「こっちだ」
  地図と方角で確認して、ホークアイは別れ道で右を指さした。雨上がりの乾きかけの道を、
4人はひたすら歩いていた。
「はぁ…。町はおろか村さえも見えないのね…」
「このへんはな。普段なら、馬車くらい出てるんだろーけど…」
「物騒になっちまったからなー」
  歩いて行くしかないのだ。
「あーあ。やってらんないわ!」
  アンジェラはふてくされて、石ころを蹴っ飛ばす。
  その石ころは弧を描いて飛んでいき、草藪の中に飛び込んだ。
「ぐあっ!」
  声がした。
「声?」
「誰かいるのか?」
  まさか誰かいるとは思わず、全員がそこに注目した。やがて、草藪が動いて、やたら不機嫌
そうな顔のゴブリンが顔を出した。
「げ」
「…ニンゲン…。久シブリニ女子供ガ食エルトハ、オレモラッキーダ。ミンナ、来イ!」
  ゴブリンはそう叫ぶと、あたりじゅうに響き渡る遠吠えをはじめた。
「げげっ!  仲間を呼ぶつもりか!?」
「さっさと片付ける!」
  デュランは剣を抜いて切りかかる。ゴブリンも驚いて応戦するが、戦闘力に歴然の差があっ
たようだ。
  キィン、カシ、ザシッ!
  あっと言う間にゴブリンは切り殺されてしまった。
「早くずらかろうぜ、ゴブリンのこった。きっとどんどん仲間を呼びやがる!」
  ホークアイが駆け出したので、残りの二人もつられて駆け出した。デュランもすぐさま剣を
鞘におさめ、彼らの後を追おうと駆け出す。が、彼らはすぐにこちらに戻ってきた。
「え?」
「たくさん来やがったんだ!」
  呆然とするデュランの横を駆け抜けながら、ホークアイが言い捨てる。思わずデュランが目
の前を見ると――。
  いるわいるわ。ゴブリンがたっくさん。道を埋め尽くしてやってくるではないか。
「うわああああぁぁっ!」
  とても一匹一匹片付けようという数ではない。デュランも回れ右をすると一目さんに駆け出
した。
「なんでこうなるんだっ!?」
「いっぱいいるでちぃ!」
「えーっと、あっちに川があるはずだ。そこまで走れ!  ヤツら泳げない!」
  ホークアイが走りながら地図を取り出し、南の方向を指さして方向を転換する。それに続く
3人。ゴブリンの軍団はまだ4人を追ってくる。
  小さな林を抜けると、あまり大きくない川が見えてきた。
「ど、どーやって渡るんでちか?  橋もないでちよ!」
  普段は浅い川なのだろうが、先日の雨のせいで増水してるらしく、色も濁っていた。
「…おまえじゃ無理か。しょーがねぇ!」
  ホークアイはシャルロットを小わきに抱えると、身軽に川の上に点々とある石の上を飛んで
渡る。
「そ、それを私にやれっての!?」
「だったら歩いて渡れ!  流れはゆるやかだし、たぶん、そんなに深くねぇ!」
「そんなにって…」
  本当に?
  アンジェラは言葉を飲み込んだ。増水しているせいで濁って底が見えない。いつもなら、澄
んでいる川だったりするのだろうか。
「来るぞ!」
  デュランは慌ててホークアイの後をたどろうと、石の上に飛び移る。
「ちょ、ちょっと、置いてかないでよぉ!」
「早く来いよ!」
  デュランが後ろを振り返った途端。
「うわぁーっ!?」
  どぼーん!
  足を滑らせて川に落ちた。
「畜生!  足がすべった!」
  ずぶ濡れになりながら、デュランは立ち上がり、流れを歩いて渡りはじめる。ホークアイの
言うとおり、川はそれほど深くないらしく、デュランの太ももくらいまでしかない。しかし、
全身ずぶぬれになるなら最初から歩いて行けば良かった。
「や…やだぁ…」
  アンジェラが数歩後ずさると、荒い息遣いが背後からたくさん聞こえた。恐る恐る振り返る
と、ゴブリン達が自分を取り囲もうとゆっくりと近づいてくるではないか。みなよだれをたら
し、今にも襲いかかりそうだ。
「いやあぁーっ!」
  アンジェラは夢中になって石の上に飛び移る。
「よっ!  よ、よいしょっ!」
「うがぁー!」
「てやぁー!」
  川を渡れないゴブリン達は、河原の石をつかんではアンジェラに向かって投げ始めた。
「うわわわっ!  キャッ!  イタッ!」
  石を避けようとしたのだが、当たってしまい、その拍子に足を滑らせた。
「キャァーッ!」
  どぼーん!
「んもうーっ!」
  なるほど、それほど深くない。アンジェラもずぶ濡れになりながら、バシャバシャと川を歩
いて渡る。その間中、ゴブリン達は石を投げてくるのでたまったものではない。
  やっと川を渡り、4人はまた走りだす。
  ゴブリン達が見えなくなり、声も喧噪も聞こえなくなるまで走り、少しひらけた場所でやっ
と足を止める。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
「ふぅ…、ふぅ…、ふぅ…」
  4人は息も絶え絶えで、膝をついたり、しゃがみこんだりして、息を整えていた。
「……ん…?  あ、あり…、アンジェラしゃん…足に…」
「え?  なに?  ………キャーッ!  なにこれぇっ!?」
  なんと。黒い、大きなナメクジみたいなものがアンジェラの足に張り付いていた。
「ゲッ!  蛭!」
「なんだとぉ!?」
  デュランはいきなり靴を脱ぎ、ズボンを脱ぎ出したので、思わずシャルロットとアンジェラ
はデュランに背中を向けた。
「ば、馬鹿!  な、なんでいきなり脱ぐのよ!」
  見慣れないらしく、アンジェラは顔を赤らめて怒鳴った。
「男のストリップショーはあんまり見たくねぇなぁ…」
「やかましい!」
  怒鳴りながら、デュランは足に張り付いた数匹の蛭を取り除く。下着の中も調べているが、
幸い、そこに蛭はいなかった。
「なんなの、これぇ!?」
「蛭。知らない?  ヒトや動物にそうやって吸い付いて血を吸うんだよ」
「えーっ!?  もうー、信じらんなーい!  シャルロット、ちょっとこれ取ってよ!」
「えっ!?  やだやだやだやだ!  そりは嫌でち!」
  触るのも嫌なものを取れというのは酷な注文で、シャルロットは首を振って後ずさる。
「俺が取ってあげるよ」
「イヤッ!」
  ホークアイがニヤニヤしながら言ってきたので、アンジェラは声を振り絞って叫んだ。足の
数箇所を食われているのである。太ももにも1匹いるのに、取るついでに足に触られそうだ。
  自分で取るしかないと知り、彼女は今にも泣きそうな顔で、蛭をつまむ。触るのは嫌だが吸
われるのはもっと嫌だ。しかもこの蛭、なかなか離れない。
「…ま、いいけど…。あ、それと、きっと靴ん中にもいるぜ。まぁ、血を吸われた所で何がど
うってワケのモンじゃねぇけど…」
「気持ち悪いわよぉ!  もぉ!  なんでこうなるのよ!」
  ホークアイに言われて、アンジェラは靴も脱ぎはじめた。彼女の白くてきれいな足に吸い付
く蛭は確かに不気味だが、ホークアイはそれ以外のものをなんとなく感じてみたり。それにや
はりアンジェラの足は良い。
「クソッ!  上半身にゃいねぇだろーなぁ!」
  一方、デュランは鎧も上着も脱ぎ出して、裸になる。筋肉質なので見栄えするが、誰も彼の
方は見ていないようだ。
「おい、ホークアイ。背中とかにいねぇか?」
  アンジェラの足を鑑賞していたホークアイだが、呼ばれて目を向けるとデュランの背中に張
り付いている蛭が一匹。
「ん?  …あ、背中に一匹いるぜ」
「げぇーっ!  とってくれよ!」
「1匹につき10ルク」
「ぶん殴るぞ!」
「…冗談だよ…。………ホレ…」
  ホークアイはデュランの背中に張り付いたヒルを取ってくれた。はがした蛭を地面に落とし、
踏み潰す。
「くっそー。気持ち悪いなぁ…」
  蛭にかまれた跡から、血が流れ出ていた。痛くないが、気持ちの良いものではない。
「そういやあ、蛭って薬になるんだよな。どんくらいの値がつくんだろな?」
「知るか!」
  服をぎゅっとしぼりながら、デュランは不機嫌そうに怒鳴った。
「あ、ほら、アンジェラも服ん中に蛭がいるかもしれねーぜ?」
  ホークアイは、足についた最後の蛭をとっているアンジェラの方に目をむける。彼女は思わ
ず顔を引きつらせた。自分も全身ずぶ濡れになるほど川に入ったのだ。蛭なぞ、服の中に入り
込んでしまうのは、デュランを見ていてもわかる。
「い、やだぁっ!  やだぁっ!  あっち行ってよぉ!」
「でもほら、早くしないと、服ん中に蛭がいると血を吸われて…」
「いーやーっ!  こんな時にどういう神経してんのよ!」
「アンジェラしゃん、ほらこれ!  これかぶるといいでち!」
  シャルロットはとっさに毛布を取り出して、アンジェラに手渡した。
「あ、ありがとっ!」
  アンジェラは毛布を頭からすっぽりかぶると、中で服を脱ぎ出したらしい。
「ちぇっ」
  ホークアイは残念そうに舌打ちした。
「おい、もういねぇよな?」
「…いねぇよ」
  声をかけられて、ホークアイはちょっとデュランを見て無気力にそう言った。


「ねぇねぇ、蛭、どのへんにいた?」
  たき火を囲んで、ホークアイは笑顔でアンジェラに話しかけた。
「おなかとか背中とかにいたかなー?  背中なら僕がとってあげたのになー」
  アンジェラは顔をあげて激しくホークアイをにらみつけた。本当は泣きたいくらいに情けな
くて、悔しくて、気持ち悪くて、腹立たしい事だけど、人の前でどうしても泣きたくなかった。
「…や、やだなぁ、冗談だってば…、な…?」
「ったくよー。冗談じゃねーよ」
  髪の毛を拭きながら、デュランも不機嫌そうに言う。さっきまでパンツ一丁だったのだが、
女性陣に言われて、今はズボンもはいていた。
「でも、数日経てば、川もキレイになるだろうし、蛭も出にくくなるよ」
「本当でちか?」
「ああ。蛭ってのは、沼とか、川の流れの悪い場所とか、汚いトコによくいるんだ。増水の影
響がなくなって、川が澄めばたぶん、今日みたいな食われ方はしねーぜ。たぶん」
「へー。ホークアイしゃん、よく知ってまちねぇ!」
  シャルロットは蛭の被害にあってないので、素直にそう言えるが、蛭に食われたアンジェラ
はただただホークアイを睨みつけるだけだった。
「なによ、他人事みたいに言って!  どんだけ気持ち悪いかわかる!?」
「俺だって蛭に食われた事くらいあるよ。だから知ってるんだろ。それに、今回は川蛭だった
けど、山蛭だって相当いるんだぜ?  ヤツら、湿気の多い森とか歩けば、すぐに上からぽとぽ
と落ちてくるんだからよ。蛭の被害は、この先ないなんて言えねーぞ?」
  ヒステリックに叫ぶアンジェラに、なだめるように穏やかに言葉を返す。
「もー、蛭の話題はやめてくれ。聞くだけでも腹が立つ」
  それもそうなので、ホークアイはそれ以上、蛭の事は話題には出さなかった。


「なんで…、なんでこうなるの…?」
  自分の、自慢の白い肌に食いついた蛭を見て、本当におぞましい気分だった。内股に食いつ
いているのを見た時は、一瞬、気が遠のくかと思った。
  服の中には2匹もいた。横腹に1匹、もう1匹は食われはしなかったが、服の裏側に張り付
いていた。
  すぐに着替えて、シャルロットに回復魔法をかけてもらったので、傷自体はたいしたもので
はなかった。けれど、心の傷はかなりのものだった。
  旅が大変なものだろうという覚悟はしていたつもりだった。
  しかし、この情けなさはなんだろう。
  情けなくて、汚くて、惨めで。周りの全てに対する嫌悪感でいっぱいだった。
  さっきのホークアイの嫌らしい目が耐えられない。そういう対象で自分を見る目が許せない。
時々、デュランも自分をそういう目で見るのが腹立たしい。
  この王女が。魔法大国アルテナの王女が。こんな不気味な生き物に吸い付かれ、こんな卑し
い男達の好奇な目にさらされるのが我慢ならない。
  そう思うと、いくら奥歯をかみしめてもまぎれるものではない。
  たき火を囲んで、他の3人は寝てしまったらしい。毛布やマントをかぶって、寝息をたてて
いる。
  3人が寝てしまったから。誰も見てないから。
  こうやって、小声でつぶやいて、わずかに涙を流せる。
  ぼろぼろ泣きたくない。そんな情けなくて弱い所なんて絶対見せたくない。
  目をぎゅっとつぶって、両手で顔をおおう。
  泣いちゃ駄目だ。こんな所で泣いちゃ駄目だ。
  必死に自分に言い聞かせ、アンジェラは呼吸を繰り返した。
  何も考えないように、絶対何も考えないようにして、アンジェラはやっと横になる。
  川の流れる音が遠くで聞こえていた。

                                                          to be continued...