「おお…。よくぞ参られた。うむ、うぅむ、美しい…」
  リースを出迎えに、ヘベレッソが門のところで待っていた。彼の笑みは、品性のカケラ
もなく、ただ嫌らしいスケベっぽい笑みであった。そこいらにいる下男の方がまだマシと
言っても良いくらいだ。
(こんな男と、リース様が………!)
  そう思うとライザは気が遠のく感覚さえした。先代アマゾネス軍団長ミネルバの代から
つかえているライザだが、こいつとリースが結婚なんて、本当に先代に申し訳なかった。
「ささ、お食事の用意ができております。こちらへどうぞ」
  ヘベレッソの脂ぎった指輪がいくつもついた手で、リースのしなやかな手を取り歩きだ
す。
(その汚らわしい手で、リース様に触れるな!)
  と、怒鳴ってぶち殴りたい衝動を懸命にこらえ、ライザは表情を見せないようにうつむ
いた。
  リースがいなかったら、世間体や立場がなかったら。人間サンドバックにしてやりたい
くらいである。
  しかし、悲しきかな。それをやった事でリースのためにも、ローラントのためにもなら
ないのだ。ライザは気づかれないようにため息をついて、前を歩く2人を見ないようにし
てとにかく彼らに続く事にした。
  ふと、ライザの目に隣の門での出来事がうつった。
  ヘベレッソの衛兵が、見るからにみすぼらしい人を蹴っている情景であった。どういう
事を言っているか聞き取れないが、拝む貧しい人と、それに暴力をふるっている衛兵で、
どんなものか、予想はついた。
「……………そういうことか……」
「?  どうしました?」
  近くにいる衛兵に話しかけられ、ライザは慌てて笑ってごまかした。


  食卓に並んだ食事は非常に豪勢なものであった。
  王族とはいえ、最近あまり良いものを口にしていないリースにとっては目もくらむばか
りである。そもそも、豊かな時のローラントだって、ここまで豪勢なのはよっぽどの事が
ない限りまずお目見えするものではなかった。
「さぁ。今夜は私の大事な花嫁の到着ですからな。ウチのお抱えシェフに腕をふるわせた
のですよ」
  ヘベレッソはにこにこと、やや自慢げにそう語る。
  顔も身体も性格も趣味も最悪だが、金を稼ぐ能力に関しては、褒めてやるべきなのだろ
うか。そう思いながら、ライザは今まで口にした事のないような極上のワインを口に含ん
だ。


「こちらでございます」
  リースはメイドに案内され、一室にあてがわれた。
  屋敷の中でも、随分奥まったところにあり、窓もなかった。
  豪奢な家具や丁度。趣味のわからない絵画はあるが、外の空気を取り入れる窓がないと
いうのは気になる。
  出入り口はそこのドアのみであった。
「…………もしかして……監禁……?  ……まさか、ね…」
  まさかもなにも立派な監禁なのだが、人の良いリースはそこまでヘベレッソを疑ってな
い。
「はぁ…」
  食事は豪華で確かに美味しかったのだが、あまり味わえる心境ではなかった。
  ライザは今夜で帰ってしまう。挙式までの1週間。ここで一人で過ごさねばならないの
である。
  仕方がないとはいえ、ため息しか出ない。
  天蓋つきベッドに腰掛ける。ふと、入り口の方を見ると、怪しげな影がゆっくりと室内
に入って来るのが見えた。
「………?」
  首をかしげ、その動く影を見る。そして、ハッとなって影に駆け寄る。
「よっ」
  ホークアイがゆっくり影の中から姿を現す。
「ホークアイ…!」
  急いで駆けよって、ホークアイの腕をつかむ。
「ど、どうしたの、こんなところに」
  寂しさと不安の中での出会いに、嬉しさを隠しきれずに微笑んで、ホークアイを見上げ
る。
「どうしたもこうしたも。リースの様子を見に来たんだ」
「私の?」
「……あの時、ヘベレッソはおまえさんを嫁にねらってるって言いたかったんだけどね…
…」
  やや寂しげに苦笑してホークアイが言うと、リースはうつむいた。
「…ごめんなさいね…。イライラしちゃって、ロクに話も聞かないで…」
「俺も言い方が悪かったかもしれないな。俺も仕事続きでさ、ちょっと疲れてたからな」
「……ごめんなさい…」
  ホークアイの優しさが心に痛くて、リースは少し涙ぐむ。
「…それとな、リース。ちょっと酷かもしれんが…、覚悟して聞いてくれるか…?」
「……はい…」
  ホークアイの笑みが止んで、少し真剣な顔になる。リースは彼が言うことは本当だと悟
って一つ呼吸すると、うなずいた。
「…エリオットの事だが。あいつは病気なんかじゃない。毒を飲まされたんだ」
「何ですって!?」
「ヤツが紹介したのは医者なんかでも何でもない。ヤツの飲ました薬は麻薬だ。気分が良
くなるのは一時だけ。症状は悪化するばかりで、常習性もある」
「………!」
  リースは目を見開き、息をのんだ。
「ウチのそれ関係にくわしいヤツが調べたから間違いない」
「………………」
  リースは気が遠くなる感覚を覚えたが、なんとか踏みとどまった。
「…どうして……」
「…王族と親族になって、あわよくば政権も握るつもりだろう。エリオットは生かさず殺
さず。下手すると、おまえもそんな状態にされる危険性もある。王女の婿で王子の義兄。
親類としては近いしオイシイからな…」
「そんな…、そんなことって……」
「いいか、リース。この世の中、おまえさんやあいつらみたいな気の良いヤツらばっかり
じゃない。考えられないほど狡猾で、悪どいヤツがいるんだ」
  リースは真っ青になり、立っているのもやっとの状態である。
「…そんな、それじゃ私は……私は…」
「リース。ローラントの財政難は俺たちナバールの事もある。フレイムカーン様もそれを
気に病んでおいでだ。俺たちが何とかする。絶対何とかするから。自暴自棄にはなるんじ
ゃないぞ」
「…………………」
  ホークアイの言葉も耳に入っていないようで、リースは真っ青のまま、フラフラと歩き、
ベッドに腰掛けた。
  いい人だと思っていた。ローラントのためになると思っていた。エリオットも良くなる
と思っていた。
  …それが、単に良いように利用され、それにホイホイと乗ってしまった自分にショック
だった。とんでもない約束さえも交わしてしまったのだ。
  真っ青になってしょげこむリースに、ホークアイはちょっと慌てたように近寄って、隣
に腰掛けた。
「あのな、だから、絶対自暴自棄になんかなるんじゃないぞ。絶対何とかする。良いよう
にするから。あきらめるんじゃないぞ、リース」
  リースの肩を抱いて、少し揺り動かす。
「…え、ええ…」
  一応、返事は返すものの、リースのショックは大きいようだ。
「ほらぁ、な?  何とかなるってば。エリオットも治せるようにするし、ローラントの財
政難も何とかなるって。な?」
「…………………」
「ま、そりゃま、あのエリオットの状態を健康に戻すにはちょい時間がかかるだろう。ロ
ーラントの財政難だってすぐにどうにかなる問題じゃない。でも、急く必要はないんだっ
てば。ある意味気長に構えてなくちゃ。な?」
「…………………」
  リースは不安そうに顔をあげる。ホークアイは彼女と目があうと、にっこり微笑んだ。
「こんな状況になったって、誰もおまえを責めやしないよ。アマゾネスだって絶対おまえ
を責めない。きっとおまえが元気な姿で戻ってきたら手放しで喜んでくれるよ」
「…………………」
「きっと、おまえの事はアマゾネス達が一番良く知ってるんじゃないか?  誰が一番ロー
ラントを、エリオットを思っているか。な?」
「…………ありがとう……、ごめんなさいね……」
  ほんの少しだけ、微笑むリース。無理して笑ってくれてるのがわかるから、余計にツラ
イ。
「とにかく、おまえさんはどんと構えてな。ここは、俺らに任せてくれ。な?」
「…でも、任せっきりってのは…」
「ストップ。そこがリースの悪いクセだ。時には、任せるって事も必要なんだぜ?  適当
な人物に適当な役割。そして任せる。それも大事さ。全部自分でやる必要はどこにもない
んだから」
  リースの言うことを遮って、ホークアイは続ける。
「今は無理かもしんないけど…、それでも、ほんの少しでも、さ。元気出そうぜ」
「………はい……」
「んじゃ、俺のとっときの技でも見せてあげようかな」
「え?」
  ホークアイは立ち上がり、リースを前にして、深々と一礼した。
「それでは、ホークアイ大奇術団のはじまりはじまりー」
  1人しかいなくて、どこか大奇術団なのか、とかいうツッコミはリースはしない。
「まずは小手調べ。タネも仕掛けもないこのハンカチ…」
  ホークアイはにこやかにいきなり手に白いいハンカチを1枚出現させる。
「ところがこのハンカチ。可愛い女の子にはとことん弱い。はい、ハンカチの端っこ持っ
てみて」
  ホークアイはハンカチの四方の一つをリースにつかませる。
「ほらほらほら…。可愛い女の子に持ってもらっちゃって、ハンカチは照れちゃって照れ
ちゃって!」
「まぁ…」
  リースの目の前で、ハンカチは見る見るうちにピンク色に染まっていく。
「こいつはどうやらかなりの照れ屋さんだな。もう、俺そっくり!」
「ふふふふ…」
  リースの顔に笑みが戻る。一瞬、ホークアイの顔がすごく嬉しそうな表情になって、す
ぐに営業用のようなスマイルになる。
「はいはいはい。照れちゃったハンカチだけど、なにかお礼がしたい。麗しいお嬢さんに
こんなものをプレゼント!」
  ぽん、とハンカチの中からピンクのバラを出現させる。
「わぁ!」
「はい、どうぞ」
  うやうやしく、ホークアイはバラをリースに手渡す。リースもにっこり微笑んで受け取
った。
「そんでもって、はいっ!」
  パチンッ!
「キャっ!?」
  ホークアイがパチンと指を鳴らすと、ピンクのバラは、細かな紙吹雪やリボンと一緒に
小さく爆発する。そして今度はマーガレットになった。
「うわぁー…、うふふふふ…」
  造花だが、リースは心底嬉しそうに微笑んだ。彼女の笑顔につられてホークアイも笑っ
た時、急に彼の顔は真剣なものに変わった。
「っ!」
  リースもこの部屋をとりまく気配に気づいた。そしてすぐに、荒々しく扉が開け放たれ
た。
  バタン!
「…このコソドロめが…」
  ヘベレッソがこめかみに血管を浮き上がらせてドアから姿を現した。彼の後ろにはたく
さんの衛兵の姿が見えた。
  彼はずかずかと部屋へと入り込んで来る。そして、彼の後から後から衛兵がぞろぞろと
踏み込んで来る。
「…貴様…、ナバールのホークアイだな?  貴様がここにいるという事は、ナバールが狙
っているということか?」
「…へぇ、俺の名前を知ってるんだ。俺の知名度もまんざらじゃなさそうだな」
  これだけの衛兵に囲まれても、ホークアイは未だ余裕の表情でヘベレッソと睨み合って
いた。
「答えろ!」
「やめて下さい!  ホークアイは私の大切な友人なのです!」
  リースは慌ててホークアイの前に立ちはだかる。
「……リース…。確かに、あなたがナバールのホークアイや、ウェンデル司祭のお孫シャ
ルロット、はたまたアルテナ王女のアンジェラ嬢とご友人であるのは私も承知している。
  しかしですな。夫となる者として忠告しておきましょう。この男とは即刻縁をお切りな
さい。このような薄汚いドブネズミなんかと付き合っていては、あなたの顔に泥を塗るよ
うなこと。あなたの国を滅ぼしたのがこの男のいるナバールであるということを、あなた
がお忘れになるわけがないでしょうに!」
「なんですって!?」
「いや、良い」
  ホークアイは前に出るリースの肩に手をおいて、ゆっくりとどけて自分が前に出る。
「ハン、俺が薄汚いドブネズミってーんなら、おまえは卑しい寄生虫だな。どこかに寄生
してないと生きてく事もできねぇよぉ」
「なんだとっ!?」
  顔を真っ赤に染めて、ヘベレッソの血管がさらに浮き上がる。
「ま、調度良い。オレはおまえさんにちっとばかりに用があってよ」
「わしの方には貴様なんぞに用はない。消え失せろ」
  ヘベレッソがさっと手を振ると、衛兵達が統制の取れた動きであっと言う間にホークア
イを取り囲んだ。
「ホークアイ!」
  だが、リースの周りにも衛兵たちが取り囲む。もっとも、こちらの方は非常に紳士的に、
護るように、であるが。
「…ふん。これだけの人数で俺をどうにかできると思ってるのか…?」
「たいした余裕だな。おまえが強いというのは聞き及んでいるがね…」
「…俺よかリースの方が強いかもしんねーけど…」
  ほんのちょっとだけ、寂しげにホークアイがボソっとつぶやいたが、小さかったから誰
にも聞こえなかっただろう。
「もちろん。わしの訓練した衛兵達がこんな狭い場所でこの人数ではどうにもならんだろ
う。しかし…、これではどうかな…?」
  ヘベレッソの合図と共に、ドアの方から剣につっつかれながら、ネコ男が申し訳なさそ
うに姿を表した。
「ニキータ!」
「あ、そ、その、ゴメンにゃ、アニキ…!」
  ニキータは本当にすまなさそうにヒゲもダランを下げて、頭を下げた。
「こいつがナバールというのはわかったよ。さて…。おまえにはこいつ一緒に“死の穴”
にでも入ってもらおうか…」
  ヘベレッソがニタリとした笑みを浮かべる。
「…ッチ…。しゃーねーな…」
「ほ、本当にゴメンにゃ、アニキ!  オイラの事は良いから、こいつら、やっつけちゃっ
てくにゃさ…アウッ!」
  叫び途中で、衛兵に殴られて、ニキータは横たわる。どうやら拷問にもあったらしく、
あちこち体が傷ついている。
「ニキータ!  おい、ニキータに手を出すんじゃねぇぞ!  そいつを殺してみろ。誰ひと
り生かしちゃおかねーからな!」
  ホークアイが本気になって怒鳴る。その気迫におされ、衛兵の何人かは後ずさった。
「…ま、そいつの命を助けてくれるっちゅーんなら、その死の穴ってーのに入ってやろー
じゃねーかよ」
「…フ、フン!  穴に入って己の傲慢さを呪うが良いさ!」
  その言葉をそっくりそのまま返したい衝動にかられたが、ホークアイはとりあえず押し
黙った。
  ホークアイは後ろに衛兵に剣を突き付けられながら、ゆっくりと歩きだす。
「ホークアイ!」
「大丈夫だよ、リース。何とかなるから」
  そう気楽そうに言って、ホークアイはゆっくりとヘベレッソの前を通り過ぎ、ニキータ
と合流する。その瞬間。
  ドゥンッ!
  一瞬、何が起こったのかほとんどの人間は理解することができなかった。いきなり、ヘ
ベレッソの下半身が爆発したのだ。
  本当は、ホークアイが目に見えぬ素早さで小さな爆弾を彼に投げ付けたのである。
「ギャアッ!」
  そんなたいした爆発ではなかったが、かといって、軽症ですむ火傷ではない。
「おらよっ!」
  そして、追い打ちとばかりにホークアイはヘベレッソの股間を蹴り上げたのだ。
「はんぐぁっ!」
  目が飛び出すほどの激痛に見舞われ、彼は股間をおさえてしゃがみこむ。
「行くぜ、ニキータ!」
「あい!」
  そして、ホークアイは体当たりで衛兵たちを突破して、ニキータと走りだした。いやは
や、その早い事早い事。ニキータはすぐ後を追うのがやっとであったが、ホークアイは余
裕バリバリだ。
  グワッシャーン!
  窓ガラスを蹴破って、二人は夜の闇にと消え失せる。庭にも、色々トラップや番犬など
を配置しているのだが、番犬のほえ声がするだけで、彼らがトラップにかかったような形
跡はなかった。


「はぁ…、はぁ…」
「大丈夫か?  ニキータ。ここまで来ればもう良いだろう…」
  汗だくになって、ニキータはへたりこむが、ホークアイは、まだ余裕があるみたいだっ
た。
「はぁ…、はぁ…、はぁー…。ア、アニキ、すまんにゃ、また、足を引っ張っちゃったニ
ャ…」
「気にすんなって。それに、ヘベレッソのヤツには、ちょっとどうにかしておきたかった
し」
「どうにか……?」
  ちょっとワケがわからなくて、ニキータは顔をあげてホークアイを見る。
「へっへっへっ。大事なリースちゃんに手を出されちゃ困るかんな。あの火傷であのケガ
だ。余裕で一週間以上は不能だね」
  ホークアイが不適でやや陰険な笑みを浮かべる。
「ア、アニキ………。で、でも、リースさんって、お強いじゃにゃかった?」
「いくらリースが強くてもなー。薬でも使われたら抵抗しようがないじゃないか。ま、独
占欲の強いオヤジだから。自分以外のヤツに手ごめにさせようとはしねーだろ」
  彼の女好きは有名である。そこらへんも、ホークアイの心配のタネであった。
「さ、ニキータ。おまえはナバールに帰ってな。俺はちょっとやる事がある」
「へ?  アニキ、やる事って…?」
「準備だよ、準備!  おまえも、例の仕事と、リースの結婚式ブチ壊し計画。同時進行な
のは知ってるだろ?」
「え、ええ、一応……」
「じゃ、決行日に会おうぜ!  気をつけて行けよ!」
  ホークアイはそう言って、身をひるがえしてナバールとは見当違いの方向に走りだす。
「あ、ああ、あ、アニキもお気をつけて!」
  ニキータは慌ててそう言って、小さくなっていくホークアイの後ろ姿を見守った。


「ふぅ…」
  ヘベレッソ・テイタラク家のメイドが花嫁の部屋を掃除していた。
  明日、結婚式だというのに、花嫁は天蓋付きベッドで、ずっと眠ったままだ。
  ここで働くのが長いメイドだから、自分のところの主人がどういうテを使うかくらい、
わかりきっていた。
  適当に掃除をきりあげると、持ってきておいた薬瓶を、綿に染み込ませる。そして、そ
れを花嫁の口と鼻に一定時間押し付けた。
  メイドは寝ている花嫁の呼吸と、その匂いをかいで、小さく息を吐き出すと、花嫁に一
瞥くれて、部屋を後にした。
  バタンとドアが閉じられた後。カチャリと施錠の音が響いた。
  薄暗い部屋の中。弱々しい寝息だけが静かに聞こえていた。

                                      続く