「………………」 どれくらい、気絶していたのか。上半身を起こすと、頬が痛いのに気が付いた。ちょっ と触ってみる。だいぶ腫れているようだ。 「ぺっ!」 血の味がする唾を吐き捨てて、ケヴィンは立ち上がった。 どこまで飛ばされたかわからないが、月夜の森の中であるのは間違いない。どこかにあ るであろう女神像を探そうと、ケヴィンは歩きだす。 女神様の力が宿る金色の女神像に祈りを捧げると、どういうわけか疲れがとれたり、ケ ガの治りが早くなったりするからだ。 見慣れた月夜の森を歩く。 「…?」 どことなく、森の中に嗅ぎなれない匂いがあるのに気が付いた。鼻をひくひく動かして、 その匂いの方へ行ってみる。 「…あ…」 匂いの元は、ビーストキングダムの城でも見た、あの男。とにかく怪しいヤツと言われ る死を喰らう男だった。奴は、ケヴィンを見るなり、後ずさった。 「死を喰らう男…。そう…言ったな…」 「あ、あひ…、は、はい…」 ケヴィンの形相にたじろぎ、後ずさる死を喰らう男。 「おまえが…カールを狂わせたのか…!?」 「いやあのですから、ワタクシは獣人王様の命令で仕方なく…」 ぶんっ! 「ひぃっ!」 完全にすわっている目で、ケヴィンは拳を繰り出した。それをスレスレで避けて、尻餅 をつく死を喰らう男。 「だっ、でででですから! せめてものおわびにカールさんを生き返らせる方法をお教え しようと…」 「うそつけっ!」 「なっ……………、う、うそじゃございません!」 即座に否定され、一瞬言葉を失ったが、あせったように首をふる。 「いいですか? 人間界の人間達の心のより所、ウェンデルにいる光の司祭。こいつなら、 生き返らせる方法を知っていると思われます」 「…………………」 ケヴィンは黙って、死を喰らう男を見た。ウソをついてるかどうか、なんとなくわかっ てしまう時はある。けれど、この目の前にいる死を喰らう男の言うことや本心を探るのは、 ひどく難解だった。生気や生々しい感情が何一つ伝わってこないのだ。確かに怪しい男だ。 「ビーストキングダムのみなさんは、ウェンデルを叩くべく、すでに出発なさいました。 早くしないと、司祭は殺されちゃいますよ」 死を喰らう男の言ってる事は、信用できなかったが、カールが生き返るという話は、ど うしても信じたかった。 「ウェンデル……どっち?」 「ふっ……。ほほほほ。こっちですございますよ」 一瞬、嫌な笑みを浮かべたがすぐにそれを消して、死を喰らう男は東北の方を指さした。 「あちらへ行けば、月明かりの都、ミントスに出ます。そこから、南東に道なき道を行け ばジャドです。ジャドからなら、ウェンデルも近うございますよ」 「ミントスから…」 ミントスなら、ケヴィンも何度か行った事がある。そこから南東に…。 「ジャドへは、海沿いに陸続きになってます。まぁ、ちょっと陸から行くのは困難ですけ れどね…」 「…………………」 ケヴィンはミントスの方向を険しい顔付きでにらみつけた。 「ルガーさん達はすでにジャドへと発ちました。あちらはトリですからね、急がないと…」 死を喰らう男の言葉が終わらないうちに、ケヴィンは駆け出した。 カールが生き返る望みがわずかでもあるなら、それに賭けたかった。とにかく、何かし ないではいられなかった。 走り慣れた森を駆け抜け、一路、ミントスを目指す。 その後ろ姿を見送って、死を喰らう男は腹の底で低く笑い、嫌な笑みを浮かべながら、 すぅっと闇の中へとかき消えた。 ケヴィンのお守りなどやってられるか。ミントスからジャドまで、ルガー達のように空 路がなければ、海路で行くより他ない。 ジャドまで力つきればそれまで。たとえ行けたとしても、ルガー達と鉢合わせとなるの は目に見えている。ルガーの事、ケヴィンを見つけたら放ってはおかないだろう。獣人王 の目がないのを良い事に、殺す事だって考えられる。 光の司祭が生き返らせる方法など知らぬのも知っている。たとえ知っていたとしても、 それは闇の呪法。そんなものを教えるわけがない。 どこかで野垂れ死ぬのがバカ息子にはお似合いだ。 厄介払いができた死を喰らう男は、少し身軽な足取りで歩きはじめた。 「えぇ? ジャドへ?」 ミントスの住人は、とんでもない事を聞かれて、素っ頓狂な声をあげた。 「ジャドへって…、君、ビーストキングダムの子なんだろ? あそこにはあの大トリがい るんじゃないのか?」 「だめ。トリ、使えない。ジャドへは、どっちへ行けば良い?」 「どっちへって…、………そうだな、船でなら、そこの川から海へ下って、陸沿いに行け ば、そのうちジャドには着くけど…」 「わかった。ありがとう」 「わかったって、あ、ちょっと!」 男が止めるのも聞かずに、ケヴィンは走りだした。やがて、どぼんっ、というなにかが 川に飛び込む音がして…。 「ちょっと、君! ここからジャドまでどれくらいあるかわかってんの?」 男は下流の方へと泳ぐケヴィンに、川沿いに走りながら声をかける。 しかし、ケヴィンには男の声は聞こえないようで、川の流れも手伝って、すごい早さで 泳いで行ってしまった。 「…な、なんなんだよぉ…」 男は、困ったようにそこに突っ立っていた。 陸沿いに泳げばそのうち着く。川から海に出たら右に曲がって、あとはジャドまで泳ぐ だけ。それだけだ。陸沿いというなら、あんなに大きい目印があるから、迷う心配もない。 いつ着くかわからないが、いつか着く。それまで、泳げば良い。 じゃばじゃばと波をかきわけて、左にある陸を確かめながら、ケヴィンはただひたすら 泳いだ。 「ん…?」 どれだけ泳いだのか。いちいちそんなの確かめていなかったが、突き出た陸の上に、城 壁の町が見えてきた。 あそこがジャドか。 海の上に浮かぶ船も見えてきた。間違いない。 ケヴィンは海水を吐き出して、城壁の町目指してさらに泳ぎだした。 船がなにやらたくさん浮いている。どれも大きい。ケヴィンが見たことがあるのは、小 さい船で、こんなに大きなものは初めて見る。 城壁の町の海に面した所は、大きな壁で海を囲っていた。それが港だとは、ケヴィンは 知らなかったけれど、随分波が穏やかなのには驚いた。 ここに砂浜はないようだ。ケヴィンは壁に張り付いて、なんとか海からはい上がる。 「ペッ、ぺぺぺっ!」 それにしても海の水というヤツは不味い。川や池の水はこんなクソ不味い味はしなかっ た。 「ふぅ」 人気のない港のはしっこで、ケヴィンはパンツ一つで、自分の服をしぼった。 とりあえず水気を切った服を着て、ケヴィンは人のたくさんいそうな所へと歩きだした。 「……ん…? これは…」 よく知っている匂いがたくさん匂ってくる。 「うらぁっ!」 「でぇっ!」 荒々しい声が響き、悲鳴が聞こえる。 「もしかして…」 物陰に隠れ、町の中を伺うと、獣人達が人間たちと戦っていた。人間たちは武器を持っ て戦っているが、誰も彼もへっぴり腰の手つきで、獣人達に蹴散らされていた。 ルガー達の侵略ははじまっていた。 「…遅かった…」 ケヴィンは唇をかみしめた。 こんな時に目立つ所にいては危険だ。見つかっても、そのへんにいる獣人達なら何とか できそうだが、ルガーはそうもいかないだろう。彼が自分を敵視しているのは知っている。 ずっと泳いできたこの疲れた体では、ルガーにかなうわけないし。 ケヴィンは辺りを見回して、人がいなさそうな城壁へとするする上った。そして、周囲 に人がいない事を確かめて、そこにへたりこんだ。 さすがに疲れた。というか腹ペこだ。 なにか食べれば、この疲労感も消えると思うのだが…。 空腹感はどうにもできないので、とりあえず寝る事にした。少しは疲れが取れるだろう。 目が覚めると、夕方になっていた。昼間の喧噪は聞こえない。空気から察するに、人間 たちは抵抗をやめたようだった。 眠って、ちょっとスッキリした。 これからどうするか。もちろん、ウェンデルへ行くのだが、方向がよくわからない。そ れはもう、聞くしかない。 獣人の匂いがしなくて、人間の匂いがする方へ歩きだす。 城壁の上のはしっこの方で、震えている人間がいた。 「あ、あの…」 「うわっ! み、見つかった!」 男は、ケヴィンを見るとすくみあがった。 「あ、あの…ウェ…ウェンデルへ…」 「た、たた、頼む! 殺さないで、殺さないでくれ! 後生だ! 頼む!」 男は震えながら、土下座をして命乞いをはじめた。 「こ…殺さない…、殺さないから、ウェンデルへの行き方…」 「ウェンデルへの行き方でも何でも教えます! どうか、殺さないでくれ!」 男の震えようはなかった。ただもうガタガタ震えて、恐怖でいっぱいで、冷や汗をたら たらとたらし、額を石畳にこすりつけて。 「じゅ、獣人だ、だって、慈悲の心くらい、ああ、ああ、あるだろ? だから、だから… 殺さないで…」 「ウェンデルへの行き方…教えて…」 その男の様子が異様に感じられて、ケヴィンは気味悪いとさえ思った。 「…ウェ、ウェンデルへは…、み、みみ、南へ行って、湖畔の村のアストリアの近くにあ る…滝の…滝の洞窟を…ぬ、抜けれ、れば、ウェン…ウェンデル……」 ごくりと唾をのみこんで、男は未だ流れ続ける冷や汗をぬぐった。 「……………」 この男の前にいても、彼をただいたずらに脅えさせるだけだ。ケヴィンは複雑な気分で、 ここを離れた。 目が、表情が、感情が。ケヴィンを怖いと云っていた。がたがたと震え、冷や汗を流し、 真っ青な顔で。 獣人とは、人間からそのような目で見られる存在なのか。 改めて、自分の中に流れる野生の血が恨めしかった。 人気のないさびれた道具屋の裏で、ケヴィンは夜になるのを待っていた。夜になれば、 獣人達は理性が下がるから、そのスキを見計らって出られるのではないだろうか。そう思 って、待っていた。 獣人達はずっと月夜の森で過ごしてきたから、昼間には慣れていない。だから、どうも 昼間の太陽がすこし落ち着かないようなのだ。 みんな、昼間でも変わりないようにしてるけど。 夜。ケヴィンの思った通りになってきた。 そろそろ満月が近いのもあって、夜が嬉しくて、獣人達はおおはしゃぎをはじめたのだ。 狼そのものに変身したり、ウェアウルフになったりして、吠えたり鳴いたり、町の中で 大騒ぎをはじめたのだ。 ケヴィンはこういうのに慣れていたが、人間達の方はたまったものではなかったようだ が。 警備よりも遊ぶ方に熱中してしまうのがほとんどで、はっきり云うとふぬけに近い。 もう少し理性が残っていれば、確かに脅威ではあるのだが…。 誰もいない城門を、ケヴィンは堂々と通り抜けて、夜の森を南へとひた走った。 ここは不思議なほど、ラビが多い。夜でも起きているモンスターもいて、襲いかかって きたが、特になんて事はなく。 あれから、ケヴィンは夜に戦闘となると、必ず獣人に変身した。敵意満々で向かってく る相手では、沸き上がる野生の血はおさえられない。そして、一度変身すると、戻りたく ても、なかなか元に戻れなかった。 一度、森の中で人間と鉢合わせした。彼は、自分の姿を見るなり、おかしな声をあげて 一目さんに逃げ出した。 自分の姿はどういう姿をしてるのか、間接的に思い知らされた。 毛深い手を見て、ため息をつく。 この体の中から、獣人の血だけを取ってしまうのはできないものか。 それができたらどんなに良いか。 ケヴィンはまたため息をついて、暗い森を歩き始めた。 滝の洞窟の方向は、看板が示していた。どうやら、あちらには人間の村があるようだが。 人間のいる村に行っても良い事はあるまい。ケヴィンは迷わず滝の洞窟の方へと歩きだし た。 名前の通り、水が流れ落ちる滝に囲まれたところに、洞窟が、ぽっかりと空いていた。 「……ここか……」 入ろうと足を一歩踏み入れた途端。 ビィンッ! 「うわあ!?」 見えない何かに跳ね返された。 「な、なんだ?」 恐る恐る、手を近づけてみる。 ビィンッ! 「うわっ!」 一体、これは何か。ケヴィンは息を吸い込んで、後ずさると、思いきり駆け出して体ご とぶつかった。 ビィンッ! 「わあぁ!」 駄目である。 「な、なんだ…?」 何度も体当たりしたり、石を投げ付けてみたりしたが、駄目である。ケヴィンはため息 をついた。どうすれば良いかわからない。 ケヴィンは看板を思い出す。村が近くにあるはずだ。あまり人と話したくないけど、こ れは聞かなければしょうがないようだ。 特大のため息をついて、ケヴィンは歩きだす。 「………ん?」 上の方から、なにか声が聞こえた。 「…………ぇぇぇぇぇぇぇえええええええええっ!!!」 なんと、空から女の子が降ってくるではないか。 「うわああああぁぁぁっ!」 一瞬、その子と目が合った。 ガチーンッッッ! 目から火花が出たと思った。 to be continued... |