今年も、補佐の自分はここでお役御免だ。
  将来、母の跡を継ぐなら、真面目に考えなければならない問題なのはわかっているのだ
が、どうにも肩がこる。
  去年よりは政治に興味をもてるようにはなったけど。
  そういえば、去年はあちらのテラスにデュランがいた。今年もいるのかしら?
  いるわけないかとテラスをのぞいてみると。
  いた。
「よお」
  手摺りによっかかっていたのだが、アンジェラに気づいて声をかけてきた。
「どうも。今年も眠そうね」
「まあな。しょうがないんだけどさ」
  何故だかホッとした気分になって、緊張していた心がほぐれてきた。
「一年ぶりだけど、覚えててくれたんだ」
「まぁ、なんとなくな…」
  彼は小さく苦笑する。
  しばらく、天気の事だの、ウェンデルの事だの、他愛もない話をしていた。
  天気が良くて、気候も良くて、穏やかな時間だった。
「…あ、そろそろ時間だな。じゃあ、俺はこれで…」
  彼は、庭の時計を見下ろして、よっ掛かっていた体を起こした。
「あ、うん…。……あ、ねぇ」
「ん?」
  ここを離れようとする男を呼び止める。
「そういや、名前聞いてなかったけど…、あなた、名前は?」
「デュランだよ。あんたは?」
  知っているけど、本人の口から聞きたかった。
「アンジェラよ」
「そっか。じゃあな、アンジェラ」
「ええ、デュラン」
  デュランの素朴な笑みが不思議に心を落ち着かせてくれて、アンジェラは深呼吸をした。
  彼だったら、見合いしても、興味がわけそうだった。
「でも、フォルセナかー…」
  自分がアルテナの王女である以上、フォルセナの男と見合いというのは相当難しいのは
わかっている。なにせ、加害国なのだから、フォルセナ国民の心情は良いものではないだ
ろう。
  彼は、デュランは、自分がアルテナの王女と知ったら、警戒するのだろうか。
  そう考えると、少し悲しくなってきた。
  アンジェラは頭を小さく振って、歩きだした。頭の中を切り替えようと思った。


  今年の立食パーティーも、アンジェラの周りには男が群がっていた。
  うっとうしいと思いつつも、自分の自尊心を満足してくれるのまた事実であるのだけれ
ど。
「それで…アンジェラ様…」
「ごめんなさいね、私は…」
  今年のしつこい男は薄い赤毛の男だった。少しさえ無さそうな感じがして、明日にでも
なれば忘れてしまいそうな顔の男だ。
  しつこさに辟易して、場を離れようとした時だった。
「この恥さらしめがぁ!」
  ドガァッ!  ガチャーン!
  激しい罵声と、派手な音に、ガヤガヤした会場が一瞬で静まり返った。
「この非国民め!  貴様それでもフォルセナの騎士か!  事もあろうに、アルテナの王女
なんぞに声をかけるとは!」
  真っ赤な顔で、かなり酔っ払った様子の老人が、しつこい赤毛男を持っていたステッキ
で思いきり殴りつけたのだ。
  突然の事に、アンジェラもびっくりして硬直する。
「ロッジー将軍…」
「このフォルセナの恥さらしめ!  二度と白銀の騎士団を名乗るでない!」
  あまりの事に、周りの人間はほとんど動く事ができなかった。世界のトップ達が集まる
この会場では、下手すると国際問題になりかねないのだ。
「ロ、ロッジー将軍、落ち着いて下さい。場所をわきまえて下さい!  私が確かに悪いん
です。ですが…」
  赤毛の男は真っ青な顔で、将軍を押さえようと腕をとったが、余計に怒りをかってしま
った。
「ええい、触るな!  馬鹿者!  アルテナのせいで、わしの息子が…!」
「ロッジー将軍!」
  将軍は目茶苦茶に暴れまわろうとする。
「やめてください、ロッジー将軍!」
  赤毛の男は今にも泣きそうな顔だ。ロッジー将軍はステッキを振り回し、赤毛の男をし
たたかに打ち付ける。
「ええい、この魔女め!」
  将軍のステッキがアンジェラに向かって振り下ろされてきた。
  アンジェラはあまりのショックにピクリとも動けなかった。
  ガンッ!
  思わず目を閉じたアンジェラだが、どこも痛くなかった。
  目を開けると、大きな背中が見えた。
「ロッジー将軍…。場をわきまえて下さい…」
  静かだが、厳しい声。
  デュランがアンジェラの前に立ち、将軍のステッキを腕で受け止めていた。
「デュラン!  おまえまで…」
「ロッジー将軍!」
  ステッキを取り上げ、二つにへし折った。
「ケン、ともかく、将軍を部屋に戻すぞ」
「あ、は、はい…」
  一瞬、デュランはすまなそうな目でアンジェラを見て、赤毛の男と二人で将軍の両肩を
とると、あっと言う間に会場を去って行った。
  あとは、ぼうぜんとたたずむ人々が残る。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ…」
  声をかけられ、そうこたえたものの、いまさらになって恐怖感がわいてきた。
「アンジェラ、大丈夫?」
「…………………ごめんなさい、ちょっと休ませてもらう…」
  母親が心配して小走りに寄って来る。
  食欲も何もかも失せて、ここにいる気にはなれなかった。
  あてがわれた部屋で、アンジェラはベッドに腰掛けた。
  もう過ぎ去った数年前の事といっても、被害にあった国は過去の事などと言ってられな
いのだ。将軍は、真っ赤な顔で怒り狂っているようだったが、目には確かに涙が浮かんで
いた。
  将軍に対して怒る気にはなれない。
  ただ、自国がどう思われているかという現実を目の前でたたきつけられ、ショックだっ
た。
  コンコン。
  ノックの音に我に返る。
「だれ…?」
「フォルセナ国王、リチャードだ…」
「えっ…?」
  ビックリして、アンジェラは立ち上がる。ドアを空けると、確かにフォルセナの英雄王
が立っていた。
「英雄王…」
「先程は、自国の将軍が大変な失礼をした…。まったくもって、申し訳ない」
  そう、あの英雄王が頭を下げたのだ。アンジェラはさらに驚いた。
「な…あの……そんな……」
  驚いて言葉が出てこない。英雄王は頭を下げたままだ。
  一国の王が人に向かって頭を下げる。それはどういう事なのか、知っているからこそ、
アンジェラは本当に慌てた。
「だ、大丈夫です。もう、大丈夫ですから…」
「酒の席とはいえ、配慮をかき、場をわきまえぬ部下の不手際。これは、私の責任だ」
「でも、あの…」
「…本当に、申し訳ない…」
「…………わ………わかり……ました……」
  内心、どぎまぎしながらも、やっとアンジェラは言葉を絞り出す。
「将軍は退職させる。それで罪が消えるわけではないが」
「いや、その…」
「いずれ、公式な場で謝ろう。本当に、すまなかった」
「………………」
  これほどの威圧感を感じさせる男に頭を下げられて、アンジェラもどう言っていいもの
やら何もわからずに、ひきつった顔でうなずくだけだ。
  英雄王が去り、アンジェラはしばらく突っ立ったまんまだったが、やがてフラフラとベ
ッドに倒れ込む。
  ショックの連続で、心がまるで落ち着かない。
  コンコン。
  またノックの音だ。アンジェラはハッとなって起き上がる。
「だ………誰……?」
「あー…その、デュランだ…。昼間の……」
「デュラン?」
  アンジェラは慌ててベッドから立ち上がり、ドアを開ける。
「…その、大丈夫か…?  こんなこと、言える身分じゃあないんだけど…」
「ううん…。そんなの、気にしないで…」
  彼の顔にひどくホッとしてしまい、アンジェラはやっと笑う事ができた。
「本当に悪かった」
「大丈夫よ。確かに、すごく驚いたけど…怒ってはいないわ…」
  これは本当だった。
「それに、あなたが謝る事じゃないじゃない」
「でも…。あれは、フォルセナの責任だ…。俺もフォルセナ出身だから、その、将軍の気
持ちもまったくわからないでもないけれど…。でも、いくら将軍でも…、いや、将軍だか
らこそ、あの場で、あれは…」
  歯切れが悪いながらも、デュランは自分の事のようにすまなさそうだった。
「まぁ、確かにそれはね…。…息子さんをなくされたの?」
「………ああ…。紅蓮の魔道士にな…」
「………そう……」
  あまり話題にしたくない男が出て来て、アンジェラは顔をうつむかせた。
「…入って。お茶でも飲まない?」
「え?  だ、だってそんな…」
「気を落ち着かせたいの。ちょっと…、一人じゃ心細いし」
「……あ…うん…。わかった…」
  デュランは頷いて、アンジェラの誘いを受けた。
  部屋に設置されているお茶セットでお茶を用意しようとするのだが、今になって震えが
きて、ポットに入れようとしたお茶の葉をこぼしてしまう。
「あっ…」
「……俺がやるよ。…お茶入れはうまくないんだけど…」
  デュランは立ち上がり、少しぎこちない手つきで代わりにお茶をいれてくれた。
「………はぁー…」
  暖かいお茶を飲み、アンジェラはすこし落ち着いてきた。
「…アンジェラって、アルテナの王女アンジェラだったんだな…」
  しばらく無言だったデュランだが、静かに口を開いた。
「ええ…。フォルセナ出身のあなたには、あまり言いたくなかったんだけどね…」
「俺は良いよ。大丈夫だから。数年前のあれは…、アルテナや、アンジェラが悪いわけじ
ゃない」
「…知ってるの?」
「ああ。それに今、アルテナ、大変なんだろう?」
「………………」
  残り少ないお茶が入っているカップを両手で包み込み、アンジェラはそれに目を落とす。
  マナもなく、魔法も使えない時代となり、魔法大国アルテナは他国と比べ物にならない
くらいの打撃を受けていた。
  アンジェラが、いやがおうにも国と向かい合わなければならない問題だった。
「本当にすまないと思ってる。この時代、大変なのは、フォルセナだけじゃない…。むし
ろ、フォルセナなんてまだマシな方だ…」
「………………」
「なんか、追い打ちをかけちまったみたいで…」
「…ありがとう…」
「え?」
  思いがけない言葉に、デュランは顔をあげる。
「心配してくれて。フォルセナにも、あんたみたいなのがいるってだけでも…嬉しい…」
「…………………」
  今度はデュランの方が顔をうつむかせた。
「ねえ、また会えるかしら?」
「え?  ……そりゃ…まぁ、会えると思うけど」
「そう…」
  それを聞いて、少し嬉しくなって、アンジェラはほほ笑む。
  デュランと、もう少しだけお茶を飲んで、そして、彼は部屋を後にした。

                                                          to be continued..