「デュ……デュラン…?」 長い沈黙の中、アンジェラがかすれた声を出した。喉がカラカラに乾いている。 アンジェラだけでなかった。シャルロットも、ホークアイも、ケヴィンもリースも。目 の前で起きた事を呆然と眺めていた。 「…ウソ……。ウソでしょ……」 脳天に剣を突き刺され、ほとんど骨だけになったヒュージドラゴンの頭。口先が地面に のめり込んでいる。わずかに残った血肉が焼けただれ、ゆっくりと地面に流れ落ちている。 あの頭蓋骨の中にデュランがいると言うのか。 もはや竜帝はピクリとも動かない。ただ、異様な匂いを放ち、煙りをあげているばかり。 「やめてよ! いくらあんたがバカだからって、そんな!」 アンジェラは立ち上がり、ヒュージドラゴンの頭に駆け寄った。他のみんなも呪縛を解 かれたかのように走り寄る。 「デュラン! デュラーン!」 「デュラン!」 「デュランしゃーん!」 何度も何度も名前を呼ぶが、返事はない。心臓の動悸が止まらない。足が震えて体のど こにも力が入らない。喉の乾きはさらにひどくなってくる。 「デュラン!」 ケヴィンは夢中になって、ヒュージドラゴンの口をこじ開けようとするが、どうしても 力が入らない。 「くそーっ! くそーっ!」 ケヴィンは今にも泣きそうな顔で、大きなキバをつかむ。不意にボロッと、そのキバが 外れた。 その、落ちたキバのすきまからだらんと腕が出てきた。溶けかかり、折れたブロンズソ ードを未だに握り締めたままの焼けただれた腕だった。そして、彼は見た。その外れたキ バのすきまからはみ出る腕とつながっている、真っ黒に焼け焦げた何かを。 「!」 ケヴィンは息をのみ、手を離して後ずさった。すると、ヒュージドラゴンの頭が、グラ ッと揺れ、頸がもげた。 ドウンッ…。 地面にささっていた頭蓋骨が倒れる。その拍子にはみ出た腕がたやすくちぎれて、下に 落ちた。 とさっ。 みんな目を見開いてその腕を見た。血とススで黒く汚れ、皮もはがれ、肉がえぐれて剥 き出しになっている。骨さえも溶けた肉のすきまから見えていた。誰のかわからないほど、 腕の状態は酷かった。 それでも、確かに見覚えがある腕だった。 「…うそ……だろ……?」 ホークアイがかすれた声を出した。ケヴィンががっくと膝をつく。リースは立ちくらみ を起こし、シャルロットは声もなく泣き出した。アンジェラはガタガタとひどく震えはじ める。 「……イヤ…、イヤ、イヤよ! ヤダヤダ! イヤァァーッッ!」 アンジェラの絶叫が聖域に響き渡った。 誰も、何も言わなかった。 その腕に土をかけ、ここに咲いていた小さな花を添える。 小さな墓だった。 どれくらい、その墓を眺めていただろうか。 「行こう……」 ポソッとホークアイがつぶやいた。 重たい足を引きずって、ゆっくりと歩き始める。一人、また一人とゆっくりと墓を後に する。 だが、動かない人が一人。 「アンジェラ……。帰りましょう……」 静かにリースが声をかける。 「良い…。あんた達だけで帰って…。私…、ここにいる…」 「アンジェラ…、そんな…」 「ずっと…ここにいる…。私はここにいる!」 涸れたはずの涙がまたあふれ出した。 「そんな…。ここに残ってどうするんですか!?」 「私はあいつと一緒にいる! ずっとずっとずっと! ……ずっと一緒にいるんだから っ!」 「うるせぇぇぇぇーっっ!」 たまらなくなってホークアイが叫んだ。 「おまえのワガママもいい加減にしろ! てめぇのワガママにずっと付き合わされるアイ ツの事も考えろ! それに! てめぇにゃおふくろさんが待ってんだろうがっっ!」 「!」 アンジェラの顔がこわばった。 「……でも……でも……、でも……」 最後の方は声にならず、アンジェラは泣き崩れた。ホークアイはそれを見て、いらだた しげに背を向ける。歯を食いしばり、拳を強く握り締める。 「さぁ…。帰りましょう…。ね?」 震える声をかけ、リースはそっとアンジェラの肩に手をかける。 小さくうなずいて、アンジェラは立ち上がった。後ろを気にしながら、ゆっくり、この 場を後にした。 ずっと我慢していたのだろう。フラミーの上でホークアイは気を失った。シャルロット に回復魔法をかけてもらっていたのだが、途中でマナが無くなってしまい、かけきれなか ったのだ。 マナの木は枯れ、マナも無くなり、マナの女神もいない。 何もできなかった脱力感でいっぱいになる。確かに、確かに世界が竜帝によって滅亡の 危機に脅かされる事はなくなった。だが……。 とにかく、ホークアイの治療をしようと言う事で、ウェンデルに行く事になった。 「おお…! シャルロット!」 「おじーちゃん……。おじーちゃーんっ! 光の司祭はシャルロットを見るなり駆け寄った。シャルロットも駆け出した。 「おじーちゃん!」 シャルロットは力いっぱい祖父に抱き着いた。祖父は、優しく抱き締めてくれた。 「おお、シャルロット…。無事で本当に良かった…。おまえにもしもの事があったら、わ しは…わしはリロイとシェーラに申し訳がたたん…」 その手で孫の無事を確かめて、司祭は心底ホッとしたようである。 「……ところで、おじーちゃん病気は?」 抱かれたまま、シャルロットが尋ねる。とたん、司祭の顔がくもった。 「……それが…。わしが病気でうなされていた時、ヒースがわしの夢枕にたってな。禁じ られた古代魔法を使ってわしの命を救ってくれたんじゃ…。その古代魔法は術者の魂を奪 う呪法。こんな老いぼれのためにそんなのもの使うなと止めたのじゃが…。自分の魂が闇 に堕ちるまえにと……」 「…そ、そんな…。そんな…」 シャルロットにとって、それはダブルパンチだった。わなわなと震え、祖父の胸で泣き 出した。 「イヤ…、イヤでち…。こんなのイヤでち…。デュランしゃんの上に、ヒースまで……」 「なんじゃと!?」 司祭は、いまさらながら見知った顔がないのに気づいた。無鉄砲そうで、世界の命運を 預けるには随分不安にさせられた若者がいなかった。 「イヤでち…イヤでちぃ……」 どうしようもない心の重さに押し潰されそうで、シャルロットは祖父にしがみつく事し かできなかった。 「どうですか? ホークアイの様子は?」 「ええ…。元々基礎体力のしっかりした方ですから。心配いりませんよ。安静にしていれ ばじきに治ります」 リースの問いに、神官がていねいに答える。 「ただ…、よほどのショックを受けたらしく、気力と言いましょうか、活力を失ってらし て、それが治りを遅めています…」 リースはギュッと目をつぶった。精神的にダメージを受けたのは何もホークアイだけで はない。当のリースだってそうだ。 彼の事を思い出さないように懸命に努力しているのだが。やはりダメなのだ。気を抜け ば、涙腺がゆるんできて、胸がしめつけられるように痛い。とても痛い…。 シャルロットは毎日毎日ぐずってばかり。ケヴィンはボーッと表情も無く空ばかり眺め ている。アンジェラは食事をほとんど取らず、睡眠もあまりできず、日に日にやつれてい く。 「アンジェラ。ほんの少しだけ。少しだけで良いですから、おかゆを食べて下さい」 しかし、アンジェラは無言で首をふる。食欲がまったくないのだ。どうしても食べたく ないのである。彼女もホークアイと同じように、ほとんどベッドから動けずにいた。 帰ってきた五人は本当にボロボロだった。それでも唯一、リースが動き回っていられた のは、四人の、特にホークアイとアンジェラの世話をするという仕事があるからだった。 ホークアイのように、ベッドで過ごさなければならない毎日だったなら、そうもいかなか っただろう。とはいえ、当のリースも食事の量は以前に比べ減っていたし、よく眠れない 日々が続いている。 「そういえば…」 「うん?」 おかゆを持ったままのリースが思い出したようにつぶやく。ホークアイはベッドの上で 顔だけを動かした。 「…デュランの事…デュランのご家族に言わないと…いけないですよね…」 「!」 ホークアイは目をむいて、アンジェラも思わずリースを見る。今、この部屋には彼らだ けがいる。 今までショックで忘れていたが、彼の事で悲しむ人間がまだいた。 話にしか聞いた事はないのだが、伯母と妹がいるそうだ。英雄王にも報告に行かねばな らないだろう。 「…親子そろって…か…。英雄王の気持ちが今更ながらわかるよな…」 自嘲した声で、ホークアイがつぶやく。 彼の死を、家族に報告せねばならないなんて、嫌な役目だ。あの時、デュランはまだ幼 かっただろう。どんな気持ちで、あの報告を聞いたのか。 「それ…どうするの…? その…誰が…行くの?」 アンジェラは青ざめた顔で言う。それほどに嫌な役目はない。 「ん? …まあ…俺の怪我が治ったら、…俺が行くよ」 静かだが軽い調子で、ホークアイがそう言う。苦笑して見せる彼を、アンジェラはまじ まじと見た。 「私も行きます」 すぐにリースが自分の胸に手を当てた。今度はリースの方に顔をむけるアンジェラ。 アンジェラは、ほうっと息をつく。 「…ううん、みんなで行こう…」 首をゆっくり振りながら言う。ホークアイもリースも、アンジェラを見た。 「行くのは嫌だけど…やっぱり、行かないのはもっと嫌だわ…。きっと、みんなそうよ…」 仲間だからこそ、無責任になりたくない。それは、きっとみんな同じ気持ちに違いない。 「……そうだな…」 苦笑して、ホークアイはまた、枕に頭をうずめる。 「それじゃあ、それまでに怪我を治して………」 言いかけて、リースは口をつぐんだ。まったく皮肉な展開である。これでは、治りが早 まるわけがない。 「と、ともかく。ここにおかゆを置いておきますから。何かあったら呼び鈴を鳴らして下 さいね」 とってつけたようにリースはそう言って、アンジェラのベッドの隣の横の机におかゆを 置く。そして、この部屋から出て行った。 思わず、顔を見合わせるアンジェラとホークアイ。そして、二人はそろって重いため息 をついた。 「はぁ……」 リースもため息をついてそこの椅子に腰掛けた。 ここは大聖堂。マナの女神の大きな神像が優しくほほ笑みかけている。 「……マナの女神さま……。…私はどうすれば良いでしょうか……。何か、私にできるこ とは…」 言いかけて、リースは目をむいた。一条の光が神像の前に降り注いだのである。 「な、な………」 リースが口をぱくぱくさせている間に、そっと降り立つように現れた人物がいた。その 人物に、リースは見覚えがあった。 「…えっと…確か、ヒースさん…?」 「はい。僕のこと、覚えておいてくれたんですね」 ヒースはにっこりほほ笑んで見せた。 「ど、どうして…?」 「ええ。すべてはマナの女神様のおかげです…」 「でも、女神様は竜帝に……」 ヒースはゆっくり首をふる。 「マナの女神様はお亡くなりになってません。フェアリーを覚えてますか?」 「ええ…」 「フェアリーは……」 「…ヒッ、ヒース!? どうちて!?」 シャルロットの声に振り向くと、大聖堂の入り口で、彼女が目を真ん丸に見開いて、突 っ立っていた。 「シャルロット!」 「へうう、うっく、えっぐ…。うわああん、ヒースぅ、ヒース!」 わーっと泣いて、シャルロットは一目さんに駆け寄ってヒースに抱き着いた。 「ヒース! ヒース! 生きてる! 生きてる! ヒースが生きてる!」 「ごめんね。心配かけたかい?」 「ふえええぇん! ヒースぅーッ!」 「お、おいおい、シャルロット…。大丈夫だよ…、もうどこにもいかないから…。そんな に泣いたりしたら、せっかくの可愛い顔が台なしだよ…」 優しくシャルロットの頭をなでて、ヒースはそう言うのだが…。 「えぐえぐっ…。うっわああああんんびええええええええっっ!」 シャルロットの泣き声は凄まじく、神殿中に響いていた。 to be continued... |