「そうね。じゃあ、コレとコレをいただくわ」 「毎度!」 ミリスは仲間のプーカが床に広げて見せた商品を幾つか見繕い、買い上げる。 プーカの商人は売れ残った商品を、袋に一つ一つしまい始めていた。彼の後ろでは、自 分たちが隠れ住まう場所とつながるゲートが青く淡く光っている。その時。 そのゲートから、誰かがやってくる気配がして、商人もミリスもそのゲートに思わず注 目した。 「ああ。やっぱりミリスの所につながっていた」 そこには、見知ったプーカがゲートから現れて、朗らかな笑顔で軽く手を振る姿が。 「メリーヌ!」 ミリスは突然の来訪者に驚いて、軽く耳を跳ね上げた。 「こんにちは。ごめんなさいね、商売の邪魔をしちゃって。ちょっと、ミリスに頼みたい 事があったものだから」 プーカの地下街でプーカカフェを営み、そのお菓子作りの腕前を色々な人に披露してい る彼女である。自分の店からあまり動く事のない彼女が、何のためにここに来たのか、ミ リスは謎に思い、首をかしげる。 「どうしたの? あなたが店を離れてここに来るなんて」 「ええ。あなたに用があって来たのよ。ねえミリス、ここは、イルリットの森の中でも、 割と辺鄙な所にあるわよね?」 実際にはラグナネイブルの外れにあり、イルリットの森とも外れた場所にあり、割とど ころかかなり辺鄙な場所にある。 「……そうだけど……。それが、どうかしたの?」 「イルリットの森のまたさらに外れの方にハーブの群生地があるのよ。そこへちょっと行 って来て、取って来てくれないかしら?」 「ええ?」 「お願い。ちゃんとお代は出すから。お客様が持ち込んでくれる分はともかく、ウチで用 意するものは、やっぱり良い物じゃないと駄目だし。全部私がちゃんとした物を揃えたい けど、忙しくて。なかなか手が回らないのよ。ミリスなら、良いハーブを見分けられる目 を持っているから任せられるのよ。ねえ、お願い」 移動するだけなら、プーカの持つ魔法で群生地に行く事は可能だろう。だが、良いハー ブを見分ける目というのは、さすがに誰でも、というわけにはいかない。 「ええ……? ……でも、私にはグウェンドリン様のお世話があるのよ……」 「そこを何とか! 駄目かなぁ?」 目の前でパンと手を合わせられ、ミリスは何とも困った顔をする。 「うーん……。ちょっと待って、グウェンドリン様に尋ねてくるわ」 仕方がない、という顔でため息をつくと、ミリスはメリーヌとプーカの商人をそこに置 いて、自分の女主人の元へと歩きだす。 ややしばらくして。ミリスはトコトコとメリーヌ達の前にやって来た。 「良いわ。じゃあ明日、ハーブを取りに行ってくるから」 「ありがとう!」 苦笑しながら、ミリスが許諾するとメリーヌは手を打ち鳴らして喜んだ。 「これ、群生地への地図よ。それと、これが必要なハーブの量。もし、他に良さそうな食 材があったら、それも買い取るから!」 早速、メリーヌはエプロンから用意していたメモ紙数枚を取り出して、ミリスの手に握 らせる。断られる事は考えてなかったのだろうかと、ミリスは苦笑いが止まらない。 「それじゃあ、お願いね!」 手を振りながら、メリーヌがゲートの中へと消える。続いてプーカの商人が軽く会釈を して同じくゲートの中へ消えた。 ゲートの魔法の光が消えるまで、ミリスはゆっくり手を振っていたが、それが終わると 軽く息をついて握らされたメモ紙を開いて見た。 「ハーブの群生地? ……そんなものがあったのか?」 明日、ミリスがハーブ取りに出掛ける事を夕食の時に皆に告げると、今のこの城の主人 であるオズワルドが食事の手を止めた。 「ええ。地図によると、北東の方にあるそうですわ」 「明日は天気が良さそうじゃ。歩くと気持ち良かろうて。何なら、ワシも手伝おうか?」 「あ、そんな。悪いですわ、ブロムさん」 まさか手伝おうという申し出があるとは思わず、ミリスは少し慌てて手を振った。 「……でも、森に魔物は出たりするわ……。大丈夫なの?」 「グウェンドリン様、大丈夫ですよ。ここからそんなに遠い場所ではありませんし、なに より、仲間のプーカが群生地の近くまで送ってくれますから」 「……でも、その群生地に魔物が出ないとも限らないわ……」 イルリットの森で何度も魔物を戦ってきたグウェンドリンだから、ミリスが心配で仕方 がないようだ。 「なら、オズワルド。おまえ、明日はミリス殿の護衛を勤めたらどうだ? もうだいぶ身 体の具合は良いのじゃろう?」 二人のやりとりを眺めていたブロムが、不意にそんな事を言い出した。 「……そうだな」 「あ、でも、そんな……」 あっさり頷くオズワルドに、ミリスは再度慌てる。 「構わない。鍛練だけではカンもにぶる。実践に護衛は調度良い」 軽く首を横に振り、オズワルドが落ち着いた声を出す。結婚してから、彼も以前とは見 違える程に穏やかな表情をするようになってきた。 「それなら、私も行きます」 ミリスが心配なのか、それとも夫とミリスが二人きりになるのが気になるのか、はたま た、ただ夫について行きたいだけなのか。グウェンドリンが胸の前で拳を握り締めて声を 上げた。 「え、ええ…。グウェンドリン様まで……」 話が大きくなっていくようで、ミリスはたじろぐ。 「ほっほ。何なら、みんなで行くのはどうじゃ? 明日の天気は良さそうじゃからな。良 いピクニックになろうよ」 「え?」 ブロムが横から出した意見に、ミリスだけでなく、全員が彼に顔を向ける。 「皆で行くなら、魔物の心配はあるまいよ。ピクニックがてらなら、ミリス殿もそんなに 気負いせんでも良かろうて」 「な、なるほど……。それは……なかなか良い案ですわね」 ミリスは少し考えて、それからにっこりほほ笑んだ。先程見上げた夜空は雲一つなく、 星が瞬き、月も明るかった。明日は良い天気になるに違いない。 ハーブ取りという仕事も、それなら楽しんで勤められそうである。それに、考えてみれ ばここのところ、この古城からあまり出歩いていない。 「じゃあ、私、明日はお弁当を用意しますわ。朝に出れば、きっとお昼ごろにあちらに着 くでしょうし」 「それはなかなか良い案ですな」 ミリスがそう言うと、ブロムも目を細めた。 ブロムの言うとおり、朝から太陽は爽快に森を照らし、見事な晴天ぶりである。 「おお、これは良いピクニック日和じゃな」 額に手のひらを寄せ、ブロムは晴れ渡る青空をざっと見回した。 「あの、私が持ちますから…」 「良い。俺の方が体力がある」 お弁当やら何やらを詰め込んだ大きなカバンを肩からかけて、オズワルドはミリスに纏 わり付かれていた。 「でも……」 「オズワルドの言うとおりじゃ。荷物はそやつに持たせておきなさい」 「はあ……」 まだ納得がいかなかったようだが、ミリスはとりあえず引き下がった。オズワルドはこ の城の主人であり、グウェンドリン、ミリスに仕えられる主人と言う事にもなるのだが、 彼にその感覚は薄いようである。 「……やっぱり……槍を持った方が良かったかしら……」 古城の出入り口の前まで来ても、グウェンドリンは槍を持ってきた方が良いかどうか迷 っていた。 こういう時に姫というのは不便なもので、身につけるものはドレスか武具しか持ってい ない。武装してピクニックに行くわけにもいかず、かといってドレスでは槍が思うように 振るえない。オズワルドが魔剣を鞘に入れて腰から下げているものの、いざという時はグ ウェンドリンも戦いたいと思っている。 「グウェンドリン。行くぞ」 「あ、はい。今、参ります」 まごまごと迷っていると、皆に先に行かれてしまった。グウェンドリンは儘よと思いな がら槍を持たずに、小走りで夫らの元へと向かった。 日差しが木々の透き間を縫いながら、地面を照らす。小鳥が朗らかにさえずりながら、 梢から梢へ移動する。キラキラと光る蝶がひらひらと飛んでいく。 森に魔物の気配はまるでない。穏やかなものである。 「今日は本当に天気が良い。こうなるとまったく気持ちが良いですな」 「ええ、本当に」 ブロムに話しかけられ、グウェンドリンもにこやかに頷いた。小道に咲く花が愛らしい。 これなら、夫と二人きりで腕を組んで歩くのも悪くないなと、軽く夢想する。もちろん、 みんなで行くのは楽しくて、それを否定するつもりは全く無いのだが。 そこで、グウェンドリンは少し前を歩くオズワルドに追いついて、そっとその横顔をの ぞき込む。 オズワルドは、やや惚けた表情で歩いていた。どこか、心がここにないような感じであ る。 「オズワルド様」 声をかけると、我に返ったようでちょっと驚いた顔でグウェンドリンを見た。 「どうかしましたか? 少し、ボウッとしてらしたようですけど……」 「ああ、いや……。その、ただ、ピクニックって……生まれて初めてだな……と、思って ……」 「生まれて……初めて……?」 きょとんとしたグウェンドリンに、オズワルドは少し恥ずかしげに頭をかく。 「ああ……。こういうの、聞いた事はあったけど、やった事がなくて……」 「そうでしたか……」 オズワルドの生い立ちは本人やブロムから少し聞いているが、本人はあまり語りたがら ないし、ブロムも割りと口が重い。ただ、愛が無いと思っていたグウェンドリンよりも、 さらにひどい環境だったらしいと聞いてはいる。 考えてみれば、自分は母や姉に愛されなかったわけではない。厳しかったものの、いざ という時に助けてもらった事など一度や二度ではない。父の愛を求めていたが、父以外の 者にはちゃんと愛されていた事を思い出していた。 「これからたくさんやれば良い。他にも色々あるじゃろうが、焦らずとも、これからやっ ていけば良かろうよ」 下からの声に振り向けば、ブロムが穏やかに声をかけてきた。それを聞いたオズワルド はわずかに顔をほころばせる。グウェンドリンも、そんなに笑う方ではないが夫はさらに 表情が乏しい。夫のわずかな笑顔に、妻は口元に小さく笑みを浮かべた。 「……そうですね。これから、ですね……」 これからの人生をこの男と歩くと決めた。経緯はどうあれ、そう誓った。一時は自分の 境遇を嘆いた事もあったが、今はそれに感謝さえしている。 自分もこれからだし、彼もそうなのだろう。やってこなかったのなら、これからすれば 良い。知らなかったのなら、知っていけば良い。少しずつでも、彼と一緒に。 隣を歩く夫の手をそっと握ると、彼は不意をつかれたような顔をした。 それがおかしくて、グウェンドリンはもっと顔をほころばせる。 照れた目を見せていたが、悪い気はしなかったようで、握った手を握り返してくれた。 「……いやはや……これはこれは……」 「まあ、良いんじゃないですか?」 「ふむ……」 若い二人に当てつけられ、ブロムは苦笑いを顔全体に浮かべたが、ミリスはあまり気に ならないようだった。物憂げな表情が多かったグウェンドリンが幸せそうに微笑んでいる。 ミリスはもう、それだけで十分なのである。 -next- |