、がくがくとゆらす。
「…ねぇ、デュラン。…ラヴィアンは前は元気な子だったんだよね…?  走り回って、
動き回って」
「それがどうしたんだよ?」
  シャルロットの言いたい事がわからず、デュランはさらに詰め寄る。
「今の状態になっている事にラヴィアンはすっごいストレスなの…。わかる?  昔のよ
うに歩けない。動けない。そのストレスが」
「でも、ラヴィアンはラヴィアンだし…!」
「………でも…、あなたはそうでも…ラヴィアンは…」
「………………………」
  やっとわかったのだろう。デュランを口をつぐみ、唇をかみしめる。
「…と、ともかく、ラヴィアンはどこだ?」
  目をふせて、それからシャルロットはデュランを見上げる。今も昔も精悍さに変わり
はないけれど。周りが年老いていくなか、みんなと同じ時間で老いていくことのできな
いシャルロットはひどい悲しさを一瞬覚え、また目をふせた。
「こっちよ」
  一言そう言って、くるりと背中を見せて歩きだす。


  神殿内を、シャルロットについて歩く。デュランの心は不安と嬉しさがせめぎあって
いた。
  バタン。
  女がドアから出てくると、閉めて、それによっかかった。随分疲れているようである。
「アンジェラ!」
  呼ばれて、アンジェラがこちらを見た。別れた時よりまた一段と疲れているようであ
る。
  デュランを見た途端。彼女の中でなにかが切れたようである。ワッと泣き出してデュ
ランにしがみついた。
「…もうっ…、もう…ダメなのかしら…わたし……わたし…!」
「ア…アンジェラ……?」
「私…あの子に何もしてやれない…!  何もできない…!  もう…どうしていいかわか
らない…!」
  あとはもう、ただただ泣き崩れるばかり。デュランも困ってしまい、ただ抱きとめて
やるしかできない。
「ともかく、一度こっちに来た方が良いわ。アンジェラも落ち着かないと」
  シャルロットはアンジェラの背中をさすり、ついてくるようにうながした。
  通されたのはアンジェラの寝室である。さっきの出てきた部屋の向かいにある。
「アンジェラ。とにかく今は休んで。ほら横になって、ね?」
  デュランに手伝ってもらいながら、シャルロットはアンジェラの靴を脱がせ、ベッド
に寝かしつける。
「ほら、落ち着いて落ち着いて」
  ベッドの近くにある机の引き出しから薬を取り出し、机の上にある水差しをとってそ
こにあるコップに水をそそぐ。そして、ゆっくりとアンジェラにそれを飲ませた。
「大丈夫。デュランも来たし。ね?」
「…………………」
  けだるそうにシャルロットを見ると、今度はデュランに目を移して少しだけほほ笑む
と目をふせ、そしてそのまま寝てしまったようである。
「ふう…」
  寝てしまったアンジェラを見て少し安心すると、シャルロットは薬だの何だのを元の
場所に片付ける。
「……シャルロット……?  これは……一体…?」
「…どこから話したらいいのかしらね…。あ、そこに座って」
  デュランをそこの椅子座らせると、シャルロットはちょっと考えて、そして話し出し
た。
「…ついこの間、私、ラヴィアンを連れて散歩してたの。アンジェラばっかりに介護さ
せてたらまいっちゃうしね。それで、その散歩してたら雨が急に振り出してね。雨宿り
しようと思って、木の下に行こうと思ったらそこに雷が落ちてね」
「……それが、何の関係があるんだよ?」
  デュランは少しイライラしたようにシャルロットを見た。
「その雷が原因っていうか、なんていうか…。目の前で落ちて本当に怖かったわ。……
デュラン。あのときアンジェラが使った魔法は雷の魔法なんですって?」
「!」
  よみがえる、悪夢の瞬間。
「……たぶん、それのショックだと思うの。ラヴィアン、急にきちんと話し出してね。
自分の動かない体が疑問だったみたい。あの子、魔法に打たれた以降の記憶はまるでな
いみたいね。それの後遺症で自分の体が動かないってわからなくて…。…で、なぜ動か
ないか問いただされて…。…確かにそれは当然よね…。でも、アンジェラはまだ教えて
ないみたい。…私も言えないんだけどね……」
「………………」
  デュランは暗い顔で、自分の額を手でおおう。
「…それも、原因なんでしょう…。動けなくて介護が必要っていうその体にすごいスト
レス感じて…、アンジェラに激しく当たり散らしてるの。私も、ちょっとはやってるん
だけど…嫌われちゃったみたいで…」
  シャルロットはそう、困ったようにごまかしてほほ笑むが。
「アンジェラも責任感じちゃってね…。よく眠れないっていうから、今は精神安定剤を
飲ませてるの…」
「じゃ、それは…」
「そう」
  デュランがベッドの近くの机を目で差す。空のコップとガラスの水差しが乗っている。
「……ラヴィアンは…そんなに…?」
「…よく診せてくれないから、何とも言えないんだけど、筋肉の退化が原因だと思うの
よ。歩けないのはね。たぶん、脳の手足への命令系統が前はうまくいってなかったんだ
ろうけど、今は脳が正常に戻ったから少しは何とかなるみたいなのよ。手も少し動かせ
るみたいだし」
「…じゃあ…!」
「わからない。ただ、火傷は外傷だから、そうではないかというだけなのよ」
「……そうか……」
「ほとんどの原因は脳の状態みたいなのよ。精神的負担が大きすぎた…んでしょうね…」
「……………………」
「…アンジェラから聞いたわ…。ラヴィアン、マナを復活させたかったんですってね」
「………ああ…」
  うめくようにデュランがうなずく。
「……私…、聞いた時はなんて言っていいかわからなかった…。ケヴィンもね…。確か
に、私たちはまだ死にたくない…死ねない…。幼いタムを残していけない……私の時み
たいな想いはさせたくない…」
「ごめん……ごめんな…」
  しかし、シャルロットは首をふる。
「いいのよ。だれかを責めて解決する問題ではないし」
「……………」
「いい子ね…。親思いで、国思いの…」
  そう、シャルロットは静かにほほ笑んだ。
「どうにかしてあげたい…。元気になってほしい…。でも…私じゃ力不足みたい…。情
けないわ…。これで光の司祭だっていうんだから…」
  すこし自嘲して、それからうつむく。
  しばらくの間、沈黙がこの部屋を支配した。
「…デュラン…。ラヴィアンに会ってみる?」
「………ああ…。そうだな…」
  ゆっくり立ち上がり、デュランはシャルロットを見た。彼女も疲れているようだった。
「…そういえば、ケヴィンは?」
「あの人は今ビーストキングダムよ。ラヴィアンが正常になってすぐ呼ばれて…。本当
は行くのはイヤだったみたいなんだけど、ホラ、あそこも王位がどうので大変じゃない。
どうしても、帰らなくちゃいけなくてね…」
「そっか…」
「ラヴィアンは、さっきアンジェラが出てきた部屋よ。……一緒に行きたいけど…私は
たぶん…行かない方が良いみたいだから…」
「………わかった」
  デュランを瞳をふせてうなずくと、すぐに顔をあげた。


  コンコン。ノックするが返事はない。
「入るぞ」
  そう声をかけてデュランは部屋に入る。机と椅子とベッドしかない単調な部屋。
  ベッドの中のラヴィアンが動いて、こちらを見た。包帯だらけだし、顔も醜く火傷で
変形してしまったため表情はよくわからない。
「……………お父さん…」
「ラヴィアン…」
  コツコツと足音をさせて娘のベッドに近づく。娘の姿に一瞬すさまじい悲しみを覚え、
しかしそれをのみこむ。
「…なにしに来たの…?」
「なにしにって…、おまえの様子を見にきたんだ」
「そう」
  トゲの含む声。それだけ言うとラヴィアンはツンとソッポを向く。一瞬、何を話せば
良いかわからなくてデュランは言葉を探す。
「ラヴィアン…」
  声をかけるが、娘はこちらを見ようとしない。ずっと顔をそむけている。
「…今だれにも会いたくないんだったら。出てってよ」
「おまえ…」
  そこで、キッとラヴィアンが振り向いた。包帯のスキマから、ただれた肌がのぞく。
「誰にも会いたくないんだ!  出てってよ!」
「出てけって、おまえ…」
「うるさい!」
  それだけ叫ぶと顔をそむけて目をぎゅっと閉じた。もう会話しようという気すら彼女
にはないようだった。
  それからどうにか娘に話しかけようとしてみたが、何を言ってもとりつくしまもない。
  デュランはしばらくこの部屋にいたのだが、小さくため息をついて、そしてあきらめ
て部屋を出た。
  娘はひどく苛立っていた。どうしようもない苛立ちをぶつけられているのはわかった。
その気持ちはわかるけれど、何をしてやれば良いのかわからない。
  ドアを出ると、目の前にシャルロットが立っていた。
  デュランは視線があうと、静かに首をふる。
「…精神が元に戻ってどれくらいだ…?」
「もう二週間すぎるかな。最初は戸惑って、それから苛立って、当たり散らしてるわ。
前は元気に走り回っていた分、動かない体にすごい苛立ってるみたい」
「……そうか…」
「…すぐに立ち直るのは無理だと思うの。たぶん、時間が必要よ…」
「…………………」
  たぶん、そうなのだろう。デュランはまたため息をつく。
「とにかく、こっちに来て。お茶くらい出すから」
「ああ…」
  シャルロットにうながされ、デュランは歩きだした。


  シャルロットに出されたお茶は香りよく、少し甘くて美味しかった。
「…ラヴィアン…。本当にちっとも動けないのか…?」
「さあ…。でも、上半身は何とか少し動けるみたいなのよ。何度も起き上がろうとして
るし」
「そっか…」
「ラヴィアン…食事をあまりとりたがらないのよ。おなかがすいてるはずなのに、食べ
るのを嫌がってるみたい…」
「それって…」
  デュランは顔をあげる。シャルロットも暗い顔でうなずいた。
  自殺したがっているのだ。
「…たぶん、今は自暴自棄になってるだけなのよ。もう少し落ち着けば、なんとかなる
んじゃないかと思ってるんだけど…。すぐに立ち直れっていうのにも無理があるし…」
「…そうだな…」
「ねぇ、ラヴィアンってどういう子だったの?  すごく頭が良いって聞いたんだけど…」
  シャルロットも目の前にあるティーカップをつかみ、一口飲む。
「うん。三度のメシより本が好きな子だよ。まぁ、それだけすこし頭でっかちなトコも
あるけどな。失敗が少ないから、落ち込むと大変なんだ。そういう時は周りが何を言っ
てもダメでね。結局、立ち直るのを待つしかなかったよ。………たぶん…あの子には時
間が必要なんだろう……」
「そうね…」
「ただ、負けず嫌いだし、根性は怖いくらいあるからな。うまくいけば、そこから立ち
直ってくれるんじゃないかな…」
「うん。アンジェラもちょっとそんな事言ってたね。混乱してるだけなのよ、今は…。
……それとね。自分がああなってしまった事の顛末と理由を周りが話してくれないのに
も苛立ってるの…。アンジェラの口から言わせるのも酷だし、私が言うのもね…。デュ
ラン…言える…?」
「…………………そうだな…」
  アンジェラは当事者であるだけに言いたくないだろうし、言えないだろう。シャルロ
ットは立場が微妙すぎる。……となると…。
「そうだな…。俺から…言うしかないかな…」
  しかし、言いづらい事に変わりない。デュランがため息をついた時、ドアがノックさ
れた。
「はい?」
「シャルロット様。ご友人がお見えになってますが」
「……そう。わかったわ。通して」
「はい」
  ドア越しに神官の声が聞こえて、そして去っていく。
「…誰かしら?」
「さあな」
  デュランは最後のお茶を飲み干した。
  やがてなかなか大きな足音が響いてくると、バンとドアが大きく開いた。
「よう!  元気か?  お、デュラン、来てたんだ」
  少し大柄の男が入ってくる。年齢と渋さがマッチした、彫りの深い随分とイイ男であ
る。
「ホークアイ!」
  シャルロットとデュランの声がハモる。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも。ラヴィアンの意識が戻ったって言うから来たんだ」
「来たって…おまえ、ナバールはどうしてんだよ。そうそう離れて良いのか?」
「ああ。次期首領候補がいるからね。そいつに仮監督させてるんだ」
「それにしたって、おまえがサポートしなくても良いのかよ?」
「ナバールの組織力を甘くみるなって。俺がいなくても大丈夫なように俺が築きあげた
んだから」
「…トップがいなくても大丈夫な組織作ってトップとしてまずくない?」
「うるせぇな」
  シャルロットのツッコミにホークアイはうるさそうな顔して、デュランの隣のソファ
に腰をおろす。
「それにしても二人して辛気臭い顔してるな」
「悪かったな辛気臭い顔で」
「無理言わないでよ。明るい顔しろってのに無理な状態なんだから」
  二人にそろって言われてホークアイは苦笑する。
「…やっぱり…、ラヴィアンの状態よくないのか?」
  デュランのカップを勝手にとって、そこにあるポットで自分で茶を注ぐ。そして勝手
に飲みはじめた。
  シャルロットはデュランと顔を見合わせて、そして今までの事や現在の事をホークア
イに話して聞かせた。
「…………そっか…」
  勝手にお茶を自分でお代わりして、3杯目を飲み干す。
「…よっし、わかった。俺が言う」
「え?」
  シャルロットとデュランが顔をあげる。
「アンジェラとおまえは距離が近すぎるし、シャルロットもな…。なら、ラヴィアンと
ちょうど良い距離にいる俺が話そう。あのとき、あの場所にもいたし」
「ホークアイ…」
「大丈夫だよ。あの子の事だ。何か目標さえ見つければ、絶対立ち直れる。今はちょっ
と混乱してるだけなんだよ」
「………………………」
「まぁ、話を聞いただけでそう判断するのもマズイんだけどな。とにかく、会ってみよ
う。どこの部屋にいるんだ?」
「………そう…わかったわ…。じゃ、案内する」
「あそれと。おかゆを一杯。ほかほかの美味いヤツ、用意してくれ」
「え?」
「おまえが食うのか?」
「違うよ。ま、頼む」
  シャルロットとデュランはまた顔を見合わせて、そしてホークアイを見た。二人と目
が合うと、彼はにっこりほほ笑んだのだった。

                                                             to be continued..