困っちゃうな
「……このアストリア遺跡で発見された骨から、なにか戦争があったと推測され……」
  教授の講義が続き、彼が黒板に書き込むため、生徒達に背を向ける。
  それを見計らい、一人の男がそっと静かに、だが素早く後ろのドアから教室へと入っ
てくる。そして、足音もたてずに歩くと、さっと席につく。
「…………よう……」
  ちらっと横目で、今やって来たばかりの男を見る。
「よっ。おはよ…」
  遅刻してきたくせに、悪びれもなく、先程席についた男はにこやかに、小さく手を上
げた。
「もう講義始まってから1時間は経ってるぜ…。あと30分しかねーじゃねーか…」
  あきれた様子で、男は自分の腕時計を見る。
「まぁ、良いじゃねーか。俺には俺の用事ってもんがあるんだから…」
  やってきた男はもってきたノートさえも机にひろげようとはしなかった。
  さきほど、遅刻してやって来た男はホークアイと言う。少し長めの銀髪を一つに結わ
え、甘いマスクは女の子を引き付けて止まない。そして、彼の友人で、いかつい感じの
する男はデュラン。長身のホークアイと同じくらいの背丈だが、体つきがガッチリして
いるせいか、彼の方が大柄に見える。
「…おまえさ、この授業、俺は選択課目だからまだいーけど、おまえは必修なんだろ? 
 落としたりしたらどーすんだよ」
「なんとかなるって。たぶん」
  ホークアイがまたもにこやかにほほ笑む。女の子なら、放っとかない笑みだが、同性
のデュランにはもちろん効き目はない。
「女か?」
  すでにデュランの声は呆れ果てている。
「まーね。女の子のノートの方が見やすいし、よくまとまってるんだ」
「ふーん…」
  名うての、というほどまでにはいかないが、そこそこ有名なくらい、ホークアイは女
たらしだった。ただ、最近は前ほど遊ばなくなったようであるが、かといってまったく
やめたワケでもなかった。

「ふあーあ…。はらへったぁ…」
  講義が終わり、デュランは大きく伸びをした。
「メシ食いにいこーぜ」
「ああ…」
  ノートなどをカバンにいれ、デュランも立ち上がる。
「どこ行く?」
「学食しかねーだろ」
  2人がやれやれと教室を離れようとした時、彼らの前に3人の女の子がやってきた。
「あのー、ホークアイ君、ちょっと、いいかな?」
  3人のうちの1人が目配せするようにホークアイに話しかける。デュランの冷たい視
線がちょっと痛い。
「…じゃーな」
  それだけ言うと、デュランはきびすを返して1人で学食へと向かう。悪いなぁとは思
うものの、女の子をむげに扱う事はできない。
「……なに…?」
  デュランの背中をしばらく見送ってから、ホークアイは女の子達に視線を戻す。…見
覚えはあるのだが、どういう名前だったかいまいち思い出せない。
「あのさ、アニー・マーフィーっているじゃない?」
「え…?  あ、うん、まぁね…。その娘がどうかした?」
  実を言うと聞き覚えはあるものの、どんな娘だったかよく思い出せない。が、とりあ
えず知ってるフリして対応する。
「なんか、話あるんだって。これ、渡された」
  と、ていねいに折り畳まれた紙を手渡される。ホークアイはちょっとまゆをしかめて、
その手紙を見る。
「…でも、なんで君らがこれを?」
「あなたと同じ講義受けるからって渡されたの。最初いなかったみたいだけどね」
  言われて、ホークアイは苦笑する。
「じゃ、渡したから」
  そう言うと、女の子たちはホークアイの目の前から姿を消した。
「………………」
  彼女たちがいなくなってから、ホークアイは手紙を開く。
『喫茶ソーリー・カールで1時、待っていますA.M』
  女の文字でこれだけ書かれていた。
「…アニー・マーフィー…、アニー・マーフィー…」
  はたしてどういう女の子であったろうか。聞き覚えは確かにあるのだがー…。
「うーん………」
  色々女の子を思い浮かべてみるが、どうにもしっくり、いやピッタリこない。
「…まいいや。会えば思い出すか…」
  そう言って、ホークアイはゆっくり歩きだした。

  喫茶店“ソーリー・カール”は大学からけっこう離れた場所にあり、彼が単車で行か
なくてはならない場所であった。
  適当な場所に単車を止め、約束の時間より若干早くに喫茶店につく。
  ベルの音をさせ、中に入る。ぐるりと店内を見回す。自分を見つけて、手を振ってく
れる女の子を見つけた。
  ああ、そうだ。アニー・マーフィー。あの娘だ。
  本人を見て、ホークアイはやっとどういう娘であったかを思い出す。
  ちょっとかけすぎでは、と思うパーマの赤毛。そこそこ良い感じの容姿。流行りの服
装に身を包んだ女が目の前にいた。
「1時5分前。優秀ね」
「そう?」
  ホークアイはそう言って、コーヒーと、ついでに昼食のサンドイッチを注文する。
  しばらく他愛のない会話を交わす。
  ウェイトレスが運んできたサンドイッチをぱくつきながら、ホークアイはコーヒーを
一口すする。
「………で?  なんだって俺を呼んだワケ?」
「あら。あなたと会うのになにか理由がなくっちゃいけない?」
「………………」
  ホークアイはちょっとだけ困った顔でアニーを見る。
「そんな顔しないでよ。これからは、そういう関係になりたいんだから」
「………?」
  アニーの真意がわからず、ホークアイはさらに困惑顔をする。そんな彼を小さくほほ
笑んで見つめ、そしてフッと真顔に戻った。
「……単刀直入に言うわね…。…できたの、私…」
「…………え…?」
  サンドイッチを口に運ぶのも忘れ、ホークアイはアニーを凝視した。
「…できちゃったの…」
「………………………な、………なにが…?」
  自分でもかすれた声を出しているのに気が付かなかった。
「わかるでしょう?  ……赤ちゃん…、できちゃったの…」


  どれだけの時間が過ぎたであろうか。
  おそらく、1分と経っていないのだろうが、ホークアイにとってはものすごく長い時
間であった。
「……じょ、…冗談はよしこさん…」
「くだらないこと言ってる場合じゃないのよ」
「え…、あ…、で…、でも……」
  サンドイッチをつかんだまま、ホークアイは視線を泳がせる。脂汗がにじみでた。
「まぁ、このトシで…ってのはわかるけど…。でも、しょうがないじゃない。できちゃ
ったんだから」
「……いやぁー…、やぁ、こ、ここのサンドイッチってけっこうイケるんだなー」
  無意味に明るい声を出して、ホークアイはやおらサンドイッチをたいらげる。
「逃避しないで。本当の事なのよ」
「……………………………………」
  ホークアイは苦い顔をして、苦いコーヒーをすする。
「…で、でもよ、その、できないように…」
「知らないの?  100%の避妊っていうのはすごく難しいのよ」
「……いや、それに、その、俺の……と決まったワケじゃぁ…」
  ホークアイがそう言うと、アニーの眉が吊り上がった。
「…失礼ね…。私があなた以外の男と付き合ったとでも言うの?」
  そこまで把握してるわけねーだろ!  と思うが言う事はできない。しかし、身に覚え
があるのも悲しい事実だ。
「…私は4年生だから、別に良いけどあなたまだ2年生でしょ?  ちょっと経済的にキ
ツイわよね…」
「…………………」
「……でも、まぁ、お父さんに言えば何とかなるかも…」
「あの…、もしかして………産む……ツモリ…デスカ…?」
  平然と言ったつもりであるが、ちっともそんな語調はなかった。
「……ええ……」
  アニーはここで初めてポッと頬を赤らめ、ややうつむく。
  なにかこう、カナヅチか何かで背後から思い切り頭を叩かれたような感覚。
「もちろん。責任とってくれるわよね?  あなた、そう見えてもけっこう責任感あるタ
イプでしょ?  顔もイイし、度胸もあるみたいだし…。あなたならお父さんのメガネに
もかなうだろうし…」
  勝手に話がすすんでいる。しかし、ホークアイの耳には届いていない。
「……聞いてる…?」
「……あんまり……」
  ホークアイが珍しく、女の子の前で正直に言った。
「…しょうがないわねぇ。もっとしゃんとしてよ。あなた、父親になるのよ」
「…………………」
「…とにかく、お父さんに報告するから。3日後に会ってもらうわよ」
  一方的にそう言って、アニーは席を立つ。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
  やっと我に帰り、ホークアイはアニーの手をつかむ。
「……なぁに…?」
「あの、本当なのか?  それって。病院とかで、ちゃんと検査とかしたのか?」
「………まだよ…」
  一瞬、ホークアイに一条の光が見えてきた。
「でも、薬局で売ってるでしょ?  判定試薬。アレで確かめたわ。それに、最近吐き気
が多いし…実際昨日吐いちゃったし…、くるものもこないし、最近味覚が変わってきた
みたいよ…」
「…で、でも…」
「………そうね。確かに病院で調べたワケじゃないわよね…。じゃ、ちゃんと調べてか
らの方が良いわね…。明日、空いてる?」
「い、一応…」
「じゃあ、病院、付き合ってくれるわよね?  パパ」
「パッ………」
「この時間、あなたの家まで迎えに行くわ。待ってて。それじゃ、ここの勘定は私がも
つから」
  一方的にそう言うと、テーブルの上の注文書を取り上げる。それを軽く振って見せる
と、アニーはこの場を後にした。

「…………………………」
  どれくらい、その場に硬直していたかわからない。
「あの、お客様。お皿お下げしてよろしいでしょうか」
  ウェイトレスの遠慮がちな声に我に返る。
「あ、ああ。どうもスンマセン!」
  慌てて席を立つ。レジを出る時、ちょっとヘンな顔をされたが、注文書はアニーが持
っていってしまったのだ。一応、無銭飲食にはならない。
  しかし、今はそんなことどうでもよかった。
「…ドウシヨウ…」
  青空を恨めしそうににらみつけ、ホークアイは小さくつぶやいた。
  アニー・マーフィー。そこそこ顔がよくて、そこそこ良い感じの体つきで、まぁ可も
なく不可もなく。ホークアイに寄ってきたから、据え膳食わぬは何とやら、で……。
  女の子の扱いには慣れてたハズ。そういう不覚はしないように気をつけてたハズ。こ
ういう面倒は避けようとしたハズ。
  ……………………。
  しばらく、ホークアイはぼんやりと自分のバイクの前で突っ立っていた。
「………でも……」
  ここでやっと、ホークアイの頭に若干の冷静さが取り戻されつつあった。
  アニーの相手は本当に自分なのか。彼女のおなかに本当に子供がいるのか。
  あのアニーという娘の性格を正確には把握していない。もしかすると、自分を独占し
たいがための狂言かもしれない…。
  自分の容姿が良い事は自覚してるし、昔から女の子から人気は高かった。自分を取り
合うために、女の子達がやっていた、可愛いとは言えない彼女達の裏の部分をホークア
イはそれなりに知っている。
  もしかすると、彼女の性格には、それなのかもしれない…。
  ハッキリ言って1回こっきり、せいぜい2〜3回の付き合いで終わらすつもりの相手
だった。しかし、そうも言ってられない。あのアニーという娘の事を調べなくては…。
  ホークアイはそう決めると、ヘルメットをかぶる。そしてバイクにエンジンをかけて
走りだした。

                                                          to be continued..