「あんたもとうとう旅に出るのねー」
「14歳になったらっていう約束だものね」
  いつ頃からか、ラヴィアンは旅に出たいと常日頃言っていた。両親は、そんな彼女
に大きくなったらねと言ってきていたのだが、どうしても出たい、今すぐ出たいとい
って聞かなかった。そこで、両親はあきらめさせるために、様々な条件を彼女に出し
た。勉強で良い点をとれること、体を鍛えること。氷壁の迷宮にいるモンスターを倒
せ、などなど。
  その条件をことごとくクリアーし、親を根負けさせて、14歳になったら旅に出て
も良いという約束をさせるまでにこぎつけたのである。

  ここは魔法王国アルテナ。第二王女ラヴィアンは、女王である母から必要な旅費を
もらっていた。
「そうだ。ラヴィアン、ちょっと来なさい」
「なーにー?  お母さん」
  母から手招きされ、誘われるがまま、ラヴィアンは鏡台の前で腰下ろす。母はにこ
にこしながら、鏡台の引き出しから箱を取り出し、そこから青い髪飾りを手に取った。
「これねぇ、私が若い頃つけていた髪飾り。これをつけてた時に、お父さんと巡り合
ったのよ」
「ふーん…」
「縁起物だから、あんたつけていきなさい」
「わかったー」
  パチン、と今つけている髪飾りが外されて、台の上に置かれる。ラヴィアンの髪の
毛がばらりと肩に落ちる。
  母に髪を梳ってもらいながら、ラヴィアンは鏡の中の自分と母を見た。母はもうす
ぐで40になる。しかし、シワらしいシワは見せず、まだ若々しい雰囲気が漂う。
  この美しい母の血を、ラヴィアンは──少なくとも容姿の方面では──あまり受け
継がなかったらしく、気高く美しく気品がある、というような容姿ではなかった。可
愛くないわけではないのだが。比べるとどうしても見劣りしてしまう事実がそこにあ
った。
  とはいえ、母からにすれば、誰よりも可愛いわが子だ。
  ギュッと髪を結い上げられ、母の髪飾りをつけられた。
「これでよし!  うん、可愛い可愛い」
  両肩に母の手が乗り、一緒に鏡をのぞき込む。
「御祖母様にあいさつはしてきたわね?」
「うん」
  彼女の祖母は数年前に亡くなっている。ラヴィアンはもう、お墓に挨拶はすまして
きていた。
「じゃあ、私はアリシアの方を見てくるから」
「はーい」
  ラヴィアンは母と一緒に部屋を出ると、自分の部屋に小走りした。もう1週間くら
い前から何度も点検した旅の支度。あとはもう、これをつかんで飛び出すだけなのだ。
  ラヴィアンはアルテナの城門から出た。外では、姉のアリシアが待っているハズ…
…なのだが、どこにもいない。
「あっれー?  お姉ちゃんは…?」
  近くの門番に話しかける。
「アリシア様ですか?  まだお見えになっておりませんが…」
「んもー!  遅れるなって言ったのはお姉ちゃんの方なのに!」
「じゃあ、行ってくるからね!」
  姉の声が聞こえる。まだうだうだしていたのだろう。
「お姉ちゃん!  早くしてよ!」
「あら、ラヴィアン!  あんた早かったのねぇ」
「お姉ちゃんが遅いんだよ」
  ラヴィアンは両親や兵士にあいさつを済ませると、早速歩きだした。姉のアリシア
もそれに続いて歩きだした。
「これからは、あたし達だけで旅に出るんだもの。もっとちゃんとしなきゃ!」
「あんたに言われなくてもわかってるわよ!」
「本当にぃ?」
「当然でしょ!」
  アリシアはこのアルテナの第一王女。ラヴィアンは第二王女である。ここ、アルテ
ナは昔は魔法王国として、世界でも屈強の強さを誇る強国であった。だがしかし、マ
ナの減少に伴い、魔法が使えなくなると、その強さは見る影も無くなってしまった。
  この極寒の地で、魔法の力もなくなんとか国を保っていられたのも、ひとえに国民
の女王に対する信頼感にほかならない。
  代々女王が治めるこの国では、国民は女王に対し絶大な信頼感を持っていたのだ。
それは、ちょっとやそっとではそう崩れるものではなかった。
  現女王であるアンジェラは、マナさえあれば歴代女王の中でもトップクラスの魔力
を誇ったであろうと思われた。しかし、マナがなければ魔力も意味がない。
  マナは、本当はまったく存在しないというワケではない。微量ながらも、存在はし
ていた。しかしながら、量的に微々たるもので、無いと言っても良い程である。
  魔法王国にとって、マナがない事は致命的な事であった。この情勢でなんとか国力
の低下スピードをおさえているのだから、彼女の政治手腕はむしろ良いほうだと言わ
ざるを得ない。
  魔法王国とは名ばかりの、疲弊した国がアルテナであった。
  そこの第一王女アリシア。容姿的に一番母親の血を引き継ぎ、誰もが認める美しさ
を持っていた。明るく、なつっこい感じのする彼女の人気は高い。そんな彼女の最大
の欠点は自他認める相当なファザーコンプレックスであると言う事だ。
  第二王女ラヴィアン。顔立ちはどうやら父方の方に似たらしく、姉と比べるとどう
もパッとしない。いや、彼女は彼女で可愛いのだが、アリシアの美しさが際立ちすぎ
るのだ。活字中毒と思われるほどの読書家であり、また非常な努力家でもあった。彼
女の目下の悩みは背が年齢に対し、それほど高くないこと。もうちょっと身長が欲し
いのだ。
  今回の旅の理由はラヴィアンのお願いだけでなく、長女アリシアの重度のファザー
コンプレックスにあった。妹にさんざんヘンだと言われ、母親にもやめろと言われ、
そこばかりは家臣も良い顔しない。
  旅をすれば、少しは治るかもしれない…。それに、ラヴィアン一人ではどうにも心
配だ…。このように思った父親が彼女に提案したのだ。
  何をするにも父親の言いなりは良くないと言われながら、結局は彼の言いなりに過
ぎないアリシアを、両親は心配していた。
「…あーあ…。お父様に言われた事とはいえ、お父様と一緒にいられないなんてさ…。
つまんなーい…」
  愚痴る姉を、ジトっとした目で見るラヴィアン。旅に出たからと言っても、そうそ
う治るとは思えなかった。


「んもう、エルランドはまだかしら?」
「まだちょっとも歩いてないじゃないの!」
「私はあんたと違って、体力ないの!」
  確かに、ラヴィアンは日頃体を鍛えているため、体力はある。幼児期は体が弱かっ
たため、父親の実家の方へちょくちょく行っていたのだが。
「これでもマシな方なんだってよ。お父さんたちが若かったころは、モンスターがう
じゃうじゃいたんだって」
「考えただけでも恐ろしいわね!」
  この雪原を戦いながら進むというのは、相当危なそうだ。
「でもさ…」
「なによ?」
「お父さんの若かった頃はマナがあって、魔法が使えたんだってね…」
「そうね。その頃のウチは、相当繁栄してたそうじゃない?  なにしろ、魔法王国だ
ものねぇ」
「マナがなくなって、魔法が使えなくなって…。それから、随分落ちぶれたんだろう
なぁ…」
  昔の話はよく母や祖母、年かさの家臣たちから聞かされた。
  解けきらない雪の上を踏み締めてすすむ。この地方では、たとえ夏でも雪が解けて
しまう事はない。
「そうでしょうね。空中魔道要塞なんてものまでもあったそうじゃない」
  アルテナには、過去の栄光を物語るような魔道のものがたくさんある。今ではガラ
クタ同然であるが。
「…やっぱり、お母さんが寂しそうな顔するのって、そのせいなのかな……」
「さあね…。それはお母様にしか……。でも、国民も随分減っちゃったそうだし……」
  今ではアルテナの国民は最盛期の10分の1もいない。この短い年数で相当な数の国
民が減った。凍死したり、住みきれずに、この地を離れたり。
  国力の低下は目に見えて明白なのだ。
「でも、なんとか、ならないのかしらね…」
「マナが戻らないかぎり、無理だよ」
  彼女たちだってだてに王女ではない。やはり、国のことは人一倍心配しているのだ。
このままゆっくり国の衰退するさまを眺めていくのか。言葉にしてこそ言わないが、
国滅亡がすぐそこに来ていることは、彼女たちにはなんとなくわかっていた。
  自分たちの無力感を感じずにはいられない。母は女王としてよく頑張っている。そ
れはよくわかる。衰退していくスピードをなんとかゆるめようと必死なのだ。
  さっきまでごちゃごちゃ言い合っていたのに、急に二人は無口になって、雪を踏み
締める足音だけが響いていた。


  雪の都エルランド。ここも、アルテナ衰退の影響を受けて、細々とした町になって
しまった。ただ、場所的にアルテナよりも激しい寒さではないため、人々はまだ、暮
らしていけた。
「エルランド…かぁ、何年ぶりかなぁ…。なんか、どんどん小さくなっていく感じよ
ね……」
「アルテナの影響を受けてるんだよ…」
  ここも、アルテナからの影響で春のような暖かさがあったのだが。それも昔の話。
「じゃ、ここで一泊してから船に乗ろうか?」
「そうだね」
  ラヴィアンは早速宿屋を捜し当てた。昔はよく、エルランド経由で父の実家に行っ
たものなのだ。
「あーあ…。なんだか足がくたくたよ…」
  ベッドの上に腰掛けて、アリシアはふくらはぎをさすっている。
「お姉ちゃん体力なさすぎだよ。そんなんで、ウェンデルに行けると思ってる?」
「うるっさいわねー!  行けるに決まってんでしょー!?」
「本当ー?」
  疑り深そうな目でアリシアを見るラヴィアン。姉はムッとしたようだ。
「今は慣れないだけよ!  そのうち慣れるわよ!」
「ふーん…」
「なによ、その態度!?」
  彼女たちのケンカは、王城で知らぬ者はいないくらいに有名だった。別に、仲が悪
いわけではないらしいのだが…。
  夜、ベッドの中でラヴィアンは心のドキドキを隠せないでいた。昨日もよく眠れな
かったくせに、今日もあまりよく眠れそうにない。
「…お姉ちゃん…」
「なに…?」
「ウェンデルは、もうすぐで、サフリラの花が満開なんだってねぇ…」
「サフリラ?」
「知らない?  初夏にいっせいに咲く花でさ、1週間くらいで散っちゃうんだけど。
落葉高木の種類でねぇ…、淡いピンクの小さい花がたっくさん咲くんだって…」
  夢見心地の口調で、ラヴィアンは語った。
「へぇー…。それでウェンデルに行きたいって」
「うん。一緒に見ようよ」
「そうね。そんなにキレイなら花見も良いわよね。でも、あんたどこでそんな、ウェ
ンデルの花の事なんて知ったの?」
「お父さんから聞いたんだ。あたし達が着くころが、一番の見ごろなんだって」
「……お父様ぁ………」
  しまった。ラヴィアンは急に現実に引き戻された。姉は究極のファザコンと言って
も良いのだ。父親がいない事を思い出すとぐちぐちうるさい。
「…お父様…。さびしいよ…。やっぱり、旅に出るんじゃなかった…。お父様がいな
いなんて……」
「……………………」
  はぁーっ…。
  ラヴィアンはため息をついて、寝返りをうった。姉の愚痴に付き合っちゃられない。
  変わってここはアルテナ城。椅子によっ掛かって、アンジェラ女王は夫とお茶を楽
しんでいた。
「今頃はあの子たちもエルランドについてるでしょうね…。思い出すわぁ…。旅した
頃の時代……。ね?  あなた」
  お茶のお代わりを注いでくれる夫に、ほほ笑みをなげかけ、茶菓子を一口。
「あいつら、元気でやってるかしら?  あれからみんな、それぞれに道を歩んで行っ
たけど…。そうそう。今日ね、ウェンデルから手紙が来たのよ。シャルロットが今度
子供を産むんですって!  あの夫婦、色々あったみたいだけど、今はもう、なんかす
っごい幸せそう。あ、ごめん。今、その手紙持ってくるわ」
  女王はにこっとほほ笑んで、椅子から立ち上がった。


「もーう!  お姉ちゃん早くしてよっ!」
「うるっさいわねー!  せかさないでったら!」
「早くしないと定期船が行っちゃうよぉ!  そう都合よくぽんぽこ出てるワケじゃな
いんだよぉ!?」
  足をドタドタ踏み鳴らし、鏡とにらめっこしている姉をせかす。
「あぁんもう!  あんたのせいでメイクがメチャクチャだわ!」
「いーよそんなの!  ちょっとやそっとで変わるような顔じゃないでしょ!?」
「ぁんですってぇ!?」
「ほら、早くしてよぉー!」
  相当イライラしてるのだろう。アリシアの分の荷物も持って、足踏みしている。
「んもう!」
  アリシアは形のよい唇をへの字口に曲げて、ラヴィアンが持っている自分の荷物を
持った。
「走ろう!」
「あ、ちょ、待ちなさいってば!」
  だてに鍛えているわけではない。ラヴィアンの足の速さにアリシアは追いつけそう
にない。
「おじさんおじさん!  ジャド行きの定期船はどれ!?」
「あー?  もうすぐ出航だよ?」
  のんびり答える水夫のおじさんに、ラヴィアンはイライラさせられる。
「知ってるよ!  どれなのっ!?」
「あれだよ」
  おじさんが指さす先に、二艘の定期船が止まっていた。
「ありがとう。お姉ちゃん!  早くして!」
  後ろをちんたら走っている姉を怒鳴りつけ、ラヴィアンはまた走りだした。
「それ乗る、それ乗るぅーっ!」
  今にも出航しそうな船の桟橋で待っている水夫に、ラヴィアンは有りったけの声を
出して叫んだ。
「そろそろ出航だよ」
「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ…。の、乗ります」
「あいよ。一人30ルクだよ」
「あ…!」
  交通費のたぐいは姉の管理であったのを思い出す。ラヴィアンは顔をあげた。
「あ、あの、す、すみません…。姉がお金持ってるんです…。その、ちょっと待って
くれないですか?」
「もう出航なんだけどねぇ…」
  困ったように、水夫は腕を組んだ。
「まったく……、姉の脚力…、考え…なさいっての……」
  肩で大きく呼吸をして、アリシアがやっと追いついた。
「お姉ちゃんお姉ちゃんお金お金!」
「え?  お金ぇ?」
  眉をしかめ、汗をふきもせずに顔をあげる。
「一人30ルク。二人で60ルクだな」
「あ、はい…ちょっと…、待って……」
  ツラそうに息を吐き出して、財布が入ってるポケットをまさぐる。
「早くしてよ、お姉ちゃんのグズグズグズグズグズグズ!」
「うるっさいわねっ!」
  疲れていても、妹にどなり返す気力はあるらしい。
「早く払ってもらいたいんだがね…」
「あ、す、すみません!」
  慌ててお金をつまみだすと、二人は桟橋をわたり切った。
「船が出るぞぉぉお!」
  ゴウンゴウンゴウン…。桟橋が取り払われ、水夫たちがいっせいに動き出す。
「はぁああ…」
「あぁー…、もうイヤ…」
  走って疲れてくたくたになって、それでもホッとして、二人は甲板に座り込んだ。
  船は帆を広げ、風を受けて波の上をすべりだす。冷たい風が、今の二人にはすごく
気持ちが良かった。
「ふぅ…!」
  一息をついたのか、ラヴィアンは荷物を降ろしてから立ち上がって、甲板の先の方
に歩きだした。
「ラヴィアン…?」
「お姉ちゃん、見て見て流氷流氷!」
「なによ。初めて見るもんじゃないじゃない」
  あきれたようにそう言って、汗をぬぐった。これではせっかくのメイクも無意味に
近い。アリシアはため息をついて、取り出したタオルで顔をふいた。
「ちょっとー、ラヴィアン?  流氷見るなら荷物ちゃんと置いてこないと」
「うーん!」
  返事をしてからも、しばらく船から海を見下ろしていたが、それからアリシアと一
緒に歩きだした。
「ちょっと寒いね」
「そりゃね」
「いつごろジャドにつくかな?」
「そこの水夫さんにでも聞けば?」
「そうだね。ねぇ、ちょっと!」
「うん?」
  ラヴィアンはすぐそこで何かを運んでいる水夫に話しかけた。
「この船、いつジャドにつくんですか?」
  聞かれた水夫はきょとん、とした顔になった。
「は?  ジャド?  これはサルタン行きだよ?」
「え!?」
「なんですって!?」
  これにはアリシアも驚いて振り向いた。
「え、え、え、そ、そんな!?」
「あー。この船、ちょうどジャド行きと重なってたからねぇ。間違えちまったんだな」
  そう言えば、あのおじさんは二艘の重なった定期船を指さしたのである。手前ので
はなく、奥のほうがジャド行きだったのだ。
  二人を口をあんぐり開けて、水夫を見た。そして、ゆっくり顔を見合わせる。
「…バッ、バカバカバカ!  なにやってんのよぉ!?」
「だ、だってだってだって!  あ、あのおじさんがまぎらわしい指さし方するから!」
「なにワケわかんない事言ってるの!?  どうすんのよ!?」
「どうすんのよって、どうしよぉ!?」
「知らないわよ!  乗る時ちゃんと確かめなさいよバカ!」
  言われっぱなしで、ラヴィアンもカチンときた。
「なんだよ!  お姉ちゃんがもたもたしてるのが悪いんじゃないか!」
「なによ、私のせいにする気!?」
  この後、二人は一〇分ほど大声でぎゃあぎゃあ騒いでいた。


  ケンカする気力も失ったらしく、ラヴィアンは甲板で、ボーッと星空を眺めていた。
  サルタンには朝方に着くそうである。
  はぁーっ…。
  ラヴィアンは重いため息をつく。
  あーあ…。せっっっかく、サフリラの季節に間に合うと思ってたのに…。なーんで
あのとき確かめなかったかなー…。
  自己嫌悪に陥るとしつこいのが、ラヴィアンの悪いクセだ。
「ラヴィアン」
  名前を呼ばれてふりかえると、アリシアがこっちにやって来る。
「お姉ちゃん…」
「あんたなにそんな寒いトコにいるのよ。早く中に入ってきなさいよ」
「いーじゃん、別に…」
「………良くないわよ!  あとで風邪でもひかれたら面倒じゃないの!」
「バカは風邪ひかないんでしょー?」
「……ったくもう…!」
  今度は姉の方もため息をついた。妹の悪いクセは姉もよく知っている。
「だったら、上着着てなさい!  ホラ!」
「わ、ちょ、やめてよぉ!」
  強引に姉が着ていた上着を着せられる。
「後で返してよ!?  私、先に休んでるからね!」
  だったら上着着せなきゃ良いじゃん。
  口の中で小さく言い返してみる。
  ラヴィアンはまた星空を見上げた。満点の星々が夜空に輝いている。
  あれが北極星でしょ…。あれが翡翠星…。その横がえーと…。
  星について習った事を反すうなどしてみる。そのうち、いいかげん寒くなってきた
ので、両腕をさすりながら中に入った。
「ラヴィアン…?」
「あれ?  まだ寝てなかったの?」
  乗客が少ないため、普通なら相部屋となるところなのだが、彼女らだけの部屋にな
っている。
「……眠れないのよ…。私、船ってニガテなのよね…」
「そうだっけ?  あ、上着ありがと」
「そこ置いといて。なにしろお父様がいないじゃない?  …はぁー…」
「……………………」
  自分の部屋のベッドでもない限り、アリシアは父親がいないと安心して眠れないタ
チで、昨夜も浅い眠りだったようだ。
「…おやすみ…」
「おやすみ」
  ああもう、なんだってお姉ちゃんと一緒に旅しなきゃなんないかな。あたし一人だ
ったら、こんなヘマはしなかったのに!
  ラヴィアンは、一緒に行けと言った父親をうらんでみたりする。
  隣で、姉のため息が聞こえる。彼女はジャドに行けなかった事ではなく、父親がい
ない事でため息をついているのだ。ラヴィアンは先の事を考えると気が重くなってき
た。
  こうして、二人はそろってため息をついたのであった。


「……これが、砂の都サルタン…?」
  地図をちょっと見て、ラヴィアンは町並みを見渡した。
「…どこらへんが、砂の都なのかしら……?」
  二人が驚いているのも無理はない。砂の都サルタンは、確かに少しほこりっぽい気
がするものの、砂が代名詞になるほど砂っぽくなく、けっこう緑が生い茂っている。
「う〜ん…。確かに…ちょと、建物が乾燥地帯のもの…かも……」
  自信なさげに、ラヴィアンは並ぶ家々を見る。
「とりあえず、宿屋でも探さない?」
「そうだね…」
  アリシアの提案で宿屋を探そうと思ったのだが、なにしろ慣れない土地で、二人は
戸惑うばかり。
「えっとぉ、えっとぉ…」
「近くの人に聞いた方が早いんじゃない?」
「そうだよねぇ…」
  と言うワケで、だれか親切そうな人に道をたずねようとした時だった。
「よぉ、おネーちゃんたち」
  ヘラヘラした感じの声に呼び止められた。振り向くと、なんとなくガラが悪そうな
男たちが3人。
「どこか探してるの?  良かったら案内してあげようか?」
  思わず、ラヴィアンはアリシアの顔を見た。アリシアはちょっと困った顔になった
が、
「けっこうです」
  と、愛想笑いで返す事にした。こういう感じの男たちとは付き合いたくない。アリ
シアは直感でそう思った。
「そう言わないでさ。君たち、見かけないけど、なに?  冒険者?」
「そんなもんかもしれないけど……」
「ラヴィアン!」
  そんなのにかまっちゃダメとばかりに、アリシアはラヴィアンの後ろ襟首をつかん
だ。
「へー、どこ?  どっから来たの?」
  一番害がなさそうな男が尋ねてくる。
「アルテナ…」
「へー!  あの落ちぶれかかった国からよく来たねー」
  ムカッ!
  この言葉に、二人はそろって血管を浮き上がらせた。祖国をそんな風に言われて腹
立たしいのも当然だ。
「なによ!  あんたたちに何がわかるって言うの!?」
「お姉ちゃん!」
  くってかかるアリシアを、ラヴィアンはとどめた。
「あんた、あんなこと言われて何とも思わないの!?」
「そんなわけないけど、ここじゃやばいよ!」
  確かに、人通りの多いここで、騒ぎを起こすのは良くない。先程の大声で、行き交
う人が数人、こちらを見ている。
「ほっといて行こ!」
「……そうね…」
  二人とも、言い足りないようではあったが、きびすを返して歩きだした。
「あ、ちょっとお姉ちゃんたち!」
「おまえが余計な事言うから!  逃げちゃったじゃないか!」
「そんなこと言ったって!」
  後ろで、男たちの言い合いが聞こえるが、無視して歩いて行った。
  宿屋は見つかりそうにない。仕方がないので、そこの飯屋で少し休んで行く事にし
た。店の人に聞いても良いだろう。
「ここ、水はセルフサービスなんだ」
  自分でコップに水を汲んで行く人を眺めながら、ラヴィアンはつぶやいた。
「セルフサービス?」
「自分で汲みに行けってヤツだよ。人件費の節約なんじゃない?」
「あんた汲んできてよ」
「やだ」
  とまぁ、ここで例のケンカが始まり、ジャンケンに負けたアリシアが汲みに行く事
になってしまった。
「っとにもう!  妹のクセに生意気なんだから!」
  ぶつぶつと愚痴りながら、アリシアはコップ二つと、水の入ったポットを手に取る。
「よ、お嬢さん!」
  アリシアの美貌は人の目を引くものであり、非常に魅惑的でもあるわけで。軽そう
な声の男に声をかけられた。
「そのポット重いでしょ?  持ったげるよ」
  馴れ馴れしい態度で、男はアリシアのポットを取り上げる。見上げると、歳はそう
自分と変わりないようで、金髪の美少年であるが、妙に軽い感じのする少年だ。
「誰…?  あんた…」
  アリシアは怪訝な顔で少年を見た。アリシアはあまり王城から出る事も少なく、た
とえ出たとしても父親同伴である事が圧倒的に多いため、世間にはうとい方であり、
自分がたいした美貌の持ち主だとは、実は自覚がない。
「まー、いーじゃん。ね、君の席どこ?」
「あっちだけど…」
  軽そうだが、そんなに悪いヤツでもなさそうだ。
「誰…?  この人…?」
  席で待っていたラヴィアンはもちろん顔をしかめた。
「知らない人」
「知らない人がどうしてここにいるの?」
「知らなくても、これから知り合えば良いじゃん。ね?」
  彼女たち、可愛いからナンパ慣れされてると思ったが、この二人は慣れていないよ
うである。
「とりあえず。あんた誰?  どこの出身?」
「俺はイーグル。出身は…まぁ、ここらへんだよ」
  どこかはぐらかしたような答えに、ラヴィアンはちょっと眉をしかめた。
「でー?  君らは?」
「アリシアよ。こっちは妹のラヴィアン」
  水を注いでもらいながら、アリシアは自分たちの名前を言う。
「へー、姉妹なんだ」
「下に弟が一人、いるけどね」
  隣でラヴィアンは早速、水を飲み始めた。喉が渇いていたのだ。
「ところでさ。ここ、砂の都ってんでしょ。なんか、名前ほど砂っぽくないけど?」
  ともかく、ここらへん出身であることは間違いなさそうなので、ラヴィアンはこの
男に疑問をたずねてみることにした。
「ああ。この土地初めてなんだ。そうさな。昔、それこそ俺が生まれる前くらいまで
は、本当に砂っぽかったらしいぜ。でも、だんだん緑が増えてきてね。それに伴い、
湿度も上がってさ。砂っぽくなくなった、ってワケ。まぁ、俺がまだガキの頃はけっ
こう砂っぽかったけどね」
「じゃあ、砂漠気候でなくなってきたのはつい最近なんだ」
「そゆこった。俺もちと驚いてる。短い間にかなり変わっちまったぜー」
  自然にとって、10年そこらは短い間にいれて問題ないだろう。
「サルタンだけじゃないぜ。南の方にある火炎の谷周辺以外は、砂漠、なんて言える
ほどのものじゃなくなってる。灼熱の砂漠が、名ばかりになってきつつあるんだ」
「へー」
  アリシアが生まれる数年くらい前。ちょうどマナが無いに等しいほど激減する事件
が起きた。それをきっかけに、今までの暮らしが引っ繰り返ってしまうような事まで
にもなってしまった。
  もちろん、最大の被害国はマナを源とする魔法に頼っていたアルテナであるが、各
国も少なからず変化を強いられてきた。
  ほとんどの国が環境の変化に戸惑いを覚え、少なからずつまずいたのに対し、逆に
豊かになったのは、こちらの砂漠周辺の地域である。人々のたゆみない努力もあって、
また元の(と言ってもかなり昔だそうだが)緑豊かな土地になりつつあるのだ。
「ふーん…」
  イーグルからかいつまんだ説明を聞きながら、ラヴィアンは、バニラアイスを口に
入れた。
  ……ここは、マナが無くなって、うまくいった土地なんだ…。
  スプーンを口に入れたまま、ラヴィアンは複雑な気持ちにさせられた。
「水にも不自由しないしね。だーいぶ暮らしやすくなったぜ」
  肘をついて、フライドポテトにケチャップをつけるイーグル。
  ここは目に見えて暮らしやすくなった土地。アルテナとは正反対である。
「じゃあさ。君ら、ここについて知らないって事は、旅の人なんだろ?  どっから来
たのさ」
「アルテナよ」
「へー。そりゃまた遠いトコから。なんだってまた?」
「観光旅行」
  ラヴィアンは、表向きにそう言う事にしていた。もちろん、ウソではないし、姉も
そう思っている。でも、もっと別の目的がラヴィアンにはあった。
「本当は、ウェンデルに行く予定だったのよ!  それをこのバカがジャド行きとサル
タン行きを間違えてさ!」
「うるさいな!  モタモタしてるお姉ちゃんが悪いんじゃないか!」
「なんですって!?  そもそもあんたが…」
  ここに入って2度目のケンカである。いきなり目の前でケンカされて、イーグルは
おろおろしだした。
「いや、あの、二人とも…?  ケンカ…しないでくれるかな…?」
  遠慮がちなイーグルの声は聞こえない。彼女たちが落ち着くのに数分を要した。
「そうだ!」
  ケンカも落ち着き、機嫌良さげにパフェをたいらげたところで、急にアリシアが声
をあげた。

                                     -続く-