「…どうされましたか?」 
 アマゾネスの声に、リースはハッと我に返る。
「………風が……泣いているの……」
「…風が…ですか…」
 アマゾネスは少し不思議そうに周りを見る。彼女にはいつもと変わらない風に思えたが。
「……まぁ、それはともかく。モンスターはもういないわね?」
「ええ。…しかし…なにか…モンスターの動きがおかしいような気がしますね…。数も以
前に比べ多くなってますし…」
「そうね…」
 それが何かの予兆なのか。今のリースにはわからなかった。彼女は気をとりなおし、背
筋をぴんとのばした。
「ライザ。1番隊、2番隊の全員を招集。兵の確認が済み次第、城に帰還します」
「はっ!」
 ビシッと敬礼をし、アマゾネスは兵士たち招集の号令をかけた。
 最近、かすかな胸騒ぎがする。けれど、それが何かはわからなくて。リースはただ、い
つもと変わらぬ毎日を送っていた。

「さて。エリオットに稽古をつける時間ね。エリオットはどこかしら?」
 リースは時計を見て、立ち上がる。
 ローラントの王族たるもの、一流の武術者でなければならない。父も、母も優秀な戦士
だった。幼い頃、母に槍術の手ほどきを受けたのを今でも覚えている。
 今ではリースはローラントの王家の一員として、アマゾネス軍団長として恥じぬ実力を
持っている。ただ、弟のエリオット王子は今のところあまり武芸に興味がないらしく、武
術の稽古をすすんで受けようとはしない。
「…変ね…。どこに行ったのかしら? エリオットは…」
 いつもならすぐに見つかるのだが、どういうわけか今日はなかなか見つからない。
「お父様。エリオットがどこにいるかご存じありません?」
 リースの父、ジョスター王は目が見えない。戦で受けた傷が原因だそうだが、それでも
その障害を克服し、気配で人を察する。誰がどのあたりにいるか、大体わかる。
「ん? …この城にはいるぞ…。……どうも下の方にいるようだが…」
「まったく。稽古の時間から十分も遅れてるわ」
 少し苛ついて、リースは時計に目をやった。
「そう焦らなくても良いんだよ、リース。十分くらいで苛々しなくても」
 父は娘に優しく声をかけた。
「ええ…」
 苛立ちを隠せずに、リースは一応頷く。
「城の地下にいるようだ。すぐに見つかるよ」
「わかりました。地下に行ってみます」
 母が自分の命と引き換えにエリオットを産んで、どれくらい経ったか。
 優しくて、厳しい母だった。少しずつ、その面影は頭の中から薄らいでしまっていくけ
れど。胸に抱かれた甘く暖かい感触は忘れる事はない。
 弟エリオットは、その母との思い出を築く道を、産まれてすぐに断たれた。母の死に、
泣きじゃくりながら、姉として、母として弟を愛そうと心に決めたあの日。
 その誓いと、自分との約束を、彼女は今も忠実に守っている。
 それに、姉様姉様と自分にまとわりつく幼い弟は確かに可愛い。父も、エリオットは自
分よりリースによくなついていると苦笑する。
 目が見えていれば、父もエリオットに自ら武術を教えるところだけど。見えない目では
加減がわからない。いつだったか、父がリースに稽古をつけようとして、手加減ができず、
リースが怪我をしてしまった日があった。それ以来、リースは父が武器を握る姿を見た事
がない。
 戦士として再起ができぬ父の苛立ちを、リースは知っているから。そして、何もかもし
ょい込もうとする自分を案ずる父を知っているから。自分は強くならねばならない。全部
背負っても毅然と立っていられるように。
 リースは一つ息をついて、目を開けた。
「エリオットー? どこにいるのー?」

 そろそろ武術の稽古の時間だ。
「…あー…。時間だー…」
 エリオットはあんまり武術の稽古が好きではない。いつもは優しい姉が、その時ばかり
は厳しいからだ。
 どうせ姉様が迎えに来るから。その時までもうちょっと逃げてようかな。
 そう思ってエリオットは城の裏庭をぷらぷらと歩く。ここなら人気が少なくて、見つか
るのに時間がかかるだろう。
「坊ちゃん…。坊ちゃん…!」
 どこからか声がする。ローラントでは珍しい若い男の声のようだ。
「ん?」
「こっちこっち」
 振り返ると。いつの間に現れたのか、見たことのないような格好をした、覆面の男が一
人で立っていた。
「え? お前いつの間に…?」
「坊ちゃん、これから良いものを見せてあげよう。ほら!」
 男は、手にしたハンカチからぽんと花を出して見せた。
「! て…手品…?」
「そうだよ。じゃ、今度はこの輪をよーく見てるんだ。いいかい? 呪文を唱えると小鳥
が輪から飛び出すよ。ちちんぷいぷいのーぱっ!」
 ぽん!
 薄い煙りとともに、小鳥が輪から羽ばたいて行く。
「わぁーっ!」
 手品の興行を見たのは初めてではないけれど、こんなに間近で見たのは初めてだ。エリ
オットは思わず身を乗り出して、男に近づいた。
「さて、今度はもすこし凝った手品だよ。ぶんしんのぉーじゅつっ!」
 男の姿が一瞬、陽炎のように揺らめいたかと思うと、男の姿は二つに別れて、動作を揃
えて手を広げた。
「わあっ! すごい!」
「さあさあ、今度はもっとすごい手品だ。けど、これは外じゃできないんだ。なかなかす
ごい手品なんだけれど、地下でしかできない手品なんだ。坊ちゃん、どこか良い場所知ら
ないかい?」
「地下…? それなら、あっちに地下室があるんだ。そこなら良いだろ?」
「おお! 地下室ならあの手品にはうってつけ。それはどこだい?」
「こっちだよ!」
 エリオットは手品が見られると思うと、嬉しくて、喜び勇んで地下室へのドアを開けて
走って行く。
「…もう少しだ…」
 小さくつぶやく男の声など、エリオットの耳に入る事はなく。二人に別れた男は地下室
へと音も立てずに走って入って行く。
「ねぇ、地下での手品って、どんな手品?」
「それはお楽しみだ。もっと広い場所がいいな」
「こっちだよ。こっちなら広いよ」
 ローラントの地下室で広い場所といえば一つしかない。風を操る事のできる部屋で、ロ
ーラント城防衛には欠かす事のできない重要な場所。ただ、平和な日々が続いているため、
ここの重要性を、エリオットはイマイチ理解していなかった。
「おおー、ここなら広い。ここなら、あの手品をするのに申し分のない場所だ」
 覆面の男はわざとらしい声を出しながらも、素早く部屋を観察していた。
「ね、早く、手品、手品!」
 痛くて厳しい武術の稽古より、楽しい手品の方が良いに決まっている。エリオットは男
に手品をせかした。
「まあまあ、そう焦らないで。まだ自己紹介だってしてないぞ。えー、私は旅の手品師ビ
ルにござーい」
 ひどく演技がかった調子で、ビルと名乗る覆面の男は大袈裟に頭を下げて見せる。
「同じく旅の手品師、ベンでござーい」
 分身で別れたと思った男も、同じ調子で頭を下げて見せる。
「……分身の術じゃないの…?」
 よく見ると、二人の背格好はよく似てはいるものの、声は全然違うし、体格にも少し違
いがあり、よく見ると二人は、一人の分身でなくて、元々二人だったというのがわかる。
「坊ちゃん。坊ちゃんはここがどこだかわかるかな?」
「…え…? うん。わかるよ。ここはねぇ、風を操る部屋なんだよ。一応、誰でも入れる
は入れるけど、操る事をできるのは僕ら王族だけなんだ」
 エリオットはその危険さに気づきもせず、胸をはって答える。
「そうか。実はね、これからやる手品って言うのはね、なんと! 天国から人を呼び寄せ
る手品なんだ」
「え!? …もしかして…それって…、それって…、誰でも…その…、…お母様でも…呼び
寄せられるの?」
 とんでもない手品に、エリオットは息を飲んで、ビルとベンを凝視した。
「おうともさ。天国にいるなら、誰でも呼び寄せられるんだ。すごいだろう。…でも、そ
れには無風状態…、つまり風が吹いていない所でないとできないのさ。せっかく天国から
呼んできても、風に邪魔されちゃって呼ばれた人が吹き飛んじゃんだよ!」
「え? そう…なの…?」
「そう! だから、風が邪魔なんだよなぁ。なぁ、ぼうず…いや、坊ちゃん。君の手で、
ちょっと風を止めてくれないかな? そしたら、すぐにお望みのお母様を天国から呼んで
あげよう」
 なんと魅力的で、素晴らしい手品だろうか。肖像画でしか見た事のない母と、人づてで
しか聞いた事のない母と会えるとは。
 風を操る装置がすぐそこにある。操作の仕方はわからないが、止める事はできる。そこ
のスイッチを切るだけなのだから。エリオットは曲がりなりにも王族だから、この装置を
動かせるようにはなっている。
「…で、でも…。…その、この装置は触っちゃいけないって…お姉様が…」
「おやおや! 王子様は騙されてるんだね。風を切ってお姉様がたまにお母様に会ってる
の、お姉様は君にはひた隠しにしてるのに」
「そ、そうなの?」
 まさか。自分の姉が、優しい姉が自分にそんなウソをつくなんて信じられない。
「そ、そんな、お姉様が、僕に…そんなこと…」
「お父様だって君に隠してる。君がお母様に会うと悪い影響があるからと、君に隠してい
るのさ」
「……そ、そんな…まさか…お父様が……」
 その時だった。地上につなぐ階段から、リースの声がかすかに響いてきた。
「エリオットー? そこにいるのー?」
「お、お姉様だ…」
「! …さ、さあ、早く早く! お姉様に見つかっちゃったら、手品は台なしだよ!」
 手品師ベンの声があせっているようだ。さっきまでのおどけた調子がまるでない。
「…で、でも…」
「エリオットー?」
 声が段々近づいてくる。
 ビルは舌打ちした。リース王女の情報は集めてある。苦戦する相手とわかって戦う時間
は今はない。準備は整っている。あとは、風を止めるだけだ。
「ビル! もういい! ここまで来てるんだ!」
「くそっ! 早くしやがれ、このガキ! このスイッチだな!」
 ベンが怒鳴る。ビルはエリオットの手をつかむと、引っ張り上げて、エリオットの手で
スイッチを強引に切った。

 ごぅん。

「え…?」
 リースは一瞬、耳を疑った。一度だけ聞いた事がある音だ。父が、この地下室での装置
を説明する時に聞いた音だ。風の操作の仕方を、切ってはいけないスイッチの事を教えて
くれた時。あのときは万全の準備をしてから、切ったスイッチだ。今は、違う。
「エリオット!? いるの!?」
 リースは目の前にある地下室の扉を勢いよく開いた。
 バターンッ!
 そこで目にした光景は、怪しい覆面の男二人と、その二人に取り囲まれたエリオット。
「お前達は…!」
「お姉様ぁーっ!」
 叫ぶエリオット。
「何をしているのです! エリオットを離しなさい!」
 入り口付近に立て掛けてある棒を手に取り、リースは二人に襲いかかった。
「ベン!」
「おう!」
 覆面男は、懐から短剣を取り出してエリオットともう一人の覆面男の前にたつ。
「どきなさい!」
 素早い短剣を避け、リースは棒を振り回す。
 どがっ!
 棒を、横腹から間に受けて、ベンと呼ばれた男は吹っ飛ばされた。
「げ」
 もう一人の覆面男はリースの強さに一瞬呆然とする。
「エリオットを離しなさい!」
「チッ、ちくしょ…!」
 エリオットを人質にとろうと、短剣を懐から取り出すスキに、リースの棒が男に炸裂す
る。
 ばしっ
「がっ!」
 短剣を持つ手に棒をくらい、手は思わず短剣を手放す。そして、エリオットはリースに
引き寄せられ、そのついでにまたも棒をくらう。
 ごんっ、べちゃっ!
 床にたたきつけられ、ビルはわずかに痙攣する。
「くっ!」
 リースは装置までダッシュすると、急いでスイッチをまたいれる。
 ごぅん。
 スイッチは入れたものの、また、風が吹き出すまで時間がかかる。
 風はすぐに止むけど、また吹くまでに時間がかかるから。滅多な事ではこのスイッチを
切ってはいけないよ。
 父の言葉が頭の中でよみがえる。
「お前達は何者です! 何の目的で城の風を切ったのです!?」
 横たわるビルの胸倉をつかみ、リースは詰問する。
「へっ…。知りたいか? 城に行ってみりゃわかるよ…」
 覆面がはがれ、男の顔が薄暗い明かりに照らし出される。自分とそう変わらない年齢の
男で、そばかすが鼻のあたりに散らばっている。
 この風はローラント防衛に欠かせない重要な風だから…。
 父の言葉がまたよみがえる。
 防衛に欠かせない風…。…それを止める…。…すなわち……侵略…!
「まさか…!」
 リースは青ざめて立ち上がる。
 風の装置は王族の手でよってしか動かせないようになっている。ここに男たちを残して
いっても、風の装置はいじられる心配はない。
「エリオット! 来るのよ!」
 力無くしゃがんでいるエリオットの手を引っ張り、リースははじかれたように走りだし
た。
 まさか…! まさか…!
 階段を駆け登りながら、リースは極度の焦りと恐怖を覚えた。エリオットをつかむ手が
汗でゆるんでくる。
「ね、ねえさま…、く、くるし…も、はしれない…」
 後ろから聞こえるエリオットの声も、今のリースには届かなかった。
 長い階段を駆け登り、扉を力任せに開ける。
 バンッ!
 扉は勢いよく開いた。
「っ!」
 この時の衝撃を、リースは一生忘れないだろう。
 ローラント城内には、次々と火矢や爆弾が放たれ、どこに隠れていたのかというニンジ
ャの数。あちこちからあがる火の手と煙り。
 城に侵入したニンジャ達はそこかしこで煙り玉をなげつけ、アマゾネス達を撹乱してい
た。
「…なんて…ことを…」
 リースは呆然と立ち尽くし、エリオットの手を離した。
「…お父様……お父様は!」
 かつては歴戦の戦士だったとはいえ、剣を握らなくなって久しい。そして、父は目が見
えないのだ。
「エリオット、来なさい!」
 リースはそう叫ぶと、玉座へと走りだした。
「待って…! お姉様…!」
 背後からかすかに弟の声。
 まさに地獄絵図だった。
 炎と煙りに包まれる城内。はびこるニンジャども。倒れる同胞の数々。
 なにかとニンジャ達が投げ付ける煙り玉には毒が含まれているのか、吸うたびに体が重
くなるようだ。彼らは覆面のおかげで煙り玉の被害もあまりないようだ。
 近くで倒れていたアマゾネスの槍を拾い、次々と襲い来るニンジャを片っ端からなぎ倒
し、リースは玉座へと走った。
 いつもと違う風景の城内を突っ走り、無我夢中で走った。
「お父様!」
 玉座の間に駆け込むと、父が一人で数人のニンジャ達と戦っていた。側近のアマゾネス
達はすでに倒されたらしく、身動きもせずに横たわっている。
「お父様は目が見えないのよ! こんな人数で…。卑怯者!」
 リースは怒りに燃える目でニンジャ達に襲いかかった。
 力任せに容赦もなく、リースは複数のニンジャ達をなぎ払い、刺し殺した。
「はぁっ、はぁっ…、お父様!」
「リース…。はうっ…」
 体の至る所から血を流し、ジョスターはぐったりとへたりこむ。それをリースは慌てて
支えた。
「お父様! 気を確かに! しっかりして下さい!」
「リース…。リースか…。……エリオットは…どうした…?」
「え?」
 リースはかすれた声を出す。怒りに我を忘れ、弟の事をすっかり忘れた。
「ど、どうしよう! エ…、エリオットがいない…? ついて来ていない? どこに行っ
たのかしら?」
 絶望と後悔が同時に押し寄せ、リースはただオロオロとする。
「………大丈夫…エリオットは…まだ生きているようだ…。けれど、気配が遠のいた…。
連れさられたのだろう…」
「そんな…どうしよう、どうしよう…」
 今にも泣きそうな顔で、リースはジョスターを抱えたまま首を振る。
「…はぁ…はっ…、こ、この日が来るのを…風が…泣いて知らせてくれていたのに…。…
油断…したか…」
「ううっ…。お父様…」
 息も絶え絶えに、ジョスターは口から血を流しながらつぶやく。
「……私はもう駄目だ…。…この城は間もなく敵の手に落ちる…。…そしたらリース…お
まえは王女だから…どんな目にあうか…。…リース…逃げなさい…」
「嫌です! お父様を置いて行けません!」
 リースは涙を流しながら叫ぶ。
「逃げなさい…。逃げるんだリース…! 私の事はいい。おまえはエリオットを…探すん
だ…。生き延びて…エリオットを…。だから…行きなさい! リース!」
「お父様!」
「…私はもう死ぬ…、けれど、エリオットは生きてるんだ…。リース…、エリオットを! 
行きなさい! 私の…父の最後の願いを…聞いてくれ!」
 ぶるぶると震える手で、ジョスターは娘の腕をつかむ。
「お父様……!」
「さあ…!」
 どんっ。
 最後の力を振り絞り、父は娘を突き飛ばした。
「うっ…ううっ…」
「はやく…逃げ…ロ…」
 涙で父の顔がゆがんでいく。ふらつく足取りで、何度も振り返りながら、リースは父か
ら離れていく。
「げほっ、げほげほっ!」
 煙りが喉に引っ掛かって激しくむせた。行きたくない。でも、行かなければならない。
「ううっ…!」
 リースは、目をぎゅっとつぶると、振り返らずに駆け出した。王族でしか知らない抜け
道を使えば、敵に見つかる事なく城を抜けられるだろう。
 玉座の後ろにある隠し階段への道を開け、するりと中に入ると、階段を駆け降りる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
 涙と汗を流しながら、リースはともかく抜け道を駆け抜けた。
 せまい階段を上り、小さな扉を開けた。外の新鮮な空気が流れ込む。
「はぁっ…、はぁっ…、はぁっ…」
 涙を拭きもせず、リースはローラント城のある方に目を向けた。
 愛する人々がいる、大切な美しい城は、炎上し、黒い煙りをあげていた。
「…うっ…うっく…ふえっ…、うっうっ………うええぇぇぇぇええんん!」
 リースはへたり込み、声をあげて泣いた。後から後から涙が出てきて止まらなかった。

 どれくらい泣いたか。風が自分の前髪をなぶっている事に気づいた。
「…今更…、いまさら…、風が…ふいても…!」
 悔しかった。悲しかった。
 大好きな風が、今はただただ恨めしかった。
「うっく…ん…、んく…」
 涙を腕でごしごしとこすり、リースは槍につかまってのろのろと立ち上がる。
 エリオットを探さなければ。父はエリオットはまだ生きていると言った。父の遺言は、
ここから逃げろという事と、エリオットの事…。
「……行かなくちゃ…」
 自分に言い聞かせ、リースはぎゅっと拳を握り締める。
 何をすれば良いかわからない。どうすれば良いかわからない。けれど、父の遺言は守ら
なければ。それに、今はそれをやる事意外、何をすべきかまるでわからない。
 昨日までの幸せはもうない。
 それが、今の現実。
 あんまりだ。
 リースは生まれて初めて女神を呪った。

 頭の中で巡るのは父親の事ばかり。
 笑う父、怒る父、困る父。そして、優しい笑顔。いくつもの父親の言葉がこれでもかと
思い出される。
「そうだねぇ、リース。困った時は、聖都ウェンデルにいらっしゃる光の司祭を訪ねると
良いよ。私も若い頃、一度ウェンデルに行ったんだけどね……」
 父親の言葉にリースはハッとなって顔をあげた。
 あの言葉はいつどういう時に言われたものなのだろうか。確か、ひどく困った時に相談
に行ったという話ではなかったろうか。
「……聖都…ウェンデル…。……お父様の導き…」
 父親の言葉だ。行くしかない。というか、他に行く場所が皆目わからなかった。
「…困った時に知恵を借りるのは悪い事ではないと、お父様もおっしゃっていたわ…。な
にか…なにか良い知恵を授けて下さるに違いない…」
 そうだ。なにか行動しなければ。ここでしゃがんでいても、事態は好転しないだろう。
「聖都…ウェンデルへ……」
 リースはすっくと立ち上がった。行く場所が決まったなら準備をしなければならない。
「…聖都ウェンデルへは…パロからジャドの船にのって…ジャドからウェンデルへ行けた
はず…。…旅…。準備を…しなくては…」
 そして、色々考えはじめた。
 目的ができれば、あとはそれに突き進むだけだ。リースはもう、なるべく余計な事を考
えないようにして、ウェンデルに行く事だけを考えようとした。
「…お金が…、抜け道の箱に常備してあるはず…」
 ぶつぶつと小さくつぶやきながら、リースは抜け道の入り口を開く。そして、数歩行っ
た先にある古ぼけた木箱を開ける。
 中には、革袋にはいったお金が入っている。もしもの時のために木箱にずっと入れてお
いたものだ。使う事などないだろうと思っていたのだが…。
 …そういえば、これも父が準備しておけと言ったものだったと思い出す。
「…お父様…」
 こんなところで父親に助けられたかと思うと、また涙があふれてくる。今は余計な事を
考えたくはないと思っていたけど、どうにもできるものではなかった。
 ふと、自分の髪の毛をかきあげる。そして、いつもいつも身につけている母の形見のリ
ボンの事を思い出した。
 髪を結んでいるリボンをほどき、目の前に持ってくる。
 何もかも、失ってしまったと思っていたけれど。
 一切合財すべてを失ったわけではなかった。
 リボンとお金の入った革袋をぎゅっと胸に抱く。
「…お母様……。お父様と…みんなを頼みます……。私は…私はエリオット必ず見つけだ
します…。そして、二人で…ここに戻ってきます…。必ず…必ず…!」
 そして、ローラントの復興を!
 涙をぽろぽろと落としながら、歯を食いしばり、リースは母に、そして自分に誓った。
 どんなに時間がかかろうと、必ずこの悲願を達成すると。



                                                             to be continued...