覚醒
  カラカラカラカラ…。
  天気の良い昼下がりの午後。女が車椅子を押して歩く。
「ラヴィアン…。今日は天気が良いわねぇ…」
  短期間で随分老け込んでしまったアンジェラが、娘に話しかける。
  ラヴィアンは、焦点の合わない瞳で、宙をぼんやり眺めているようだった。
  ケガは一応治った。けれど、消えない火傷の跡は少女の肌を醜く赤黒く染めていた。
だから、顔にも腕にも足にも、白い包帯が幾重にも巻かれていた。
「……あー……うー……」
  あんなに利発で元気だった少女は、その面影に見る影もなくなっていた。
「アンジェラ!」
  背中からの声に振り向くと、金髪の若い娘が駆けてきた。
「今日は休んでって、言ったじゃないの。ラヴィアンの世話が私が診るって…」
「ありがとう、シャルロット。でも、あなたは司祭様なんでしょ?  仕事を放ってはい
けないわ…」
「だから、休みをとったって言ったじゃない。いいから、アンジェラは休んで」
  少し強い口調でそう言って、それからにこっとほほ笑む。親友の優しさが嬉しくて、
アンジェラもほほ笑む。
「休むのは絶対必要なんだから。ね?」
  シャルロットは半ば奪うように車椅子の取っ手をとると、ゆっくりと押す。
「でも…。タムはどうしたの?」
「あの子は旦那にあずけました。お願いだから、アンジェラは休んで」
  これ以上やせ細っていくアンジェラを、シャルロットは見たくなかったし、見ていら
れなかった。
「………そう…わかったわ…。じゃ…お願いするわね…」
「ええ。任せて」
  にっこりほほ笑んで、シャルロットは何やらラヴィアンに話しかけて、車椅子を押し
た。そんな彼らの後ろ姿を見送って、アンジェラはため息をついた。
  自らの手で娘を傷つけて1年が過ぎた。
  ずっと自分を責め続ける1年であった。自分のために、母国のために奮闘したラヴィ
アン。あきらめていた大人たち。あきらめていなかった子供。
  願いは一つだったけど、すれ違っていた親子。
  娘の傷は、罪の印。
  娘を見る度に思い出される。


  本当は、家族でフォルセナに住む予定だったのだが、ラヴィアンの治療にはウェンデ
ルが良いという事で、アンジェラは娘と二人で住んでいる。
  半年くらい前までは夫が、少し前までは長女も一緒に住んでいたのだが、末の息子は
フォルセナにいるし、夫は仕事をはじめなければならないので、フォルセナに。長女も
新しい生活のために今はフォルセナだ。
  娘と二人での生活は非常にストレスのたまるものであった。
  なにしろ、娘を見る度に自分の罪悪感にさいなまれるのである。
  親友である、ウェンデル司祭のシャルロットは、そんなアンジェラを見てるのが辛か
った。だから、できるだけ協力したかった。
  そんな友人の気持ちもわかってはいたけれど。
  アンジェラはため息をついて、抜けるような青空を仰ぎ見た。彼女のかつての美貌は
かすんでいた。


「サフリラは咲いてる時はきれいなんだけどね」
  サフリラ並木を、シャルロットは車椅子を押しながら歩く。薄桃色のきれいな花を咲
かせていた木々は、今ではもえぎ色の葉をつけて、風にそよいでいた。
「…サフ……リ…ラ……。落…葉高…木……」
「そうよ。もうちょっと暑くなると毛虫がいっぱいで大変なんだけどね」
  しゃがれた声でつぶやくラヴィアンに、シャルロットは陽気に答えた。
「…雲の動きがはやいわね、今日は…」
  下の方はそうでもないが、上空は強い風がふいているらしく、雲の流れが非常に早い。
さっきまで青空だったのに、今度はなにやら黒い雲が向こうからやってきそうである。
「……なにか…嫌な天気になりそうね…。今日はこのへんにして帰りましょうか」
  そう言うと、シャルロットは回れ右。車椅子を押して元来た道を戻っていく。
  さっきまであんなにお天気だったのに、空はあっと言う間に暗雲がたれこめて、水滴
をぽつぽつと落としはじめた。
「……いやだ…。さっきまであんなに晴れてたのに…」
  シャルロットは急ぎ足で歩き始めた。それにともない、車椅子の音も早くなる。
  カラカラカラカラ…。
  ふと空を見上げると、雲と雲の間がピカピカ光っている。
「…うそ…いやだなぁ……」
  走りだしたい気分だったが、車椅子をおしているのでそれは危険である。急ぎ足で頑
張るよりほかない。
  ゴロ…ゴロゴロゴロ……。
「ううううう…」
  これは本格的にやばい。雷が空でうなっている。落ちてきたらたまらない。
  ゴロゴロッ!  ゴゴ…ッ!
  だんだん音が大きくなっていく。シャルロットは青ざめてさらに歩調を強める。大粒
の雨が落ちてくる。周囲に雨の匂いが広がる。
  走りだす一歩手前の早さでシャルロットは車椅子を押す。危険なのはわかっているが、
とにもかくにも早く帰らなければもっと危険だと思った。
  ドガッシャアンッ!
「キャーッ!」
  とうとう雷がおちてきた。雨も強くなってくる。
「…し、仕方ない…。あ、あの木の下の雨宿りしましょう!  ね!?」
  ラヴィアンにそう言って、シャルロットは大きな木の下目指して歩きだす。と、その
時。
  ドンガラガッシャアアァンッッ!
「キャアァァーッ!」
  なんと、その目の前の木に雷が落ちたのである。
  バリッバリバリッ!
  落ちた雷のショックで縦に割れ、燃え出す大木。
「う、うそおぉっ…」
  泣きたい気分になって、シャルロットはへたりこむ。腰が抜けたのだ。
  メラメラと燃える気をぼんやりと見つめるラヴィアン。
「…………?  ……木に………かみなり……?」
「……いやぁぁん…なんでこうなるのぉ…。んもおぉ…」
  情けない事にシャルロットはべそをかきはじめた。いまだに腰がぬけたままて立ち上
がれない。
  雨がひどくなってきて、ザァーッと振り出す。この雨であの火も消えるだろう。あた
りに焦げ臭い匂いが充満していた。
「………つめたい……」
「ああーんもう!」
  このままでは濡れるばかりだし、下手すればラヴィアンも風邪をひいてしまうかもし
れない。任せてと言っておきながらこれではマズイ。シャルロットは何とか立ち上がろ
うとするが、ぬけた腰が治らない。
「んっ、えいっ!  もうちょっと!」
  車椅子の取っ手につかまって、何とか立ち上がろうと懸命に試みる。だが、車椅子が
動いてしまってずるずると車椅子に引きずられ、立ち上がる事ができない。
「あややや…」
  シャルロットがしばらく悪戦苦闘していると、なにか呼ぶ声が聞こえる。
「シャルロットー!  シャルロット!」
「あ、あ、ケヴィーン!  ケヴィン!  こっちー!  おねがーい、助けてぇー!」
  大声で叫ぶシャルロット。すると、すぐに足音が近づいてきた。
「シャルロット!  ………何やってるの…?」
  金髪のガッチリした大男が泥水を跳ね上げて走ってきたが、シャルロットの様子に目
を点にした。
「そ、その…目の前に雷が落ちたら、腰抜けちゃって…はは…」
「………………」
「と、ともかく、私とラヴィアンをお願い!  ついでに車椅子も!」
「……わかった…」
  複雑そうな顔をしていたが、大きくうなずくと、ひょいひょいとシャルロットをラヴ
ィアンをかつぎあげ、車椅子も持つと一気に走りだした。
  かなり重いだろうし、走りにくい事このうえないだろうに、ケヴィンは身軽に走りだ
した。


「ラヴィアン!  シャルロット!」
  神殿に入ると、心配そうなアンジェラがそこで待っていた。神官達も出迎える。
「………ごめんなさい…。任せてとか言っておいて……」
  ケヴィンの肩の上で、シャルロットは申し訳なさそうにアンジェラを見た。
「……どうしたの…?」
「…その……、木の下に雨宿りしようと思ったら、その木に雷がおちて…その…腰…ぬ
けちゃって…」
「………………………………」
  アンジェラはあきれてものも言えないようである。
「……………その………ごめんなさい……」
「ともかく、濡れたままじゃまずいよ。アンジェラ」
「あ、はいはい」
  ケヴィンが肩にかついだラヴィアンをそっとおろすと、アンジェラが受け止めた。
「車椅子も濡れたままじゃまずいから、ミック。拭いといて」
「はいはい」
  そこにいる神官に肩にかつがれたままでシャルロットがそう言うと、神官はあきれた
顔をしてぞうきんを探しに行った。
「シャルロット、もう大丈夫?」
「ううう…。まだ立てないかも…」
「光の司祭が何やってるのよ。雷で腰抜かしたなんていったら、みんなあきれてウェン
デルに来なくなっちゃうわよ」
「うううううー…」
  アンジェラに言われても言い返せず、シャルロットはケヴィンにつかまりながら渋い
顔をした。
「さあさあ、ラヴィアン。こんなに濡れちゃったわね。ふかないとだめね」
  優しい顔になって、アンジェラは渡されたタオルで、娘の顔をふきはじめる。
「…おかあさん……」
「え?」
  か細い。すこししゃがれた声で。でもどこか語調がハッキリしていた。
「…おかあさん……ここ…どこ…?」
「え…?  ええ?  ラ、ラヴィアン、あなた…?」
「…あたし……。聖域に…いたんじゃ…なかったの…?」
「ラヴィアン…?」
  何が起こったのか。今まで断片的なくらいしかしゃべれず、考える、という事ができ
てないように思われたラヴィアンの言葉。
「……ここは…どこなの…?  おかあさん……」
  ケヴィンもシャルロットも。目を見開いてラヴィアンを見た。
「…こ、ここは…ウェンデルの神殿…だよ…」
  ケヴィンが戸惑いがちに答える。ラヴィアンはゆっくりと視線を巡らせる。
「ウェンデル…?  なんで、ウェンデルにいるの…?  あたし…あのとき…剣を…」
「ラヴィアン…。あなた、記憶が…?」
「記憶…?  ………お母さん…。アルテナはもうダメなの?  マナが戻れば、また頑張
って元のような国に…できるんじゃないの…?」
「!」
  アンジェラは言葉を失って娘を凝視する。
「…もうだめなの…?  あきらめない事が大事じゃなかったの?  …でもやっぱり…も
うだめなの…?  …ねえ…、なんでこんなに体が重いのかな…。うまくしゃべれないし
……。……おかあさん…?」
  ぶるぶる震えだし、とうとう涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。そんなアンジェラを見て、
ラヴィアンはすこし慌てたようである。
「…どうしたの?  おかあさん…。…ねえ?  またぐあいわるいの…?」
  もぞもぞと動こうとしてるが、どうしてもうまく動けないようである。
「…このほうたいじゃまだよ…。…おかあさん、ねえ、どうしたの…?  なんで…ない
てるの…?」
「ラヴィアン!  あなた…!」
  シャルロットは腰をぬかしていた事も忘れて立ち上がり、ラヴィアンに近寄った。
「……だれ…?」
「あ…、ああ…。……ん。シャルロットよ。あなたのお父さんとお母さんの友達なの」
「……シャルロット……?」
  ラヴィアンはシャルロットの顔を見て、しばらく考え込む。
「………あなたがシャルロット…。……おかあさんも、おじさんも…ルガーも…。……
そうだ…あのときあたし……………………」
  遠い目で宙を眺める。どうやら少しずつ思い出しているようである。
「……ああ……。………だめだったんだ……。………あのときは…ムカムカしてしょう
がなかったけど……。…あとうもうちょっとだと思ってたのにな………」
「うっ…うっうっ…ごめん…ごめんね、ラヴィアン…!  わたし…わたし!」
  とうとう嗚咽をはきだし、アンジェラは泣きながら娘に頭を下げた。
「…おかあ…おかあさん…。なかないで…。なかないで…」
  困ったようにあせってラヴィアンがもぞもぞと動く。何かしたいらしいが、体が動か
ないらしい。
「あのときは、あたしもちょっとイライラしてたんだよ…。だからあんなこと言っちゃ
ったの。みんなシャルロットの味方するからつい……。…もっとおちつけばよかったん
だよ…。だから…ね…?  なかないでおかあさん…」
  母を泣き止ませようと、ラヴィアンはもぞもぞと動いて、一生懸命に話す。
「…アンジェラ…。…泣くのはやめよう…」
  ケヴィンは優しくアンジェラの肩に手をおく。彼女もうんうんうなずいて、泣くのを
やめようとするのだが、後から後から涙が止まらない。
  ラヴィアンは不思議そうにケヴィンを見上げる。自分の父親もたくましいと思ってい
たが、この男はそれ以上である。
  目があうと、ケヴィンはにこっとほほ笑んだ。
「オレはケヴィン。おまえの父さんと母さんのトモダチだよ」
「……………はじめまして…。ラヴィアンです…」
  少し驚いて、ラヴィアンは頭を下げようとするが、うまく動けない。
「さっきも言ったけど、私はシャルロット。この…ックシュン!」
  何か言いかけて、くしゃみをする。そして困ったように鼻をすすった。
「司祭様。そのままでは風邪をひかれてしまいます。早くお着替えに…」
「そうね…そうするわ…。ラヴィアンもはやく着替えさせないと…っくしゅん!」
  近くにいた神官はさっきからずっと言いたかった事をやっと言えた。
「そうだな。ほら、アンジェラ。もう泣き止んで。ラヴィアンが風邪ひいちゃうぞ」
「…うっ…、ぐす…、そ…そうね……そうよね……」
  ケヴィンに言われると、涙をふきながら、アンジェラは立ち上がる。
「それから、ほらシャルロットも。もう腰は治ったみたいだし」
「そ、そうね…。ほ、ほほほほ…」
  取ってつけたように笑うと、くるりときびすを返し、強い歩調で自分の部屋へと向か
った。
「ラヴィアンはオレが運ぶよ」
「え…ええ…ありがとう」
「じゃ、着替えるために部屋にいくからね」
  そう言って、ケヴィンはラヴィアンを抱き上げた。
「…じぶんであるきたいんだけど、うまくあるけないの。なんでかな」
「うーん…」
  ケヴィンは困ったようにほほ笑んだ。はっきり言う事ができないのである。
  アンジェラはまた涙が出てきて、また泣いた。

                                                             to be continued..