「うっく…。ゲホッゴッ…」
「ヒース…」
 ヒースは横たわっている。瀕死のダメージで、息も絶え絶えだ。ただ、正気に戻ったら
しく、目の色は危険な感じがしない。
 普通の人間なら、すでに事切れているような状態だが、彼はまだ生きていた。彼のいた
るところから流れ出るどす黒いまでに青い血が、すでに普通の人間でない事を物語ってい
た。
 肉体の耐久力をあげるために、アンデッド化したのか…。
 しかし、俺が切りかかる時、どうにも抵抗する気がなかったように見えたは気のせいだ
ったんだろうか。アンデッド化したなら、もうちょっと抵抗できたんじゃないだろうか。
…まあ、いまさら詮無い事か…。
「あ、ありがとう…。ようやく…自分を取り戻せたよ…。僕の…体はもう…アンデッドで
…。もう思いどおりにならな…ゴホッ!」
「ヒース! 喋っちゃダメでち!」
「いや、いいんだ…。これで…、これでいいんだ…。…君たちは、これから…マナの剣を
持って…ナバールに…。僕は、手駒に過ぎないから…。ごめんね、シャルロット…」
「ヒース! ヒース!」
 シャルロットはヒースの手を握り、ぶんぶか首をふる。目から涙がぼろぼろこぼれてい
る。
「泣かないで…。この忌まわしき体から…闇から、解放されるんだ…。…ありがとう…」
「ヒ、ヒース?」
「ごめんよ…。もう…、意識が…、……シャ、シャルロット達に…マナの…かごが……あ
らんこと…を……」
 ヒースは最後に弱々しくほほ笑みながら……息絶えた。
「ヒース…? ヒース! ヒースってば! 目を覚まして! 起きてくだしゃい! ダメ
でち、目を閉じちゃダメでち…死んじゃ…、死んじゃダメでちぃっ!」
 彼の胸にすがりつき、ぐいぐい揺らすが、もちろん彼は動かない。
「…ヒース…。ヒィスゥゥ…。ウッ、うっく…、う、うわああああんんんっっ!」
 大きな大きな声をあげてシャルロットは激しく泣きじゃくった。
 この人のために、ここまで来たのにな…。こんな結末になるなんて…。
 俺はただ、そのシャルロットの震える小さな背中を眺めるしかできなかった…。
・
 それからケヴィンが、獣人王に会うため屋上へ向かった。シャルロットがヒースの遺体
の前でぐずっており、リースが彼女についていると言うので、俺達はケヴィンの後に続い
た。
 屋上では一人、獣人王が月を眺めて佇んでいた。近寄りがたい雰囲気を持つ男だが、ケ
ヴィンはそんな雰囲気にも構わず獣人王に近づいて行く。
「獣人王!」
 ケヴィンの怒鳴り声に、獣人王はゆっくりとこちらを振り返った。
「ほう…。しばらく見ない間に随分たくましくなったものだな…」
 それにしても、なんちゅう威圧感だ。獣人王は最強の獣人だと噂に聞いてはいたけれど
…。
「だが…。まだまだみたいだな…」
「獣人王! カールのカタキ!」
 ケヴィンが一歩前に踏み込んだ。
「ワシとやるのか? ケヴィン」
 面白そうに口の端に笑みを浮かべ、構えの態勢をとる。
「みんな、そこにいて。当たったら危険だし、オイラがやる!」
 自分の親父なのにそういう言い方は、俺的には引っ掛かるんだが、ともかく、ケヴィン
の事情なんだから、手を出すつもりはない。
「いくぞっ!」
 大きく吠えると、ケヴィンは一気に獣人化すると獣人王に向かっていく。
 獣人王は悠然とかまえていて、繰り出したケヴィンのパンチをいともあっさりと避けた。
「ほう…。前よりも早くなった。キレも良い」
「うるせえっ!」
 今度は蹴りを繰り出すのだが、それもあっさりと避けられる。ケヴィンは次々と攻撃に
出るのだが、そのすべてをかわされる。
 なんなんだ…あのオヤジは…。あの獣人化ケヴィンの攻撃を全て余裕でかわしやがって
る…。
「甘い!」
 ドガン!
「ぐあああっ!」
 ケヴィンの攻撃のスキをついて、獣人王の重たいパンチが振り下ろされた。ケヴィンは
その場に叩きつけられる。
「ちくしょう!」
 だがすぐに起き上がり、間合いをとると、すぐに次の攻撃に移る。
「どうした。その程度か!」
「このやろぉーっ!」
 ケヴィンの蹴りを獣人王が避けた時。もう片方の足が素早く動いた。最初の蹴りはフェ
イントだったのだ。
「むっ!」
 避けきれなくて、構えた腕にケヴィンの足がかすった。その瞬間、獣人王の表情が一瞬
変わった。
「でやあ!」
 ズガンッ!
 声をたてる事も許されない素早さで、ケヴィンがまた叩きつけられた。すごい力だった
らしく、ケヴィンが少し床にめり込んでいる。
「うっ…くっ…」
 相当なダメージだったようで、ケヴィンはその場から動く事ができなかった。
「ケヴィン!」
「手出し無用!」
 俺達が動こうとすると、獣人王の鋭い声が飛ぶ。
「腕をあげたようだな…。ワシにかする事ができるようになったか…」
 そう、満足そうな笑みを浮かべる獣人王。かする事がって……。
「くっ…く、くそっ……」
 ケヴィンが口から血を流しながらもがいていると、どこからかかん高い犬の鳴き声が聞
こえてきた。
「ワンワン! くぅーん…」
 犬はケヴィンに走り寄ると、尻尾をふりながら、ケヴィンの顔をなめはじめた。
「カ……、カール!?」
 ギョッとした顔で、ケヴィンはさかんに尻尾を振っている犬を見た。あれ? カールっ
て確か、ケヴィンが殺しちゃったとか言ってなかったか…?
「ど、どうして……」
 ゆっくりと起き上がり、犬を抱き上げる。闘気が霧散して、ケヴィンは人間の姿に戻っ
ていく。
「これは……一体……」
 獣人王が長いため息を吐き出した。
「…まったく…。よく確かめもせんでカールを埋めてしまいよって。カールは死を食らう
男の幻術によって仮死状態にあっただけなのに…」
「え?」
 一瞬、俺の方も頭が白くなった。お、おい、ちょっと待て。それって……。
「じゃあ……」
「わしが掘り返しておいた」
 まじっすか…。
 こ、このオヤジが子犬の墓を掘り返したんか…。
 しばらく、事態が把握できなかったようなケヴィンだが、どうにか把握してきたようだ。
「……………………。ご…ごめん……」
 ケヴィンが戸惑ったようにそう言った。
「で、でも、何で、こんな事……」
 見上げられ、獣人王はまたため息を吐き出した。
「…おまえは小さな頃、突然母親がいなくなったせいか、すぐに弱さが表にでる。おまえ
が獣人化すらしなかったのは、その弱さのせいだ。なにか、キッカケがあれば、おまえも
獣人化くらいするだろうと思ってな…」
 ケヴィンは複雑そうな顔をして、自分の顔をなめようともがいている犬を見た。あの犬、
よほど嬉しいらしくて、尻尾を激しく振ってかなりの興奮状態だ。
「………おまえは、母親が逃げ出したと思っているようだが、あれは病気で死んだのだ…」
「え!?」
 ちょっと言いにくそうだったが、獣人王は真っすぐケヴィンを見つめそう言った。ケヴ
ィンは口を大きくあけた。
「おまえは勘違いしていたようだが、それでわしに怒りが向くのなら、構わんと思った。
怒りと憎しみは強さを引き出すのに調度良い感情だからな。…だが、本当の強さはそれを
越えた所にある。…おまえにはまだ遠いようだがな…」
 複雑そうな顔をしたまま、今度は獣人王を見上げるケヴィン。
「獣人王」
 しばらく黙っていたケヴィンだが、不意に父親を呼んだ。…父親を父親と呼べないとこ
ろに、ケヴィンのわだかまりが、まだあるのだろうけど…。
「ん?」
「どうして……ウェンデルを襲わせた? どうして、人間の母さんがいたのに、人間の町
を襲わせた? あのヒースさんがここにいたのもわからない」
「それか…。…ワシはな、弱い者が許せんのだ。以前の獣人達は人間に虐げられた事をず
っと根に持つばかりで、何もしようとはしなかった。ただ、うじうじしているだけで、ま
ったく不甲斐がなかった…。人間国への侵略は、ヤツらに自信を取り戻させるための口実
に過ぎん。…それくらいの口実を与えんと、動かぬような状況だったしな…。このごろ、
ようやっと自信を取り戻してきたみたいだ…」
 も、目的のためには手段を選ばんオヤジだな……。
 でも、確かに人間にだって悪い所はあるんだけど。獣人達への虐待は、話なんか聞くと
けっこうひどかったみたいだし…。それに、ケヴィンが獣人だと知って、手のひらを返す
ような態度をとった人間は、一人や二人なんかじゃなかった…。ケヴィンは気にしないと、
言ってはいたけれど…。
「あの神官は突然やって来たな。そこでお前達を待つと言うから、放っておいた。マナの
剣だの、マナの力だの…。マナに頼ってばかりで、本当の強さが得られるものか……」
 少し、吐き出すように言う獣人王。
 その言葉が、俺の心に突き刺さった。俺は急に過去の自分が気恥ずかしくなってきた。
「さあ、もう行け。行っておまえらが敵とするヤツを倒して来い! わしが相手となるの
はそれからだ。そんなのも倒せんようでは、わしの相手などまだまだだな」
「………………わかった…」
 しばらくうつむいて、ケヴィンなりに考えて、そして、ケヴィンは顔をあげて強くうな
ずいた。
「オイラ、行って来る! …そして、いつかあんたを越えてやる!」
「ふんっ…。それはどうかな? おまえに負ける程、わしは老いてはおらんわ」
 軽く笑い飛ばして、獣人王はケヴィンを見る。その顔はなんだか嬉しそうだった。
 しっかし、おーざっぱな人だな…。他人の家庭の教育方針にどうこう言うつもりはない
んだが……。でも、まあ、この親子は、…これで良いのかもしれない…。
 これも和解というヤツなんだろう。とにかく、こっちは落ち着いたものとして、俺達は
シャルロットたちのいる所へ戻った。こっちの方はまだなのだ。
 玉座の間に戻ると、シャルロットがまだぐずっていた。リースも一緒にいる。
「あ、みなさん…。どうでしたか…?」
 俺達に気づくとリースが近寄ってきて、小声で話しかけてきた。
「こっちの方は大丈夫。話もついたみたいだし。それより、シャルロットは…」
「それが…、見て下さい。ヒースさんの遺体を……」
 言われて、彼の遺体をよく見ると。透けてる…? 錯覚か? いや、目の錯覚なんかじ
ゃない。彼の遺体は消えかかってるんだ。
「ど、どうなってんだ!?」
「…アンデッドの身体のせいよ……」
 アンジェラがつぶやくように言う。
「アンデッドってのは、この世に存在しないものを無理やり存在させているものなの。だ
から、ヒースさんの身体は元からこの世に存在していなかったものなのよ。力がなくなっ
て、存在している力が無くなって…。だから………、消えちゃうの…」
「そんな……」
 アンジェラの言う通りだった。シャルロットはそれを知っているらしくって、しゃくり
あげながらその消えていく身体を見ている。
 そして、とうとう全部消えてしまうと、シャルロットはへたり込み、涸れたはずの涙を
流して泣きじゃくった。
 俺達はただ、気が済むまでシャルロットを泣かしてやるしかなかった。
 どれくらい経ったか。シャルロットの涙もすでに枯れ果て、ただただしゃくりあげるば
かりになった頃。
 上目遣いに俺を睨みつけて、シャルロットが何かを言っている。
「どうしたんだ?」
 跪いて近づくと、手をパシンとはたかれた。
「ひくっ…デュランしゃんのひきょうもの! ヒースは…ヒースは、魔法を使っているさ
いちゅうだったのに…! そんな時に斬るなんて、ひきょうもののすることでち!」
「シャルロット!」
 驚いたリースが声をあげるが、シャルロットは怒りの目を俺に向け続ける。涙も、のど
も枯れるほど泣いていたので、声はかすれてしまっていたけれど。
「騎士のくせに、ひきょうものなんて! デュランしゃんのばか! ばかぁ! ヒースを
かえせぇ!」
 卑怯者と呼ばれて、俺も思わず黙っていられなくなる。
「じゃあ! おまえはあのままにしてろって言うのか!」
「ヒースを殺すなんてさいてーでち! このひきょーもの!」
 このっ…!
 一瞬カチンときたが、すぐにおさえた。…ヒースのためにここまできて、この結末だ。
何かにぶつけないとやりきれないのだろう…。
 俺だって、あのとき酒に逃げた。
 俺は無言で立ち上がって、歩き出した。今は、一緒にいない方が良いと思ったからだ。
背後でなにかシャルロットがわめいていたが、努めて聞き流した。
 部屋を出て扉を閉めると、長くため息を吐き出しながら扉に寄っかかる。
 …確かに、アンジェラ達との魔法戦で手一杯の時に切りかかったのだ。おまけに接近戦
ではあきらかに俺の方に分がある。俺は反撃を何一つ食らう事なく、一方的に斬殺したよ
うなものだった。卑怯者と呼ばれても仕方がないか…。
 あのとき、ヒースが無抵抗のように思えたのも気のせいだったかもしれないし、こんな
事を今のシャルロットに言っても火に油を注ぐだけだろう。
 ヒースを殺したのは正しかったのか。そんな事いまさら問い直すつもりはない。戦士な
んて、ようは勝ってなんぼの世界だ。信じるものを信じて勝ち続けるしかない。それが通
じて人殺しになろうとも、俺はその道に生きると決めた。なにより、迷って仲間が傷つく
ような状況を作り出すなんて、そもそも戦士として失格だ。
 恨まれるのも覚悟で切り捨てた。…覚悟してたつもりだけど、ああも面と向かって言わ
れると、俺だってキツい。
 でも……。覚悟した以上、我慢しなきゃなんねえよな…。
 我慢しなきゃならない…。
 ……それでもやっぱり、…ため息は出る…。
 ふと、俺が寄りかかっていた扉が動いたので、俺は慌てて扉から離れる。
 扉が開かれると、シャルロットを抱いたリースが現れた。シャルロットはリースの胸に
顔をうずめて、顔をあげようとしない。
 リースは俺に目配せして、歩き出す。それに続いてみんながぞろぞろやって来た。ケヴ
ィンもアンジェラも、何か言いたそうな顔をしてたけど、誰も無言だった。ただ一人、ホ
ークアイが静かな声で言う。
「ともかく、今日はたっぷり休もう。それだけだな」
「……そうだな…」
 シャルロットのやつ、さっきは随分興奮していたしな…。休みは必要だよな…。
 俺はまた、ため息を吐き出した。

                                                             to be continued...