「うらあ!」
 ドラゴンゾンビを切り裂き、美獣はペロリと舌なめずりをする。
「これくらいだったら何とかなりそうだね…」
 言いかけて、目をカッと見開いた。
「くっ!」
 カイィン!
 ツメと、黒耀の騎士の剣がかちあう。
「これはまた…。毛色の違うのが出て来たじゃないか」
 美獣の言葉に付き合いもせず、黒耀の騎士は剣を振りかぶる。
「なかなかやるね!」
 美獣の姿は、妖艶な美女から、一瞬で真っ白い人型の猫へと変化した。どうやら、この
姿が本性らしい。化けていた姿のまま戦うのは危険だと本能が告げている。
 ツメと剣がまたかちあった。
 彼らの背後で、堕ちた聖者と邪眼の伯爵の激しい魔法戦が繰り広げられていた。
「魔法でこの私と対抗するか! 面白い、やってみろ!」
 邪眼の伯爵はそう言いながら、黒い光線を放つ。堕ちた聖者は無表情でバリアを張り、
それを防ぎきる。
 この大混戦している平原を目前に、紅蓮の魔導師は大きな身振りで呪文を唱え始める。
そして、呪文詠唱が終わり、両手を大きく突き出した。
「ファイヤーボール!」
 ボシュヒュウン!
 赤い火の玉が彼の手のひらから勢いよく飛び出してきた。その数たるや数え切れないほ
どで、無数の火の玉がニンジャやデビル、デーモン達に迷う事なく炸裂した。
 ドガラァン、ズドォン!
 あちこちで爆破、炎上し、次々と敵を焼いていく。
「おのれ、こざかしい!」
 黒耀の騎士と対峙しながらファイヤーボールをくらってしまった美獣は、一瞬のスキを
狙って、紅蓮の魔導師に向かって腕を振り下ろす。
 それは、衝撃波となって、紅蓮の魔導師に襲いかかった。油断しきっていた彼はそれを
まともに食らってしまい、大きくよろめいた。
「ウウッ! くっ…くそう…。あの女、こんな真似をやってのけるとは…」
 傷ついた顔に手をあて、憎々しげに美獣を睨みつける。
 だが、黒耀の騎士は片手間で相手できるほど優しい相手ではない。さきほどの攻撃がス
キとなり、美獣の形勢はあっと言う間に劣勢に回ってしまった。
 次々と繰り出される突きや薙ぎ払いをどうにか避けているが、防衛で手一杯だ。
「くっ!」
 どうにか形勢を立て直すべく、美獣は大きく後ろに跳び退った。
「真空剣!」
 黒耀の騎士と美獣との間に距離ができると、彼はその大剣を頭上で大きく振り回しはじ
めた。
 一瞬、何をするのかわからなかったが、振り回された大剣から、次々と真空波が生み出
されているのを見て、とっさにガードする。
「ううっ!」
「ギャア!」
「ギィエエッ!」
 真空波は周囲にいた者達を切り裂いて行く。美獣ほどの力をもたないほとんどの者は真
空波に切り裂かれ、力つきていく。
「チッ!」
 真空剣を受け、尻餅をついてしまった美獣がすぐに立ち上がった時であった。
「さぁーてみなさま、お立ち会い〜!」
 戦場にそぐわぬ場違いな声に、一瞬、全員の動きが止まる。
「東西東〜西! 魔界の軍勢の皆様のご健闘ぶり、まっことご苦労な事であり、皆々様の
主君も事のほかお喜びの事と思います」
 骨と皮しかないような肢体。ピエロのような派手な格好。人を小ばかにしきった言動。
「アラ、お久しぶりね、子猫ちゃん」
 黄金の瞳をすうっと細めて、死を喰らう男は美獣を見る。
「貴様! 死を喰らう男! どこから現れた!」
「いや…移動魔方陣からなんデスけど。それはともかく。見ていただきたいモノがありま
してねぇ…」
 良い予感がしない。この男は怪しい言動しかしないのだが、今回は非常に嫌な予感がし
た。
「これな〜んだ?」
 マリオネットを引っ張り上げるがごとく、死を喰らう男が魔方陣から引きずり出したの
は、黒い軍服に身を包み、ツノを生やした若い男であった。四肢をだらりとたらし、その
様子に生気は感じられず、すでに死体となっているようだ。
「黒の貴公子様!」
「あた〜り〜。ヒッヒッヒッ…。当ててもらって黒の貴公子君はとっても喜んだ。やれ嬉
しやぁ、やれ嬉しや〜っと」
 歌うような口調で、死を喰らう男は黒の貴公子を糸でカタカタと操って見せる。その動
きはまるで道化で、命を取り合う戦場でこの滑稽さは逆にことさら不気味に見える。そし
て、このふざけきった見世物に、美獣は逆上した。
「貴様! 黒の貴公子様になんという事をするのだ!」
 ツメを振りかぶり、死を喰らう男に襲いかかる。
「アア! やられるタスケテ〜!」
 美獣のツメは、ふざけた調子でおびえて見せた死を喰らう男の幻影を切り裂いた。
「はず〜れ〜。ワタクシはこちらにいたりして〜」
 美獣とはやや離れた場所に、死を喰らう男は未だ黒の貴公子を糸で吊ったまま、ふらり
と浮いていた。
「おい、ふざけるのもたいがいにしろ」
 そう声がしたかと思うと、赤いレーザー光線が飛んできた。
「おっと」
 ひょいと死を喰らう男が避け、光線は吊り下げられた黒の貴公子の死体をまともに焼い
た。
 ジュワアァァ!
 死体は一瞬で溶け、カケラも残さずに消えるように燃え尽きてしまった。
「黒の貴公子様! 貴公子様ああぁぁ!」
 黒の貴公子の死体があったあたりに駆け寄り、美獣は手を延ばす。しかし、そこは熱気
と嫌な匂いが立ち込めているだけで、もう何も残っていなかった。
「なんて……ことを……」
 かすれた声を出し、美獣はがっくりと膝をついた。
「戦意喪失っと…」
 死を喰らう男はひょいと跳びはねて、戦場から離れる。先程の光線を放った紅蓮の魔導
師とは少し距離をおいた場所だ。
「主力の戦意喪失か。ならば雑魚はおおよそでカタがつくな…」
 呆然と佇む美獣を眺めて、紅蓮の魔導師は満足そうに息を吐き出した。

「さて、君たち。このまま抗って命を失うか。我らの軍勢に下って生き延びるか。どちら
か選択したまえ」
 戦闘力大と見なされた美獣と邪眼の伯爵はとらえられ、紅蓮の魔導師にそう言われてい
た。
 二人はぐぐっと悔しそうに、紅蓮の魔導師を睨みつける。
「ほお。反抗的な目付きだな」
 面白がるように、紅蓮の魔導師は赤い目の男をのぞき込む。
「ではこの場で死んでもらおうかな」
 ふいっと手を動かすと、黒耀の騎士が一歩前に出る。
「待ってくれ…。…おまえの……支配下に加わろう」
「ほう。急に素直になったな。やはり命は惜しいか…」
 血を吐くかのような美獣の言葉を面白そうに聞いて、こんどは邪眼の伯爵の方に向き直
る。
「こちらは我が軍勢に加わると言ったが、君はどうするんだ?」
 邪眼の伯爵は口を曲げたまま、考えこんでいたがしばらくして、頭を下げた。
「わかった。おまえの言うことに従おう」
「よし。それでは、この指輪をはめてもらおう」
 紅蓮の魔導師はポケットから骨で作られた白い指輪を取り出した。
「呪いの指輪だ。説明しなくても、おまえ達なら知っているだろうがな。命令に従わなか
った場合、この指輪がおまえらを死の世界へ誘ってくれる」
「………………」
 二人は無言でこの指輪を見つめていたが、やがて観念したらしく、それぞれに指輪をは
める。指にはまった途端、指輪は薄く光るとゆっくりと消えてしまった。
「ふう…。これで目下の敵は排除したな。あとは…聖剣か…」
 それを見ると、紅蓮の魔導師は少しだけ長めのため息をついて、そして、大きくそびえ
立つ巨大なマナの木に目をやった。

「美獣。何をしている」
 呪文を唱え終わった美獣に、邪眼の伯爵はするどく尋ねた。
「おまえには関係のない事だ」
「…まさか、ローラントの王子を…」
「だとしたら、どうだと言うのだ? あの子供を我々の所におく理由などもうない」
「……………」
 不満そうに、邪眼の伯爵は美獣を睨みつける。美獣は、捕らえられた時点で人間の姿と
なっていた。あまり本性の姿でいる事は好まないらしかった。
「そろそろマナの木だな」
 先頭を歩く紅蓮の魔導師は随分近づいてきたマナの木を見上げる。
 あの木の根元に、聖剣が、マナの剣がある。
 そして、それは見えてきた。
 清浄な清水につかった巨大な根元に、その剣は突き刺さっていた。
「あれが…聖剣か…!」
 紅蓮の魔導師の瞳に喜びの色が浮かぶ。彼が聖剣に近づこうとしたその時だった。
 黒い影が聖剣に走り寄ったかと思うと、聖剣が突き刺さった根元に邪眼の伯爵が立って
いた。
「ハハハハハ! 油断したな! 聖剣さえ手に入れば呪いの指輪など…」
 そう言って聖剣に触れようとした刹那。
 ザブッ!
 一瞬、邪眼の伯爵にも何が起こったかわからなかった。気が付けば、自分の腹に大穴が
空いていた。
「見苦しい真似はやめろ! 邪眼の伯爵…!」
 眉間に深いシワを寄せ、美獣が片手を突き出していた。その手をすいっとひくと、それ
につられるかのように邪眼の伯爵の体が引き寄せられる。
「そのような下らない真似をして、黒の貴公子様の死を汚すなど…私は許さんぞ…!」
 穴を開けられて、震える邪眼の伯爵の胸倉をつかみ、呪うような声を出す。
「フン…!」
 そして、美獣はまるでゴミでも投げ捨てるかのように、邪眼の伯爵を遠くへ放り投げた。
 その様子を見ていた紅蓮の魔導師だが、まるで何事もなかったかのように聖剣に近づい
た。
「これが…聖剣か…フフフ! これが…これがあれば……」
 聖剣を引き抜こうと、彼は柄に手をかけようとした。

「ギャアアアアアアアァァァ!」
 激しい悲鳴が聖域に響き渡った。
「な、なんだこれは…!」
「やはり駄目だったか…」
「やはり駄目だったとは、どういう事だ!」
 静かな声で言う黒耀の騎士に、全身を軽く焼き焦がした、紅蓮の魔導師が怒鳴る。
「聖剣はフェアリーに取り付かれた者でないと抜けない仕組になっている。力づくでどう
にかなるものではあるまい」
「何故それを先に言わない!?」
「言って、抜くのをやめたのか?」
「………………」
 紅蓮の魔導師は憤然とした顔で黙り込んだ。先に言われたとしても、彼はやってみなけ
ればわからないと、抜こうとしただろう。
「仕方がない…。ヤツらに抜かせるより他ないのか……」
 悔しそうに頭をかきむしり、少し焦げた息を吐き出す。
「ちょうど良い。フェアリーを奪って時間稼ぎをしろ。勝ったとはいえ被害は軽くない。
休息や準備を含めやはり時間が欲しい」
「ふむ……」
 黒耀の騎士の言葉を聞いて、顎を手にやってやや考える。そして、一緒に来ている堕ち
た聖者、美獣、死を喰らう男の三人を見た。
「そうだな……早速君たちに活躍してもらおうか……」


「というわけでメッセージオシマイ。じゃーねー」
 死を喰らう男はそう言って、ひょいと彼らの前から姿を消した。
 紅蓮の魔導師から言われた事はすべてやった。この先は、何も言い付けられていない。
「さて、トンズラでもこきますかねぇ」
 ふうとため息をついて、死を喰らう男は空を見上げる。
「ッタク、だ〜れが馬鹿正直にこんな指輪なんかはめますかっての」
 死を喰らう男は今まで隠し持っていた呪いの指輪を取り出す。あの時、とっさにただの
白い指輪と取り替えて、ハメて見せたのだ。
 配下に下れと言われた時点で、指輪の事を想定して、先に魔法で偽の指輪を作っておい
た。裏切りや下克上など何度も繰り返してきたから、もう経験上の直感である。
「我ながらとっさの機転!」
 ふふーんと悦に入るが、すぐにそんな調子は消えて沈んだ。
「はぁ…。とはいえ、ヤツらの天下には違いないですからねぇ…。戻ったところでどうせ
殺されるのがオチですもんねぇ。しばらくは目立たないように消えますか…」
 そして、特大のため息を一つ。
「あーあ…。魂がたらふく食えると思ったのになぁ…」
 そうボヤくと、足元に魔方陣を出現させ、そして、その魔方陣と共に彼は消え失せた。
 聖域にたれこめる暗雲は晴れそうになかった。



                                                                      END