「あら、これ美味しいわね」
 魚のムニエルを一切れ口に入れて、アンジェラが言う。
「あ、本当ですね」
 リースもそれを一口。
 なかなか良い雰囲気のレストランである。アンジェラ達が泊まったホテルにあるレスト
ランでなかなか評判が良いらしく、ホテル客でない人も食べに来ているようだった。
「久しぶりねー。こんなキチンとした食事って」
 上品にナイフとフォークを動かしながら、アンジェラはムニエルを切る。
「本当ですね」
「大体ナイフやフォークやスプーンが用途別に用意されてる食卓って久しぶりよね。大体
が全部一つですましちゃうし」
「そうですね」
 今まで使っていたナイフとフォークを空の皿の上におく。彼女たちの仕草一つ一つはど
れもマナーにかなっているもので、気品もある。
「ホークアイは安めって言ってたけど、その割には良いとこね。ちょっと古臭いけど」
「そうですね…。食事こみの食事でこれだけですからね…」
 上品に口元をふくリース。なんとなく、旅に出る前の生活を思い出す。少し悲しくなっ
て、リースは小さく首をふった。

「ふぅー…」
 バスタブに浸かって、アンジェラはゆっくりと横たわる。バスタブいっぱいの泡と、バ
スルームいっぱいにひろがる花の香りが心地良い。
「ちょっと小さいけど、泡風呂なんて久しぶりねー」
 いつもは広いが大衆用の風呂だったのだが。個人用というのも初めてというか、久しぶ
りというか。
「ふふふ」
 泡を手にとって、それをふーっとふくと、シャボン玉になって飛び出す。
「さぁって、玉のお肌に磨きをかけなきゃね」
 なめらかな自分の肌を指でなぞる。白くキメ細やかな自慢の肌である。


 一方。こちらはデュラン達。銭湯…というよりかは湯かぶり屋みたいなところで汗を流
しおとしてきたところである。少し大きめの水槽に湯があって、それをタライで汲んでか
ぶる。汗が流れればそれで良い。というような銭湯より安いのが売りである。もちろんす
いてれば好きなだけ湯がかぶれるが、あいにくデュランと同じように、日雇い労働者がつ
めかけて湯を汲むにも前の人が汲むのを待たなければならなかった。
 湯かぶり屋の前でシャルロットを待っていると、なにやらムスッたれた顔で出てきた。
「どうしたんだ、おまえ?」
「…お風呂に入ろうと思ったら、お風呂じゃないって、怒られたでち…」
「あー? おまえ知らなかったの? あれ風呂じゃねぇぞ」
「し、知らなかったんでちよう! あれじゃ湯船につかるなんてできないじゃないでち
か!」
「しゃーねーだろ。そーゆートコなんだから」
 シャルロットが来たので、デュランは歩きだした。それにケヴィンが続き、シャルロッ
トが続く。
「まぁ、汗をそのままに寝るってよりかはマシだろ。野宿みてぇにモンスターが襲いかか
るわけでもねぇし」
「…そりゃそうでちけどね…」
「でも、バイゼルって、こんなとこあるんだな。知らなかった」
「来る必要なかったからな」
 さすがにデュランも苦笑する。こうなってしまったのに不満はないが、剣がない事だけ
が、彼の不安だった。
「デュランしゃん、肩車して、肩車」
「俺は疲れてるの。ケヴィンに頼めよ」
「ケヴィンしゃん、肩車、肩車!」
「おう、乗れシャルロット」
 ケヴィンがかがんでやると、シャルロットがぽんと飛び乗る。どうやら彼は本気で疲れ
知らずのようである。
「あー、やっぱり高いと良いでちね。風が気持ち良いでちね」
 夕闇の中、吹き抜ける風が気持ち良い。シャルロットは目を閉じた。
「そういやー、ホークアイしゃんはどーしたでちか? ホークアイしゃんもアンジェラし
ゃん達と一緒に泊まるでちか?」
「いや、あいつはあいつでなんか仕事探すんじゃないかな? まぁ、ヤツのこった。なん
とかするだろう。ああそうだ。ヤツと中央広場で落ち合うんだけどよ、おまえらも来るか?」
「行くぞ」
「行くでちー」
「じゃ、行こう」
 そして、彼らはバイゼルの中央広場を目指して歩きだした。


  夜のバイゼルは、ブラックマーケットがある関係でにぎわいを見せるのだが、さすがに
今はブラックマーケットが休みとあって前ほどのにぎわいはない。
「んーと…、中央広場の木の下のベンチ…」
「あ、いたいた。ホークアーイ!」
 夜目のきくケヴィンがすぐにホークアイを見つけだす。
 あちらもこちらに気づいたらしく、手を振っているようだ。ケヴィンは早速駆け出して、
デュランはそれにゆったりと続いた。
「よう!」
「ようでち!」
「よう…。元気だなおまえら…」
 すこしあきれて、二人を見る。懐の寂しさが心にも影響されているような気がするホー
クアイはそんなに元気がない。
「よう。どうだー?」
 デュランがやっとここまでやって来る。
「お姫様がたはホテルさ。ミスコンの日には直行してもらう。まぁ、腐っても王女様だか
ら、気品とかはくさるほどあるだろーけどな」
「なにふて腐れてんだおまえ?」
 ホークアイの腐れた口調に、デュランが尋ねる。
「………ヤツらの会話聞いてると、ふて腐れたくもなるんだよ。庶民がヒィヒィ言いなが
ら生活してんのに、ドレスだ、化粧品だ、ブランドだなんだもう! 付き合っちゃらんね
ぇっての!」
「しゃあねえだろ。仲間なんだから」
「……………まぁ………そうなんだけど………」
 デュランほど割り切れる性格ではないから、ホークアイはため息をつく。そもそも、彼
は王族とかは嫌いなのである。庶民の税金でのうのうと暮らしているかと思うとどーにも
腹立たしくなってきたりする。
「いいんじゃないか? アンジェラの魔法役立つし、リースいると助かるし」
「…………いや………わかるんだけど………」
 彼女達個人としてはともかく。やっぱり王族や貴族は好きになれない。
「んで、おまえの方はどうなんだ?」
「あ? ああ。ホテルの従業員のクチがあったんで、そこにした。まぁ短期でも雇ってく
れて助かったよ。おまえらは?」
「ミスコン会場の設置の仕事にした。まぁメシも寝所も提供してくれるし、シャルロット
もいてもOKだって言うから助かったよ」
「そっか」
 どうやらこっちは大丈夫そうである。無邪気なケヴィンとシャルロットを眺める。もう
暗くてよくわからないが、仲良くじゃれているくらいわかる。
「えっと、俺が働いてるホテルはクラシコホテル。あそこに見えるヤツだ」
「へぇー、なんか高級そうなホテルじゃねぇか」
 ホークアイが指さすホテルを、デュランは目をこらして眺める。もう暗いので見にくい。
「まーな。レストランの食事と古さだけが自慢の、そこそこの高級ホテルだ」
 アンジェラ達が泊まっているのもそこなのだが、イヤな気分になるかもしれないと思っ
てホークアイは言わなかった。
「俺たちはブラックマーケット近くにある簡易宿舎だ。そのへんで働いてるヤツに聞けば
すぐにわかると思う」
「わかった。ちょっと俺の場合、仕事中は会えそうにないから、何かある時は俺から行く
わ。今の時間なら少し自由になれるからな」
「ああ。たぶん、シャルロットの事言えば、俺たちだってすぐにわかるよ」
「そうだな」
 そんな力仕事の現場に、シャルロットのような女の子なんて珍しいし、よく目立つだろ
う。きっと現場では違和感だろうなと思うと、ちょっとおかしい。
「たぶん、ミスコンの日までバイト生活があるだろうけど…」
「ああ、わかってる」
「悪いな」
「……なんでおまえが謝るんだ?」
「……いや…まぁ……、……その、おまえの剣を質に入れるって言ったの俺だし…」
 やはりそのへんは悪いと思う。デュランが剣を大事にし、いつも手入れしているのはホ
ークアイでなくとも知っている。
「…しゃあねえよ。それしかなかったんだし…。火事にあったのが不運だったからな」
「……………………うん…」
「気にならねぇっつったらんなことねぇけど。仕方ないなら、仕方ないよ」
「………うん…」
「シャルロット眠いのか?」
 ふとあがるケヴィンの声に彼らを見ると、なにやらシャルロットが眠たそうである。昨
夜もよく寝ていないし、疲れたのだろう。
「あ、やべ、俺もそろそろ戻らないと。んじゃな!」
 ホークアイはそう言うと、身をひるがえし、ホテルに向かって走りだした。
「んじゃなー」
「じゃなー!」
 ケヴィンがぶんぶん手を振ったが、ホークアイに見えたかどうか。
「じゃ、戻ろうか」
「うん」
 少しおねむモードに入ったシャルロットを背負いなおして、ケヴィンは大きく頷いた。

 簡易宿舎に戻る途中、またシャルロットが起きだして、今度は自分で歩いて来た。
「よう、おまえら。どこ行ってたんだ?」
 シャルロットがいるというだけですぐに覚えられたようである。酒盛りをしていた、他
の日雇い労働者が話しかけてきた。
「ああ。ちょっと他の仲間に会ってたんだ」
「ん? 他にもいるのか?」
「ああ。ところで、俺たちの寝るとこってどこだー?」
「そこに貼ってあるよ」
 男が指さす先に張り紙がある。デュランがそれを見ると、どうやら一番はじっこのベッ
ド二つらしい。
「……二つ……?」
「そこのおじょーちゃんは人数入ってないんだろ。まぁ、適当に寝てくれや」
「ちょっ…じょーだんじゃないでちよ! どーちてこのかよわくも愛らしい美少女が、だ
れかと同じベッドに寝なきゃいけないんでちか! ていそーの危機でち!」
「て、ていそー…? ていそーってなんだ?」
「………………」
 ケヴィンに尋ねられ、シャルロットも言葉に詰まる。デュランはアホらしくなって頬を
ぽりぽりかいた。
「しゃあねえだろ。ねぇもんはねぇんだから。どっちかのベッドで寝ろ。俺もケヴィンも
気にしねーから」
「シャルロットが気にするんでち! トコを同じくするなんて、トシゴロのダンジョがす
ることじゃないんでちよっ!」
「じゃ、床で寝ろ」
「…そ、それはイヤでち…」
 面倒くさげに言い放つデュランに、嫌そうにたじろぐシャルロット。
「デュ、デュランしゃんとケヴィンしゃんが一緒に寝れば良いじゃないでちかぁ」
 無駄と知りつつ言ってみる。
「アホ! なんで図体デカいのが二人してちっけぇベッドに入らなきゃいけねーんだよ。
おめーがちっこいんだから、おめーが我慢しろ」
「ちっこいのとは失礼でちね!」
「事実おまえが一番小さいだろーが」
 確かに、デュランとケヴィンが相手では、シャルロットが小さいというのはまぎれもな
い事実である。
「ぐぐぐ…」
「しゃあねえんだから我慢しろ」
「ぶぅー…」
 そう。確かに仕方がない。シャルロットはそう思うと悲しそうに息をはきだした。シャ
ルロットが、彼らと一緒にベッドを共にしたくないというのは、まぁ見栄の部分もあるの
だが、もう一つの理由は彼らのイビキがうるさいからである。どっちか知らないが歯軋り
までもしたりする。
 それでも夜中起きてしまって、怖くて仕方がない時は誰かのベッドにもぐりこむ事もあ
るのだが、それはまたシャルロットにとって別の話。
 仕方なく、本当に仕方なくシャルロットはデュランのベッドにもぐりこんだ。単に寝相
の関係でケヴィンよりあくまでまだマシ、という理由からである。ケヴィンの寝相は悪く、
たまにベッドから落ちてもそこで寝ていたりする。
 大部屋にずらりとベッドが並び、はじっこが彼らの寝る場所であった。それぞれに日雇
い労働者のような男達が眠る光景は少し怖いものがあって、シャルロットは、誰かと一緒
のベッドである事に、内心ホッとしたりした。
 そして夜。日雇い労働者ばかりの寝所がどういうものか、シャルロットはすぐに思い知
らされる。
 イビキと寝言と歯軋りの大合唱みたいなもんである。
 一人二人のイビキなぞ、可愛いものなのだと実感したりして、悲しくなってくる。
 せんべいみたいにかたい布団に、厚いが妙に古臭い毛布一枚。デュランと一緒なので寒
くはないのだが…。
 こんなので眠れるか不安だったのだが。それでも疲れてるのもあったので、眠くなって
あっさり寝てしまった。


「あー、ふかふかベッド! 久しぶりねぇ。スプリングが効いてていーわー」
 ごろんとアンジェラがベッドに寝転がる。今までは固いベッドに薄い布団をしいただけ
だの、きかないスプリングベッドだの、中にワラがつまっているだの、ワラそのものベッ
ドだのであったが、これは違った。
 女同士だけの気楽さから、アンジェラは下着しか身につけていない。
「ベッドも広いですしね」
 リースもにこにことベッドの上にあがる。セミダブルベッドだから、いつものベッドよ
り大きいのは当たり前である。それが一人で使えるのは随分久しぶりで、城を出て以来だ。
 城の事を思うと、二人とも悲しくなるのだけど、なるべく思い出さないように横になる。
「それにしても…デュラン達…どうしてるのかしらね…?」
「さあ…」
 ホークアイとも連絡がつかない。彼なら知っているはずなのだが…。
 しかし、だんだんまぶたが重たくなってくる。アンジェラは毛布をすっぽりかぶると顔
だけ出して、リースにおやすみを言うとすぐに寝返りをうって背中を向けてしまった。
「…おやすみなさい…」
 リースはそっとそう言うと、ランプを吹き消した。そして、部屋の中は静寂と暗闇に包
まれた。

 少し遅めにおきて、顔を洗う。洗面所も個室についているから、部屋の外に出る事もな
い。下着姿のまま、アンジェラは部屋の中をうろうろ歩いている。
「…アンジェラ。いくら私たちしかいないからって…そんな姿で歩かなくても…」
 見かねて、たしなめるようにリースが言う。
「あら。私たちしかいない部屋以外で、こんな格好なんてできないじゃない」
「それは…そうですけどー…」
 アンジェラのだらしなさがちょっとイヤで、少し目を閉じる。しかし、すぐに気を取り
直して服を着始めた。朝食の時間にはたぶん間に合うだろう。
 夕食と同じ場所で朝食をとる。
 朝は軽めにパンにスクランブルエッグにベーコン。そしてサラダとお茶がつく。ただの
スクランブルエッグやベーコンを焼いただけなのに、何かちょっと手を入れているらしく、
微妙な味加減がまた美味しい。そしてサラダも、ドレッシングが野菜をうまく引き立てて
どちらの味も楽しめるところが良い。
「ここのコックって、本当に料理上手よねー」
「ええ、本当。お茶も香りがよくて…」
 朝日が差し込む窓際の席で、二人は向き合って食卓についている。
「パンにつけるクリームも、なんかこだわって作ってるみたいよ。ほどよく甘くって良い
感じー♪」
「このジャムも良いですよ。あ、ママレードもありますね。美味しいかしら?」
 机の上に置いてあるママレードの瓶を手に取る。ラベルもない所から見ると、自家製と
いうか、ここで独自に作っているものらしい。このこだわりぶりが美味しい理由なのだろ
う。
 パンもきちんと焼いているようで、おまけに焼き立てで、ほかほかと暖かくて柔らかい。
それに冷たいママレードがマッチして、リースも思わず笑みをこぼす。
「ホークアイは余計な事するなって言ってたけど、お茶のお代わりくらい平気よね?」
「それくらい、平気だと思いますけど…」
 リースがそう言うと、アンジェラはボーイを呼んでお茶のお代わりを催促した。


                                                          to be continued...