パロまで降りて、ジャドまでの定期船の事を聞く。どうやら今日の夕方には出るようで、 リースは乗船券だけ買っておいて、旅に必要なものと思われるものを買い揃えておく事に した。 相場とかはよくはわからないのだが、父が用意しておいてくれたお金で、じゅうぶんど うにかなった。 パロではまだローラント城陥落の話は伝わっていないようで、町の人々はのんびりと毎 日を送っているようだった。 …しかし、ローラント陥落の話が伝わるのは時間の問題だろう。 上にいるナバールニンジャ軍団が多少落ち着いてきたら、この町も占領するのであろう か。ここも、ローラント領の大事な町なのに…。 「船が出るぞぉーっ!」 水夫の声を聞きながら、リースは船の甲板でパロの様子を眺めていた。 風がリースの金髪をなぶる。夕日に染まるその表情は、幼さ残る顔には厳しすぎた。 ジャドの港の緊迫感は異常だった。いくらリースの感覚が今のところ正常でないとはい え、やはり明らかにおかしい。 港での緊迫感の理由は、街の中央まで来て理由がわかった。 ビーストキングダムの獣人達によって占領されていたのだ。 「…ここも…。一体…世界で何が起こってるというの…?」 ここの人々もまだローラント陥落の話は知らないらしいが、こうも同時期に戦争騒ぎが あるという事は、なにか世界規模で何かが起こっているというのか。 ウェンデルに行こうにも、ただ今、ジャドは獣人達によって街の出入り口という出入り 口は封鎖されていて、行きたくても行けない状態にあった。 困惑と焦りを覚えながらも、リースは街を出歩く。なにか良い情報はもらえまいかと弟 の事を聞いてみたり。 武器屋、道具屋、雑貨屋。そして酒場。 酒場には、カウンターに若い男が二人、腰掛けて酒を飲んでいるようだった。入ってき た自分に、二人の男はそろって振り返る。 うち、一人の男が立ち上がり、いきなり話しかけてきた。 「ねぇねぇ、君!」 「は、はい? なんでしょう?」 同じ年頃の男を初めて見たワケではなかったのだが、リースはこうも馴れ馴れしく話し かけられた事などなかったので、激しく戸惑った。もしかして、もしかしなくても、こん なに間近に年頃の他人の男に接近されたのも初めてである。 「あのさ、もしかして、今ひま? ほら、この街、こんな状態になっちゃってて大変じゃ ん」 「は、はぁ…」 圧倒されて、リースが一歩後ずさると、この男は一歩近づいてくる。 (…な、なんなの、この人…?) これが俗に言う「ナンパ」などという事なんて、リースにわかるわけもなく。 「ひまならさ、観光…ま、観光になるかどうかわかんないけど、ジャド一周とかしてみね ぇ? 獣人の様子もわかるかもしんないしさ」 「いえ、あの、でも、私…そんなヒマはないんですけど…」 「いいじゃん。ね?」 やんわり断っても強引に食らいついてくる。リースはただただ困った。 馴れ馴れしく話しかけてくる男の横を、あきれた目で見て、もう一人の男が自分の横も 通り過ぎていく。助けてほしい気分だったが、通り過ぎた男は我関せず顔で出て行ってし まった。 自分でどうにかするしかないらしい。 ここでこんな無駄な時間を過ごしているヒマはない。 「あの…すみませんけど…、こういうの、困ります!」 やんわり断って駄目なら、ぴしゃりと言い切ってやる。それが功をなしたか、馴れ馴れ しい男がひるんだ。 「あの…」 それでもさらに話しかけて来ようとするので、リースは感情をあらわに激しく睨みつけ た。そもそも、リースは今、この男にかまってる心の余裕なんてないのである。 男が完全に沈黙したので、リースはさっさとこの酒場を後にした。 扉の所でだれかと入れ違いになったが、イライラしていたのでどういう人間かも確かめ なかった。 リースは宿をとり、獣人の動向を伺っていた。どうやら、獣人達はウェンデルへ進攻す るらしかった。目指す場所がウェンデルなので、そんな事をされたらどうしたら良いかわ からなくなってしまう。 リースも腕に覚えがあるが、あんな数の獣人相手にどうにかできる自信はない。ただた だ、やきもきしながら時間が過ぎて行った。 ともかく、獣人たちがウェンデルへ進攻をはじめたら、ジャドの封鎖も弱まるだろうの で、そのスキをついて、途中で獣人たちを追い抜いてウェンデルに行くしかないだろうか。 ジャドを見回り、どこかに出入りできる場所はないかと色々探したのだが、どこも大き な獣人が必ず数人は居座って見張りをしているのだ。 リースの焦燥はさらに濃くなってくる。 宿の窓から、集まって何やら話している獣人達を睨みつける。 「……ん?」 広場に獣人達がどんどん終結している。整列しようとわやわやとなにかもめてもいるよ うでもあう。 「ウェンデルへ……進攻する…!」 ついにその時が来たのだ。リースはすぐに準備をはじめた。今がチャンスである。 ジャドからウェンデルへの道は地図で調べておいてある。獣人達のこと、走ってウェン デル進攻はしないだろうし。急げば獣人達よりも前にウェンデルに着けるはず。 もしウェンデルが進攻されるとしても、ウェンデルもおとなしくしているとは思えない し、その時に戦うのなら、自分の力を貸しても良いと思う。ともかく、ウェンデルに着か なければ話にならないのだ。 リースは宿屋を飛び出すと、獣人達に気づかれないようにジャドの門へと急ぐ。広場で は、リーダー格の獣人が、同胞に何か声をかけているところだ。 しめた! なんと、門は空っぽだった。一人か二人は残しているかと思ったものだが、全員を広場 に集めたらしい。 リースは全速力でラビの森を駆け抜けた。 走り疲れるまでとにかく走り、疲れても、立ち止まろうとはせずに歩き続けた。 「はぁ…はぁ…はぁ…」 槍で地をつきながら、リースは前を睨みつけて歩く。 途中、モンスターが何匹か襲いかかってきたが、リースの相手ではなかった。 「…………あら…?」 別れ道に立ってある看板を見て、リースは眉をしかめた。 自分の目指している滝の洞窟が、自分が歩いてきた道を示しているのである。 「……え…?」 もう一度看板を凝視する。看板の足元を調べてみたが、別にいたずらされたような形跡 はないようである。 「いやだ…。道を間違えたんだわ…!」 なんたる不覚。そういえば、さっき微妙な道があった。あそこを曲がらなければならな かったのだ。 「急がないと…」 リースは深い自己嫌悪を覚え、回れ右をして走りだした。どうか間に合いますように…! 願っているのはそれだけだった。 ドゴーンッ! 走っていると、ものすごい音が南の方から聞こえた。ここからでは木々が視界をはばみ、 何が起こっているかは見えない。 「…まさか、もうウェンデルについたのかしら?」 リースは自分の耳を疑った。 「……でも、音が近すぎる…。…というと…」 自分の場所とウェンデルに間にあるもの。ウェンデルと湖をはさんである湖畔の村アス トリアの存在を思い出す。 「…アストリアへ…進攻した…!?」 一体どれだけの人を殺めれば気がすむのか。リースは腹の底から怒りを感じ、走りなが らも歯軋りをする。 滝の洞窟にやっとついたのは、太陽がだいぶ高くなってからであった。 洞窟の入り口は、不気味な程に静かだった。ややぬかるんだ地面にはたくさんの足跡が 残っていた。 どうも獣人達は一度、ここに来ておりながら、引き返したようなのである。 「?」 原因は考えてもわからない。 リースは小さく頭を振ると、滝の洞窟に入った。 滝の洞窟を抜けると、夕日に染まるウェンデルが見えた。 「…あれが…ウェンデル…」 張り詰めていた心が少し、和らいだような気がした。まだまだ全然先は長いけれど、そ の一歩進めたという実感がわいてきたのだ。 夜になってしまえば神殿も閉まってしまう事だろう。リースは急ぎ足で神殿へと向かう。 リースは神殿が閉まる前に訪れた最後の一人だった。 「あなたで最後ですね」 そう言って、門番の神官はリースが通り過ぎると扉を閉めてしまった。思わず驚いて、 何か言おうとすると、 「大丈夫ですよ。あちらに勝手口がありますから、あそこから出られます。この大きな門 だけは閉めちゃいますけどね」 「あ、はぁ…」 「さ、司祭様はあちらにおわしますよ。この赤いじゅうたんに沿っていけば大丈夫です」 「はい…」 神官に言われるまま、リースは赤いじゅうたんの上を歩いていく。荘厳な造りの神殿内 部をぼんやりと眺めながら、歩いていると、広間に出た。待合室のような造りで椅子がい くつか設置してあったが、今はだれも使っていないようである。 リースは真っすぐ進み、少し大きな扉をひらく。 「おお、あなたが今日、最後の方かな。あなたにマナの女神さまの加護がありますように」 威厳があって、なおかつ慈愛をたたえた声に、リースの涙腺がふっとゆるくなる。それ を我慢して、リースは司祭の前に進み出た。 「……司祭様…、我が故国ローラントがナバールの忍者軍団によって滅ぼされました…」 「な、なんだって!?」 そんな大きなニュースはまだ伝わっていないらしく、司祭は目を丸くした。 「…私はローラントの王女リース…。父も殺され、弟もさらわれました…。…どうぞ…ど うぞ私に何か良いお知恵をお与え下さい…!」 「…なんてことだ……。ローラントが……」 司祭もショックを受けたようでしばらく口を開けてほうけていたが、やがて口を閉め、 なにか考えているようだった。 「司祭様。ローラントを復興する良い手立てはありますか?」 「…ううむ…。一国の復興をすぐ…などというのはなぁ…。できるとしたら、女神さまく らいだろうが…」 「………………」 リースもそう言われる覚悟はしていた。言うのは簡単だが、ローラントに巣くうニンジ ャどもを一掃し、アマゾネス軍団を元に戻すという願いが、人の手ではどれほど無理難題 なのか、わかっていた。 「……最近、色々な事が各地で起こっている…。マナの変動が起きている…。ローラント の事もそれと関係薄くはあるまい…。…実はな、リース姫。今日、女神さまの使いである フェアリーに取り付かれた男がやってきた」 「女神さまの……使い…?」 顔をあげ、リースは司祭を凝視した。 「さよう。彼らは女神さまに会いに行く。会うことがあったら、彼らに同行して、ローラ ント復興を女神さまに願うがよかろう。それと、弟君がさらわれたと聞いたが…」 「はい。おそらく、ナバールのニンジャどもに…」 「ふむ…。ナバールも、前までは義賊だったのだが…。あそこも何か起きているのじゃろ うな…。それで、その弟君はまだ幼いのかな?」 「ええ…」 可愛い弟の笑顔が脳裏に浮かび上がる。 「……さらわれた子供が奴隷として売り付けられる話を聞く。ナバールのニンジャがそう するかはわからないが、あたってみてはどうであろうか?」 「子供を…さらって奴隷に…?」 リースは目をむいた。そんな非道な事を、平気な顔でできる人間の神経がわからなかっ た。 「奴隷商売を黙認している都市はそう多くない。やっているとすれば、おそらくバイゼル あたりであろうな」 「バイゼル…。あの商業都市ですか?」 「うむ。あそこは商業が盛んなのは良いのじゃが、経済中心の考えが行き過ぎなところが ある。まぁ…それでも真っ昼間からそういう商売はせんであろうが…」 「…え…?」 司祭の言ってる意味がわからなくて、リースはやや眉をしかめた。 「では…エリオットはバイゼルに…?」 「ハッキリとは言えぬが…。ナバールにとって、子供をさらってどういうメリットがある かと考えるとな…。戦争はとかく金がいる。ナバール自身、おそらくためこんではいるで あろうが、それでもあって越した事はない。子供とはいえ、対象が人だ。そう安くなる事 もない…。となると…。そして、今、そのような受け皿があるとすれば、バイゼルくらい しか考えられない。という事なのだ。まぁ…あくまでわしの推論にすぎないがね」 「……そんな……人を……子供を…売買の対象にするなんて…」 「……悲しい事だがね…」 リースはしばらく黙って考え込んだ。今、自分にできることを考えているのだ。 ローラントの復興は悲願である。そのフェアリーにとりつかれた男とやらに同行して、 マナの女神様に会うという方法もある。 でも。 ローラント復興も大切だが、それはエリオットと共にが願いである。なにより、幼い弟 が独りぼっちで泣いているかと思うと、心配で心配で胸が張り裂けそうである。 それに、神頼みより、自分たちの力で、時間がかかってもローラントを復興していきた い…。となれば…。 「…司祭様…御助言有り難うございました…。私…バイゼルに行ってみます」 真っすぐと司祭を見上げ、リースはきっぱりと言った。 「そうか…。バイゼルへは、ジャドから定期船が出ている。利用するといいだろう」 「はい」 「…それと、奴隷売買はそう表立った商売ではないから、すぐに見つからないじゃろうが …。それにバイゼルは情報を第一としており、世界情勢の情報も集まりやすい。弟君の手 掛かりを探すのにも情報を集めやすいのではなかろうか」 「はい。…有り難うございました」 リースは深々と頭を下げると、回れ右をして歩きだした。この部屋を出る時も、礼儀正 しく司祭に頭を下げ、静かに扉を閉める。 「エリオットが…バイゼルに…」 司祭が自分で言ってる通り、あまり確かな情報ではない。けれど、闇雲に探し回るより、 はるかに効率が良いように思えたし、何らかの手掛かりがありそうな気がした。 神殿はひっそりと静かだった。時折通りすがる神官がいるくらいだった。昼はもう少し 活気があるのだろうか。 リースは教えられた通りに勝手口から神殿を出る。 外はすっかり夜になっていた。夜風がリースを横から吹き付ける。 今夜は宿をとって休もう。ジャドからノンストップでここまで来たのだから。 そう思うと急に疲れが出てきた。 ため息を一つついて、手近な宿屋を探した。 一晩ぐっすり眠り、少し遅めに目が覚めた。思っていたより疲れていたようだった。 張り詰めていた心が、司祭に会って、ほんの少しだけ緩和されたような気がする。まだ まだやることはたくさんあるけれど、その一歩を踏み締めた心境だ。 「…ふぅ…」 顔を洗い、頬を両手でピシャリと叩く。 気合を入れると、リースは荷物と武器を持ち、ウェンデルを後にした。 ウェンデルで聞いたのだが、どうやら司祭は獣人対策として、ウェンデル全体に結界を 張るそうなのである。害意のある者は入れないという結界らしく、害意たっぷりの獣人達 にしか効果がないそうである。そんな結界を張れるとはさすが司祭様だなと思ったり。 リースはどこにいるかわからない獣人たちに注意しながら、滝の洞窟を抜け、ジャドへ と足をすすめる。ジャドにはまだ獣人たちがいるのだろう。獣人たちのほとんどがウェン デル進攻に出ているので、警備は手薄だろうが、ジャドへの船が出てるかどうかは疑問で ある。とはいえ、まずはジャドへ行かなくては話にならない。 それに、今は考えるより行動していたかった。頭の中をなるべく真っ白にしていたかっ た。リースはただひたすら、前を向き、速足で歩いていた。 ジャドの獣人たちはここに来た時よりもはるかに少なくなっていた。それでもまだ、人々 はいつ帰ってくるかわからない獣人軍の本隊に脅え、大きな態度の獣人にびくびくしてい た。 聞いてみたが、やはり港は封鎖されっぱなしで、船がたくさん停泊していた。あの中に、 ジャド行きの船もあるだろうに…。 リースはため息をついて、宿に行く。ともかく疲れていたし、少し考えねばならぬだろ うから。 ベッドに横たわると、これからせねばならぬ事や、弟の事ばかり脳裏に浮かぶ。体はぐ ったりする程疲れているのに、頭は妙にさえていた。 燃える城と崩れ落ちる父。毎夜ではないが、悪夢も見る。くたくたに疲れ果て、夢も見 ないほど眠りこけたかった。 「はぁ…」 何度ついたかわからぬため息をつき、何度したかわからぬ寝返りをうつ。 獣人共の遠吠えが、耳についた。 「…え!?」 「シッ! あんた、声が大きいよ」 酒場で聞いた話に、リースは思わず声をあげた。 「夜のうちに船で出るって…。そんな、それじゃ、この町を出ない人はどうなるんですか?」 「どうなるって…、そう言われてもなぁ…」 「…なぁ…」 少し酒場の雰囲気に慣れてきた頃、酒場の一角で話している内容を聞き、リースは驚い てしまった。 ジャドの人々の一部が、夜のうちに船を出し、マイアへ逃げるというものだった。 「…あなた達だけで逃げるなんて…、そんな無責任です!」 「そう言ってもよ。逃げたくねぇってヤツを無理やり連れてくのかよ?」 「…それは…」 「俺たちは逃げたい。だけど、逃げたくねぇってヤツを無理に連れてったってな」 「俺たちだって、逃げたいってヤツなら一緒に逃げるさ」 「……………」 それはそうなのだろう。このジャドから出たいと言ってる人々に、彼らは声をかけてい るのだ。一緒に逃げようと。 「…でも、それで解決はしないじゃないですか…!」 「じゃあ、あんたはみんなで一致団結して獣人どもと戦えって? そりゃ、今の状態なら 勝てるだろうさ。数もいねぇし、ロクでもねぇのばかり置いてきやがったからな。けどよ、 ウェンデルに行った本隊が戻ってきたらどうなる? 占拠された時よりも被害が出るかも しれねぇんだぜ? 死んでも良いから戦えってのか?」 「…うっ……」 言い返せずに、リースは黙り込む。 「俺たちゃ兵隊じゃないんだぜ? 戦って死ぬなんてまっぴらだね」 リースのいるアマゾネスは戦って死ぬのもまた本望なりと言われてきた。リースもそれ を否定しないし、むしろ肯定派でもある。けれど、そこにいる男は兵士ではない。戦うの が職業でもない。 それでも。我が身かわいさに逃げ出すのが見え見えな、この男たちをどこかで許す事が できなくて、リースは内心歯軋りをする。 「…あんた、ヨソモンみてーだからな。声をかけたんだが…。いいぜ、その気がねぇなら、 この話に乗らなくて」 一人の男が立ち上がると、残りの男たちも立ち上がる。 カウンターに金を投げると、どやどやと酒場を出て行く。リースはしばし、その場に立 ちすくんだ。 「…まぁ…、戦うばかりが策じゃないですよ…」 酒場の主人が、未だ突っ立っているリースにやんわりと声をかける。机の上の残ってい る食器を片付けている。 「…そう…でしょうか…?」 「俺はそう思うけどね。あんた、冒険者かな? まだ若いみたいだけど」 「…そんな…ものです…」 「あんたは戦うのが職業だから、戦うの平気かもしんないけど。みんながみんなそうじゃ ないからね。それに、獣人たちを見てみなよ。占領したっていうのに、ここを支配しよう っていう気がないみたいなんだよね」 「え…? そうなんですか?」 「ああ。あんた…知ってるかな。風の王国ローラントがナバールに占領されたって」 「!」 それは、誰よりも、よく、知っている。 「あそこは、占領した後、ナバールが支配してるっていうだろ? 普通、進攻して占領っ たら、そうするのに、獣人たちはあまりその気がないみたいだ。進攻したっていう、事実 があれば良い感じだよ。夜の警備なんかあきれたものだしね」 机の上を大布巾でふきながら、主人はなおも言葉を続ける。 「獣人たちは、たぶんそう長い間ジャドにはいないよ。それを見越しての逃亡だと思うけ どね。ほとぼりが冷めたらみんな戻ってくるつもりだろうし」 「でも、それじゃここに残ってる人々は…!」 「獣人たちが去るまで、ここで我慢するか。獣人たちの顔も見たくないから、しばし住み 慣れた家を空けるか。そりゃてめぇが勝手に決めりゃ良い…。そういう事なんだと思うけ ど? そう生真面目に考えなくても良いよ」 「……でも…でも…。獣人たちの被害に会った方々は、それで良いのですか?」 酒場の主人の言うこともわかるのだが、その屈辱をそのままで良いのか。それがリース には不思議だった。 「良くはないけどさ。ウチだっておかげで今月は大赤字だ。そりゃ、俺だって獣人どもの 顔を一発や二発、殴れるもんなら殴りたいさ。泣き寝入りといったら、そうなるだろう。 …でも、我慢すれば、どうにかなるんなら。そしたら、我慢する方を選ぶだけさ。俺は獣 人たちのあの力で殴られたくないんでね」 それは…! 声を出そうとして、リースは言葉を飲み込んだ。 彼らは、負け犬と呼ばれても構わぬと言っているのだ。そういう選択肢もあるというの は、リースにとっては考えもつかぬ事だった。そのような屈辱に耐えられるというのだろ うか? そう聞こうと思って、やめた。 耐えられるんだろう。この人々は。 生活のためなら、プライドも曲げる。 良いか悪いかはともかくとして、その方法を選ぶ人もいる。そういう事なのだろうか。 納得はいかないけれど、とりあえず、知る事となった。 それに、色々と考え過ぎなのかもしれない。リースはため息をつく。ナバールの所業と、 獣人達の所業が重ねて見える。獣人達のやった事は決して許されないはずだ。許されて良 いはずがない。 「…それに…今はそうでもないとはいえ、一時期獣人いじめとかひどかった頃もあったし な」 「え?」 それを聞いたのは初めてで、リースは隣の机の上をふいている主人を振り返る。 「根に持ってんだろーね。だからといって、獣人いじめもしてないヤツだっているんだか ら、納得はしないけどさ」 そうか。そんな、事もあったのか…。 「どうしたお嬢さん? ジュースのお代わりでもするかい?」 「あ、いいえ…。…その…有り難うございました…」 リースは主人に向かってぺこりと一礼すると、酒場を出て行った。 夜道を歩きながら、リースは色々と考えていた。ジャドの夜道はわりに危険なのだが、 夜にはしゃいでしまっている獣人達はリースの相手ではない。ただ、夜でも意志を失わな い獣人も中にはいて、力が倍増された彼らは本当に危ない。もっとも、そんな強い獣人は たくさんいなくて、ジャドに残っているような獣人達の中にはそんな獣人は一人もいない ようだった。 宿に戻り、ベッドの上で考える。 このまま、あの誘いに乗り、マイア行きへの船に乗れば、こんなとこにくすぶっておら ずにジャドへと向かう事ができるだろう。 けれど、このジャドをこのままにしておいて良いのだろうか? けれど、自分一人で何かできるのか? けれど、弟を早く探したい…。 けれど、けれどを繰り返し、目眩もしてくる。 「はぁー…」 そして、ため息をつく。 to be continued... |