初めて出会ったのは、大学3年の春。その時の私はなにも面白い事がなくて、なにをしたいワ
ケでもなくて。アクセサリー代わりの男を日替わりに連れて歩いてた。あの日も、適当なプール
バーで男をはべらせるために、プールバーへと向かう途中だった。
  春から秋にかけてよく乗る、あの赤いスポーツカーで適当な運転をしていた。
  となりの男とのどうでも良い会話。誰がどうした、何をした。あのブランドがどうの、ファッ
ションがどうの。
  そんな記憶にも残らないような他愛もない話をしながら、いいかげんな運転をしていた。
  サングラスのおかげで、実は前も良く見えてなかった。
「アンジェラ!  前!」
「え!?」
  隣の男。たぶん、レイモンドだったと思う。もう名前もうろ覚えのような男の鋭い声に、私は
思わずブレーキペダルを力いっぱい踏んだ。
  キュイキキキィィィッ!
  間一髪。私は歩道を少しはみ出した男をひかずにすんだ。
「あ…、び、びっくりしたぁ…」
「びっくりしたのはこっちだよ。ちゃんと前を見なきゃ」
  ハンドルを握り締め、まだ心臓がドキドキしていた。
  びっくりしたのはなにもこちらだけではない。ひきそうになった男と、その友達と思われる男
2人。
「な、なんて運転しやがるんだっ!」
  ひきそうになった男が真っ先に怒り出した。
  バサバサした茶色い髪の毛。粗野っぽい顔立ち。貧相で汚れた服装。でも、けっこう可愛い目
をしてた。その時は怒っていたけどさ。なかなかの長身でガッシリしてた。
「あー、ごめーん。大丈夫だった?」
  ああやってすぐに立ち上がったという事は、何ともなかったという事だろう。私はそう決めて
かかって話しかけた。
「大丈夫だったじゃねぇっ!  メチャクチャな運転しやがって!」
  仮にも世界屈指の財団アルテナ家のアンジェラ様が、そこいらのただの男に声をかけてやった
だけでも有り難いというに、しかもちゃんと謝ったのに。この男はすぐに怒り出した。
「な…なによ、謝ったじゃないのよ」
「そんな誠意もクソもねえ謝り方があるかっ!  それに!  謝りゃ良いってもんじゃねぇだろう
っ!」
  男はカンカンに怒り出して、私に向かって怒鳴りつけた。
  なにしろ、面と向かって私を怒鳴りつけた男なんて初めてで、私は、内心かなりビックリして
いた。
「なによ!  そんなに怒る事ないでしょう!?  何もなかったんだから!」
「何もなかったから良いようなものを、もし何かあったらてめぇ、さっきのゴメンで済ますつも
りなのかよ!?」
「な…、なんですって!?  あんたがさっさと立ち上がったから、何にもなかったってわかったん
でしょ!?  何かあったらそれなりの対応に変えるわよ!」
「そんな考え方があるか馬鹿っ!」
「ばっ…!」
  私に面と向かって怒鳴りつけたのも初めてなら、馬鹿と言われたのも初めてだった。
「ば、ば、馬鹿ですってぇ!?」
「あーそうだよ!  馬鹿を馬鹿と言ってなにが悪い」
「な、こ、この男…!」
  私があまりの事にブルブル震えていると、この男の連れと思われる一人がこの男を制した。
「デュランも落ち着けよ。そんな喧嘩腰で良いわけないだろうが」
「だってなぁ!  人に車をぶつけそうにしておきながらあの態度!  ムカつくじゃねぇか!」
  ムカつくのはあんたよ!
「だからって、そんないきり立って怒鳴る事もないだろう。とにかく落ち着けってば」
「それに、このクソ女、悪びれもねぇとはどういう了見してんだよ!」
「くっ…」
  ク、…クソ女あぁ!?  わ、私に向かって、クソ女ですってぇ!?
「だあぁもう!  あの、すいませんねぇ、こいつ、ちょっと怒りっぽくって。しかも疲れてるも
んだから余計に怒りっぽくなっちゃって…」
「おまえはすっこんでろよ、ホークアイ!」
「こんな道端でケンカなんかするもんじゃねぇんだよ!  ホラ、もう行くぞ!」
「あ、ちょ、ホーク!  俺はまだ…」
  ホークと呼ばれた男は、もう一人の男と、デュランという男を引きずるようにしてこの場から
去っていった。
  そこには、怒りにわなないている私と、オロオロしているレイモンドのみが残された。
「あ、あ、あの、アンジェラ、さん…?」
「……な、なんなのよ、あの男!  私に向かって……なによ、あの男!」
  信じらんない信じらんない信じらんないっ!
「あ、ああいう野蛮で失礼な男の事なんて、早くに忘れた方が良いですよ、ね?」
  必死に私のご機嫌をとるレイモンド。でも、私はレイモンドの声なんか耳にも入らず、あの男
への腹立たしさでブルブル震えていた。


  あそこまで私を怒鳴りつけて罵倒した男は初めてで、数日間はあの男の事ばかり。そりゃもう、
頭にきて、頭にきて。あのデュランとかいう男を調べて、彼の家をツブしてやろうかとも考えた。
  でも、デュランという名前だけでは調べるのに時間がかかるだろう。けっこう平凡な名前で、
数的にはかなりのモンだろうと思うし。
  まだあのデュランの事でイライラしていた頃。あの日から1週間くらい経ってたと思う。この
イライラをどうにかするために、ショッピングをしようと、車を走らせていた。
  ふと、見覚えのある男を追い越し、バックミラーで確かめた。そう、あのデュランだったのだ。
  前と同じ、男3人でなにやらくっちゃべっていた。
「あー!」
  バックミラーばかり見ていて、前の方を見ていなかったもので、変なふうにハンドルを切った
とも気づかず、いきなり、車がガタンと下に落ちた。
「キャアッ!?」
  一瞬、何が起こったのかわからなかった。車を降りて、何があったのかわかった。
  前方車輪の片方を、溝に落としたのだ。
「っちゃあ〜…」
  自分の額をパンとたたく。
  どうしようかな…。ケータイで誰かを呼ぼうか…。
  なんて、私が考えあぐねていると、あのデュラン達がこちらに近づいてきた。
「あーあー、やっちまってるよ」
「溝に落ちたのかぁ」
  どこかからかうような口調にムッとなって、私は彼らをにらみつけた。そこでデュランと目が
あった。
「あ、先週のムカつく女」
「な、なんですってぇ!?」
  私の顔を見たとたん、指さしていきなりこんな事を言うのだ。頭にこないわけがない。
「やっぱりメチャクチャな運転してるからだろ」
「あんたに言われたくないわよっ!」
「おい、ホーク、ケヴィンそっちまわれよ。俺がこっち持つからさ」
「へいへい」
「わかった」
  私がまだ何も言ってないうちに、デュランは連れの2人を指示して、私の車を持ち上げにかか
った。
「ちょ、ちょっと…」
「いくぞ、せーの…!」
「よっ!」
  デュラン達は、あっと言う間に私の車を、溝から出してくれた。
「……な……」
  あまりといえば、あまりの事に私は言葉を失った。
「これでいいかな?」
「いいだろ」
「だな」
  彼らだけでなにか会話をかわしている。
「んじゃな。今度からは安全運転しろよな」
  それだけ言って、デュランはあの二人とすたすたと歩いて行った。
「な、なに勝手な事してんのよ!  頼んでもいないのにっ!」
  自分でも、もっとマシな言い方があるとわかっていたのに、口をついて出た言葉がこれだった。
「あーん?」
  デュランが不機嫌そうに振り返る。
「なんだおめぇその言い草は。助けてもらった言葉がそれかよ」
「あ、あんたが勝手な事をするからじゃない!  私はなにも助けてなんて言ってないわ!」
「んじゃあ、おめぇはあのまま、車輪を溝に落としたままでいいってワケだな?」
「そ、そうじゃないわよっ!  私自身でちゃんとした助けを呼ぶわよ!」
「ヘッ!  あのまま溝に車輪落っことした車があるなんて邪魔じゃねーか。通行の邪魔なんだよ」
「……………!」
  あんまり頭にきて、悔しくて悔しくて!  でも、どうしても言い返せなくて。
「おい、デュラン。もう行こうぜ。俺ぁ早く帰って休みてぇよ」
  ホークがデュランに声をかける。それもそうだと、デュランは私を一瞥して、彼と一緒に歩い
て行った。そしてまた、そこには怒り狂う私が残された。


  自分が素直じゃなかったのはわかってる。あのとき素直にお礼がなぜか言えなくて、あんな事
言ってしまったのは、悪かったと思ってる。
  でも。それでも。
  あのデュランの馬鹿にしたような顔が、脳裏に焼き付いてどうしても離れなかった。
  男を日替わりに代えても、はべらせても、手玉にとるようにしてやっても。あのデュランの顔
だけは終始脳裏のどこかにこびりついていた。
  あの日から、どれくらい経ったのか。たぶん、2、3週間くらい後だと思う。
  あの脳裏にこびりついてるデュランの顔をどうにかしたくて、半ばヤケになってプールバーで
酒をあおっていた。
  なにせ、あの日々はいつもデュランの顔が思い浮かんでは、腹をたてていた。興信所に調べさ
せ、彼の家をウチの財力と権力でツブそうかと何度も何度も考えた。しかし、調べさせるには、
手掛かりが少なすぎたし、あの情報だけで調べるとなると、そこいらの興信所じゃ手に終えず、
お母様とかにバレてしまう恐れがあったのだ。
「アンジェラ、どうしたのさ。そんなにカクテルばかり飲んで。お酒は口を濡らす程度に飲むの
が良いんじゃなかったのかい?」
  やけ酒をあおる私に、ウォルターが、私の肩に手をかけながら話しかけてくる。
「やめてよ。気安く触らないでちょうだい」
  肩に乗る手を払いのけて、私はカクテルをまた飲み込む。このウォルターという男、下心が丸
見えで、あまり好きでなかったが、顔が良かったし、背も高かったので、はべらすにはちょうど
良かったのだ。
  ここで酔い潰れてはウォルターの手中に落ちる事はわかりきっていたので、酔い潰れるワケに
はいかなかったが、その寸前までに酒を飲みたい気分だった。
  あのデュランの顔を酒で流してしまいたかった。
「………帰る……」
  どんなに飲んでも忘れられそうにないので、この次の機会にしようと思って、私は席を立った。
「……らら…?」
  けっこう意識はしっかり持っているつもりだったが、足元がどうしてもおぼつかない。
「ほら、しっかりしなよ…」
  ウォルターが私の肩に手をかける。私はそいつを手でおしやりながら、何とか車まで歩いた。
「そんな状態じゃ車の運転も無理だろ?  送ってってやるからさ。ね?」
「い、良いわよ…。大丈夫よ」
「ダメだよ。立派な飲酒運転じゃないか」
  ウォルターは強引に私を助手席に押しやり、自分はしゃあしゃあと運転席についた。
  ダ、ダメだ…。こいつに、運転させちゃ…。
「やめてよ…。あんた、ちゃんと送ってくれるかどうか……怪しいもんだわ…」
「信用ないなぁ。大丈夫だよ。ちゃんと君の家まで送ってあげるから」
  私はクラクラする頭をおさえて、内蔵のカーナビのスイッチをつけた。
「……じゃあ、この通りに帰りなさいよ…。もし、道を外したら…すぐにわかるんだから……」
「………………」
  ウォルターはため息をついて。かすかに舌打ちしたのも聞こえた。
「はいはい。わかりましたよ、お姫様」
  そう言って、車のエンジンをつけた。
  私がワガママ言う時は、はべらせてる男のほとんどが私の事をお姫様と呼ぶ。実は内心気に入
っているのだが、表に出した事はない。
  最初は、ウォルターは順調にカーナビ通りに車を動かしていたらしい。
  でも、やっぱり我慢できなくなったのか、急に路線を変更させた。
「道を間違えました。右折してください」
  カーナビの事務的な声に、私は顔をあげた。すごく眠たかったが、ここで眠るわけにはいかな
かった。いくら男をはべらせているとはいえ、男に体を許す気なんてサラサラなかった。
「……道を……外したわね……」
「大丈夫だよ。カーナビが教える以外の道だってあるんだから」
「……私は…カーナビ通りに帰れって…言ったはずよ……」
「まぁ、そう言わないで」
「………止めて……」
「…アンジェラ…」
「車を止めなさい!」
  私はムカッときて怒鳴った。
「……………」
  ウォルターは急に無言になって、車を止めた。
「……この女、甘い顔してやりゃつけあがりやがって…!」
  そう言うなり、ウォルターは私におおいかぶさってきた。
「ヤダ!  やめてよ!  あんたなんか!」
「酔った女一人くらい、男ならどうにかできるんだぜ?」
  ウォルターの手が私をシートに押し付ける。
「やめてよ!  やめてって言ってるでしょう!?」
  私は夢中になって、抵抗して、手をふりあげ、足で蹴り上げた。
「うわっ!?」
  何をどうしたか知らないが、ウォルターがドアの外に落ちる。オープンカーだったので、ウォ
ルターは外にほうり出す事ができたのだ。
「はぁ…はぁ…」
  私は、急いで隣の運転席に移動し、キーをひねった。
「このアマ!  覚悟しやがれ!」
  いけない!  ウォルターが立ち上がってこの車に乗り込もうとしている!
  私は無我夢中で、アクセルを踏み込み、車を走らせた。
  深夜だから良かったようなもの、私が酔っていたので、本当にメチャクチャな運転をしていた。
  対向車線をはしっているのにも気づかず、目の前に飛び込んできたまぶしいライトに、私は急
に我にかえって、ブレーキを踏み込んだ。
  キキキィッ!
  間一髪。私の車はライトの前で止まった。本当にあと少しでぶつかるところだったらしい。
「なっ、なんてメチャクチャ運転しやがるんだっ!?」
  あのライトはバイクのライトだったらしい。バイクに乗った男が怒りながら、車の横につけ、
私を見下ろした。
「おい!  対向車線を走るヤツがあるかよ!?」
  ……この声は……。
「おい、聞いてんのか!?」
  フルフェイスヘルメットを外し、私を見下ろす。薄暗かったから、あっちはこちらがよくわか
らなかったらしい。
「あんな危険な運転しやがってよぉ、どういうつもりなんだよ!  おい!」
  怒鳴りながら、バイクのライトをこちらに向ける。バイクのライトはすごくまぶしくて、酔っ
てる頭にかなりキた。
「聞いて………あーっ!」
  私を照らして、大声でビックリする。私はそいつに対応する気力はなく、ただただライトがま
ぶしくて仕方がなかった。
「…またお前かよ……」
  声は呆れ果てているようだった。
「いくら下手くそな運転でも、対向車線を走るこたねーだろよ。おい」
  ウンともスンとも言わない私に不信感を感じたらしく、顔を近づけてくる。
「……あんた…デュラン…」
「…うわっ。酒くせぇ…。今度は飲酒運転かよ…」
  口を開いた私が、やたら酒臭かったらしく、顔を遠ざけ、顔をしかめる。
「…おまえ一人か?」
「………………なによ………一人のどこが悪いってのよ……」
  私が完全に酔っ払っているのがわかると、デュランはため息をついた。
「……っとにもう……。……しゃあねえなあー…。おい、ハンドブレーキちゃんとかけてろよ」
  怒ったようにそう言うと、彼は身を乗り出して車のハンドブレーキを引くと、バイクをちょ
っと走らせて、道の端っこに止めた。エンジンを切ったらしく、音とライトが消える。
「ホラ、どけよ!」
  何を考えたのか、運転席に乗り込んでくる。
「なに…すんのよ…」
「隣に座れ!  ちゃんとシートベルトもしめて…ったくよぉ!」
  彼は私の助手席に強制的に移動させ、シートベルトをつけた。
「おい、おまえの家どこだ?」
「………………教えない」
「バカ言ってねぇで教えろよ!  わかんねーじゃねーか」
「フン…」
  ハッキリ言って完全に酔っていた私の思考回路は普通ではなかった。そんな私では話にならな
いと思ったか、今度は別の事を聞いてきた。
「じゃあ、サイフは?  免許書は?」
「………………………………そういえば…」
  サイフも免許書も入れた小さなバッグをもってきていなかった事に気づいた。あのプールバー
に置きっ放しだった事を思い出す。
「……………………忘れた……」
「っだぁーもうっ!  完全に酔っ払ってやがるぜ…。…っくそーっ!  おい、他にてめぇんちを
記してるモンっちゅーのはねぇのか?」
「………………………」
「おい!  おいってば!」
  彼が私の肩をがくがくゆらす。なんだか頭にきていた私は死んでも教えてやるまいと、寝たフ
リをしたのだ。
「……っかー…!  とんでもねぇの拾っちまったなぁ…」
  しばらく、彼は私がサイフをもってないかとか、カーナビをいじくっていたが、どうしてもわ
からなかったらしく、大きくて深いため息をつくと、車を動かしはじめた。
  …どこへ連れてくつもりなんだろう……。
  なんて事を考えながら、私は本当に眠ってしまっていた。顔にあたる風が、妙に心地よかった
のを覚えている。


                                     -続く-