嬉し恥ずかし朝帰り

「……あ、そうなんだ。ごめんね、ありがとー」
  明るい口調で言い、受話器を降ろす。
「ふぅ…」
  電話で顔の広い友人や知り合いにかけてアニーの事について聞いてみたのだが、みん
なくわしく知らないと言う。どうやら、みんな彼女についてはホークアイ程度の知識し
か持ち合わせていないようだった。
「…ホークアイ?  もうすぐごはんよ。どうしたのよ、帰ってきてから電話ばっかり。
しかも自分の携帯も使わないで」
  ドアからジェシカが顔を出す。彼のいとこにあたる娘で、昔から可愛がっている女の
子だ。妹並と言って良いほどだ。
「…あ?  ああ…。ちょっとな…」
  理由なぞ言えるワケもなく。ホークアイは言葉をにごした。
「早くして。シチューが冷めちゃうわ」
「そんなに早く冷めるわけないだろ」
  ジェシカと連れ立って、居間に入る。机の上には夕食が並べられており、食卓にはジ
ェシカの兄のイーグルがすでに腰掛けて食べ始めていた。
「もう食ってるぜ」
「ああ…」
  食べながら、イーグルはホークアイに話しかける。ジェシカの兄なのだから、もちろ
ん彼もホークアイのいとこである。数年前、両親を事故で無くし、ホークアイの家へと
転がり込んできた。正確にはホークアイの父の家に、だが。
  ホークアイには母がいない。幼いころ蒸発したのだ。父は父で考古学に没頭し、あま
り家庭を顧みる男ではなかった。そんなホークアイをなにくれと世話をやいてくれたの
がおじ夫婦で、イーグル達の両親であった。
  昔から、きょうだい同然に育った3人なのだ。今では滅多に帰って来ないホークアイ
の父の家で3人で暮らしているようなものなのだ。
「……どうした…?  あんまり顔色がよくないみたいだが…」
  ホークアイの様子に気づいて、イーグルが尋ねてくる。
「あ、ああ、ちょっとな…」
  やはり言葉をにごす。イーグルは小さくため息をついて、食事に戻った。
「もう、さっきも同じコト言ったじゃない。何かあったんでしょ?」
「ジェシカ。やめとけよ」
「でも、兄さん」
「良いじゃねぇか。おまえがいちいち詮索するもんでもないだろう」
「……………」
  やや不満そうであるか、兄にさからう気はないらしく、おとなしく食事を始めた。
  ホークアイはイーグルが全面的に自分を信じてくれる事がうれしかったし、支えでも
った。……しかし……。
『俺、よく知らない女にガキはらませちゃった』
  などと言った日には彼の信頼を一瞬で失うような気がする。
  いや。まだだ。まだ俺の子と決まったワケじゃない。
  自分でそう言い聞かせ、シチューをたいらげる。しかし、色々とぐちゃぐちゃ考えて
いたため、夕飯がどんな味だったか、よくわからなかった。


「はぁー…。しかし、参ったなぁ……」
  自室に戻り、ホークアイは倒れ込むようにベッドで大の字になる。
(赤ちゃん、できちゃった…)
(じゃあね、パパ)
  アニーの言葉がうるさいほどに繰り返し、頭の中をガンガンに駆け巡る。
  一瞬、アニーがすぐ隣にいて、自分が赤ん坊を抱いた姿がパッと浮かぶ。
「……冗談じゃねぇよぉ……」
  うめくようにつぶやいて、ホークアイは手のひらで顔をおおった。


  イーグルは大学へ行った。ジェシカは買い物へ行った。
  ホークアイは落ち着きなく、部屋の時計を見る。
  1時…。アニーは明日のこの時間に、と言った。来るならそろそろだろう。
「……ん…?  待てよ…。俺、彼女にウチの住所なんか教えたっけ…?」
  実を言うと面倒は嫌いなので、携帯電話の番号を聞かれても、はぐらかして教えない
事が多いのだ。携帯の番号だって教えないのに、自宅の住所なんて教えるワケがない。
「…え…、どうして…?」
  しばし、考え込む。そのとき、外からクラクションの音が響いた。
  外に出てみると、白い新車が見える。中にいるのはやっぱりアニーだった。
「お待たせ。さ、行きましょ」
  にこやかな笑みを浮かべているアニーとは対照的に、ホークアイの方は無口であった。
「さっきから無口ね…。そんなにショックだったの?」
  運転しながら、アニーが尋ねてくる。
「……まぁな……」
「自分でまいた種じゃないのよ」
  その通り。だから余計に腹がたち。
  どこかで誰かが言っていた事を思い出す。まさにそのまんまだった。
「……でも、あんまり妊婦に無理させないでよね。車のシートベルトだって、良くない
んだから」
「………………後で運転代わるよ……」
  それだけ言って、ホークアイはなにやら思案にくれた。

「2カ月くらいですね。順調ですよ」
  ぐはっ…。
  医者は無情にもそう言った。
  アニーを見ると、アニーはどこか勝ち誇ったような瞳で、ホークアイにほほ笑みかけ
たのであった。

「ね?  言ったでしょ。子供がいるって…」
  おなかをゆっくりさすりながら、アニーが言う。
  病院の待合室から出ようと、2人は玄関口にいる。
「あの…ごめん、でも…」
「堕ろせなんて言わないでね。あなたと私の子なんだから」
「……………………」
  ホークアイは言葉も出ない。極力平静をよそおってるつもりだが、どこか引きつった
表情をしていた。アニーの方はあまり気づいてないようだが…。
「…ねぇ、これから食事に行かない?  なにか軽いものでも……」
  言いかけて、アニーの顔色が変わる。そして手で口をおさえ、トイレへと突っ走った。
「…………まさか………」
  次に、トイレから顔を出したアニーは青ざめた表情になっていた。
「……と、とにかく出ようぜ。今度は俺が運転するから…」
  ホークアイはそういって、彼女の背中をさすりながら病院を出た。

  どうすれば良いのか?
  ホークアイは皆目見当がつかなかった。このままアニーと結婚するしかないのか。
  …できるだけ、というかかなり、それはそうなりたくなかった。
  誰にも言ってないが、実は本命が彼にはいるのである。と言ってもまだ片思いの段階
で、相手はこちらの気持ちに気づいてないらしいが…。それでも、かなり前進している
と感じている。最近けっこう良い感じになってきたというのに……。
  くっそおおぉぉぉぉ。
  過去の自分を呪ってみたりするが、どうしようもない。
  結局、体調の悪いアニーに安静した方が良いと言い聞かせ、自分のウチの前でおろし
てもらい、そこで別れる事になった。
  車で遠ざかるアニーを見送り、見えなくなるとホークアイは心底安堵したため息をつ
いた。
「……はぁぁー…」
「…ホークアイ!」
「うやあ!」
  ホークアイは心底驚いて、自分でも出した事のないような声をあげた。
「な、なによ、そんな声あげないでよ。ビックリするじゃない」
  買い物カゴを手にしたジェシカが、目を丸くしてホークアイを凝視した。
「あ、ああ、なんだ、ジェシカか…」
  そしてまた、ホークアイはため息をつく。
「なんだじゃないわよ。誰なの、あの女の人」
「うっ…」
  胃がキリキリッと痛くなった。
「し、知り合いだよ、大学の」
「ふぅーん…?」
  あまり信用してなさそうな顔をして、ちろりとホークアイをにらむ。
「ホークアイ。あなたってどうしてそう、女の子に対してだらしないの!?  最近、特
に大学に入ってからひどくなってない?」
「お、おいおい、ジェシカ…」
  なだめる口調で、ホークアイはまあまあと手をひろげる。
「朝帰りが増えてるじゃない。泊まりがけで帰ってこない時もあるし!」
  ハッキリ言って否定できなかった。最近は減っているものの、やっていないわけでは
ないのだ。
「こっちはずっと心配してるんですからね。心配してるこっちの身にもなってほしいも
んだわ!」
  ジェシカはプンスカして、家へと入って行く。ホークアイはやれやれと言った感じで
彼女の後に続く。
  いつからだろうか。ジェシカはホークアイを兄として、そしてそれ以上に男として見
るようになったのは。
  しかし、ホークアイにとっては大切な妹であった。ジェシカの気持ちを知りながらも、
気づかぬフリをして、妹として今まで接してきた。
  自分がずるい男であるのはわかっている。けれど、ジェシカはやっぱり妹なのだ。
  ホークアイはジェシカに気づかれぬようにため息をついた。
  もし、ジェシカがアニーの事を知ったらどうなるであろうか。気丈なジェシカのこと。
アニーとケンカを始めるかもしれない。いや、それよりも自分の信用はがた落ちである。
ジェシカだけでなく、イーグルからの信用も落としてしまうだろう。
  それは、彼ら兄妹を裏切るもので、すごくやりたくない事だった。
「……なんとかしなきゃ……」
  そうつぶやくものの、解決策は見つからなかった。

                                                          to be continued..