徴候



「っ!」
  ホークアイは目を覚ました。
「………………?」
  一瞬、ここがどこか把握できなくて、天井を凝視した。低く、薄汚い天井だった。
「…そっ……か…」
  ここが宿屋であるという事を思いだし、ホークアイは小さくため息をついた。全身
汗びっしょりだ。
  ふと、隣を見ると、ケヴィンが大口をあけて幸せそうによだれをたらしながら寝て
いる。羨ましいと思ったが、すぐにカールの事で泣きながら寝ていた夜の事を思い出
す。
「…………ふぅ…」
  汗をぬぐい、ホークアイは上半身を起こした。最近、イヤな夢をよく見る。疲れを
とるはずの睡眠が、逆に疲れが増しているようである。これでは、眠るのもイヤにな
ってしまう…。
  細いはしごをつたって下に降りると、洗顔を終えたのだろう。肩にタオルをかけた
デュランが部屋に入ってきた。
「よう、起きたか。おはよ」
「…あ、ああ…、はよ…」
「顔洗ってこいよ。気持ち良いぜ。…あ、それよりも朝風呂にでも入ってくるか? 
 昨日風呂も入んなかったろ?」
「朝風呂?  入れんのか?」
  このような小さな宿屋で朝風呂に入れるというのは珍しい。
「温泉引いてるらしいからな。年中風呂はOKだとよ」
「そっか…。じゃあ、そうさせてもらうか…」
「ああ」
  ホークアイは簡単に風呂に入る用意をすると、デュランに場所を聞いて風呂場へと
向かった。腹もどうしようもなく減っていたが、まずこの汗と疲れを洗い流したかっ
た。


「ふぁーっ…。良い湯だった…」
  あの嫌な夢も、昨日の疲れも温泉の気持ち良さにはかなわない気がした。これで飯
でも腹一杯食えればきっと満足だろう。
  だいぶ気も良くなってホークアイは小さく口笛をふきながら廊下を歩いていた。
「…でさ…、…だと、そうするしかねーじゃん…」
「ふふふっ…、そうですよね…」
  食堂の前で、デュランとリースが仲も良さげに談笑していた。
  ぐ…。
  さっきの気分も吹き飛んでしまい、ホークアイの内心はまた薄暗くなる。
「あ、ホークアイ。風呂気持ち良かったろ?」
  デュランの方がホークアイに気づいて、笑顔で話しかけてくる。ホークアイの内心
はさらに複雑になる。だが、ホークアイはそれをぐっと飲み込んだ。すぐに笑顔をつ
くる。
「ああ。まさか温泉に入れるとはなぁ」
「ここらへんでは、ちょっと有名らしいですけどね」
  まぶしいリースの笑顔が、今のホークアイには何だか逆効果な気がしてならなかっ
た。
「ちょっと!  そんなとこに突っ立ってないでよ!  邪魔じゃないのよ!」
  不機嫌そうなアンジェラがヌッと出てきて、デュランとリースの間を割って入ると
ずかずかと食堂に入っていく。
  違う意味で素直なアンジェラに、ワガママと思ったり、逆に羨ましいと思ったり。
「ひゃーもー、シャルロットおなかぺこぺこでちよう!  なんか食べるなんか食べる
ぅ」
  ぱたぱたとシャルロットもやって来た。後ろからケヴィンもあくびをしながら続く。
「そうだな。さぁーて、メシメシ」
「おう!  メシメシ!」
  ケヴィンはちょっとだけデュランの真似をして、食堂に入った。
  ホークアイは小さなため息をつく。それからやや意気込んでかすかな笑顔を作ると
食堂へと入って行った。


「やっぱり…また歩くのね…」
  ゲンナリした様子で、アンジェラはいつ終わるかしれない街道を眺める。シャルロ
ットの方もまだ歩いてないというのに疲れた顔になる。
「しょうがねぇだろ。歩かないと進まねーんだから。それに、ここで2泊するより、
街で2泊した方が良いに決まってんじゃねーか」
「そりゃ…。わかってはいるけどさぁ…」
「もーちょい、楽して行く方法ないでちか?」
「おまえはいつも楽してーんじゃねーか。ほら、行くぞ」
「ふぃー…」
  シャルロットは長いため息をついていたが、やがて仕方無さそうに歩きだした。
  街へはまだ遠そうである。


「もぉー、いやぁーん、シャルロット歩けましえぇーん」
  情けない声を出して、シャルロットがへたりこんだ。
「私もー…」
  それを見たアンジェラもその場にへたりこむ。
「……ったくもー…」
  デュランはそんな2人を見てため息をついた。
「あの…デュラン…そろそろお昼にしませんか…?  もう日も高いですし…」
  二人を気遣って、リースがそう言う。
  …またデュランか……。
  また、皮肉な感情が芽生える。
「…………そうだな、そうするか…」
  ちょっとだけ目を閉じて、デュランはそう言った。
「メシか?」
「メシだ」
「わーい」
  ケヴィンは素直に喜んで、早速荷物を下ろそうとする。
「お、おいおい、何もこんな街道の真ん中で休むわきゃないだろう。あのへんまで行
こうぜ」
「もう歩けないんでちってばぁ…」
「あそこぐらいまでなら平気だろ。オラ、立った立った」
「ふぐぅぅー」
  へたばったシャルロットの手をとって、デュランはぐいっと持ち上げる。
  仕方なく、シャルロットも立ち上がって歩きだすと、アンジェラも杖にしがみつき
ながら立ち上がる。
  街道から少しはずれた大きな木の下で、パーティはそれぞれに座ってランチタイム
となった。
「あそこの宿屋、これだけの弁当で良い値段しやがったなぁ…」
  愚痴りながら、デュランはチキンサンドをほお張る。
「仕方ねーよ。小さいし、他に競争相手もないからな。あれくらいの値段は覚悟しと
いた方が良いよ」
「…うん…」
  あんまり納得できなそうに、もしゃもしゃと食べている。
「あーっ!  これニンジン入ってるでち!」
  シャルロットは目ざとく、ジャンボミートボールの中に砕かれて入っていたニンジ
ンを発見した。
「またぁ?」
  アンジェラがあきれてシャルロットを見る。アンジェラも食べ物の好き嫌いはある
にはあるが、シャルロットほどではない。
「ケヴィンしゃん、あーんするでち。あーん」
「あーん」
  そして、シャルロットは自分の食いかけのジャンボミートボールをケヴィンの口の
中にほうり込む。
「おまえなー…、自分の食いかけをケヴィンに食わすのいーかげんにやめろよ…」
「そーよ」
  珍しくデュランとアンジェラの意見が一致する。
「だって、シャルロットは食べたくない、ケヴィンしゃんは食べたい。リガイがイッ
チしてるじゃないでちか!」
「そういう意味じゃなくてよー…」
「…あ、でも、デュランもシャルロットの食べかけを食べてるじゃない」
  アンジェラが思い出してデュランに向かって口をとがらせた。
「ありゃ食べ残したもんだろ。あれはもったいねーじゃん」
「食べかけと食べ残しってどう違うのよ?」
「どうって………」
  デュランも言葉をつまらせる。はっきり言ってたいした差はないだろう。
「いーよ、そんなのどうだって…」
  ホークアイは会話を聞くのに疲れて、お茶をすする。
  食べ残しをもったいないと食うのはデュランとケヴィン。たまにホークアイ。残飯
処理係であるのは否めないが、別に悪い事だとは思わない。
「だーっ、もう、おめーはもうー…、なんでそう、こぼさねーと食えねーんだよ…」
「ほら、ソースがついちゃってますよ」
「うきゅー、もーほっといくだしゃいでちぃ」
  デュランとリースがよってたかって、シャルロットの顔や服についた食べかすやソ
ースをぬぐっている。実際シャルロットの食べ方はお世辞にもキレイとは言えない。
ケヴィンもキレイな食べ方とは決して言えないが、マナーがなってないだけで、食べ
物をぼろぼろとこぼすような食べ方はしない。
  二人にかまわれて、うざったそうなシャルロットだが、心底嫌がってはいないだろ
う。
  あの二人は子供の面倒を見るのが好きなのだろう。リースなんかはもろに子供好き
で、かまいたがりだし、デュランはあんまり表に出そうとはしないが、甘えてきたら
放っておかない。
  シャルロットは自分が甘えん坊だとわかってて甘えるタイプ。だからこそ、人を選
んで甘えている。彼女がアンジェラやホークアイに甘えてくる事はまずない。自覚症
状がなく、ただの自分勝手ワガママのアンジェラよりかは、まだマシなのかもしれな
いが…。
  しかし、アンジェラじゃないが、少しシャルロットが羨ましい気はする。別にかま
ってほしいわけじゃないが、リースにちやほやされるのは悪くないだろうと思う。
「さってっと…。行くかぁ…?」
  だいぶ休んで、デュランが立ち上がると、みんなも立ち上がりはじめた。
「シャルロット、ちゃんと水筒の蓋をしめた?  ポケットにハンカチとちり紙は? 
 忘れ物とかないわね?」
  …うざったいだけかもしんない……。ホークアイは心の中でちょっと前言撤回した。


「あーっ!」
  モンスターの襲撃を退けて、一息ついてホッとしていた時だった。
  回復魔法の呪文の途中だというのに、シャルロットはいきなり大声あげて立ち上が
ったのだ。
「なに…、どうしたのよ…?」
  アンジェラが怪訝そうな顔でシャルロットを見る。
「わす、忘れちゃったでち!」
「なに?  呪文を?」
「違うでち!  お昼食べた場所に、ちびっこハンマー忘れてきちゃったでちぃー!」
「なにーっ!?」
  ほとんどのパーティの声がハモった。
「なんであんなもん忘れたりするんだよ!?」
「だ…、だってだって、持ち運びに便利だって、売るハズの鎧をちっちゃくしたじゃ
ないでちか…、あの時、またあとで使おうと思って木の所に…」
「おまえ、荷物とかちゃんと調べたか?」
「あうぅ、調べてみるでち」
  青い顔で、自分の背負い袋を下に降ろして、逆さまにひっくりかえす。がちゃがち
ゃとシャルロットの荷物が落ちる。どれもこれもちびっこハンマーと思われるものは
ない。
「ないでち、やっぱりないでち!」
  大きくはないが、決して小さいものではない。背負い袋の中に入ってあるならすぐ
にわかるだろう。
「ないでち…えぐえぐ…ひっく…ないでち…」
  半ベソかいて、背負い袋を必死にまさぐるが、ないのだろう。ちびっこハンマーは
シャルロットのお気に入りで、あまり他の人に貸すのを嫌がる程なのだ。
「…どうしよう……どうしよぉー…、…っく、えぐ…うわぁーん」
  とうとうシャルロットは、背負い袋を抱き締めて、泣き出してしまった。
  みんなどうしようかと顔を見合わせる。
「はぁーっ…」
  デュランが深いため息をつくと、自分の荷物を降ろし始めた。
「?  どうするんだ、デュラン?」
「俺、ちょっと行ってくるわ。わりぃけど、待っててくれ」
「お、う、うん…」
  荷物を渡され、ケヴィンは慌ててそれをしっかり持ち直す。デュランは剣だけもっ
て、もと来た道を走りだした。
「あ、デュランしゃ…」
  気が付いてシャルロットが声をかけようとしたが、デュランの姿はもうだいぶ小さ
くなっていた。
「…じゃあ…、待ってましょうか…」
「そうね…」
  パーティは街道から少し外れると、その場に腰を下ろす。思わぬ休み時間であった。
  シャルロットはずっとぐずっていたが、他の面々は言葉も少なめにボーッとしてい
た。
  ホークアイはヒマなので、作りかけの仕掛けを取り出して、完成させる事にした。
ごく簡単なトラップで、モンスターにスキを作るくらいのものである。ダメージはそ
れ程ない。だが、そのスキが重要で、それさえできればほとんどの戦局は楽に好転す
る。
  ふと、空を見上げた。どんよりと曇って、今にも降り出しそうな雲行きだった。
  イヤな感じがした。
「……雨……降りそうだな…」
  ケヴィンも気づいたらしく、空を見上げてつぶやく。
「降られたら困りますね…」
「降らないでほしいなー」
  だが、そんなパーティの願いも空しく、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
  小雨が続くなら良かったが、本降りになってきそうな雰囲気である。
「やーだー、もう。降ってきちゃったじゃない」
「雨宿りするか?」
「でも、このへんで雨宿りできる所ってありますか?」
「…………………」
  言われて、ホークアイは周り見渡してみたが、ここら付近はひらけているので、雨
宿りできそうな場所は随分先か、随分戻らないといけない場所にある。ホークアイは
濡れないように注意して地図を取り出すと、さっと眺める。
「…うー…ん…、もーちょっと…って言うにはちと遠い所に、つぶれた茶屋があるら
しい…。…雨宿りはできそうだけど…」
「……みなしゃん先に行っててくだしゃい。シャルロット、ここで待ってまちから」
「…ここで待ってるって…」
「…だって、こうなったのはシャルロットのせいなんでちもん。デュランしゃん、こ
こで待ってろって言ってたでちもん。シャルロット待ってる」
  ポンチョを取り出して、シャルロットはかぶりはじめる。これはだれがどう言って
も絶対待つだろう。
「でも、あなた1人で…」
「平気でちよ。シャルロット、こりでもけっこう強くなりまちたち。回復魔法だって
あるんでちから」
  赤く腫れた目で、シャルロットはニッとほほ笑んでみせた。
「ホークアイしゃん、その茶屋までどれくらいかかりそうでちか?」
「え?  あ、ああ。そうだな…。これくらいだと…、走ればまぁ、20分弱くらいで
行けそうだけど…」
  いきなり話しかけられるとは思っておらず、ホークアイはちょっと戸惑った。
「じゃ、みなしゃん、先に行ってると良いでち。それくらいならゆーゆーに追いつけ
まちよ」
「追いつけるって…」
「だいじょぶでちったら!  シャルロットがしんよーできないんでちか?」
  実を言うとそうなのだが、そうハッキリ言えるワケでもなく。もちろん、シャルロ
ットを人間的に信用していないのでなく、1人でいる事にの安全性等の信用がないの
であるが…。
「…どうするよ…?」
  ホークアイはパーティの面々を見回した。
「オイラも待ってる。シャルロット1人だとやっぱり心配。デュランも心配」
  そう言って、ケヴィンも雨具として使っているマントを取り出した。
「そうですね。私も待ってます」
「…………………」
  普段の自分なら、迷わずここでデュランを待てただろう。こんなに苛立ちを覚えず
に素直に待てるハズのに…。この苛立ちは何だろうか?
「ホークアイ、荷物だけでもお願いできますか?」
「へ?」
「すみませんけど、濡れて困る貴重品だけでも、持って行ってもらえませんか?  
それに、パーティの財源を持っているのもあなたですし…」
「…………………」
「そーでちね。…なんなら、ケヴィンしゃん、あんたしゃんも荷物持って行くと良い
でちよ」
  シャルロットまでもそんな事を言い出した。
「でも…」
「ケヴィンしゃん、力持ちでち。きっとここにいる誰よりもたくさんの荷物持てるで
ち。荷物は濡れるより濡れない方が良いでち」
「……シャルロット……」
「デュランしゃんに、濡れてないタオル出せるでちよ」
「……そっか…。…わかった…。じゃあ、オイラ荷物、持てるだけ持ってあっちで待
ってるから」
「はいでち」
  ケヴィンは本当に持てるだけ持ちはじめた。それを、ホークアイはぼんやりと眺め
ていた。
「ホークアイ?  ホークアイ!」
「へっ?」
「お願いしますね。私たち、ここでデュランを待ってますから」
「…………あ…………ああ……」


  そして、ホークアイも荷物を余計に持って走りだした。ケヴィンは黙々と、アンジ
ェラは悲鳴をあげながら自分に続いているようである。
  雨は本降りになっていた。激しい雨ではないが、ずっと降り続いている。
「ちょーっとホークアイ!  あんた自分のペースで走るんじゃないわよ!」
  アンジェラが後ろで怒鳴っている。しかし、ホークアイは聞こえてないように、ペ
ースを下げる事はなかった。
  どれだけ自分が間違っている感情を抱いているか、わかっている。けれど、この苛
立ちはどうしようもないほど、自分の中で膨れ上がっていた。
  つぶれた茶屋は思ったほど遠くはなかった。
  戸を無理やり開けて中に入る。さすがにつぶれただけあって、雨漏りもしていた。
しかし、外にいるよりかははるかにマシである。
  荷物をどかどかと降ろしていると、ケヴィンも「ひゃー」とか言いながら入って来
た。
「荷物、あんまり濡れてないと良いけど…」
  言いながらマントでかくした荷物を降ろす。
「んもーっ!  さっさと行っちゃうんだから!」
  アンジェラがぷりぷり怒りながら入って来た。
「ちょっと、ホークアイ。あんたが足速いってのはこっちもじゅーぶん知ってるけど
ね。相手のペースに合わせるって事しなさいよ!」
  荷物を降ろすより先に文句が出るのがアンジェラらしい。
「聞いてんの!?  んもーっ!」
  ぼんやりしたまんまのホークアイ。濡れた髪の毛もふかず、ただただ、ぼんやりし
ている。
「?  …ホークアイ…どうかしたか…?」
  ケヴィンが心配そうに顔をのぞき込んできた。
「…あ、いや…何でも…ねえよ…」
  ホークアイはすぐに我に返って、笑顔を作って見せた。


                                                     to be continued...