気を取り直させるためだろうか、ホークアイはデュランを誘い酒場へと行った。アンジ
ェラは一人、宿屋に残りぼんやりと空を眺める。
 愛しいと思う事と憎いと思う事は紙一重だと、どこかの本で読んだような気がする。そ
の時は何ら実感はわかなかったが、今ならわかるような気がした。
 あの紅いマントを羽織った男を、自分は今でも愛しいと思っているのか、憎いと思って
いるのか。判断がつかなかった。
 大好きな母親をとられたような子供っぽい感情と、女としてあの男を想う感情と。今の
現実と。堂々巡り考える。フォルセナの城下町を見下ろすように窓から顔を出していたが、
実際のところ、城下町を見てはいなかった。
「バカだな、おまえ、そんなに飲むヤツがあるかよ!」
 ホークアイの声にハッと我に返る。ドアの方を見ると、ホークアイがデュランに肩を貸
して入ってきた。
 肩を貸されているデュランは相当酔っているらしく、足元はおぼつかないし、顔は真っ
赤だし、目はトロンとしている。
「うわっ…! お酒くさい…! あんた、一体どんくらい飲んだのよ!」
 酒の匂いをプンプンさせているデュランに、アンジェラはあきれ果てて腰に手を当てる。
「うるへー」
 ろれつがまわっていない。酒場に行くのを嫌がっていたくせに、こうもぐでんぐでんに
酔うとは。
「おい、アンジェラ!」
 ホークアイの肩から離れて、デュランはよたよたとアンジェラに近づく。
「なによ…。お酒くさいから、あんまし近寄らないでよ」
 鼻をつまんで、デュランから顔を背ける。
「おまへ、あのぐれんろまろーしろ…なんか…かんけぇ、あんのか?」
「え?」
 お酒臭いのも一瞬忘れ、アンジェラは一瞬ドキっとして、デュランを見る。
「ひるま…まるっきりおれをムシして、おまへしか見てなかった。なんか、おまへと、か
んけぇあったのかよ?」
 この言葉で、デュランがこんなにも荒れてる理由がすぐにわかった。
 確かに紅蓮の魔導師は最初、デュランの姿を認めただけで、あとは思い切り無視して、
アンジェラばかり見ていた。
 固い誓いをたててフォルセナを出たのだ。彼にとって面白いわけがない。
「おい! きいてんろか?」
「キャッ」
 デュランがアンジェラの両肩をがっしりつかむと、ぐぐいっと顔を近づけてくる。
「うっ…」
 酒臭い…。
 ゲンナリして、アンジェラはデュランを引き剥がそうとするが、そもそも力でかなう相
手ではない。がっちりつかまれて、押してもビクともしない。
「ちょっと! お酒臭いのよ! 近づかないでよ!」
「だから! ぐれんのまろーしと、どうらんだ、おまへ!」
「あのねぇ…」
 顔をしかめて、デュランを見た。
 あれ?
 実は、こうもまじまじと目を合わせたのは初めてだったし、こんなにも目を見つめられ
たのも初めてだった。
 酒のせいで赤ら顔の半目なくせに、デュランが実はけっこう男前だった事に、今更気が
ついた。
 思わず顔が赤くなる。それをごまかすため、アンジェラはもう一度デュランを引き離そ
うと両手で彼の胸を押すのだが。
「んな…そんな…だから、お酒くさいのよ! 離してよ!」
「はらしたら、はらしてくれるのか?」
「は?」
「おまえさんと紅蓮の魔導師の関係を話さん事には、離さねぇってよ」
 あきれた顔で通訳して、ホークアイは後ろ頭をぽりぽりとかく。
「アイツとの関係って…そんな…」
「どうなんだよ?」
 ホークアイも興味あるらしく、デュランを止めようともしないで、続きを聞きたがって
いる。
「どうって…何でもないわよ。何の関係もないわ」
「それにしちゃ親しげだったじゃねーか?」
「そーらそーら」
 意外にもデュランはホークアイの言葉を理解して、うんうんと頷く。
「あんたたちの気のせいよ。私とアイツは何にも関係ないんだからね!」
「アイツねぇ…」
 全然信じてなさそうに、ホークアイが顎に手をやる。
「本当よ! 本当なんだったら!」
 つい、ムキになってそう言い張る。
「ほんとーらな? ヒック」
 シャックリしながら、デュランが問い詰めてくる。
「ほ…本当よ…。あ、あんなヤツ…」
「ほんとにほんとに、ほんとーらんらな?」
 デュランは酔った目で、アンジェラの瞳をジっと覗き込んでくる。その瞳に気おされ、
アンジェラは口が聞けなかった。けれど、ややして、口を開いた。
「ほ…本当に、本当なの! 何の関係もないのよ!」
 ウソばっかりなのに、アンジェラはムキになって言い張った。今日、彼と再会し、心の
奥底で嬉しかった事実は隠蔽する事にした。
「わかっら。おれはおまへをしんじる」
 一瞬、顔の温度がさぁっと上昇する。しかし、酔っているデュランはそんなアンジェラ
の顔色なんかに気づきもせず、かくんと頭を落とすように頷くとアンジェラを解放して、
またよたよたと歩き出した。
 そして、ベッドに豪快に倒れこむと、あっという間に寝てしまった。
「やれやれ…」
 苦笑して、ホークアイはデュランのブーツを脱ぎにかかる。
 ふーっと息を吐き出して、アンジェラは窓に顔を向ける。顔が赤いのがまだ治らない。
「けど。本当に関係ないわけ?」
「ないわよ!」
 赤い顔をホークアイに見せるわけにはいかないので、振り向かないまま、アンジェラは
つっけんどんに言う。
「ふうん?」
「なによ。何か言いたい事でもあるの?」
 しかし、ホークアイはそれには答えずに肩をすくめただけだった。
 そんな彼にムカムカしつつも、食えない男だと思い、アンジェラは小さくため息をつい
た。

 旅は続く。幾たびの苦難を乗り越え、三人は精霊を集め続けた。
 さすがにここまで来ると仲間に対して抱いていた不満は無くなる。まぁまた新しい不満
も出てきたりはするが、最初の頃のように近くにいるだけでも嫌とかそういうのは無い。
 嫌だったホークアイの軟派な雰囲気も、デュランの粗野っぽさも今ではほとんど気にな
らない。
「何してんのよ? 行くよ!」
 こうやって、気軽にデュランの肩を叩ける。
「おまえ…大丈夫なのか?」
 デュランが気遣わしげな目をアンジェラに向ける。
「…正直なところ、わからない。…でも、フェアリーをさらわれたままで良いわけないし。
なにより、アルテナにはお母様がいるんだもの。行かないわけにはいかないわ」
「そっか。じゃ、行こうか」
「うん」
 すでに準備のできているホークアイに声をかけて、三人はアルテナに出発する。
 聖域で会った紅蓮の魔導師は黒い不気味な騎士を連れ、フェアリーをさらっていった。
もう昔の彼ではない。それはもうこの旅を通して痛感した事だった。
 もし、彼が昔のように戻ったら、またヨリを戻したりするのか? 正直、それは何とも
いえなかった。傷のなめあいとしか言えなかった付き合いだったけど、当時のアンジェラ
にとって心の拠り所であり、慰めであった。魔法の使える今ではそんな関係は必要ない。
あるとしたら、魔法の使える者同士一人前としての関係となるはずだ。
 しかし、今考える事はフェアリーを取り戻すこと、それだけだ。そう言い聞かせアルテ
ナ城へと足を踏み入れた。
 懐かしい城内はモンスターの巣窟と化していた。モンスターを倒し玉座の間へと進む。
「アンジェラ! 玉座はどっちだ!」
「こっちよ!」
 モンスターを斬り付け、ホークアイが怒鳴る。デュランの姿がちょっと見えないがあの
男のことだ。大丈夫だろう。
「きっとこの先に…アイツがいる…!」
「ここか? 玉座は」
 息を切らしながら、デュランが追いついてきた。アンジェラは震える手でノブをつかみ、
ドアを開け放つ。
 そこには、ぐったりと横たわるフェアリーと、理の女王がいた。そして、その横には不
気味は黒騎士と、紅蓮の魔導師…。
「遅かったな」
「お母様!」
「おっと、動かないで頂こうか? アンジェラ王女。女王とフェアリーの命。助けたけれ
ば…わかっているな?」
 狂気の宿る瞳が笑みにゆがみ、彼の手には魔法の赤い光が灯る。
「なによ! 卑怯者!」
「何とでも言うがいい。さあ、マナの剣を差し出せ!」
 本気だ。あれは本気でフェアリーと女王を殺すつもりの目だ。
 変わってしまった事への悲哀と、卑怯な真似への憎悪が募る。そして、今はその憎悪が
悲哀より勝った。
 歯を食いしばり、アンジェラは聖域で手に入れたマナの剣を紅蓮の魔導師の指示通り、
玉座の間の中央に置く。
「クククク…。これが…マナの剣…」
 その狂気色の瞳に、アンジェラは嫌悪を覚えた。
 突然、マナの剣が激しい光を放った。
「うぁっ! ぐおおおおおお!」
 ジュワアア!
 マナの剣の強烈な光が紅蓮の魔導師の手を焼いた。焼け爛れた手をおさえ、思わずマナ
の剣を取り落とす。
「キャア! ほ、ほらごらん! そんな事ばかりしてるから、マナの剣に嫌われるのよ! 
いい気味だわ!」
 と、その時。
「ふんっ!」
 黒騎士が大剣を振り回すとマナの剣から黒い稲妻が立ち上り、包み込んだ。
「…マナの剣は使い手の心を映す鏡…善にも悪にもそまる。強大な竜帝様の闇の御力によ
ってマナの剣も、暗黒剣として生まれ変わろう…。さあ、紅蓮の魔導師、剣を持ってみろ」
「っく…くそ…」
 紅蓮の魔導師は立ち上がり、もう一度剣の柄を握る。今度は、何も起こらなかった。
 彼の顔が狂気の笑みにゆがむ。
「ふっ…、ふはははははっ! これでマナの剣は竜帝様のものだ! 世界は我らのもの
だ!」
「そんなっ…! バカなっ!」
 喉の奥から叫ぶ。さっき心にわいた小さな希望が潰える。
「…もうここには用はない。マナの剣を使い、各地の神獣を復活させるのだ…。私は先に
行っている…」
 そう言い残すと、黒騎士はスゥッとかききえる。
「くっくっく…。さて…」
 紅蓮の魔導師はぶつぶつと呪文を唱えると、その力を理の女王へと向けた。紫色の光に
包まれたかと思うと、女王の姿も消えた。
「ああっ! お母様に何するのよ! 全然約束が違うじゃない! 返してよっ!」
「マナの剣をよこせと俺は確かに言ったが、お前たちを助けてやるなどという約束などし
ていない」
 薄ら笑いを浮かべ、アンジェラを見下ろす。
「もう許せねぇ! おいてめぇ! 今度こそ俺と戦え!」
 今まで黙っていたデュランが口を開いた。
「フン…。おまえと遊んでるヒマなどない」
 しかし、紅蓮の魔導師はデュランを一瞥して、軽く鼻を鳴らしただけだった。そしてす
ぐにアンジェラに視線を戻す。
「……そうだ。どうです? アンジェラ王女。私と共に来ますか? このままここにいて
も世界は滅びるだけだ。その点、私についてくれば世界が滅びる様子を共にご覧になれま
すよ」
「冗談じゃないわ! お母様を返しなさいよ!」
 紅蓮の魔導師の誘いを、アンジェラは激しく突っぱねる。昔、愛した男だが、どうして
あんなに好きだったか思い出せないほど、今はとにかく憎らしかった。
「…そうか…。まあいい。あなたに考える時間を差し上げましょう。まぁ、そのままでは
遅かれ早かれ神獣に滅ぼされてしまうんでしょうけれど。世界が滅びる様子を見物するの
も悪くはないでしょうな」
 嫌な感じで目を細めながら、紅蓮の魔導師はアンジェラを見ると、彼もまたふぃっと消
えてしまった。
 そこに残ったのは、フェアリーのみだった…。




                                                          to be continued..