「何それ。ヘンなの。紅蓮の魔導師なんて、妙な名前にしたものね」
「………ともかく。もう昔の名前で呼ばないでくれ」
「あら。誰に向かって口を聞いているのかしら?」
 アンジェラは無邪気な様子でくすくすと笑った。新しく紅蓮の魔導師などと名乗った若
者は、少し居心地悪そうに息を吐き出した。

 帰ってきた男の心は目に見えて変わっていた。一体何があったのか。男は黙して語らな
い。
「強くなるんだ」
 そう言って男は国を出た。
 アンジェラは止めたけど、男の意思は固かった。出て行く本当の理由も言わなかった。
 この魔法王国アルテナで魔法を使えないのはアンジェラとこの男だけだ。アンジェラは
王女だが、男の方はというと……。口さがない人々に囲まれ生きるのは確かに辛い。
 理由を聞かなくても、原因はわかりきっていた。
 ただ、なぜ今頃になって、というのはあった。魔法を使えないのは何も昨日今日の事で
はない。
 もしかすると、という心当たりはアンジェラにはあるにはあったが。
 魔法の使えない者同士の傷のなめあいと言ってしまえばそれだけだけど。それでも、小
さな心のより所であった。お互いが通じ合い始めた頃から。男はたびたび考え込むように
なり、そして、出て行った。
 お互いの事は秘密だったし、国は魔法の使えない男一人出て行ったところで何がどうな
るわけでもない。
 寂しい心を隠しながら、今日も使えない魔法の勉強をしていた。
 −とうとう、この国で魔法を使えないのは私だけになっちゃった…。
 ぼんやりとそんな事を考えていたら、突然帰ってきた。
 文字通り「強くなって」帰って来たのだ。
 外見がものすごく変わったわけではないのに、内面は著しく変わっていた。
 そして、母のこのセリフ。
「魔法の使えないおまえは王家の恥。最後に大魔法を使って名を残せばこの女王の娘とし
て相応しい散り様…」
「そんなっ! そんな…お母様!」
 愛する母からの言葉がアンジェラの胸に突き刺さる。

 それからの記憶はあんまり無くて。わらにもすがる思いで、占い師の言葉どおり、ウェ
ンデルへと向かった。そこで、アンジェラはフェアリーと運命的な出会いをした。
 ホークアイ、デュランと仲間を増やし、マナの女神を目覚めさせる旅へと身を投じる事
となったのだ。
「だいぶ時間を無駄にしちゃったわね…」
 マイアに向かう船の上。フェアリーはアンジェラから飛び出て、夜空を見上げる。
「! げっ! な、なんだそりゃ!」
 ジャドの牢で一緒になったデュランは、突然出てきた光るフェアリーに度肝をぬかれた
らしい。
「あ、大丈夫よ。紹介するね。フェアリーっていって、聖域から来たのよ」
「聖域? フェアリー? …じゃ、あんた達の事だったのか! 光の司祭が言っていたフ
ェアリーに取り付かれた連中ってのは。ずっと探してたんだよ」
「うん? 司祭さんからフェアリーの事を聞いてるのか?」
 ホークアイがデュランを見る。フェアリーの発する光で彼の顔も伺える。
「ああ。聖域に向かってるんだって? 女神様を目覚めさしにさ」
「…そうよ…。…なに? あなたも何か理由があって司祭さんを尋ねたの?」
 アンジェラが理由を尋ねると、デュランは少し戸惑ったが、一つ、息をついて話し始め
た。
「うん…。その、俺、フォルセナで傭兵をしてたんだ。ところがある晩、城の警備をして
たら突然、ヘンな魔導師が現れやがってよ…。次々と城の兵士を殺してまわり、俺はヤツ
と戦って…そして、ヤツの魔法の前に俺は負けた。仲間の仇も討てねぇでよ…情けねぇ話
だ…。……俺は…剣しか脳がねぇ。その剣が魔法の前で無力だとすれば、俺は何を信じて
良いかわからなくなっちまう。…俺や親父が信じてきた剣の道ってヤツは、そんなもんじ
ゃないハズだ。だから、俺はヤツを倒して、剣の道が魔法より優れている事を証明してや
るんだ」
「ふうん…」
 剣の道なんぞ、アンジェラにはまったくどうでも良い話だったが、フォルセナを襲った
という魔導師の話には引っかかった。
「…ところで、ねえ。その魔導師って紅蓮の魔導師のこと?」
 アンジェラが紅蓮の魔導師の事を話しに出すとデュランの顔色がハッキリと変わった。
「おまえ、紅蓮の魔導師を知っているのか!?」
「知っているもなにも。私、こう見えてもアルテナの王女なのよ」
「はあ?」
 デュランが素っ頓狂な声をあげた。ホークアイがやれやれと肩をすくめる。
「おまえ、王族のカタリがどんなもんか知ってて…」
「失礼ね! 私は本物よ! …ただ…今は国を追われてるんだけど…」
 うつむいたアンジェラに、デュランは少し困ってホークアイに目を向けた。
「彼女がアルテナ王国の王女ってのは間違いないと思うよ。いま、アルテナのアンジェラ
王女は反逆罪で一万ルクの懸賞金がかかってるんだ。こんな状態でその名をカタるなんて、
フツーに考えて正気の沙汰じゃない」
「じゃあ…」
「そうよ! 本物よ! ……色々……あったのよ……」
「…そっか…。スマン…。教えてくれ。紅蓮の魔導師ってのは何者なんだ?」
 あの男の顔が頭をかすめ、胸がちくんと痛くなる。
「…以前は私と同じで、魔法がてんでダメだった男よ。いきなりどっかにいなくなったと
思ったらふいっと帰ってきて、いきなりアルテナ一の魔法使いになっちゃってさ…。今じ
ゃお母様の右腕として大威張りよ。生意気になってムカつくわ」
「……魔法がダメだったのがいきなり…? どういうこった?」
「知らないわ! 私が知りたいくらいよ」
「……けど、ヤツが今、そのアルテナ一の魔法使いである事は事実なんだよな…。負けっ
ぱなしじゃ…いられねぇよ。絶対アイツに打ち勝たねぇと…。なぁ、フェアリー。俺の願
い、お前らと一緒に行けばかなうのか?」
 真剣な瞳のデュランを見て、フェアリーは頷いた。
「もちろんよ。女神様は全知全能だもの。それにもしかすると世界最強の剣士になれるか
もね。一緒に行きましょう」
「ちょっと待ってよフェアリー。私はまだ…」
 フェアリーの誘いに待ったを入れようとするアンジェラ。フェアリーはすぐにアンジェ
ラの耳元でささやく。
「アンジェラ。少し冷静に考えて。いくらあなたがウィスプを仲間にして魔法を使えるよ
うになってもよ。ホークアイは盗賊だし、あなたは魔法使い。そしてこの人は剣士よ。私
の言いたい事、わかる?」
「………その……わからない事はないけど……」
 それでも、筋肉バカと名札でも下げてそうなデュランを見ては、どうにも気がすすまな
い。男を見ると、どうしても紅いマントを羽織ったあの男が頭をかすめ、そいつと比べて
しまう。あの男に比べれば、デュランという男は顔の作りも端正ではないし、スマートさ
もない。知性もカケラほどしか無さそうだ。なにより粗野っぽいのが好きになれそうにな
い。こんな男と一緒に行けというのは、ちょっと酷な注文だと思った。
「いいぜ、一緒に行こう。よろしくな」
「ちょ、ちょっと…」
 アンジェラとフェアリーがコソコソ話し合ってる間にホークアイはデュランに握手を求
めていた。
「ん? どうしたんだよ。良いじゃねぇか。仲間は多い方が良い」
 ホークアイはあっけらかんとそう言った。その能天気さがなんだか恨めしい。
「まぁ…よろしく…」
 デュランの方もアルテナというのが引っかかってはいるらしかったが。本当は触るのも
嫌だったけど、仕方なく握手をした。ゴツゴツしてて、大きな手だった。
 ―アイツの手より大きくて節くれだってるのね…。野蛮そう…。

 デュランという男。確かに見たまんまの男だったけど。付き合ってみると案外良いヤツ
で、なにげにレディファーストだった。それによくよく見ればそこまで顔の悪い男でもな
いようだ。…単に慣れただけかもしれないが…。
 デュランの故郷だというフォルセナは大変な事になっていた。アルテナに攻め込まれ城
からは幾筋もの煙があがっていた。
「くそっ! フォルセナをこんなにしやがって!」
 憎憎しげに吐き捨て、デュランは魔法生物を切り捨てる。
「急ごう! 陛下の御身が危ない!」
 二人を振り返り、デュランは先を急ぐ。
「アイツ…相当焦ってるわね…」
「そりゃそうだろ」
 ホークアイもデュランと同じ立場だったらこんなに冷静でいられない。
「おい、デュラン、どっちに行くんだ?」
「玉座だ! ホークアイ! 鍵がかかってるんだ! 頼む」
 大きな扉の前で、デュランが忌々しそうに叫んでいる。
「どいてろ」
 すぐに道を明け渡すと、ホークアイが早速鍵開けにかかる。だがすぐにアンジェラに顔
を向けた。
「こりゃ魔法の鍵がかかってる。おまえさんの出番だよ」
「え? あ…。う、うん!」
 今度はホークアイに場所を空けられ、アンジェラは前に進み出た。
「解除!」
 魔法の鍵を解除するや否や、デュランはアンジェラを押しのけ、ドアを開けて中に飛び
込んだ。
「わ! な、なによあいつ」
「ともかく、俺たちも入ろう」
 アンジェラとホークアイが中に入ると玉座に座ったまま動かない英雄王と、紅いマント
を羽織った男がいた。
「待てっ!」
 デュランの声が響き渡ると、紅蓮の魔導師は顔をこちらに向けた。なつかしい顔に少し
胸が躍るのを覚える。しかし、その表情はあの時の彼の様子など微塵もなく。すぐに胸の
痛みへと変わる。
「ん? いつかの小僧か? …おや、これはこれはアンジェラ王女様。ご機嫌麗しゅう。
このような所にどうしたのです」
「このような所って…」
 デュランが不満の声をあげるが、紅蓮の魔導師は意に介せずアンジェラを見つめる。
「あなたとここで会えるとは意外でしたよ」
「あ…あんた、何してるのよ!」
「何と言われましても…。フォルセナ王の首を取りに来た所なんですが…」
「何よ、それ! あんた、そんなことして良いと思ってるの?」
「もちろん、アルテナのために良かれと思って、やっているのですよ」
 良かれの部分を強調して高らかに言う。
「てめぇ! そんな事させねぇぞ! おい、俺と勝負しろ!」
 しかし、怒鳴るデュランなどまるでお構いなしに、紅蓮の魔導師はアンジェラを見つめ
続けている。
「また一段とお美しくなったようですね、王女様」
 王女様を強調して言うところ、相当皮肉っているようだ。
「…あ、あんたに言われたくないわよっ!」
 こんな状況なのに、美貌を褒められて、アンジェラはちょっと顔を赤くした。
「……ちっ…。数が来るようだな…。お名残惜しゅうございますが、王女。邪魔が入った
ようですね。近いうちにまた…」
 外からくる相当数の兵に気づいたか、紅蓮の魔導師は演技がかった調子で頭を下げると
ふわっと消えてしまった。
「おい! 無視すんなよ! 俺と勝負しろ!」
 叫ぶデュランの声は空しく、だれもいない宙に向かうだけだった。
 彼は忌々しそうに拳をかためていたが、やがて頭を軽く振って英雄王に跪いた。
「国王陛下…。ご無事でなによりです…」
「デュラン。戻ったのか」
 デュランと英雄王の会話も耳に入らず、アンジェラは紅蓮の魔導師が消えたあたりをぼ
んやりと眺めていた。
「おい、アンジェラ?」
「え? な、なに?」
 ホークアイに話しかけられてわれに返る。
「……おまえさん、あの赤マント男と何かあったわけ?」
 赤マント男という名称に引っかかりつつも、アンジェラは急いで首をふる。
「なっ…! 何でもないわよ、別に!」
「ふーん…」
 ホークアイはそれ以上追求しようとはしなかった。けれど、鋭いホークアイの事。もし
かすると彼との関係を推察されたかもしれない。
 三人は英雄王からマナストーンの事を聞きだすと、フォルセナの城下町に下りた。昼間
の喧騒も、被害が城に集中した事もあって、だいぶおさまっていた。
城下町で、デュランの実家に行く、という話が出たが当のデュランが激しく嫌がったの
で宿屋に泊まる事となった。



                                                          to be continued..