「な、なんだこれは!?」
「まさか…この魔方陣…」
 死を喰らう男は魔方陣をぐるりと見回して震える声で言う。
「これは一体?」
 堕ちた聖者はわずかに眉をしかめる。どうした事なのか、ここにいるだけでどんどん力
が抜けていくようなのだ。
 ふと見ると、今まで命令に従っていたアンデッド達がコントロールを失い、ぼんやりと
その場に突っ立っている。
「魔力が…消えている…?」
 堕ちた聖者は自分の両手を交互に眺める。その手に魔力がこもらない。
「もしかしなくっても、封魔魔方陣!?」
「なんだと!?」
 死を喰らう男は頬に手をあて飛び上がり、仮面の導師はまともに顔色を変えた。無表情
な堕ちた聖者でさえも、目を見開いた。
「でも…こんな広範囲で強力な封魔魔方陣を取り扱える者なんて、もうこの世にはいない
はずですヨ!」
「そうだ! こんな芸当できる者など……まさか!?」
 そこまで言いかけて、仮面の導師は動きをとめ、アルテナ軍が撤退したあたりにゆっく
りと顔をむけた。あのあたりから、凄まじい力を感じるのだ。
 一二年前、一匹の巨大なドラゴンが世界を破滅させんと、世界中を震撼させた事件が起
こった。人間達とて、無論黙って殺されるはずもなく、対抗した。
 そして、フォルセナの騎士団が一応の勝利をおさめたのだが、強力な魔法を使えるはず
のアルテナとウェンデルは何故何もしなかったのか? 世界の危機に大国はただ傍観して
いるだけだったのか。
 答えは何もしなかったというより、戦力にならなかったのだ。竜帝には魔法を無効にす
る術を心得ていたからだ。魔法を無力化された魔法使いや神官は戦闘では役に立たない。
だから、物資支援や情報提供などの完璧な後方支援とならざるをえなかったのだ。
 当時ローラントは開国して浅く自国の事で手一杯、ビーストキングダムの獣人達が人間
と手を組むはずもなく。肉弾戦では当時最強と謳われる黄金の騎士団が中心となってドラ
ゴン退治となったのだ。
 そうだ。魔法使いや神官にとって、厄介なあの魔方陣を扱える巨竜は滅んだはずだ。谷
の奥底でくたばっているはずではなかったのか。
「おそらくそのまさかだろうな。貴様達さえどうにかなれば、我々の勝利だ」
 声に気づき前を見ると、魔方陣のすぐ外で、紅いマントをはためかせた金髪の男が腕を
組んでこちらを見ている。
「ビーストキングダムの獣人どもや、アンデッド兵には正直手を焼いたよ。貴様らの魔法
にもな。貴様ら、ビーストキングダムの者ではないな?」
「……………」
 紅蓮の魔導師もおかしいと思っていた。獣人達が魔法が得意だとは聞いた事がないから
である。
「そこの男の服装から察するにウェンデルの神官か? なぜウェンデルの神官がビースト
キングダムに?」
 ちらりと、紅蓮の魔導師は堕ちた聖者を見る。白や清廉な色が基調のはずの神官服なの
に、濁った色のマントをまとう姿は、神官かどうか迷う。だが、そのデザインはウェンデ
ルの神官服そのものである。それに、確かにウェンデルあたりの優秀な神官ともなれば、
あれだけの魔法も不可能ではない。
 しばらく、沈黙が支配する。紅蓮の魔導師の問いかけに三人とも、誰も何も言わないの
で、彼は小さく肩をすくめた。
「まあいい。では、今度はそこの黒耀の騎士と戦ってもらおうかな」
 言われて彼の視線をたどると。いつの間にか、真っ黒い騎士が魔方陣の中にずかずかと
入り込み、ゆっくりこちらに向かってきているではないか。
「チチィッ!」
 舌打ちして、死を喰らう男は鎌を構え、黒耀の騎士に襲いかかった。
 ガチィン!
 鎌と黒い剣がかちあい、火花を散らす。
 その鍔ぜり合いもつかの間、すぐに死を喰らう男は弾き飛ばされてしまった。
「ウギャッ!」
「多少なりとも接近戦に覚えがあるかもしれないが…。たとえ貴様ら三人が束になったと
しても、その男は倒せまいよ」
 弾き飛ばされた死を喰らう男を見てせせら笑うと、紅蓮の魔導師は鷹揚な様子で魔方陣
の中の三人を眺める。
「黒耀の騎士! その仮面の男をまず殺せ!」
 黒耀の騎士は返事はしなかったが、まっすぐに仮面の導師に歩みを強めていく。
「くっ!」
 堕ちた聖者がさっと仮面の導師の前に身を踊らせる。
「早くこの魔方陣の外へ!」
 背後にいる仮面の導師に声をかけ、身構えた。それに、我に返ったように、仮面の導師
も走りだす。いくら強力でも魔方陣は魔方陣だ。それから抜けてさえしまえば効力は届か
ない。それに、これだけ強力ならば、そう長い間持つとは思えなかった。
 時間さえ稼げれば。そう思ったのだが。
「無駄だ」
 黒耀の騎士は歩きながら、黒い大剣を大きく振り下ろす。すると、衝撃波が地上を走り、
小走りの仮面の導師を捕らえる。
 バシュッ!
「ぐぎゃあ!」
「父上!」
 堕ちた聖者が、倒れた仮面の導師に向かって叫んだ。
「邪魔だ」
 すぐ近くまで近づいてきていた黒耀の騎士は、そこにいた堕ちた聖者を裏拳で弾き飛ば
す。
「うぐっ!」
 殴り飛ばされ、堕ちた聖者は砂煙をあげて大地を転がった。
 ガシャン、ガシャン。
 黒耀の騎士の黒い鎧は無機質な音をたてて、一歩、一歩と仮面の導師に近づいてくる。
「あ、あう、ひあ……」
 魔法が使えなくては仮面の導師もただの人である。ただの人となった仮面の導師は、尻
餅をつきながら、ずりずりっと後ずさる。
「くそう!」
 立ち上がり、背を向けて走りだそうとした瞬間。
 ズザシュッ!
 黒耀の騎士の黒い剣が一閃した。
 仮面をつけた頭が、弧を描いて宙を舞う。頭を切り離された胴体は、首から血を勢いよ
くしぶき上げ、そしてゆっくりと前に倒れ込む。
「血が青い…。あれもアンデッドか…」
 見物していた紅蓮の魔導師は、仮面の導師の血を眺めて、小さくつぶやいた。
 青い血を吸った黒い剣は濁ることもなく、一振りしただけで、もう血の跡は見えなくな
ってしまった。
「あ、アヒィ……」
 死を喰らう男は尻餅をついてその光景を見ていた。
「さて、お二人とも。お二人の主君はこうして首なしになったわけだが。君たちはこれか
らどうするね?」
 まさに慇懃無礼な態度で、紅蓮の魔導師は魔方陣の中に佇む二人を見やる。
「ど、どうするって……」
「こういう交渉はどうだね? これから、おそらくナバール軍がこちらへ攻め込むだろう。
ここは一つ、協力して奴らを殲滅させようではないか。先程の戦闘でお互い疲弊している
事だしな。もっとも、指揮権はこちらにあるのだがね」
 つまり、支配下に下れ。そう言っているのだ。
「は…、はひ、ほ、ホホホホホ! も、もちろんでございますヨ! この死を喰らう男、
今をもって貴方様の手となり足となり、働いてみせますとも! ウヒヒヒ!」
 一瞬、ほうけた顔をしていた死を喰らう男だが、すぐにはいつくばって、彼なりの精一
杯の愛想笑いをして見せた。
「ふむ…」
 心の中ですぐさま使い捨てにすることを決定すると、紅蓮の魔導師は今度は堕ちた聖者
の方を向く。
「君の方はどうだね?」
「……………」
 堕ちた聖者はまた元の無表情に戻り、半身を起こしたまま、ぼんやりと仮面の導師の死
体を眺めていた。
「ここで黒耀の騎士に首を切り落とされるか、我らの軍勢に加わるかは君の自由だが…」
「……君たちの目的は何だ?」
 ふと顔をあげ、焦点が合っているのかいないのか微妙な目付きで紅蓮の魔導師を見る。
 突然、そんな事を問われ、多少たじろいだ紅蓮の魔導師だが、すぐに落ち着きを取り戻
す。
「もちろん、アルテナによる世界統治だよ。……というのは建前だがね。なに、ちょっと
人間のみなさんに死んでもらって新しい国家を建てるのさ」
 ここからならアルテナの魔法兵に聞かれる事はない。紅蓮の魔導師はアルテナ兵には聞
かせてはいない事をここで初めて口にした。
 おそらく、この男に建前を言ったところで建前だと見破られるだろうと思い、本当の事
を口にした。それに、もう計画は最終段階に入っているのである。
「人類への死…。それが、目的か?」
「まあ、そんなところだね」
 相変わらず、紅蓮の魔導師は小ばかにしたような口調で言う。
「………そうか。わかった。君の言葉に従おう」
「物分かりがよくて良いね」
 見下した笑みを浮かべ、紅蓮の魔導師は満足そうに頷いた。

「ナバールニンジャ軍に、魔界の軍勢…。これだけいれば何とかなるだろう」
 邪眼の伯爵は満足そうに目の焦点の合わない、ナバールのニンジャ達を水晶球から眺め
る。忘却の島上空へ向かう飛空船の中、大部屋にまるで物のように詰め込まれたニンジャ
達がひしめきあっている。彼らに意志はないので、不平も文句もなく。ただ、黙りこくっ
て突っ立っているだけだ。
「油断するなよ」
 飛空船の窓から、美獣は虹色に光る聖域への扉を睨みつける。船の上部にある部屋で、
二人は言葉も少なめにこれからの戦争に準備していた。
「先に入った奴らがすでに派手にやっているだろうさ。消耗して疲弊しきったところに攻
め込むのは黒の貴公子様の計画の中に練り込まれている」
「ああ。知っている。だが、油断はするな」
「……わかった…」
 ちらりと視線だけ美獣によこして、邪眼の伯爵は彼女と同じく聖域への扉へと目をやっ
た。

「それで? ナバールの背後にいるのがわかったと?」
「はい。ご命令の通り、闇のマナストーン出現の理由を調べさせていた者がただ今戻りま
した。間違いなく、魔界の者がからんでおります」
 仮面の導師を仕留める事で勝利を修めたアルテナ軍は、次の戦いに備えて小休止を取っ
ている最中であった。
「ほう…。魔界か…。確か、そこの魔王はすでにどこかの小僧によって殺されていたな…」
 小さな魔法生物の報告を聞いて、御簾の奥で低く轟くような声がする。
「そうだったのですか…」
 そんな事など知らない紅蓮の魔導師は少し驚いて、御簾の奥にいる人物を見る。
 大型戦車グレーター・サイクロプスの中に御簾で仕切られた部屋があり、その奥にその
人物はいた。緑の御簾の奥で大きな椅子に腰掛け、その男はひどく低い声でうなっていた。
「…闇のマナストーンを現世に出現させるなど、並大抵の力ではあるまい。となると、そ
の小僧あたりが怪しいな。あやつ…どこの者だったか……」
 紅蓮の魔導師は次の言葉を辛抱強く待った。
「……そうだ。光の城の王子だったはずだ。ワシが谷底に落ちる前、魔界ではその事で大
騒ぎだったのだ」
「光の城……?」
「ローラントの北に位置する城が光の城だ」
 静かに黒耀の騎士が言う。
「あそこはダークキャッスルと呼ばれる城じゃないのか?」
 だが、紅蓮の魔導師の記憶では、ローラントの北にある城はそんな名前ではなかったは
ずだが。
「ダークキャッスル? 聞いた事がない」
「………?」
 紅蓮の魔導師はしばし黙り込み、爪をかむように考え込む。話がかみ合わない。
「…ともあれ、闇のマナストーンを現世へ転送する事など、非常に危険な事だ。おそらく、
そやつもただでは済むまい」
 低い声が御簾の奥から発せられる。
「と、おっしゃられますと…」
「すでに死体になっている可能性がある。マナの剣が手に入れば、死体を蘇生させるなど
造作もないだろうがな」
「ほほう…。なるほど、そういう事ですか…」
 御簾の奥の人物の言いたい事に気づき、紅蓮の魔導師はうっすらと笑みを浮かべた。

「これはまた…派手にやったものだな…」
 聖域にはアルテナの魔法兵や魔法生物、動かなくなったマシンゴーレムなどの残骸、ビ
ーストキングダムの獣人。そして、何故かドラゴンの死骸がごろごろと無造作に転がって
いた。アルテナの戦車らしきものの残骸までも転がっている。美獣は腰に手をあてて、こ
の惨状を無感動に見ている。
「これほどの死体…。さぞかしやつらも消耗したろうな…」
 邪眼の伯爵はくっくと喉の奥で笑う。
「ともかく、油断するな。行くぞ」
 美獣は背後にいるニンジャ達と、デビルやデーモンといった悪魔たちに声をかけ、聖域
を歩いて行く。
 軍隊が広い草原の中程に来たあたりであろうか。突如、横たわっていた死体がむくりむ
くりと起き上がり、歩いていた軍隊に襲いかかった。
「なっ!」
「なんだとっ!?」
 これには美獣と邪眼の伯爵も驚いて、目を向いた。
「どういう事だ、これは!」
「どうもこうも! あちらはアンデッドを操る者がいるという事だ!」
 美獣は爪で獣人ゾンビを薙ぎ払い、応戦する。
「数できても、無駄だ!」
 形勢を立て直した邪眼の伯爵は手を広げ、振り下ろす。すると、周りに群がっていたア
ンデッド達はすごい勢いで方々に吹っ飛ばされた。サイコウェイブという強力な技で、使
える者がごくわずかな高度なものである。
「どうも、魔界軍勢の頭はあの二人らしいな」
 アンデッド達と、魔界軍達との戦いを遠方で眺めながら、紅蓮の魔導師が言う。
「死を喰らう男」
「ははぁ! ここにおりますとも」
「貴様は魔界へ行って光の城の王子の死体を探せ」
「魔界…ですか…。しかし、そこに光の城の王子がいるんですかね?」
 しかし、死を喰らう男はきょとんとしている。
「どういう事だ?」
「光の城の王子は、今は黒の貴公子と名乗っています。まぁ言ってしまえば今の魔王デス
ね。昔は光の城と呼ばれた城も、今はダークキャッスルと名を改めています。魔界よりも、
そちらにいる可能性が高いと思うんですが…」
「ほほう…。そういう事だったか…」
 何故自分と黒耀の騎士とで食い違いが出ていたか、こんなところで判明した。
「ではダークキャッスルに向かえ。黒の貴公子とやらの死体が転がっているはずだ。そし
てこの聖域まで持って来い」
「ハイハイ。承知しました…」
 死を喰らう男はかしこまると、すっくと立ち上がり、小さく呪文を唱える。魔方陣が足
元に浮かびあがると、そこから沸き上がる光に飲まれて消えた。
「大丈夫なのか? あの男を信用して」
 まったく感情のない声で黒耀の騎士が言うと、紅蓮の魔導師は軽く肩をすくめた。
「信用などしていない。まあここで嘘を言っても始まらんだろうと思ってな。それにあの
指輪をしているし、いくらあのような男でも、最初からいきなり裏切るのは得策ではない
事くらい、ヤツも考えているだろう。それにまがりなりにも魔界軍親玉の遺体だ。防衛も
かなりのものだろうしな。こちらの手駒を消費する理由もない」
「ふむ…。そうか…」
「さて、あとはヤツらだな。雑魚はドラゴンとアンデッドと魔法兵に任せるとして、堕ち
た聖者。あの女の相手をしろ」
 紅蓮の魔導師はふっと息を吐き出して、次々と自軍をなぎ払っていく美獣を目で指した。
「…いや。あの女の相手は私がしよう」
 黒耀の騎士がそう言い、剣を手にゆっくりと歩き始める。
「…そうか。では、堕ちた聖者。おまえはあの赤目の方だ」
「わかった」
「あの女、油断できん。魔法を使うようだったら援護を頼む」
 それだけ言って、黒耀の騎士は混戦している戦場へと歩きだした。堕ちた聖者もそれに
続く。

                                                             to be continued...