おんぶしてもらった事など何年振であろうか。
  あれはまだ、母親が生きていた頃ではなかったか。父親の背中にしがみつき、隣にほ
ほ笑む母がいたような。
  そんな事を考えながら、リースはデュランを見る。
  悪いなぁと思いながらも、自分で歩く事はできない。すごく自分が足手まといのお荷
物のような気がした。
  でも、そんな事を言えばデュランは怒りそうだった。それに、自分が逆の立場だった
なら、きっと自分も怒るだろう。
  そう思うと何も言えない。
  だから、リースは無言でいた。
  どうにかかけられる言葉は少なかった。
「…あの…デュラン…。疲れたら休みましょう?  無理しなくて…良いんですよ」
「無理してないよ。まだ大丈夫だ」
「………………」
  そう何度も言うわけにはいかない。だから、二人は無言が続いた。けれど、やっぱり
落ち着かなくてリースはついつい口が出る。
「…あの…」
「うるせぇな、俺は大丈夫だっつってんだろ?  いいから寝てろ」
「寝てろって…そんな…」
  そんなに何度も言ったつもりはないのだが、どうやらそうでもなかったらしかった。
リースは自己嫌悪に陥り、思わずため息をつく。

  浜辺には転々とデュランの足跡が続いていた。
  もう随分歩いたような気がする。でも、町はおろか、人の気配さえもなかった。
  とりあえずの護身用にショートソードだけを腰にぶらさげ、ランニング一枚とズボン
をはき、リースを背負ってデュランはただひたすら歩いていた。
  頭の中にあるのは、早く町につくこと。それくらいだった。
  浜辺では変化のある風景はのぞめなかったけれど、一歩一歩。歩けば町が遠ざかる事
もない。島ならば、海岸沿いに町があるならば、いつか必ず着くに決まっているのだか
ら。
  いつしか太陽は海に沈もうと、海原を真っ赤に染め上げていた。
  デュランは、まだリースを背負って歩いていた。
  さすがの彼も疲れはじめてきたが、それでも無心で歩き続けていた。
「……デュラン…、あの…もう夕方ですから…休みましょう?  歩きずくめじゃないで
すか…」
  遠慮がちに、リースが声をかける。
「ああ…そうだな……。でも……もうちょっと……」
  息をきらせながら、デュランはそう言った。その“もうちょっと”が、リースの思う
もうちょっとと、デュランの思うもうちょっとでは、だいぶ差があるらしかった。
  彼の首筋に伝う汗を見てると、自分が重たいだろうと思うと、リースは早く降ろして
ほしかった。
  デュランがリースを降ろしたのは、日が暮れてからだいぶ経ってからだった。
「…あのへんなら…ちょうど良さそうだな…」
  砂浜から少し上がった岩場。小さな川が海へと流れこんでいた。おそらく、この島の
人間が作った防波堤のようなものの名残ではないかと思われるが、無論、詳しいことは
わからない。
  そして、腰を下ろすにちょうど良い岩に、リースをそっと降ろす。
「フゥーッ…」
  肩をごきごきっと鳴らして腕を回す。
「…ごめんなさいね…重かったでしょう…」
「仕方ないだろ。重いも何も関係ねぇよ」
  そっけなくそう言って、デュランは川の水でザバザバと顔を洗う。少し海水が混ざっ
ているものの、気になるほどではない。
「リース。タオル貸せよ」
「え?  ええ…」
  リースはちょっと驚いて、そしてすぐに彼にタオルを手渡した。
  デュランはタオルを川につけ、じゃぶじゃぶ洗っていたが、ギュッと絞るとリースに
手渡した。
「体、拭いとけよ。潮風でじゃりじゃりだろ」
「え?  ええ…」
  そして、デュランはまた川に行くとなにかジャブジャブと洗っているようだった。
  辺りも暗くなって、月明かりが島をぼんやりと照らしていた。昼間は暑いくらいだっ
たのに、夜は少し冷え込むようだった。
  一応、着替えや上着なども干したりして。デュランは薪を集めて火を焚こうとするの
だが、火口箱が湿っていて、どうしても火が使えなかった。
「…チッ…やっぱダメかぁ…」
  ホークアイがいれば、湿っても使える火口箱とか、火打ち石を見つけ出すとか、そこ
らへんのものを利用して、火をつける事ができただろう。アンジェラがいれば、魔法で
火を簡単に灯してくれただろう。
  しかし、いないのだからしょうがない…。
「はぁ…。やっぱあいつらがいないってのはな…」
  思わず、デュランは小さく愚痴る。それは、リースも思っていた。
「火の魔法か…何かありますでしょうか…?」
「……一応、勉強中のヤツにフレイムセイバーってのがあるけど…。俺のMPがな…」
「そうですか…。…精霊は…呼べませんか…?」
「…精霊か…。フェアリー、どうだ?」
  デュランが呼びかけると、フェアリーはふわっとデュランの頭のあたりから現れる。
慣れないとかなりビックリさせられる。
「…大丈夫よ。サラマンダーも私と同じようにあなたに宿っているから」
「…そうだったのか?」
「そうだったのよ。もっとも、私の宿り方とはちょっと違うんだけど…、まぁいいわ」
  色々とあるようだが、説明が面倒くさいらしく、フェアリーはちょっとごまかしたよ
うな言い方をする。
  そしてサラマンダーのおかげで、何とか焚き火を起こす事ができた。
  パチッ…、パチチッ…。
  小さくゆらめく炎を、リースはぼんやりと眺めていた。彼女は、何か自分にもできな
いかと思っていたのだが。疲れすぎているのと、足の痛みによって精神集中ができなく
て、魔法さえも使えない状態であった。デュランは、何もしなくて良いと言うのだが…。
  塩味の聞いた携帯食料をかじりながら、水を少し飲む。ナベの類いはほとんどケヴィ
ンの荷物だったので、料理らしい料理もできず。金属製の食器に川の水を入れて、軽く
湯をわかすのが関の山だ。
「あの、デュラン…疲れているんでしょ?  寝たらどうです?」
「寝たらって…、見張りとかやんねーのはまずいだろ」
「見張るくらいならできます。何かあったらあなたを起こせば良いんでしょ?  それく
らいならやります。…いいえ、やらせて下さい」
  そこで、リースはやっと自分の仕事を見つけられた。
「でも…」
「明日また歩くんでしょ?  私はほとんど動いてないから平気です。あなたを起こす事
なら、今の私でもじゅうぶんにできますから」
「……そうか?  …じゃ、ちょっと寝かせてもらうぜ…」
  やはり疲れていたのだろう。デュランはそう言って横になると、すぐに寝息をたてて
寝てしまったようだ。
  リースはそれを見て、安堵の息をついた。デュランに無理をさせたくない。でも、こ
の状況では、どうしても彼に無理をさせる事になってしまう。その心苦しさから少し解
放されたのだ。
  少ししてから、リースは何か思いついたようで、腕でずるずると自分の体を引きずっ
て動くと、デュランの体にそっと自分の上着をかけた。

  岩によっ掛かり、夜空を見上げる。満点の星空が、リースをホッとさせる。
  足にさわってみるが、やはり激痛が走る。何もしなくても痛いのだ。これでは歩く事
は不可能である。とてもじゃないが、一日二日で治るようなケガではない。
  足手まといにはなりたくない。けれど、今の自分の存在は足手まとい以外の何物でも
ない事実があった。
  そう思うとため息をつきたくなる。
  仲間はどこにいるのか。生きているのか。
  町へは、いつ着くだろうか。
  膨れ上がる不安と焦り。
  けれども、不安がったって、焦ったって、どうにもならないと。そう自分に言い聞か
せて、どうにか心を落ち着かせようとする。
  …とにかく、今はデュランをゆっくり休ませる事が自分のやるべき事と思って、彼女
は大きく深呼吸をした。

  水を飲み、携帯用食料をかじる。さもしい朝食だ。しかし、そうも言ってられない。
  川の水で洗い直した衣服等がそれなりに乾いてから、荷物に詰め込むと、デュランは
またリースを背負って歩きだした。
  リースにとっての苦痛の時間がはじまる。
  デュランがいくら気にするなと言ったところで、気にしないリースではない。
  けれど。
  足はズキズキと、なんだか昨日よりもひどく痛むようだった。
「……ぅっ………」
  我慢しているのだが、どうしても痛い。
「……足……痛むのか…?」
「……だ…大丈夫ですよ。平気ですから」
「………………」
  そんなワケはないのだが、リースは心配をかけたくなくて、精一杯平気そうに答える。
デュランはそれを知ってか知らずか、黙り込んだままだった。
  しかし、いくら鈍いデュランでもごまかせるものでもなかったようだ。
「…我慢してくれ…。俺も…町まで急ぐから…」
  デュランはしばらくしてから、そう言った。確かに、歩調は朝よりも早い。
「…デュラン…。………ごめんなさいね…私が…」
「黙ってくんねーか?  俺はおまえを足手まといだとは思ってないからな」
  見透かされたような気持ちになって、リースはハッと口をつぐんだ。
「…確かに…俺もおまえと同じ状況だったら、たぶんそう思っただろう…。…みんなに
無理させたくないってのもわかる…。でも…こっちは無理じゃないんだ…。…いや、無
理してるかな…。…なんて言って良いのか…わかんねぇけど、…そうだな…好きで無理
やってるんだ。…気に病むなって言っても…無理なのもわかってる。他人と自分で…矛
盾するのも…わかる。でも…。任せてくれねーか?」
  デュランはゆっくり、考えながら言う。
「こっちは、やりたくてやってるんだ。おまえがどう言おうと、思おうと、何が何でも
町に連れて行くからな。…それに、背中でごちゃごちゃ言われると気が散るんだ」
「………………………」
  もう何も言えなくてなってしまい、リースは黙り込んだ。
  デュランの言いたい事がすごくよくわかる。立場が逆だったら、きっとリースも同じ
事を言っただろう。
  けれど、理屈はともかく、感情ではどうにも納得もできない。
  それもお互いわかっていた。
「……わかり…ました…」
  リースは考えて、何も言わず、彼に任せる事が、デュランのためにできる事と悟り、
静かにそう言った。
「…じゃあ、少し寝かせてもらいます…」
「ああ。寝てろ」
  よく寝ていない事もあって、少し眠い。リースはゆっくりデュランの肩におでこをく
っつける。すこし気恥ずかしかったけど。やがて睡魔にゆっくりと任せていった。

                                                          to be continued...