「はーっ…」 深いため息をついて、アンジェラは自分の爪を眺めた。 「どしたんでちか? ふかーいため息なんてついて」 ベッドの上ではねて遊んでいたシャルロットが、アンジェラに話しかける。 昨日、今日と雨が続いている。わざわざ雨の日に出発する事もないと、足止めしているが、 昼もだいぶ過ぎた頃になって、雨は止む兆しを見せていた。 「痛いなーと思ってたら、爪が割れてたのよ」 細い指先に形の良い爪が並んでいるのだが、無残にも人差し指の爪がパッキリ割れて、血も 滲んでいた。いつの間に割れたものか見当がつかなかった。 「あや、血が出てるじゃないでちか。治しまちか?」 「お願いするわ」 アンジェラは素直に指先をシャルロットに差し出した。シャルロットもつい最近魔法が使え るようになって、魔法を使えるのが嬉しくて、たいした事のない傷でも治してくれる。 たどたどしく呪文を唱えると、シャルロットの手のひらに白い光りがともり、それをアンジ ェラの指先にあてる。 「ふう…」 この治癒の光は優しくて、何回浴びても心地良い。 「ありがと。……あら…? 爪が治ってないじゃない」 治癒が終わり、アンジェラがもう一度自分の指先を見ると、確かに血が消え、傷痕もなくな っているが、爪にひび割れがまだちょっと残っていた。 「え? 傷は治ったんでちょ?」 「爪もちゃんと治してくんなきゃ困るじゃない。それでもクレリックなの?」 治してあげたのにそんな事を言われ、シャルロットも不機嫌そうになる。 「いーじゃないでちか。爪くらい。ちょっとだけだち。大体、そんなにとがらしてるから割れ るんでち」 「なにいってるの。この爪も指もいつもキレイにしてなきゃいけないのよ? ネイルケアは女 のたしなみじゃない!」 「いつも手袋してるくせになに言ってるでちか! それでどこのだれが見るってんでちか!」 「いつどこで誰が私を見るかわからないのよ!? その時、汚い爪をしてたらどうなるのよ! それだけで私の価値が下がるわ!」 「あんたしゃんの価値は爪で上下左右するんでちか!?」 シャルロットもいきりたってベッドの上に立ち上がる。 「爪も加えてよ! 指先も、いつ見られても恥ずかしくないようにするのがレディでしょう が!」 「くっ…!」 それについては言い返せないようで、シャルロットは口をひんまげた。 「ぶっ、ぶぶ、ブスがなにしたってブスはブスでち!」 「ぁんですってぇ! ちんくしゃのあんたに言われたくなわいよ!」 「な、なんでちか、そのちんくしゃって!」 「それも知らないの? 狆っていうへちゃむくれの犬がくしゃみしたようなぶっさいくな顔っ て事よ! 今のあんた、それにソックリよ!」 「むっきー! ぶすーぶすー! どぶすー!」 悔しくてシャルロットはばたばたはねて怒鳴り散らす。 「ふん。言葉もたいして知らないガキんちょになに言われたってなんって事ないわよ!」 「ぶすーっ!」 声の限り叫び、泣き出すと、ベッドから飛び出した。 「ぶびえええええぇぇっっ!」 「お、なんだよ、びーびー泣いてよ」 部屋で剣を磨いていたデュランは、部屋に泣きながら飛び込んできたシャルロットに驚いた。 「アンジェラしゃんがいぢめるんでちー! シャルロットの事を、へむくちゃれのくしゃみち んだっていぢめるんでちー!」 「はぁ?」 シャルロットの言ってる事がわからなくて、デュランを顔をしかめた。 「ひどいでちー! ぶしゅのくせにシャルロットの事をむちゃへくれいぬくしゃみちんだなん て言うんでちー! びえぇぇぇぇっ!」 「なんだよ、なんか言われたのか?」 剣を鞘におさめ、デュランはシャルロットの方に体を向ける。どうやら口げんかで負けたら しいというのはわかるのだが…。 「このうちゅくちーシャルロットにしょんらへくちゃちんだなんてー!」 「チッ…、あーあーあー、ほらほら、泣くんじゃねぇよ。なにいってるかわかんねーよ」 「デュランしゃんまでもシャルロットの事をいぢめるんでちかー!」 「いじめてねぇから。ほれ、泣いてたら言葉が聞き取れねぇっていってんだよ」 手ぬぐいを取り出して、デュランはシャルロットの顔をふいてやる。 「えぐっ…えぐっ…ふえっ…」 顔をふいてもらいながら、シャルロットは鼻をすする。その様子を、デュランは優しい顔で 見つめている。郷里においてきた妹を思い出しているのだ。彼女も、幼い頃はよく泣いていた。 「えくっ…。………ぶびーっ!」 「あっ! 俺の手ぬぐいで鼻をかむやつがいるか!」 「…えぐっ、すすん、すすすん! らって…だって…!」 「チッ! あーもう! 好きなだけ鼻でもかみやがれ!」 手ぬぐいを離して、デュランはまた椅子に腰掛けた。 ぶびー! ずびばーっ! 「………ふう」 シャルロットは言われた通り、好きなだけ鼻をかむと、それで鼻の下をふいて、デュランに 返した。それをひきつった顔で見るデュラン。 「涙するれでぃには…白くてきれいで…花の刺しゅうのついた…ハンカチを出すものでち…」 赤い目のまま、シャルロットがそう言うと、デュランは不機嫌そうに手ぬぐいをもぎとった。 「で? なんだよ。俺の手ぬぐいで鼻かんでまで、アンジェラに何言われたんだよ」 デュランは涙と鼻水で濡れた手ぬぐいを机の上におく。 「そうでち! アンジェラしゃんたらもーひどいんでち! このシャルロットがせっかくせっ かくせっかくお指の傷を治してあげたのに、爪も治せって文句言うんでち!」 「はあ?」 やはり言ってる事がわからず、デュランは顔をしかめた。 しかし、それでも聞き出した話によると、傷ついた指先を治したのだが、爪までは治らず、 そこを文句言われたらしいというのはなんとかわかった。 「はぁーっ…」 事の顛末にデュランは深いため息をついた。馬鹿馬鹿しくてものも言えないのだ。 「ひどいんでち! そのうえシャルロットにむかって、へちゃ、ちゃへ…ちー…? チンヘチ ャムシャとか…そんな事言うんでち?」 「なんだそりゃ?」 「ぶ……ぶさいくだって…」 「…………あー、狆くしゃの事か」 「そう! それでち!」 シャルロットは思わずびしっとデュランを指さした。 「傷を治してあげたのに、そんなこと言われて、シャルロット悔しいでち!」 「まー…、そりゃな…」 肘をついて、デュランは息を吐き出す。 アンジェラとのトラブルははっきり言って多い。シャルロットもそうだが、デュランだって 負けないくらい、彼女とトラブルを起こしている。細かいものにいたっては、それこそ数え上 げたらキリがない。 「おーい、メシ買ってきたぜー」 ホークアイが部屋にやってきて、ドアから顔を出した。 「ん? おお、あんがと」 ここの宿は朝食しか食事が出ないので、それ以外の食事はどこかでして来なければならない。 なるべく無駄遣いはしない、という事で、値段が安い持ち帰りの店まで、ホークアイが買いだ しに行っていたのだ。 「魚がうまそうだったから、それ買ってきた。シャルロットはこっちで食うのか?」 美味しそうな匂いのする、湯気のたつ包みを机の上に並べながら、ホークアイはシャルロッ トに話しかける。 シャルロットが深く頷くのを見ると、ホークアイは包み全部を机の上に置いた。 「んじゃ、そこで待ってな。椅子持ってくるから。ついでにアンジェラも呼んでくるわ」 「だめでち!」 「は?」 鋭く言うシャルロットに、ホークアイは足を止める。 「なんだよ。どうしたんだよ」 「アンジェラとケンカしたんだよ」 「ああ」 不思議そうな顔をデュランに向けると、彼が説明する。それでホークアイはすぐに納得した。 「我慢しろ。これからずっと一緒にいる事になるんだから」 「ずっとって、いつまででちか!」 「さあな。ともかく、精霊を集めん事には、何とも言えん」 「ぶうう!」 シャルロットは顔を膨らませた。 「ったく…」 ホークアイは小さく悪態をつくと、少し離れたアンジェラ達の部屋に赴く。続けて部屋がと れなかったのだ。 「おい、アンジェラ。メシだ。来いよ」 ノックしながらそう言うと、不機嫌そうなアンジェラがドアから顔を出した。 「ごはんって…どこに?」 「俺たちの部屋にある。椅子持ってこいよ。食べよう」 「嫌。一人で食べるから、私の分だけ持ってきてよ」 「おいおい。一人で食ってもつまんねーだろ。一緒に食おうぜ」 「嫌」 「………………はぁー…」 ホークアイは額に手をついてため息をついた。 「じゃ、椅子ひとつ貸してくれ」 アンジェラは無言で椅子ひとつ持ってくると、ホークアイに手渡す。彼は廊下を歩きながら、 肩をすくめた。 「? アンジェラは?」 デュランは早くも魚の包みを開けながら、部屋にやってきたホークアイに尋ねる。 「一人で食うんだとよ。一緒に食えば良いのに…。一人分、持ってくぜー」 椅子を置くと、ホークアイは一人分だけあまった包み紙に分けると、それを持ってまた部屋 を出た。デュランはホークアイの背中を不思議そうな顔で見送った。 「デュランしゃん、そこのポテト取ってくだしゃい。ついでにお塩も」 「お、ああ。ほれ」 もぐもぐとしたシャルロットの声に我に返って、デュランは手近にある、茹でたジャガイモ と塩を取ってやる。 「あんがとしゃんでち」 アンジェラが未だむくれているのに対し、シャルロットはもう涙も乾いてしまったようで、 目の前の魚に夢中になっていた。 「………………」 アンジェラは無言で魚をナイフとフォークで切り取りながら、口に運ぶ。魚も茹でジャガイ モもまだすこし暖かくて、湯気が残っていた。 それが妙に嬉しくて、食もすすむ。城にいた頃の倍は食べているかもしれない。 「…バター、もうないのかな…。塩はどこかしら…?」 ジャガイモを食べながら、塩が欲しくなって、アンジェラは包みをめくったりする。 廊下の方から、シャルロットの笑い声が聞こえた。そこで、アンジェラはドアが開けっ放し である事に気づいた。 「やだ…。ホークアイのヤツ、きちんと閉めていかないんだから。…塩だって、持ってきてく れれば良いのに」 椅子から立ち上がり、アンジェラは部屋のドアノブに手をかける。廊下に響く声が自然に耳 に入ってくる。なにか、ホークアイがふざけているようで、デュランも一緒に笑っているらし かった。 「…!」 バタン! 不機嫌そうに眉をしかめ、アンジェラは強くドアを閉めた。 「ふん! 薄い壁で困るわ。防犯だってどうなってんのかしら。ホークアイがケチケチするか ら、こんな安宿で。夕食も出やしない!」 プンスカして、椅子に座り、妙に塩気のないジャガイモを口にいれる。 「………………」 ジャガイモは、口の中でぱさぱさしていた。温度もだいぶぬるくなってきている。 「不味い…。安いの買うからだわ…」 食べかけの魚とジャガイモを包み紙で乱暴に包むと、それをゴミ箱の中に投げ捨てた。 「アンジェラしゃあん! アンジェラしゃーん!」 シャルロットがどんどんとドアを叩くが、部屋の中からの反応はない。もう一度ドアを叩こ うとすると、隣の部屋から知らない男が顔を出して、にらみつけられてきた。 「うるせぇ…! こっちは疲れてんだ。夜に騒ぐんじゃねぇ!」 その男がガラが悪そうだったので、シャルロットはひくっと引きつった。 「アンジェラしゃん! アンジェラしゃんってば! ねんねしてんでちか? 起きてくだしゃ いよぉ〜!」 小声で言っても熟睡しているアンジェラに届く事もなく。シャルロットはため息をついた。 「どうしたんだよ、シャルロット」 夜の素振りを終えたデュランが、部屋の前で困っているシャルロットを見つけた。 「なんかね。アンジェラしゃんがね、中でおねんねしちゃってて、起きてくんないんでち。ド アを叩いたら、隣のおやぢがうるさいって文句言うし…」 鍵が中からかかっているので、アンジェラに起きてもらうしか、部屋に入る方法がない。 「…そっか…。じゃ、来いよ」 「どこに?」 「俺たちの部屋」 「デュランしゃん達の部屋って…も、もしかして…でゅ、デュランしゃんと、ホークアイしゃ んと一緒の部屋で寝るんでちか!?」 「廊下で寝るより良いだろ?」 「い、良いだろって…」 シャルロットがたじろいでいるのを尻目に、デュランは部屋に入る。 ホークアイはベッドの上で柔軟をしている。見かけによらずとても柔らかく、足を大きく広 げてぺったりつける事もできるくらいだ。 「気持ち悪い程やわらかいな」 「間接もはずせるぜー? 見るか?」 「見ねぇよ」 ホークアイの方を見もせずに、デュランは素振りに使っていた剣をしまっている。 「どうしたんだよ、シャルロット。来いよ」 「シャルロット? シャルロットがどうして来るんだ?」 柔軟の姿勢をやめて、ホークアイはデュランの見る方向を身を乗り出してのぞきこむ。 「あの…その…」 シャルロットは部屋の入り口でまだもじもじしている。 「どうしたんだ?」 「アンジェラが鍵かけたまま寝ちまって、締め出しくらったんだよ」 「ああ。そりゃ難儀だ。来るか?」 ホークアイが声をかけると、シャルロットはさらにもじもじしだした。 「…でも…男の子達の部屋に、うら若き乙女が一人で…入るなんて…」 「さっき部屋に入ってたじゃねーか。なにいってんだよ」 「…そ、そりは…そうでちけど」 食事と寝るとではワケが違う。そう言いたいのだが…。 仕方なく、シャルロットはため息をついて中に入る。 「…で、でも、シャルロットはどこで寝ると良いんでちか?」 「俺のベッドで良いだろ? それほど小せぇベッドでもねぇし」 「…デュランしゃんはどこで寝るんでちか?」 「俺もそのベッドで寝るけど?」 「なんでちって!?」 シャルロットはオーバーアクションで激しくのけぞった。 「そ、そそそんな! そんな! うら若くも美しいをとめとべ、べべべ、ベッドをととと、共 にするなんて!」 「おいおい、デュランちゃん本気?」 さすがにホークアイも苦笑する。 「だって床で寝るの嫌だし。それに、ちっこいから平気だろ」 「だれが!」 「おまえが」 あっさり言い放つデュラン。彼にとってシャルロットは女性という対象ではなかった。 それがわかったホークアイは思わず苦笑する。 「なるほど。そーいうことね」 「どーいうことでちか!」 シャルロットは笑っているホークアイを振り返る。 「じゃ、俺、風呂はいってくるわ」 さっさと用意して、デュランは部屋を出て行く。残されたシャルロットは部屋の真ん中でま だもじもじしていた。 「まさか…、ましゃか、デュランしゃん…、このうつくちいシャルロットに…くらくらしちま って…そして…その…どうしようでち…」 「まぁ、おまえが心配してるよーな事にはならんから、大丈夫なんでないの?」 「本当でちか?」 「100%言い切ってやるよ」 「……………」 しかし、シャルロットは黙っている。 「なんだよ。おまえさんは安全なんだぜ? 怖い夢を見たってとなりに、いかついにーちゃん がいるから平気だろ? なにが不満なんだよ」 「…べ、べつに、不満なんか…」 そう言いながらも、口をとがらせている。 「……デュランしゃんは、アンジェラしゃんでも同じ事言うでちかね…」 「言わねーし、俺だってんなことさせねーよ。ま、なによりアンジェラが嫌がるだろーけどな」 「じゃなんで、シャルロットとアンジェラしゃんでは同じ事言わないんでちか?」 「そりゃおまえ…。………あー…、そうだな、おまえの方に親近感を持ってんだよ。たぶん。 あいつ、妙にガ…いや、あー…、若い者には優しいからな」 歯切れが悪いながらも、ホークアイは言葉を選んであげた。 「じゃ、デュランしゃんはシャルロットが若々しくてうつくちいから優しいんでちか?」 「まぁ…そうとも言えるな。そのとっっても若々しい所に甘…優しいんだよ」 「そうでちか!」 「納得したか?」 「納得したでち」 にこーっと笑って、シャルロットはそこの椅子にに腰掛ける。ホークアイは苦笑した。 「まぁ、扉の鍵くらい、俺が開けてやろうか? 荷物も全部あっちだから、お前も何かと不便 だろ」 「ま! なんでそりを早く言ってくんないんでちか! …ていうか…そんなことできるんでち か?」 「宿屋のドアの鍵なんて実際、気休め程度だからな。下っ端の盗賊でもなんとかなっちまうよ うなシロモノだし。とはいえ、かけないより、かけた方が良いに決まってるけど」 「…ほえー…。じゃ、シャルロット達はなにげに危険極まりない所で寝てたりするんでちか?」 「野宿より安全じゃねーか。ともかく、仲間の部屋の鍵を開けるなんてあまり良いことじゃな いから、今回はやむを得ないって事で。一応、おまえがノックして、それでも起きないようだ ったらな」 ホークアイはベッドから起き出して、懐の盗賊用ツールを確かめた。 「助かったでち」 「みんなにゃ内緒だぞ。まぁ、考えればわかるもんだから、表立って言うなって事だけど」 牢屋の鍵を開けてしまうような男である。それから考えれば、宿屋の部屋の鍵など開けてし まうであろう事は、ちょっと考えればわかるだろう。 「いいでちよ。シャルロットは約束できまちよ」 そして、胸をはって小指を差し出した。吹き出しそうになるのをこらえて、ホークアイは小 指を出して指切りげんまんをしてあげた。シャルロットが異性として、デュランに見てもらえ るのは、やっぱりまだまだ先になりそうである。 to be continued.. |