母親が戻ってきてくれて、しかも正気に戻ってくれた事は何より嬉しい事だった。それ
なのに、今はどうしても素直に喜べなかった。
 紅蓮の魔導師を失ってしまった事。あれから、デュランの態度が急によそよそしくなっ
てしまった事。そして、こんな状態で竜帝に戦いを挑みに行かねばならなかった事。
「フェアリー…。私…どうすれば良いのかな…。何か…もう…頭の中がグチャグチャで…
わけがわからないよ…」
「アンジェラ…」
「あいつは…もういないし…。デュランは…怒ってるし…。私…どうすれば良いのかな…」
 フェアリーも困り果てて、ため息をついた。アンジェラに取り付いている状態のフェア
リーだから、アンジェラの気持ちが痛いほど伝わってくるのだ。あの悲しい紅蓮の魔導師
を切ない程に想っていた事を知っているから、中途半端な言葉はかけられない。それに、
確かにデュランが怒っている理由だってわからなくない。元々打倒紅蓮の魔導師を目標に
していたのだ。それなのに、その目標とは逆の事を言われたのである。怒るなと言うのに
無理がある。
 勝負はもうついていたではないかと、勝負事と命を助ける事とは別じゃないかと、後で
アンジェラが感情的にデュランをなじったら、ものすごい目つきで睨まれた。
 紅蓮の魔導師を失って、アンジェラはまるで余裕が無かった。周りに目を向けるような
余裕を失っていた。
 それでも、竜帝は倒さねばならなかった。
 一晩、アルテナで休んだ後、アンジェラはフラミーを呼ぶべく、アルテナの中庭に三人
で立つ。
「……ともかく。竜帝を倒す。今はただそれだけを考えろ。余計な事は何一つ考えるな。
竜帝を倒す! いいな!」
 二人のギクシャクした空気に苦りきっていたホークアイは、二人に向かってそう言った。
 確かに、竜帝を倒す事については、アンジェラもデュランも異論があろうはずはない。
「わかったわ…」
「わかった…」
 静かに、二人頷くと。アンジェラは深呼吸を一つして、風の太鼓を打ち鳴らした。

 竜帝は並外れた強さではなかった。
 マナの女神を打ち倒し、神獣の力を吸収した力だ。並大抵のものではない。
 この時ばかりはみんなの心は一つだった。竜帝を倒す。もう、それしかなかった。
 こっちもボロボロだったけど、あっちもかなりヨレヨレだ。
「これで…最後にしてやるわ!」
 アンジェラは最後の気力を振り絞り、最大最強の呪文の詠唱にかかった。
 だが、そこにスキが生まれた。
 竜帝のツメがアンジェラに向かって振り下ろされる。アンジェラは思わず目を閉じた。
「危ねえ!」
 ホークアイの声が飛んだ。
 ガツッ…!
 鈍い音にゆっくり目を開けると、盾を掲げたデュランが目の前にいた。
 デュランの盾がぱっくりと割れ、彼の腕から血が飛び出た。
「デュラン!」
「構うな! 呪文を完成させろっ!」
 彼の怒鳴り声に我に返り、アンジェラはまた呪文詠唱を続けた。
「エインシャント!」
 杖を振り、力ある言葉を解き放った。

 それが、竜帝にとどめをさした。



 フェアリーとの永遠の別れの後。三人は言葉少なめに聖域を歩いていた。
「ともかく…帰ろう…」
「そうだな…」
 アンジェラの声に、ホークアイが頷いた。

 アルテナに戻った三人は盛大な歓待を受けた。
 平和の喜びを祝う国で、人々に感謝されるのは悪くない。歓待を受けたあと、それぞれ
の国に戻る事となった。
 最初にデュランがフォルセナに帰る事となった。
 フラミーはゆっくりと着陸する。デュランはなつかしいフォルセナを見渡せる丘に降り
立った。
「ふう…」
 荷物も降ろし、デュランは一息ついた。そして、ぼんやりとフォルセナを見渡す。
「じゃあな。達者でな」
「ああ」
「元気でね」
「……………」
 ホークアイの言葉に答えても、アンジェラの言葉にはこたえなかった。
 思わず、アンジェラの方も押し黙る。
「悪いけど…。俺、おまえを許す事ができねぇ。ひどい男と思ってくれて構わない。だか
ら、もう2度と俺の前に姿を現さないでくれ」
「なっ!」
「うわっ…!」
 あまりと言えばあまりの言葉に、フラミーに乗っていた二人は驚愕した。
「な…なによ、それ! 何なの、あんた! 何でそんな…」
「いいよ。おまえにはわかんねぇだろうし。俺も、おまえの事はわかんねぇから。それじ
ゃな」
 それだけ言い捨てて、デュランはすたすたと丘を降りて行く。
 アンジェラはフラミーの上で口を空けたまま、呆然としていた。しばらくしてから、ホ
ークアイが重いため息を吐き出した。
「やっぱり…。相当怒ってんだな…」
「……私が…悪いの…? アイツを…紅蓮の魔導師の事を愛しちゃ…いけなかったの
…?」
「さあね。人を愛する事は、俺は良いと思う。ただ…場合が場合だったからな…」
 困りきった顔で、ホークアイは髪をかきあげる。
 しばらく口を閉められなかったアンジェラだが、やがて顔をうつむかせ、ぽつりぽつり
と話しはじめた。
「……………ホークアイは知ってたっけ…。あの後さ…私…デュランに言ったの。どうし
て助けてくれなかったのかって…。もう、勝負はついてたし、私たちの勝ちなのはもうわ
かりきってるんだから。命を助ける事と、勝負事は別じゃないかって。…そしたら……」
「そしたら?」
「そしたらデュラン…今まで見た事ないくらいにものすごい怖い顔したの……」
「………そうか……」
 ホークアイはさらに深いため息をつく。
「あれは…言っちゃいけない事だったの? デュランは…卑怯な人間じゃないし…。それ
とこれとは分けて考えられる人だと思ってた…」
「普段のデュランだったら、それで通じたと思うよ。普段のデュランだったならね…」
「何で…こうなっちゃうの…? せっかく…せっかく平和になったっていうのに…。フェ
アリーとは別れる事になるし…。アイツは…もういないし…」
 まともに落ち込んで、アンジェラはうなだれる。紅蓮の魔導師を愛した事をそんなにい
けない事だとは思いたくなかった。
 悲しい境遇の中、結びついた二人。誰も祝福してくれないまま終わった恋。
「何でこうなるの…? 私、デュランの事を悪く思いたくないし、けっこう好きだったの
よ…。でも…なんかもう…」
 頭を抱え、アンジェラはうずくまる。デュランへの憎しみさえもわいてきそうで本当に
嫌になった。
「ともかく…帰ろう。時間がたてば、アイツの機嫌も直るかもしれねーじゃんか」
「……デュランの機嫌って…。…何で…アイツの機嫌なのよ…もう…」
 どことなく、デュランの肩ばかり持つホークアイに心がささくれだってくる。
「まぁ、今のおまえさんはデュランが分からず屋に見えるだろうけどな…。後で落ち着い
たら、冷静になって考えてみるといいよ…」
「私がいけないって言うの!?」
 バッと顔をあげ、ホークアイを思わずにらみつけた。
「そこまでは言わない。ただ、あの時、デュランの前であれは…デュランにとってショッ
クだったんだよ」
「………なによそれ…。まさか、デュランが私に惚れてたとでも言うの?」
「そこまで知らねぇよ」
 その可能性は低いなと内心思いながら、ホークアイは話し続ける。
「あいつは紅蓮の魔導師を倒すためにこの旅をしてきたんだろ。そのために毎日頑張って
いたの、おまえ、知らないわけないだろ? ところが、紅蓮の魔導師はおまえとの事ばか
りでデュランはそっちのけだ。最終的にはデュランなんて、本当にどうでも良いみたいな
感じだったしな。…そしたら…なぁ、ヤツの今までの努力ってぇのは…何だったんだ?」
「…………そ、そんなの…デュランが勝手に思ってただけじゃない……」
「まあ、事実そうなんだろ。どうにかこうにか、倒したと思ったら、今度はそいつを助け
ろとおまえが言う。デュランにとって、この旅ってのは…何だったんだと思う? その前
に親父さんをその手で殺す事になって、それでも竜帝と紅蓮の魔導師を倒すって目的で何
とか立ち上がってさ…。俺、あの後、デュランに言ったんだ。今までの事は決して無駄じ
ゃないって。無駄な事なんて何一つないって。…聞いてくれたかどうかはわかんねーけど
よ…」
 ホークアイの言いたい事がわからなくもない。ただ、今のアンジェラは内心カッカとき
ているので、わかりたくない気持ちの方に傾いていた。
「頼むよ、おまえ…。俺、お前の事も気に入っているし、デュランの事だってすごく気に
入ってるんだ。最後の最後でこれなんて…本当…勘弁してくれよ…」
 ホークアイの疲れた声で、アンジェラの心も少し落ち着いてくる。
「…ごめん…。でも、私、別にデュランの今までを否定しようなんて、そんな事…」
「おまえさんがそう思ってなくっても、デュランがそう思ったら、そうなっちまうんだよ。
デュランが打倒紅蓮の魔導師で努力するのは、ヤツの勝手さ。なら、おまえさんの言動で
否定されたと思うのもデュランの勝手だ。ただ、言っておくけど、俺はデュランがそう思
うのも無理ないと思う。正直なところ、俺も紅蓮の魔導師が嫌いになってきたよ。俺は、
そいつと関わりがないから、どうでもいいっちゃどうでもいい。おまえがあいつを好きな
事も別に構わないと思った。でもな。俺は、あいつの事でおまえとデュランと、そして俺
との仲がこんな風になったと思うと、腹が立ってくるんだ!」
「…………………」
 アンジェラはうつむき、押し黙った。ホークアイが、こんな疲れた怒りを吐露されたの
は初めてだったからだ。
「……悪い…言いすぎたな…。…帰ろう…。みんな待ってる。……しばらくすれば、デュ
ランの方も落ち着いてくるかもしれないしな…。……ごめん、フラミー。行こう」
 ホークアイがフラミーに声をかけると、フラミーは心配そうにこちらを見る。ホークア
イが頷くのを見ると、それでも2対の羽根を動かし、大空へ飛び立った。




                                                          to be continued..